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才能よりも大切なもの

中高校生時代に、自分がどんなにか勉強していなかったかを強調したがる人がいます。
とにかく勉強しなかった、教科書は学校の机の中に置きっぱなしだったと得意げに話をする人がいます。
そのような人の話は、自分は勉強しなかったけど、やればできた、東大にだって入れたかも知れぬと豪語します。
こんな人ほど憐れな人はおりません。
これも劣等感からくるものなのですが、そういうことを言うことによって、かろうじて自尊心を保っているのです。
努力によって自分の能力の限界を直視しない人ですから、本質的には単なる怠け者です。
言い訳や口実、弁解の度が過ぎると、嘘や偽りの世界に入り込んでしまいます。
そういう人は毎日、前向きにコツコツと一歩一歩、一生懸命に最善を尽くし、努力するような人ではありません。
そういう物事の捉え方そのものが、自分を限りなく貶めているということです。
人間にとって大切なことは、能力や才能ではありません。
もっと大切なことは、志であり、心構えであり、言い換えると、事の捉え方ということです。
人物を推し量るバロメーターは才能や能力ではありません。
人間の人間たる所以を学ぶ秘訣は、その人物の志と心構えの中にあります。
人間にとって一番大事なことは、どんな志をもって、どんな心構えをもって生きているかということです。
才能や能力というのは、志があってこそ活きてくるものだからです。


# by toukokira-kira | 2018-06-21 21:22

一番大切なものは何か

孤児や貧困の中で親以外の人に育てられ、愛情をもって親に育てられなかった人々がいます。
世界の中には、生まれてまもなく、貧困と飢えと感染症の中で、生きることさえままならない境遇、環境下に置かれる人々もおります。
そういう悲しい過去を持った人は、一般に、非行や犯罪に走ることが多いと言われています。親の役割は非情に大きいので仕方がありません。
人間は自分の出自と、過去の生い立ちを変えることはできませんが、同じような悲惨な逆境にあっても、前向きに辛抱強く努力し、見事な人生の花を開かせた人も少なくありません。
環境や境遇にかかわらず、生まれ持った性格、すなわち、事の捉え方によって、運命も、人生も大きく変わってくるということです。
人間においては、物事をどう捉えるか、どう受け止めるか、どのように認識して、どのように考えるかということが一番大切なことであり、人生の生命線と言っても過言ではありません。
その人生の生命線を担っているのが生まれ持った「性格」です。
そういう意味で、人生、運命のすべては「性格」が決定づけるというのが「宇宙の法則」です。
宇宙の法則は神の法則と言ってもよいでしょう。
ですから生まれ持った性格とはそれほど大事なものなのです。
どんなに悲惨で辛く苦しいどん底の境遇にあっても、潰れる人は潰れていきますが、乗り越えて前進する人はどこまでも乗り越えて前進していきます。
どんな境遇でも、事の捉え方、考えようによって、新しい人生を切り開いていけるのです。
境遇、生い立ちよりも大切なのは、どのような考え方で人生を歩もうとしているのかということです。
性格=事の捉え方でありますから、性格が人間の一番大切なものだということです。
人にやさしくして親切にするという心の態度はひとえに性格によるものです。
思いやりがあって、優しくて親切というのが最上最高の性格といえます。
人に親切にしたときに、宇宙波動は最大限に共鳴調和するからです。




# by toukokira-kira | 2018-06-20 19:58

偽りの世界の中で

宇宙の法則は人生の法則でもあります。
人生の法則は心の法則でもあります。
ですから、心の態度、有り様がその人の人生を左右しているということです。
闇の心には闇の人生が、光の心には光の人生が訪れます。
闇の心とは、ネガティブな否定的な心のことです。
光の心とは、ポジティブな肯定的な心のことです。
ネガティブなマイナスの感情とは、消極的で否定的なすべての感情をいいます。
辛い、苦しい、悲しい、恨み、憎しみ、怒り、妬み、不平不満な心を言います。
ポジティブなプラスの心とは、愛、感謝、許し、寛容、信頼、勇気、奉仕などの心を言います。
ネガティブな心には、その多くに怒りと偽りと嘘が伴います。
ポジティブなプラスの心には、正直さと、誠実さと、謙虚さが伴います。
正直さと誠実さの世界の真逆にあるのが嘘と偽りの世界です。
この世界の8割方の大多数は、嘘と偽りの世界に生きる人々です。
ですからこの人間世界を迷いの世界とも言います。
大多数の人間が迷いの世界にあって、誠実な人間というのは、ごく少数に過ぎません。
ですからこの現実世界には、迷いの世界の闇の波動がとぐろを巻いて覆い尽くしているわけです。
どろどろとしたマグマのような情念が噴出している世界といってもよいでしょう。

私は、誠実さというものを、人間にとって何よりも大切なものと考えている古流神道の修行者です。
嘘、偽りのない人間を誠実で正直な人間と言います。
言い換えると、自分を欺かない人間ということです。
こんな人間は、めったにはおりませんが。
というのも、私達のこの世界は、「ウソも方便」と言われるように、いたるところでウソと偽りがはびこっているからです。
ウソのない人間など、私はまだお目にかかったことがありません。
仮面を幾重にも被っていますので、なかなか正体を見破ることができませんが、その頑丈な仮面をはがすと、人間は誰でも偽りに満ちた醜悪な一面があらわれてきます。
闇の心や魔の心、鬼の心に邪の心、マイナスの消極的な心、ネガティブな否定的な心には、すべてにおいて、怒りとともに、ウソ、偽りの心が伴っています。
身勝手な人がウソをつく理由は実に様々です。
競争に勝つためとか、相手を蹴落とすためとか、自分を守ろうとして、身勝手なウソをつきます。
ある場合には、他者に対して力を誇示するためにウソを言い、自分を大きく、立派に見せようとします。
自分がいかに優れた特別な人間かということを誇示するためにウソを言います。
見栄と虚栄によって自分を欺き、平気で人間はウソを言います。
自分を誤魔化してウソを言い続けると、ウソが平気になっていきます。
罪深いウソというのは、詐欺師やペテン師のような他者を平気で貶め、陥れる人です。
こういう人は、常に他者を利用することばかり考えている人であり、自分の目的のためには手段を選ばないという身勝手な人でもあります。
人を害することも平気なので、人の話に聞く耳をもたず、正論も通じません。
また、ウソには自分のためのウソばかりではなく、他者のためにつくウソというのもあります。
社長やボスを守るために秘書や社員は無理してウソを言います。
こういうウソなどは比較的に罪が軽いウソです。
場合によっては、ウソも方便という範疇に入るかもしれません。
現実の人間世界では、このようにウソと偽りが蔓延しているので、ウソと真実を見極める目を持つことが何よりも大切です。
周りを見てみると、欲得に走り、富や地位、名誉を掴もうとする人や、多くの人々を支配するために権力を掴もうとする人も大勢いることでしょう。
そうしたドロドロとした欲望と執着がマグマのように噴出しているのが現実世界です。
金や権力に目がくらんだ人、奢り高ぶって自分を失っている人というのは、ウソと偽りの世界に沈んでいくことになります。
人の喜びや幸せを妬む人、怒りや憎しみに囚われている人というのは、ウソと偽りの心に侵されている人です。
そういう人たちは、いろんな場面で、いろんなウソを平気で言います。
仕事を失いたくないためにウソを言い、信用を失いたくないからウソを言い、お金を失いたくないためにウソを言います。
上司に怒られたくないと思ってウソをつく人もいるでしょうし、家族に心配をかけたくないと思ってウソを言う場合もあるでしょう。
人間は生きていくために、無意識かつ意識的にいろんな場面でウソをつきます。
自分を少しでもよく見せたいという見栄からついてしまうウソがどれほど多いことでしょうか。
人間は虚栄心の虜ということです。
見栄や虚栄心というものは、妬みや嫉みと同根であり、偽りの世界に通じていくものです。
この手のウソや偽りというのは、社会全体に蔓延しており、正直、誠実に生きるということは大変難しい時代ということです。
こうしたウソと偽りの因果が巡って、人生と運命を悪くしているということも知っておく必要があるでしょう。
ウソと偽りの波動は、破滅と孤独の波動でもあり、やがて淋しい人生となります。
ですから、すべては自分が招いた人生と運命であることを知るべきということです。
自分が選択して、自分で作った人生ですから、よかれ悪しかれ結果責任は100%自分にあります。
誰のせいでもありません。社会のせいでもありません。
自己責任の法則どおりに命運は動いています。
皆さんが思っている以上に、因果の法による代償は大きいのですよ。
社会から必要以上に阻害され、孤立していると、それは自分でつくった人生であるにもかかわらず、社会や世の中を恨み、人々を憎むようになります。
そして、「ウソをつくと閻魔さまに舌を抜かれるぞ」という言い伝えがあるとおりなのです。
今回は、ウソと偽りをテーマに掘り下げて、ネガティブな記事を書いてきましたので、私自身の頭も重くクラクラします。
やはり「笑顔ニコニコありがとう!」の人生でなくてはなりません。
出来る限り見栄や虚栄心を捨てて、謙虚に誠実に、感謝の心を忘れずに、身の丈にあった人生を送りたいものです。

# by toukokira-kira | 2018-06-20 13:01

仲間か敵かによって

競争社会の中では他者を仲間と見るか、それとも敵と見るかによって人生も運命も大きく違ってきます。
慌しい競争社会、それも生き馬の目を抜くような弱肉強食の世の中にいると、相手を蹴落としてでも勝つということばかりが要求され、周囲にいる他者のすべてが敵とみなす発想が身につきます。
それでなくても、自己中心の自分さえよければ、他者のことなど知ったことではないというのが人間の心ですから、ますます身勝手になっていきます。
競争社会の価値観が身にしみた人は、常に負ける不安と恐怖にさらされて生きています。
どんなに優れた業績を挙げても、負ける恐怖がつきまといます。
強いライバルはいつの世にも、どこにでもいますし、トップに君臨していても、いつかは破れる日が必ず来ます。
このような恐怖は、事の捉え方を改めないと、解決しません。
他者を敵と見るか、他者を仲間とみるかで違ってくるということです。
他者を仲間と見れるような価値観を形づくらないと、競争社会の不安と恐怖というものに永遠に引き摺られ、呑み込まれてしまうことになるでしょう。

# by toukokira-kira | 2018-06-19 22:12

笑顔の力

幸福な未来というのは、笑顔とともに訪れるものです。
笑顔に溢れた幸福な心なくして、幸福な未来はやってきません。
いつでもどこでも「笑顔、ニコニコありがとう」が一番です。
どんなに辛く苦しくても、何度失敗を繰り返そうとも、前向きに、笑顔の努力を忘れないことです。
苦しいつらい、悲しい、悲惨な顔をしていたのでは、幸福は遠ざかっていくばかりです。
辛い時ほど、苦しい時ほど、笑おうよ、です。
これは人生の名言です。
「笑う門には福来る」です。
昔の格言は世の中の真理を言い当てています。
福の神は、明るい笑顔が大好きです。
福の神は、明るい笑い声に引き寄せられて、各家庭の玄関口を覗きます。
そこの玄関口がきれいに整理整頓されていると、さらに福の神は家の奥に入っていきます。
そして福の神が滞留する家というのは、清潔で整理整頓された笑い声の絶えない家ということになります。
野口英世博士のように、百忍千鍛、笑顔で命懸けの努力をする人のみが、わが道をどこまでも貫くことができるのかもしれません。
野口博士は夜中に、梅毒の原因菌を発見したときに、カッポレを踊って喜びの声を上げたそうですが、9995回目の実験によって、梅毒菌を発見したというのです。
何度失敗を繰り返しても、挫けるどころか、嬉々として研究に打ち込んだというのですから、まさに百忍千鍛であり、笑顔の命懸けの努力を実践した人でした。

# by toukokira-kira | 2018-06-19 12:19