人気ブログランキング |

46億年の歴史に思う

地球が誕生してから46億年という。
40億年前に、単細胞の生命体が出現し、その遺伝子が進化して、多用な生物を生み出しました。
5億年まえの人類の祖先は、海の中の魚類でした。
それが進化して、400万年前には、北京原人、ジャワ原人となりました。
そして、10万年前には、ネアンデルタール人に進化し、さらに4万年前には、より人類らしい戦いの巧者クロマニヨン人に進化しました。
そして今日にいたるのが人類の進化の歴史です。
ですから、私達の遺伝子には、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の血を受け継いでいまs。
日本の縄文人は、1万6000年前に出現しました。
そしてこの40億年の間に、3000万種もの生物種が誕生しました。
一つの命の種から分化して、3000万種もの生命が誕生したのです。
「命の種」のことを、古神道では「魂」といいます。
生きとし生けるもののすべては、一つの魂から分化したものだということです。
生物種によって肉体は千差万別に異なっていますが、魂は同一のものです。
メダカやアリのような小さな肉体にも、生命という同一の魂が宿っているということです。
知性と理性をもった人間の魂だけが特別ということではありません。
人間は、脳という進化した肉体をもつ存在ではありますが、魂はみな同一のものです。
肉体が朽ちると、同時に魂も消滅します。
生命体が死を迎えると、その魂は自然界に同化していくように消滅します。
この世界は、生物多様性です。そして共存共栄してきました。
地球上の生物の歴史には、大きな転換点が5つありました。
過去5回の生物絶滅の歴史があるということです。
現在,6回目の絶滅の危機に向かっているということです。
何故ならば、1年間で、4万種もの生物種が地球上から消滅しているということです。
この地球上では、凄いことが、凄いスピードで現代に起きているのです。
鯨やうなぎ、さんご礁,狼や虎などが、絶滅の危機だそうです。
原因は、人間活動による弊害だそうです。
地球が40億年かけて作り上げてきたものが、この数十年で、音を立てて崩れ始めているのです。
南極や北極の氷や氷河の消滅も同様です。
40億年かけてつくり上げられたものは、一瞬で破壊されますが、もとに戻そうと思っても、もう戻せません。
地球破壊を止めて、地球を大切にする必要があります。
現在、地球には、75億人の人間が暮らしています。世界の科学者が計算すると、もうすでに地球1,5個分の人口だそうです。地球の食料、資源、エネルギーは限られています。
75億人の人間が、すべて日本人と同じように暮らすには、地球2,3個分が必要だそうです。米国人と同じ暮らしをするには、地球4個分が必要だそうです。
地球の人口は、毎年1億人づつ増加し、もうすぐに100億人になっていきます。
どうするのでしょうか。
現在の地球でさえ、餓死者は年間1億人です。
9億の人々が餓えと争いと伝染病に苦しんでいます。
恵まれた国の人々は、16億人です。
何とか生きている貧しい国の人々が47億人です。
食料、資源、エネルギーの争奪、分捕り合戦は激しさを増していますが、世界の平和は保てるのでしょうか。心配ですね。
牛肉も、マグロも、サーモンも、ウナギも世界中で分捕り合戦が激しくなっています。
日本ではこれに高齢社会の問題に拍車がかかっています。
北海道の上砂川町では、高齢化率が50%をこえました。
この町では、住民の二人に1人が65歳以上の高齢者ということです。
老後の年金や生活費の問題も噴出してきています。
令和という時代は、国の形が大きく変わる大変な時代だと思います。


by toukokira-kira | 2019-06-26 22:31 | Trackback | Comments(0)

永遠の命

波動共鳴の法則は、不思議な法則である。
同類の波動は、同類の波動を引き寄せるという法則です。
類は類を呼び、友は友を呼ぶ法則とも言います。
そこに善悪の意思も判断も存在しません。
似たような波動の者同士が引き合うということです。
言い換えるならば、似たもの同士が結びつくという法則です。
良い波動には、良い波動が引き寄せられ、悪い波動には、悪い波動のものが引き寄せられるということです。
幸せな波動には、幸せな波動のものが招き寄せられてきます。
不幸な波動には、不幸な波動のものがやってきます。
争いと対立の波動には、同じような争いと衝突の波動をもったものがやってきます。
音楽を愛する波動のものには、同類の波動の者が集まってきます。
邪悪な心の波動のものには、邪悪な者が訪れて参集して来るようになります。
愛と感謝に生きる者には、愛と感謝に生きる人々が招き寄せられてきます。
お金にも波動があり、お金の波動には、お金の波動が引かれてきます。
お金を持っている人の波動には、同じように、お金を持っている人の波動が反応してきます。
波動の法則に善悪はありません。
成功者には、同類の成功者が集います。
失敗者の波動には、同類の失敗者の波動が集います。
自殺者には、同類の自殺者の波動が引き寄せられています。
何度も言いますが、波動の法則に善悪はありません。
ただ似通った周波数の波動が引き合うということです。
すべてがそうした波動の法則で貫かれているのが、この世界です。
現実世界は、目には見えませんが、波動世界なのですよ。
宇宙の法則は、波動の法則であり、そこに善悪の概念はなく、因果の法則である原因・結果の法則によって、代償が伴うだけなのですよ。
波動が波動を呼ぶのです。
波動が同類の波動を呼び込むのです。
好むと好まざるに関わらず、波動が同じ同類の波動を引き寄せているのです。
極悪非道な半端者でも、金運波動に恵まれている者は多く、金運波動と人格、品格波動とは無関係です。
金が金を呼び込んでいるのです。
この世の中で、金持ちが幸せ者と錯覚しているのは、損得勘定で生きている人が多いからです。
肉体をもたない魂にとっては、お金の使い道などありません。
魂レベルではそんなことはどうでもよいことなのですよ。
肉体をもつと、現実にお金が使えるようになるから、欲望を貪るようになるのです。
修行を重ねた魂は、この世に肉体をもって生まれても、欲望には無頓着です。
魂を磨いて、さらに向上していけるようなことにのみ最大の関心を示します。
この現実世界で、欲望に塗れ、金に塗れ、権力に塗れている者は、みんな未熟な魂の者たちです。
修行の進んだ高貴な魂の者は、清貧で誠実、正直で謙虚な魂の者です。
魂の真実、心の真実を悟っているのです。
本当の人間の有り様が判っているのです。
人間は、神から様々な人生プランを与えられて輪廻転生し、魂の修行場に向かいます。
神から与えられた人生プランにそって人生、運命を歩むのですが、人生プランは、神との約束事です。
魂の修行のために、自分が選んで約束した人生プランです。
社会環境、生存環境も自分が選んで生まれてきます。
あるときには、大金持ちの家に生まれ、何不自由なく暮らす人生を選択して生まれ落ちてきます。
あるときには、貧乏極まりないどん底の生存環境を選択して生まれてきます。
あるときには、権力者として、あるときには芸術家として、あるときには、宗教家として生まれてきたりします。
魂の修行に必要な生存環境、試練を選択して、輪廻転生を繰り返すのが、人間というものです。
権力や地位を握った者というのは、転生によって、驕り高ぶった者にもう一度権力と地位のある人生を与えて、権力を摑んでも、なお謙虚な誠実な生き方できるかどうかの試練を与えているということなのです。
その魂にとって必要があって、生存環境、社会環境が与えられるのです。
背負ったカルマの解消のために、同じ境遇の中に生まれ落とされることも多いのです。
有名になるのも結構、金を摑むのも結構、権力を握るのも結構、地位・名誉を摑むのも結構なことなのですが、魂にとって問題なのは、どのように金を生かして使うのか、どのように権力を人々のために活かすのか、ということが問われているのであり、大切なのです。
人の為、世のために金を使い、権力を使うかということが、その魂の分かれ道となります。
同じ境遇に生まれてくることは、二度とはないのが原則です。
今が大金持ちでも、来世は、違った境遇となります。
今が貧乏、どん底でも、来世は大金持ちの境遇で修行かもしれません。
自分の魂が神と相談して決めてくるのですよ。
魂の修行に必要な境遇が与えられるということです。
人生プランの作成には、神とともに、先祖の高級霊、指導霊も関与しています。
この世の境遇、浮き沈みは、はかない花のようなものであり、ひとときの幻のようなものです。
嘆き悲しむことも、喜びに沸き返る必要もありません。
ソクラテスの弟子プラトンは、永遠の命について説かれました。
それがキリスト教の信仰の母体となりました。
永遠の命は、輪廻転生の輪の中で、さまざま境遇、試練を体験しながら、向上進化し、神の光に近づいていくのですよ。
ご縁があって、ここまで読み進まれた修行者は、もう普通の人間ではありません。
三千世界を目前にした修行者であり、神と縁で結ばれた者たちです。合掌

by toukokira-kira | 2019-06-24 22:07 | Trackback | Comments(0)

第三の眼を鍛える

私たちの額の中央部は、印堂といって、霊的な働きを司るチャクラです。
霊的な働きをするがゆえに第三の眼とも言われています。
印堂は、生命中枢である脳器官の脳下垂体、松果体の反射点です。
とくに睡眠中枢である松果体が発達してくると、霊的な力が発達してきます。
睡眠を誘うメラトニンは、朝の陽光を浴びてから15~16間後に分泌される脳内物質です。
朝の陽光を散歩などで十分に浴びておかないと、15時間後の夜にメラトニンが分泌されず、不眠症状になりやすくなります。
さて、話を第三の眼に戻しましょう。
私は、何かをイメージするときには、この額の中央部の第三の眼でイメージするようにしています。
患部に向けて、光の珠をイメージで放射するときにも、この第三の眼から光の珠をイメージで放出します。
頭の中でイメージするのではなく、第三の眼でイメージすることが大切です。
第三の眼から光の玉を前方に押し出したり、そこから後頭部まで引っ込めたりして、第三の眼を鍛えると、第三の眼が活性化してきます。
段階が進んでくると、光の玉の出し入れのスケールが大きくなり、前方に押し出したたイメージの光が宇宙の中心まで飛んで行き、さらには地球をグルグル回って、第三の眼に戻ってきます。
こうすることによって、第三の眼が霊眼となって開いてきます。
by toukokira-kira | 2019-06-23 13:17 | Trackback | Comments(0)

怒りとは何か

「怒り」については何度も解説してきました。もう少し書きます。
人間は感情の動物です。
そして、すべてのネガティブな感情の奥底には「怒り」の感情が含まれています。
「怒り」の感情を理解し、克服することが人生の達人の道となります。
人間は、実は、怒りを糧にして生きています。
怒りを友として生存している生命体です。
怒りの感情なしでは生きていけない生命体です。
人間にとっては、怒りこそ、生きる力なのです。
怒りがあるから、それが力となって前進できるのです。
ですからそうした意味で、怒りがあるから夢が実現するのです。
人間から怒りの感情を除いたら、もう人間ではありません。
ですから、怒りを否定的に考える必要はありません。
怒りは生存と前進のための必要要素と捉えましょう。
人間から怒りを奪うと、無気力な夢遊病者となります。
怒りがあるから、意地も芽生えるのです。
怒りがあるから、耐え忍ぶこともできるのです。
怒りがプラスに働いているうちは、人生にとって実に有益なのです。
しかし、問題なのは、怒りがマイナスに働いたときです。
ネガティブな心で怒りが爆発すると、人生のすべてを一瞬のうちに失うことになります。
人間にとって必要不可欠な「怒り」なのですが、その怒りも過ぎると、激怒となり、よくありません。
喜怒哀楽の人生といいますように、喜怒哀楽の感情は普通に働いているうちには、プラスの方向に働いてくれます。
しかし、喜怒哀楽の感情が過ぎると、人生や運命を狂わせますので、よくありません。
喜びは、進むべき方向を指し示してくれますが、喜びが過ぎると、悪戯となります。
怒りは、前進する力となりますが、過ぎると激怒となろ、何もかも破滅へと導きます。
悲しみは、再起する力となりますが、過ぎると絶望となり、身の破滅を誘います。

さて、人間の本能には、闘争本能と怒りの本能が色濃く詰まっています。
そんな中で、人間のもつ正義心と理性が、感情の爆発、怒りの爆発を抑えているために、人間らしく振舞えるのです。
ですが、社会的に孤立している人や、疎外感を感じて生きている人は、怒りを抑制することができません。
孤独や疎外感というものは、怒りを絶えず誘う感情だからです。
孤独な者の怒りが世の中で一番こわいのですよ。
昨今,団塊の世代が高齢者になり、高齢化の問題が深刻になっています。
収入のない貧困の認知症の一人暮らしの高齢者が急増しているからです。
とくに男性は、会社人間が多いので、他に付き合いもなく、仕事を辞めると、社会的な孤立感、疎外感が大きくなります。
現役時代に企業の会長だとか、教授だとか、肩書きで生きてきた人の孤独感、疎外感は計り知れなく、心の中は怒りで充満しています。  
加えて800万人も存在する認知症患者です。
認知症の症状には、妄想、興奮,幻視、幻聴などがあります。
財布を盗まれるという妄想で、家族に暴力を振るったり、目の前に敵が数人現れて見える幻視により暴れたりして、高齢認知症の人の暴力、怒りが顕著なのです。
日本人は基本的に恥じの文化の中で生きていますので、世間体を気にしたり、世間体を大事にしているうちは、理性が働き、怒りや暴力を抑えることができるのですが、世間との付き合いがない場合には、抑制する力が働かないので、孤立した人間は、怒りや暴力を暴発させます。
昨今、老人高齢者の暴行や犯罪事件は急増しており、何と、発生件数は過去の50倍近いというのです。
少子化の問題とともに、高齢者の問題も深刻で複雑化しています。
同時に、超高齢社会が進展しつつあります。
わたしが若い頃には、65歳以上の高齢者は、全人口に締める割合は7%以下の時代でした。
当時は、10以上の若者が1人の高齢者を支えるという時代でした。
それが65歳以上の人口が7%を越えて「高齢化社会」と定義づけられる世となり、さらには高齢者人口が14%を越えて「高齢社会」に突入し、現在では高齢者人口が27,6%の「超高齢社会」に突入しています。
65歳以上の高齢者人口は1734万人、75歳以上の高齢者が1436万人、90歳以上の高齢者が177万人もいます。
そして100歳以上の長寿者が6万7000人もいます。
30年後の2050年頃には高齢化率40%になると予測されています。
現在、若い世代2,26人で1人の高齢者を支えていますが、30年後には間違いなく、1人の若者が1人の高齢者を支えるという「超超高齢社会」を迎えることになります。
生活を支える年金も不確かで、このままでは破綻に向かうでしょう。
老人の怒りが渦巻く世の中が確実にやってきます。
そんな中で、美しい老後を過ごすには、経済的な豊かさとともに、人間本来の美しい心の復権が不可欠です。
by toukokira-kira | 2019-06-22 20:10 | Trackback | Comments(0)

苦海の人生

仏陀の教えでは、この世の中は、一切皆苦といいます。
すべてが苦であるというのです。
ですから苦海の荒波に翻弄されるのが私達の人生です。
世の中には、楽しいことも、嬉しいことも、喜びも希望も一杯あるのですが、それらも含めて、仏陀であるお釈迦様はすべてが苦であるというのです。
それは、すべてが変化して、動いているからです。
森羅万象のすべてが生成流転していますから、変化が変化を生み出しています。
この世の中で変わらぬものなど一つもありません。
喜びは、やがて悲しみとなり、希望はやがて失望となるからです。
永遠不変なものなど何一つありません。
釈迦の説いた「苦」とは、自分の思い通りにならないことが苦です。
世の中は、自分の思い通りにはならないことばかりです。
だからすべては苦なのです。
生老病死を四苦といいます。
4つの避けられない宿命を四苦というのです。
生きること、老いること、病むこと、死ぬことは、すべての人に必ず訪れます。
苦を受け入れて、苦の本質を明らかにすることによって、人生を豊かなものにすることもできるのです。
苦を諦めるのではなく、苦を明らめるのです。
苦の本質を明らかにすることで、苦を悟り、いつか苦を超越できるのです。
苦を超越した心の階層は、一番高い魂の階層であり、釈迦、キリストの世界ですが、誰にでも可能性のチャンスは与えられています。
日本では、空海と道元禅師が苦を超越した方です。合掌
by toukokira-kira | 2019-06-21 00:03 | Trackback | Comments(0)

命ほとばしる

人間は、見方を変えると、波動エネルギーとしての存在です。
生命エネルギーであるプラーナが人間の生命力を握っています。
生命エネルギーは、心をたぎらせ、情熱を燃やすと、消費され、新たなエネルギーの補給が必要になります。
極限まで情熱を燃やし続けると、生命エネルギーが枯渇し、滅気状態となります。いわゆる燃え尽き症候群となります。
スランプとなるということです。
寝ても覚めてもという努力邁進を続けていると、ある時から、生命エネルギーが枯渇して、スランプ状態となります。
生命エネルギーは無限ではなく、補給しないと枯渇するということです。
やはり、人間というのは、ゆったりとリフレッシュすることが必要です。
生命エネルギーを補給する休養が大切ということです。
そうすることで、また再び情熱をもって取り組むことができます。
スランプを感じた時は、一時休養し、リフレッシュに努めることが大切です。
そういうわけでスランプは、がんばる人間であれば、誰にでも生じる現象です。
スランプはエネルギーが枯渇した状態ですから、エネルギーを補給さえすればまたやる気が湧いてきます。
世界的なピアニストも、バレリーナでも、スポーツ選手でも、必ずやってくるのがスランプです。
要は、がんばりすぎてのエネルギー不足ということです。
医学的には燃え尽き症候群ということです。
そういう人は、完全燃焼して燃え尽きて、燃え殻となっていますから、十分な休養が必要です。
エネルギーを再び蓄えると、元気になります。
何も心配はいりません。
そして、情熱をもって完全燃焼した記憶と経験のある人は、努力の大切さと、生命の輝きが何かということを知っている人です。
完全燃焼した経験のない人は、残念ですが、まだまだ修行の足りない未熟な魂の持ち主です。
自分の道が見つかると、夢中になり、完全燃焼できるのですが、自分の道を見つけることができないでいる人は、なすべきことも成さずに、無為に人生を過ごすばかりです。
俺は何のためにこの世に生まれてきたのかという嘆きの人生となります。
完全燃焼できる自分の道があるかないかによって、人生、運命は分かれていきます。あなたはどうですか。
花が美しいのは、迷うことなく、一筋に花の命を咲かせ、一意専心で花の光を点ずるからです。
私はそう思っていつも花が放つ光を見つめています。
合掌

by toukokira-kira | 2019-06-19 17:51 | Trackback | Comments(0)

怒りという感情の正体

欧米では、肥満の者、喫煙者と並んで怒りっぽい人は、出世コースから外されるそうだ。
怒りを制御できない人は、管理職にはなれないということです。
さて、怒りとは、なんでしょうか。
ストレスと同じように、判っているようで判っていないのが「怒り」の正体です。
怒りという感情が理解できると、人間世界の大抵のことは解るようになります。
何故ならば、怒りという感情は、人間の心の根源にある根本心だからです。
私はこの怒りの感情について、随分と長い年月をかけて研究してきました。
そこで解ったことは、ストレスやネガティブな感情の奥底には、怒りの感情が伴っているということです。
ストレス=ネガティブな感情=怒りの感情という関係になります。
どういうことかというと、苦しみや悲しみ、憎しみや妬みなどの負の感情の裏側には必ず怒りの感情が寄り添っているということです。
世間から孤立した孤独者の怒りが爆発すると一番強い怒りとなります。
日本には、100万人もの引きこもりの人々が存在します。
そのうち半数以上の6割が中高年の人々の引きこもりです。
80代の父母に甘える50代の人々の引きこもりが新たな問題になっています。
そして、孤独者の怒りは大変こわいものとなります。
人生は苦であり、苦にはつねに怒りがつきまとっています。
苦海の人生ですから、人間の心には、つねに怒りが込み上がってきます。
怒りをいかに克服するかというのが人生の重大事となります。

怒りという感情は、小さな怒りから大きな怒り、激しい怒りまでさまざまですが、
それが人間の人生を支配しています。
イライラ、セカセカ、クヨクヨ、ムカムカという感情も立派な怒りの感情です。
このような小さな怒りも塵のように積もれば、大きな塊になって溜まっていきます。
正義感と合わさった怒りの感情は、前進するための力、勇気の力となります。
希望を失った絶望の怒りは、人生をどん底に突き落とします。
恨みや憎しみの感情を伴った怒りは、人生のすべてを一瞬で失わせる怒りとなります。
人生は喜怒哀楽といいます。
喜怒哀楽の人生が私たちの人生です。
生々流転の世なれば、喜びは悲しみにかわり、楽しみは苦しみに変わります。
悲しみの感情の裏にも怒りの感情が潜んでいます。
人間の苦しみとは何でしょうか。
思うようにはならないのが私達の人生です。
苦とは、思うようにならないことから生まれる感情です。
思うようにはならない人生だからこそ、自分さえよければよいという感情がはびこります。
江戸時代の儒学者中江藤樹は、自分さえよければよいということこそ、人間の原罪だと解説しています。
自分さえ良ければよいという心は、闇の者の感情であり、運命が堕ちていく心です。
そういう心だと、強い怒りとともに、苦難という苦を味わうことになります。
怒りの感情には、すべて苦という感情が伴います。
怒りの感情とは、人間の根本心であり、広義には、マイナスの負の感情、ネガティヴな感情のすべてが、怒りの心が根源です。
そして怒りにはすべて苦がともないます。
人生は苦なり、という所以です。
後悔もジェラシイも、妬み、嫉みも、羨みも、恨みも。憎しみも、すべて根源にあるのは怒りの感情です。
人生の成否を分かつのは、怒りの感情なのです。
こうすべきだ、こうあらねばならないという感情の裏返しが怒りとなります。
自分の心のルールに合わない人や、逸脱した人には、怒りが湧き上がります。
身近な人、親しい人ほど、こうすべきだという自分の心のルールにそぐわない場合には、怒りが大きくなります。
天変地異などの大きな災害に対しては、こんなことが起こってしまったという抵抗できない怒りが生まれます。
天変地異に対して怒りを表しても、届きませんし、怒りは空しいものに終わります。
怒っても仕方のないものに対しては、怒りはそれ以上大きくなりません。
人間は、怒りとともに生きているのであり、あらゆる闇の心が怒りを始原として生まれています。
腰痛も、肩凝りも、内臓の不調も、深刻な病も、すべては、怒りから生じています。
自分の人生も、運命も、境遇も、人間関係も、すべては心の怒りによって左右されています。
怒りを制御することを、自己コントロールといいますが、この人間世界の実相を知り、心の真実を悟り、自己コントロールできるように修練することは、人生の一大事です。
瞑想呼吸法が力を発揮します。
その一瞬、大きく深呼吸できれば、怒りは、爆発しないですみます。
怒りの6秒間ルールというのがあります。
6秒間一呼吸して怒りを辛抱できると、怒りは爆発しないですみます。
怒りが爆発しそうになったら、一呼吸、二呼吸でよいから大きく深呼吸することです。
我が流儀、五心朝天法は、霊的な処理、祓いとお清めばかりではなく、人間の心の真実、人の道の有り様も探求、指導しています。
今回の怒りと苦というものの解説は、秘奥義であり、初めて公開するものです。
若いうちにこの解説を読む機縁を持たれた方は、天より選ばれしものだと思います。
清貧でない者、志をもたぬ者、与えることをしらぬ貪りの者は、大概が怒りの虜です。
怒りを制するものは、人生を制するものと言っても過言ではありません。合掌
by toukokira-kira | 2019-06-19 16:39 | Trackback | Comments(0)

「出会い」こその人生

人との出会いは宝物です。
どんな出会いでも必ずあなたにとって意味があります。
出会いは、一期一会です、大切にしましょう。
人生は、人との出会いから始まります。
人間の人生も、運命も、詰まるところ、人との出会いしだいです。
喜びも、悲しみも、人との出会いしだいです。
運というのは、人との出会いからもたらされるものだということです。
出会いなくして、運が拓けることはありません。
人との出会いを嫌がって、閉じこもっている人の運命は閉じたままで拓けません。
日本には、引きこもりという人々が100万人以上いるそうです。
驚くべきことに、働き盛りの中高年の人々60万人が高齢の父母に甘えて、引きこもっています。
欧米ではみられない現象が引きこもりです。
日本人の甘えの構造がそうさせています。
さて話を本題に戻します。
人との出会いをどう捉えて、どう生かすかによって、人生は大きく変わります。
人からの頼まれごとは、出会いのチャンスです。
嫌がらずに、積極的に引き受けましょう。
人からのお願いごとは、飛躍のチャンスです。運命転換のチャンスです。
与えれば与えられる法則のとおり、自分に還ってくるのです。
新しい飛躍のチャンスは、新しい出会いとともに生まれます。
人との出会いを大切にして、前向きに捉えることが大事です。
人が向こうから、どんどんと会いに来てくれるようになったら運気は、ますます隆盛となります。
人が人を呼び、運気が運気を呼ぶからです。
金運が金運を呼びます。
善なる波動の連鎖が幸運を呼び込みます
by toukokira-kira | 2019-06-17 23:01 | Trackback | Comments(0)

運命転換の秘密

ありのままの自分、あるがままの自分を見つけ出すことが大切だと前に言いました。
そして、当たり前のことが当たり前と思っているうちは、修行が足りません。
例えば、家族はいて当たり前とお思いでしょうが、家族を失った人もいるのです。
最愛の父母や伴侶を失ったり、子供を失った人も大勢いるのです。
当たり前のことが当たり前と思える人というのは、とても幸運な人です。
当たり前のことが当たり前でないのがこの現実世界だからです。
人間は一人で生まれてきて、1人で死んでいきます。
生に暗く、死に冥いのです。
「生も日常、死も日常」という言葉があります。
生も死も特別に構える必要がない、という意味です。
死をいつも意識しすぎると、毎日が辛くなります。
生きることを毎日意識しすぎると、毎日が疲れてきます。
生も死もあるがままに、日常の当たり前のこととして受け止めようという教えが
「生も日常、死も日常」です。

自利利他という言葉があります。
大我の心とか、真我の心と言い換えてもよいでしょう。
これらの言葉は、どれも人間の生きる道筋を教えてくれる言葉です。
人間は何のために生まれてきたのかという根源的な意味を問う言葉です。
今年は是非とも、世の為、人の為に生きてみてはどうでしょうか。
そういう年回りです。
自分のためにだけ生きるのではなくて、まず他者のために生きてみましょう。
そして次に、社会のため、公共のために奉仕し、尽くす生き方を実行してみましょう。
世のために、社会のために貢献できたという喜びは、本当の喜びです。
他者のために、社会のために、或いは公共のために、奉仕して尽くしたことのない人には、ありのままの自分と出会うことは永遠にできません。
自分が、自分がと思って、自分のためにだけ生きている人には、あるがままの自分を認識することができません。
そして、見返りを求めて、人に何かをしてはなりません。
見返りを期待するならば、人に何かをしてはなりません。
これが人間世界の共通法則です。

自分の過去の言動を振り返って、内省、反省し、人の為、世の為に生きようとしている人は、ありのままの自分を深く感じることができます。
ありのままの自分とは、真如,真人の自分です。
ありのままの自分を感じられると、次の新しい世界へ参入できます。
ありのままの自分というものを、自分で描くことができるようになります。
自分で好きなように、自由自在に、ありのままの自分というものをイメージするのです。
それがあるがままの自分として潜在意識にインプットされ、人生、運命が大きく変わります。
これは運命転換の秘密の奥儀です。
ありのままの自分を感じられるようになったら、今度は、イメージでありのままの自分を想い描くということです。
なりたい自分をイメージするということです。
by toukokira-kira | 2019-06-14 23:29 | Trackback | Comments(0)

岩を貫く信念

極真空手の創始者大山倍達は、どんな境遇に堕ちていても、やる奴はやる、どんなに環境が恵まれていても、やらない奴はやらない、と言っています。
死に物狂いで本気でやる奴は、ほっておいてもやる、やらない奴は、どれだけサポートしても、やらない奴だ、とも付け加えています。
命懸けの努力を続けるためには、好きで楽しいという感情がなければなりません。
義務感で嫌々やっていると、創意工夫もなく、どうしてもミスが多くなります。
それでは良い仕事ができません。
さて、天の理とは、神が定める人の運命のことですが、大山は、この運命さえも、自分の力で変えようとした人です。
よく「天の時」とか「天の理」という使われ方をします。
死に物狂い、本気でやれば、運命は変わる。
無我夢中の集中力があれば、人生、運命が変わる、と唱え、実践した人です。
大山は「無我夢中の力」と言いました。
そして空手界の伝説の人となりました。
大山は、天之理も、地の利も、人の和も、すべてが無我夢中の集中力あれば、後から付いてくることを証明しました。
夢中力で運命が変わるということです。
強い信念と志があれば、その信念が岩をも貫き、砕くということです。
それほど強い信念があれば、天の理も、天の時もあなたの背中を後押ししてくれるということです。

by toukokira-kira | 2019-06-13 11:07 | Trackback | Comments(0)