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幸せと感じるだけで

人は心の中で幸せと思うだけで、その人の魂は光り輝いてきます。
同時に、脳内のストレスホルモンは消滅し、血流がよくなり、血圧も正常化し、内臓の働きも本来の働きを取り戻します。
全身60兆個の細胞が活性化して調和のとれた状態を取り戻すということです。
ですから免疫力もぐーんとアップします。
反対に、心の中で不幸と思うと、それだけで魂は輝きを失い、脳内はストレスホルモンで支配され、頭がズーンと重くなって病んできます。
不幸と想うだけで、人間は副腎からストレスホルモンが大量に分泌され、血中を流れます。
血流も血圧も内臓の調子も乱れ、不調和となります。
身体を外敵から守る白血球の免疫細胞もストレスホルモンにやられて、活動を停止します。
治す力の根源である免疫細胞の働きが弱まると、細菌やウイルス、ガン細胞が野放し状態になります。
こういうことがごく最近の医学の研究で判明しました。
家族や友人に感謝したり、人の為,世の為に尽くしたり、奉仕したり人助けをすると、「幸せを感じる」と同様の身体反応となって、元気健康になります。
米国の医学会の報告では、人に親切にすると、免疫細胞が活発になるばかりではなく、身体の内に秘めている健康遺伝子、長寿遺伝子であるサーチュイン遺伝子が作動して、健康長寿がわがものになるといこということが判りました。

笑っても免疫機能が13%も高まります。笑顔の力です。
逆に、反社会的な行いをすると、「不幸と感じる」と同様な身体反応となり、身体を壊す方向に動きます。
心が不安や恐怖、怒りや悲しみ、苦しみなどに呑み込まれ、支配されると、血流も血圧も乱れ、内臓の働きも一段と不調和となります。
反社会的な行為をすると、我知らず、そういう身体反応がでるといことです。
健康のためには、心が闇の感情に支配されずに、正しく、明るい光の感情に包まれて過ごすことが大切です。
幸せは自分の心が決めるのですから、何よりも幸せと感じて過ごすことです。
by toukokira-kira | 2019-02-28 11:00 | Trackback | Comments(0)

★★幸せの法則

愛の心、感謝の心、許しの心、与える心、幸せの心、喜びの心などを善なる光の心のエネルギーといいます。
こうした善なる心というのは、他者に分け与えると、分け与えた分だけ増加して自分にブーメランのように還ってくるという驚くべき特性を持っています。
人に何かを分け与えると、減ってしまうと考えがちですが、プラスの心やプラスの感情を他者に与える人は、与えた分だけ自分にもプラスのエネルギーが入ってきて、豊かで幸せになります。
自己保身のケチな人は、自分の裕福な福運を他人に盗られないように用心している人が案外多いのですよ。
しかし、他人に与えないと、福は去っていくのですよ。
これが宇宙の法則であり、原因・結果の大法則です。
与えると与えられるのです。
場合によっては、何倍にも増幅されて還ってきます。
他者への気遣い、心配り、思いやりも善なるエネルギーです。
他者を思いやるエネルギーは、宇宙の波動であり、自分の魂にも還ってきて、命運律を上昇させます。
他者への愛や慈愛のエネルギーは、神の波動として相手にも届きますが、自分の心をも豊かなものにします。
自分の利益や欲望のためのエゴ的なエネルギーは非常に小さなエネルギーでしかありません。
他者の幸せを願うエネルギーや、他者の健康を願うエネルギー、他者の喜びを願うエネルギーは、相手に届くばかりではなく、自分の魂をも豊かに上昇させます。
他者の幸せを願うこうした心の善成る波動は、細やかで繊細な高次の波動です。
自分自身にも恩恵を被る波動なのです。
自分の幸せばかりを願う心の波動は、粗い低次の波動です。
自分が、自分がという波動はマイナスの波動です。
己が、己がという心で事をなしても、成就することは困難です。
何の恩恵もないどころか、清算すべきカルマがつきまといます。
自分の幸せを考えるほど、幸せは失われていきます。
相手の幸せを願えば、願うほど自分も幸せになっていく。
人を勇気付けると、自分も元気になっていきます。
人に親切にすれば、自分も親切にしてもらえます。
自分がやって欲しいと思っていることを、他者にもしてあげるとよいのです。
全部プラスになって自分に還ってきます。
損して得をとれ、という言葉は正しいのです。
人に何も与えないのに、求めるものは人一倍という人が多いのです。
そして、不幸だ、不幸だと嘆くのです。
あなたは大丈夫ですか。

さて、人と比べて感じる幸せは、不幸への道へ続きます。
比較して満足するしないは、不幸の始まりと肝に命ずべしです。
そして、「いつか幸せになる」は駄目です。
「今が最高に幸せだから、これからもづっと幸せ」でないと駄目です。
そして、使命観をもって事をなしたときは、心は最高の状態になります。
その人が、使命観をもって、この世でなすべきことを実行するとき、無上の喜びで魂は包まれ、幸せも、豊かさも、すべてが手に入ります。
世のため、人の為になるような目的、使命観をもった生き方が本当は最高の生き方なのです。
志を立てて生きることです。
自分が、自分がという利己的な心で事をなしても、決して幸せにはなれません。
これは幸せの法則です。
そして最期に一言。
幸せになるためには、人に親切にすることです。
人に親切にすると、細胞の中の健康遺伝子や長寿遺伝子が眠りから覚めて、作動し始めます。
これは最近の遺伝子医学で発見された法則でもあります。
同時に、人に親切にすると、命運律も動きだして、運命を好転させてくれます。
不運を嘆く人は、これでもかというぐらい、人に親切にしてみてください。
運勢も、健康もわがものとなることでしょう。



by toukokira-kira | 2019-02-27 22:39 | Trackback | Comments(0)

生きるとは

憎むよろも、愛することを
泣くよりも、笑うことを

破壊よりも、創造することを
諦めることよりも、忍耐することを

批判するよりも、褒めることを
盗むことよりも、与えることを

ぐずぐずするより、行動することを
堕落するより、成長すること

呪うことより、祈ることを
死ぬより、生きることを 選びましょう。

困った時 助けてくれたり
淋しい時 励ましてくれたり
悲しい時 力を与えてくれたり
苦しい時 優しくしてくれたり
自分のことのように心配して
いつも相談にのってくれる
それが夫婦という契り この世における最高の友人だ
順境のときも 逆境のときも
晴れの日も 曇りの日も 嵐の日も
いつも一緒にいて 鴛鴦のように支え合って、助け合って
空を渡っていく いいなあ
by toukokira-kira | 2019-02-27 21:56 | Trackback | Comments(0)

「心の特性」とは

今日は、心の真実について綴ります。
心とは、潜在意識、深層意識のことです。
そして、潜在意識には魂の悠久の記憶が刻印されています。
魂の悠久の記憶とは、幾千年にわたる輪廻転生の記憶です。
魂が歩んできた全記録がしっかりと潜在意識に刻まれています。
清算すべきカルマの記憶や因縁の記憶がその中に封印されています。
これらの意識は、魂の意識です。魂の意識は、魂の記憶です。
ですから心は、魂の記憶が基礎になって現れています。
魂の記憶とは、過去世から現世までのすべての魂の体験の記憶のことです。
この魂の記憶に基づいて心の回路が構築されています。
その意味で、潜在意識とは、悠久の魂の記憶とも云えます。
潜在意識の中には、魂の記憶がぎっしりと詰まっているということです。
思考パターンの記憶、行動パターンの記憶、因縁の記憶、カルマの記憶などが精密に刻印されているのが潜在意識という存在です。
人は生まれながらに、心の回路が決められているということです。
心には回路が設定されているということです。
心の回路とは、心の思考習性のことで、一言で言うと、性格ということです。
心の回路は性格のことなのですが、心の回路を変えることは甚だ困難です。
ですから生まれ持った性格はなかなか変えられないということです。
心の回路の変更は、心が受け付けないため、難しいことが多々生じます。
心の回路とは、魂の記憶に基づいた心の回路のことです。
人間は誰でもガ、魂の記憶に基づいて、必要な思考と行動が自動的に選び取られ、それが心の回路に乗っかり、巡るように設定されているのです。
過去世の体験の記憶、思考パターンが繰り返されるように回路設計されており、前世と同じことを繰り返すように回路が設定されているということです。
潜在意識の力は強大ですが、この心の回路にそって忠実に働きます。
ですから、物事の捉え方、考え方は、前世と同じです。
思考パターン、行動パターンが前世と同じということです。
同じような人生、運命を辿ります。
神との約束である人生プランにそって心の回路が動いていくということです。
変更はできません。これは神の法則です。
人の運命、人生はおおよそが生まれもって決まっているのです。
しかも、闇の心、闇の思考が優先的に選択されていくという心の特性があるのです。悪い心、弱い心が優先的にあらわれるというのが心の特性です。
この心の特性について論述する者は誰一人として存在していませんが、ここが肝要なところです。
心の特性を知ることは、人生の一大事といっても過言ではありません。
人間には、光の心と闇の心が交互に湧き上がってくるのですが、地球上の波動が断然に闇の波動に傾いているので、人間の心は闇の心が優先的に選択されて、表層意識に上ってきます。
良い心よりも、悪い心、好ましくない心が優先されるということです。
これを「心の特性」と言います。
心の特性として、新しい事や、経験していないことは、思考として選択しません。
潜在意識は、思考回路を支配し、思考や感情を選択して、現在意識に送っているのですが、魂の記憶にない新しいパターンは絶対に選択しないということです。
このため、魂は暗黒層に停滞したまま上昇できないということになります。
生まれ持った心の回路や心の特性があるために、魂が修行して、上昇していくことは、極めて困難なことになります。
己の心的上昇、心的環境から抜け出すことは容易ではありません。
普通に努力したのでは、前進どころか、後退していくばかりなのです。
このために、心的上昇には、輪廻転生の輪の中で、何万年も、何千年もの歳月を必要とするのです。

現世で、今、辛く苦しい世界から抜け出せないでいるのは、向上努力をしてこなかった証でもあります。
その者が向上努力して上昇していくということは、とても困難なことなのです。
結婚も、人間関係も神が与えた試練、修行の場の一つです。
人間関係で対立したり、離婚するということは、前世の繰り返しということで、現世においても、未だ魂の内省、反省ができていないということです。
厳しい言い方になりますが、あるがままに自分を認識することが大切です。
このままでは、来世も繰り返しとなります。
辛く、苦しくとも、助け合って、支え合って、挫けず、負けないで、乗り越えていく必要があるのですよ。
苦難を乗り越えていくことで、悪因縁が消えるのです。

by toukokira-kira | 2019-02-27 13:32 | Trackback | Comments(0)

努力の輝きこそ

強いものはいらない。
強い心はとても折れやすいからです。
ですから私はいつも、しなやかな折れない心でありたいと思っています。
そして真に努力して鍛えたものだけが、最後に残ります。
意志の強さと志の強さが、偉大な才能を開花させます。
頼るべきは人の努力と忍耐です。
私は、努力という言葉が一番好きな言葉です。
努力する心には輝きがあります。
今、輝いていないものに、明日の未来、明日の輝きなど、あるはずもない。
「今が輝いている」とは、一生懸命に努力精進することの素晴らしさを知るものの輝きです。
まだ成功していなくても、貧しく不遇であっても、どんなに逆境にあっても、一生懸命に命懸けでやる事の素晴らしさを知る者には、何かしら輝きがあります。
明るく希望をもって、一生懸命やる事の素晴らしさ、それは、人間の今と、命を輝かせてくれる宝物だと思います。
私は、かって、小樽に住む若い音楽家夫婦にそうした波動を感じ、尊敬の念をもっていましたが・・・。
努力は人を裏切らないといいますが、人々のひたむきな努力に神の祝福あれです。
感謝しながらの努力こそが人間の守護神となるものです。
by toukokira-kira | 2019-02-25 21:51 | Trackback | Comments(0)

心の階層とは

ここ数日のブログ記事は人生の核心ともいえる重要な記事を掲載しています。
古流神道の修行をしていると、神通力が極まってきて、念じるだけで宇宙の力が発動します。
闇の心も、魔の心も、無意識下で払拭され、正しい光の道を歩むように自然と働きます。
神の守護のお陰です。
修行の最終形であり、めざす姿でもあります。
これは、仏教でいうところの不動心です。
心にどのような事象が生じても乱されることのない心です。
不動心とは、常より、四魂にエネルギーが満ち満ちている状態であり、四魂の力が充実しているので、あらゆる事象に的確に対応できる心のことです。
よりよき因果律へと歩み、運命向上の道へと向う働きがあります。
不動心は、念じて、祈願して、希求して持てるものではありません。
神仏にどんなに祈っても身につきません。
試練、苦難、困難を幾つも乗り越えてはじめて身につくものです。
苦難、困難は、魂を磨くためのチャンスなのです。
運命を好転させるチャンスでもあり、不動心を獲得するチャンスでもあります。
苦難、困難に直面した時の体験が、人生では何よりも一番重要です。
困難に遭遇して、逃げ回る人も多いのですが、逃げずに、困難と真正面から向き合い、受け止めて、乗り越えていこうとする人もいます。
人生の真の喜び、永遠に続く楽しみは、そういう困難を克服した経験と記憶の中から生まれるものです。
人間としての自信も生まれます。
苦難を乗り越えた先に幸福があります。
私達は、正しい道を自信をもって歩むことを「幸福」と呼んでいます。
ここが重要なので、忘れないでください。
そして、辛い苦しい現実から逃げずに、幾多の困難を乗り越え続け、自信を獲得した心を不動心といいます。
そうした方向に向けて前進、精進する力を福寿光といいます。
困難や厄災に臆することのない心を不動心といって、運命を好転させるための唯一の大切な心です。
人間は、この不動心を身につけるために、輪廻転生の幾千年もの旅を続け、魂の修行を続けているのです。

逆境をものともせず、苦難、困難を乗り越えて、それを人生の糧とする生き方を私達古流神道では「不動心」といって尊んでいます。
人間世界は、精神階層5までの迷い多き菩薩界なのですが、不動心を獲得した魂は如来界である精神階層6以上の世界へと心界上昇します。
修行の進んだ高次の魂となるということです。
多くの苦難、困難、試練を経験し、乗り越えていかないと、この不動心は身につきません。
輪廻転生の観点から申し上げると、私達の人生は、この不動心を獲得するためにあるということです。
ですから、逆境や、苦難、試練を怖れたり、逃れたりしようとしないことが大事です。
あの天下の山中鹿之助は、「天よ我に七難八苦を与えたまえ」とまで言いました。
鹿之助は、逆境の中で、ゆるぎない不動心を練磨しようとしていたのです。
精神階層6の次は、精神階層7で、自己もなく他己もない、差別も偏見もない世界を言います。
すべての魂がひとつにつながって結ばれていると悟った魂の世界です。
もう天界に近い魂の世界であり、聖人たちの世界です。
その上が精神階層8の世界であり、生老病死苦を超越した魂の世界です。
最高位の世界が精神階層9の世界であり、宇宙意識と直結した魂の世界です。
魂には、心の階層というものが厳然として存在しているということです。

by toukokira-kira | 2019-02-25 17:14 | Trackback | Comments(0)

「世界を知る」とは

人生を見つめ、これからの人生を考える上で、自分に与えられた条件を正確に、ありのままに認識することがとても大事です。
自分に与えられた条件とは、与えられた使命といことです。
つまり、人間として生まれてきたことの意味を理解することは、人生を歩む上で、とても大切なことです。
何故に自分はこの世界に生まれてきたのか。
何故、己はこの世に生を受けたのか。
誰でも一度は自問自答する大切なテーマです。
神から自分の与えられた条件というのは、どんな因縁、どんなカルマ、どんな自我を背負って生まれてきたのかということです。
そしてそれは、ありのままに自分を認識することからすべては始まります。
本当の自分を知るということはとても難しい作業です。
自分がこの世に生まれてきた使命を知ることは大変難しいのです。
孔子は、このことを「天命を知る」と言いました。
死ぬまでに自分の天命を知ることができた人は幸せです。
大半の人が自分の天命を知らずに世を去るというのが現実なのです。
天命を知るということは、自分の因縁を知るということです。
自分のカルマや自我を知ることです。
ですから、天命を知ることができるような人間はごく稀です。
それぐらい自分を知るということは困難を極めることです。
簡単ではありません。
しかし、天命を知り、人生をこういうふうに生きなければならない、と気づくことができたならば、その人は大変に幸せな人です。
何故ならば、そういう人というのは、こういうふうに考え、こういうふうに行動しょうと決意し、より良き経験と体験を積むことができるからです。
魂に良き経験の記憶を刻むことができるからです。
そして魂は磨かれ、上昇します。
命運律も上昇していきます。
良き体験の記憶こそが、魂を永遠に輝かせるからです。
そのために怒りや憎しみなどの感情をコントロールしたり、道を誤ったり、踏み外したりしないように自分をコントロールすることに腐心することでしょう。
そのためには、何よりも、この世界の正しい認識が必要です。
正しい因果律的な生き方を認識した上で、自分をコントロールする方法を身につける必要があります。

わが流儀の五心朝天法の瞑想呼吸法はその一つとなることでしょう。
こうした事柄はどれも人生の一大事です。
少しでも参考になればと思い、このブログで、因果の法則、波動共鳴の法則とともに心の法則,魂の法則といった事柄を様々な観点から綴っています。
人間世界を正しく認識し、自分の心、思考、感情などの意識をコントロールすることができるようになれば、釈迦やイエスなどの聖人と同じ世界に参入することになります。
私は神を信奉する古流神道の修行者ですが、宗教には否定的です。
宗教は迷信的で、人間を心霊現象などの悪戯で脅し、囲い込む麻薬のような危うさがあるからです。
ありもしない祟りとか、呪いとか、そういうもので不安と恐怖を煽っています。
日本には神社や寺院が10万社以上ありますが、どこにも神様などおりません。
人間の作った建造物などに神様は存在しないということです。
神様は大宇宙のど真ん中に鎮座されている存在です。
キリストの神も、仏教の仏も、イスラム教の神も、日本神道の神も同じ神様であり、宇宙の中心に存在する万物創造の根源の神です。
人間の作った造営物、建物などには神はおりません。
大自然の玄理、宇宙の摂理の中に神は存在するのです。
神と人間を結ぶものは、巨大で絢爛豪華な礼拝施設、宗教施設ではありません。
人間というのは、見かけの大きさ、絢爛豪華さにひれ伏す習性があるようですが、そんなところに神は存在しておりません。
ただ清く、正しく昇華した魂の波動こそが神を結びつけるのです。
すべては一人の人間の心の有り様、心しだいです。
by toukokira-kira | 2019-02-25 10:57 | Trackback | Comments(0)

完全とは、真理とは

私たちのこの世界に完全なものはありません。
すべてが完全に整ったものなどありません。
完全ということは、幻想、イリュージョンに過ぎません。
私達のこの世界は常に変化し、変化が力を生んでいます。
変化こそ力の源泉といことです。
森羅万象の無限の変化が、さらに変化を生み、その変化が力を生んでいます。
変化が変化を生む生々流転こそが現実世界の実相です。
完全とは、もう変化の余地のない状態、動きの止まった状態を云います。
それでは力は生まれません。新しいものも生まれません。
この世のすべてのものは、美しい螺旋状の渦を巻く波動からなり、常に変化して回転しています。
すべては常に変化し、整うことはありません。
完全もありません。
完全と思った瞬間に進歩は停止します。
道を悟ったと思った瞬間に迷いの道に落ちていきます。
よき失敗の経験と反省が人生をより良いものにします。
これでもう完全などという人は、注意人物です。
真理とか悟りとか、成仏とか、道とか、そういった高次のものは、人が生きていくうえで目指すものであり、決して到達するものではない。
人生において、人は道なき荒野を迷い行く旅人である。
道を求めて、永遠に迷い行く旅人、それが人間です。
密教僧侶などの宗教家や、新興宗教の教祖といわれる人に多いのですが、苦行、難行を経験した後に、忽然と真理を悟ったと云うのですが、これは錯覚です。こういう人間ほど危うい存在はありません。
人間は、悟ったと思った瞬間、極めたと思った瞬間、迷いの道に落ちていきます。人生において、人は永遠の旅人です。永遠の求道者なのです。
何人も悟った、極めたなどと、驕り高ぶってはいけません。
永遠に目指し続けるもの、それが真理であり、悟りであり、道なのです。
音楽の世界でも、スポーツの世界でも、科学の世界でも、極めたと思った瞬間に、進歩は止まり、堕ちていきます。
また、成仏とか因縁解脱とか、怪しいことを言ってはなりません。
断言しますが、この世に生を受けたもので、悟りを開いたものなど、天地開闢以来一人としていません。
因縁解脱した者も存在しません。
すべては迷信です。
古今の聖人君主といえども例外ではありません。
釈迦やキリストだって悩み苦しんで、努力して、永遠に目指し続けた求道者なのです。
人が神になったり、真理を悟った特別な人になったりすることは、宇宙の法則を冒涜することです。
惑わされてはなりません。
人間はみな、この世界を迷いながら歩む永遠の旅人なのです。
真理を悟った者などいないということです。
完全も、真理も、悟りも、目指すべき目標であり、到達するものではありません。
by toukokira-kira | 2019-02-24 23:31 | Trackback | Comments(0)

四端の心を論ずる

四端の心は、わが流儀、五心朝天法の根本をなすものです。
心の霊的階層を高めるためには必須の心です。
陰陽師の法を使うには、正義の波動の放出が不可欠ですから、四端の心を目指します。
四端の心とは、中国の孟子が唱えた教えです。
もともとは、仙術を使う仙人の心の有り様を説いたものです。
人間は、正しい因果律を悟って、正義の心で、楽しく、仲良く人生を送るのが理想です。
四端の心をもって生きると、正しく生きることができます。
四端の心の実践は、仁義礼智信、勇謙の実践です。
勇謙とは、勇気と謙虚という意味です。
四端の心とは、惻隠の情、是非の心、羞悪の心、辞譲の心の4つです。
惻隠の情とは、他者の苦境を見過ごしにできない心のことです。
是非の心とは善悪を見極める心のことです。
羞悪の心とは、恥ずべき心のことです。
辞譲の心とは、良き事は人に譲り薦め、悪しきことは自分が引き受けるという謙虚な心のことです。
この4つの心は仁義礼智信、勇謙の実践です。
仁は憂えず、義は正しく、礼は規律ある生活、智は惑わず、信は疑わず、勇は恐れず、謙は謙譲です。
仁の「憂えず」とは、双眼の色変わらざるは憂なきに似たり、の憂いです。
この憂いには、他者の逆境を見過ごしにしないという意があります。
他者の苦難、困難を見て、知らぬふりするような心ではありません。
自分の命を捨ててでも、他者の苦境を救おうとする心です。
「義の正しく」は、正義心のことです。
正しい因果律を悟って、正義心をもって行動できるということです。
正義心とは、万人の誰もが認める行為を正義といい、自分の喜びが他者の喜びにつながるような心を正義心といいます。
他者のことを考えずに、自分本位に欲する心のことを罪悪心といいます。
身勝手で利己的な心は、罪悪なのですよ。
「礼」とは、規律ある生活態度のことですが、所作、態度、心配り、心遣いのことです。
美しい言葉や所作、態度、心遣いには、心の美しさがあります。
「智」の惑わずは、宇宙の知恵、宇宙の真理、自然界の摂理を悟るということです。
「信」の疑わずは、自分を信じ、他者を信じ、宇宙を信じて疑わないということです。
努力を尽くすことを誠といい、誠を尽くすことを信と言います。
人と交わる道は、信と仁(情愛)にあります。
人の世界では、信なくば立たず、です。
信を一端失くすと、誰からも相手にされません。
「勇」の畏れずとは、物事に動じない胆力を備えていることです。
最後の「謙」は、謙譲の心のことです。

これは生きていく上で、大切な心構えです。
この「謙」が重要です。
世の中を渡るには謙と予の二つが大切だからです。
謙とは謙譲、予とは準備ということ。
謙譲とは、利益を人に譲って、害を自分が引き受けるのが「譲」であり、よい事は人に推し、悪いことは自分がとるのが「謙」である。
要は謙虚な心ということです。
世間の中で、過失を免れる方法は謙譲にあります。
謙譲とは、達人の心です。
上から目線の驕り高ぶった心のことではありません。
劣等感も優越感も超越した心です。
相手の言葉、顔色で意味を深く洞察し、智慧深く、用意周到であるがゆえに、他者に対して謙るのである。
「謙」の形を極める者は、人生の達人である。
真の勇者は、臆病者のようであり、真の知恵者は、愚者のようであり、真の巧者は、下手のように見えるのです。
権威,権勢を示すことはなく、どこまでも謙虚なのです。
私のブログは非公開記事も含めて5000編ほど収録されていますが、実は、この1編の記事「四端の心」を理解し、真に悟ることができれば、あとの記事は不要なほど重要なものなのですよ。
by toukokira-kira | 2019-02-23 22:20 | Trackback | Comments(0)

人は仮面を剥がせば、誰もが不合理で、分からず屋で、自分勝手な我が儘な存在です。
人間というのは、いくつもの仮面を何重にも被っている生き物です。
それが人間というものです。
肉体を持ってしまった人間というのは、やっかいな物質的な存在です。
人のことなどそっちのけで、自分が自分がの一辺倒です。
人間というのは、自分本位な存在ということです。
すべてが自分のためであり、他者のため、世の為に働くという人はごく稀です。
自分がかわいいから、あらゆるものに執着し、囚われ、引き摺られ、物欲に突き動かされます。
自分がかわいいから、人を憎み、恨み、妬み、怒りを覚えるのです。
ジェラシーも後悔もすべて自分がかわいいからです。
これらのすべては自己中心の小我からきています。
自分が、自分がという自分本位の心の有り様から卒業して、離れないと、平安な日々は訪れません。
欲望と執着が人間の性ですから仕方ないのです。
お金や影響力が幅を利かすこの世界で、そうでない世界もあるということを知るべきです。
それが本当の世界なのですから。
宇宙の法則や神の法則を知って、ありのままの自分に立ち返ることが大切です。
ありのままの自分とは、本当の自分ということです。
真実の心ということです。
言い換えると、正直で素直な有り様に立ち戻るということです。
さらに言い換えると、嫌な自分をすべて捨て去るということです。
人間は、お金のある所に心が向うのです。
影響力のある所に心が向うのです。
地位や名声、権力のあるところに向かうのが人間の習性です。
それらを総称して物質的な心といいます。
ですからお金持ちや、地位、名誉、名声のあるところに心は向うのです。
人は一見、弱者をひいきにはしますが、真実の実態は、勝者側にしかついていません。
人間は自分が一番かわいいから、自分に一番都合のよいところに心は向います。
そういうものです。
そういう利欲にもとずく物質的な心を離れ、真実の心に立ち返ることを、あるがままの自分といいます。
こうした素直で正直な美しい心の有り様は、あなたを無防備にするかもしれませんが、それでもなお素直で正直なあなたでいるということが、ありのままの自分ということです。
人の為、世のために最善をつくしても、その見返りにひどい目に逢うかも知れません。
それでもなお社会のために誠を尽くすこと、それがありのままの自分ということです。
一切の見返りも、代償も求めない思いやりの心が、ありのままの自分ということです。
人と人とを隔てている心の壁が取り払われた状態を愛といいますが、それがありのままの自分ということです。
もしあなたが成功すれば、嘘の友達と、本物の敵をつくることになりますが、それでもなお社会に役立つような成功を目指していくことが、ありのままの自分ということです。
利欲で動くのではなく、真実の心の声に従って、生きていくこと、それがありのままの自分ということです。
魂の修行には最適の心模様です。
ありのままの自分になれると、宇宙の波動と調和します。
人生、運命は宇宙から祝福されたものとなります。
by toukokira-kira | 2019-02-23 11:42 | Trackback | Comments(0)