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慢性的な筋肉疲労とは

肩凝りは、万病のもとです。放置してはなりません。
腰痛は身体シグナルです。これも放置してはなりません。
背部痛は、内臓異常の警告サインです。絶対に放置してはなりません。
これらの原因は、慢性的な筋肉疲労です。
では慢性的な筋肉疲労は何故起こるのでしょうか。
運動しすぎるからでしょうか。筋肉を使いすぎるからでしょうか。
確かにそういうことも原因の一つです。
でもこわいのは精神的ストレスです。
ストレスは、身体をコチコチに硬直させます。
精神的ストレスこそが慢性的な筋肉疲労の根源なのです。
揉み解しても、揉み解しても、筋肉の硬直が取れない人というのは、ストレスで身体ががんじがらめになっている人です。
こういう人は、ストレス調和法によって、ストレスを中和除去してあげると、一瞬で筋肉の硬直が取れて柔らかくなります。

さて、人間存在の本質は、有為と無為の二辺往来です。
心が赤信号と青信号を繰り返します。
赤信号が多いと、ストレスとなります。
持続的な精神的ストレスが絶えず筋肉を慢性的に緊張させ、疲労させているのです。
ストレスが慢性的な筋肉疲労の主原因です。
ストレスがかかると、一瞬で全身の筋肉は固く硬直します。
ストレスのかかる生き方、考え方をしていると、筋肉の慢性的な疲労を誘発しやすく、病気のかかりやすくなります。
その意味で、その人の生き様が深く関わっています。
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by toukokira-kira | 2018-07-31 21:24 | Trackback | Comments(0)

一歩踏み出さないと

一歩踏み出さないと、とにかく何も始まらない。
一歩踏み出して、行動しないと、何も始まりません。
何もしない、何も踏み出さないというのは、人生の大きなリスクです。
石橋を叩いて渡るといいますが、慎重で臆病な人は、石橋を叩いても、なお渡りません。
付和雷同しない堅い生き方といえば聞こえはよいのですが、人間は行動してナンボの世界ですからお奨めできません。
考えてばかりいて、何も行動しないというのは、運命を誘う因果律も動きませんから、自分を律することもできません。
何もしないで、行動しないというのは、人生の大きなリスクであると同時に、自分の人生をムダにしていることになります。
何のための人生なのかわからなくなります。
人間は、夢や目標を心で念じながら、行動して、なおかつ自分を律することだと、先人たちが言っておりましたが、よく物事を判断したあとには、思い切って行動しないと人生は停滞するばかりです。
後悔の多い人生となるということです。
とにかく、一歩踏み出して行動することが大切です。
一度きりの人生ですから、大いなる青雲の志をもって、大胆に行動してみませんか。

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by toukokira-kira | 2018-07-31 11:21 | Trackback | Comments(0)

不動心

人生の中で遭遇する困難、苦難、逆境を次々と乗り越えていくと、不動心という揺るぎ無い心がつくられていきます。
困難や艱難辛苦というものは、いわば病気の時の免疫を得るためのワクチンのようなものです。
幾つもの困難をしっかり乗り越えていくと、苦しみも、悲しみも、すべてが人生の糧となり、少々の困難では微動だにしない不動心という強い心が生まれます。
不動心が備わると、困難や苦難、逆境に対する抵抗免疫が出来て、どんな困難が押し寄せてきても、はねのけていく力が生まれます。
たくましい人生は、ただ苦難を恐れ逃げ回っているだけでは不可能です。
若い人たちは、すすんで苦難に立ち向かうという人生のワクチンを打って、心の免疫を強固なものにしてください。
心界上昇して菩薩界から如来界へ上昇した魂のことを不動心と言っています。
いくつもの苦難を乗り越えていくと、いつかは心界上昇して如来界という高次の世界の住人となれるということです。

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by toukokira-kira | 2018-07-29 17:53 | Trackback | Comments(0)

みんなのお陰

何事も、どんなことであっても、自分の力で、自分のせいで物事がうまくいったと思ったら、その人の成功も進歩もそこで終わり。ザ・エンドです。
たとえ、自分の力が寄与するところ大であっても、そう思ったら、人間は終わりということです。
一つの仕事の成功は、物事に関係するすべての人々の協力のお陰であって、自分のせいでうまくいったと思ってはならないのです。
そう思った瞬間から破滅の道が待ち受けるからです。
俺が、俺が、自分が、自分がという心では人心は離れてしまい、成功はほど遠いものとなります。
ですから、周囲の人々への感謝の心が成功のカギとなります。
感謝を忘れた人に真の成功はありません。
みんなのおかげでうまくいっているという感謝の心がどんな分野でも成功の秘訣だと思います。
成功の秘訣は、人を大切にする心です。
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by toukokira-kira | 2018-07-29 17:33 | Trackback | Comments(0)

儒教の基本法則

私たちが最も影響を受けているのが儒教の教えだと思います。
好むと好まざるとにかかわらず、大きな影響を受けているということです。
儒教の道徳の基本法則は、孟子が提唱した五倫、五常です。
人が守るべき5つの道が五倫であり、人が身につけるべき5つの徳が五常です。
五倫とは、「君臣の義」「父子の親」「夫婦の別」「長幼の序」「朋友の信」のことです。
五常とは、「仁義礼智信」のことであり、この実践こそが大切ということです。
人々の日常をよく考察していると、この儒教思想がいたるところで深く浸透しているということがわかります。

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by toukokira-kira | 2018-07-29 13:33 | Trackback | Comments(0)

四人の聖人

世界四大聖人とか、世界八大聖人という言葉があります。
皆さんも聞いたことがありますか。
まず、四大聖人とは、キリストと仏陀、孔子とソクラテスの4人です。それぞれが文化、文明を代表して出現しています。キリストはユダヤ文化を代表する人物であり、仏陀はインド文化を代表する人物です。孔子は中国文化を代表し、ソクラテスはギリシャ文化を代表する人物です。4人は、それぞれの文化圏を背景にして世に現れました。
八大聖人となると、この4人に、老子、モーゼ、モハメット、聖徳太子の4人が加わるそうです。聖徳太子は、日本人が選ぶから入ってきます。日本を代表する聖人は、聖徳太子ということになるらしいのですが、定かではありません。
このブログは、人間世界の探求であり、心の学がテーマですから、八大聖人に入ってくるような偉大な人物は、当然のごとく、再三取り上げてきました。
キリストと仏陀は、東西を代表する大宗教家であり、孔子とソクラテスも、東西を代表する大哲学者です。こうして対比すると実に興味深いですね。
キリストは、ユダの裏切りによって逮捕され、ユダヤ法によって裁かれ、ユダヤ人大衆の指差すところによって、十字架で処刑されました。それゆえにキリスト教徒は、キリストを死に追いやったユダヤ民族を毛嫌いします。ユダヤ人の呪われた歴史は、ここから始まっています。キリスト教は、ユダヤ教から枝分かれしましたが、ユダヤ教の預言者があの十戒のモーゼです。ソクラテスはギリシャ哲学の祖であり、孔子は、儒教という東洋哲学の祖です。儒教は、哲学であると同時に、立派な宗教でもあります。儒教が宗教であるということを皆さんはお忘れになっています。儒教の実践道徳に五倫というものがあります。父子に親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼の序あり、朋友信あり、というのが儒教の五倫です。儒教のこうした仁と礼,義と孝の教えは、今日の私達日本人にも、少なからず、大きな影響を与えている思想哲学です。
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by toukokira-kira | 2018-07-29 10:44 | Trackback | Comments(0)

大宇宙の符

古代文字である神代霊光文字については幾度もその詳細を解説してきました。
古代文字は神様の意思やお姿がそのまま光文字になった霊光文字ということです。
霊光文字にはその形にエネルギーが集まってくるので、不思議な力があります。
頭頂の百会に龍体文字を書いたり、首のつけ根にある第7頚椎である大椎に「トオカミゑヒタメ」や「あいふへもをすし」を描いたり、仙骨にフトマニの図を描いたりすると、末期ガンや原因不明の全身の痛みに対応が可能となります。
白血病の患者も、フトマニの図か、「トオカミゑヒタメ」のホツマ文字かホメミ文字を大椎か仙骨か、背中全体に書いておくと、白血球の数値が改善されて良くなっていきます。

足裏の拇指球と踵に勾玉を描くと、デトックス効果が抜群で、便秘の人も大量に大便がでます。
体内の600種類もの毒素は、汗や尿や大便から排出されているのですよ。

神代文字であるホツマ文字を中心に綴ってきましたが、ホメミ文字やトヨクニ文字や稲穂文字、勾玉などを描いても、同様の奇跡的な現象が現れます。
古代文字には、言霊の不思議な力が宿っているのであり、神の光が形となったものです。
聖なる文字や図象には、形霊(カタダマ)が宿っているということです。
私は、色紙に太極図やフトマニの図の古代文字による曼荼羅をよく描きます.
曼荼羅は、ホメミ文字とホツマ文字、トヨクニ文字からなる太極図の周辺を古代文字で「ありがとう」の十字図を配置し、稲穂文字を飾っております。
太極図である陰陽の勾玉の中には、古代文字で「とほかみゑひため」と「あいふへもをすし」の八神が描かれています。
これを私は、「大宇宙の符」と命名しています。
これは「長命長寿の符」といって最高の波動が放射されている護符です。
先日、香川県丸亀市の離島に奥さんと二人で暮らしているという古くからの友人が訪ねてこられたので、この「宇宙の符」を差し上げました。






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by toukokira-kira | 2018-07-29 09:36 | Trackback | Comments(0)

ピカソ

どんな分野であれ天才と呼ばれた人は、それなりのバックボーン、人生哲学をもっています。
奇才といわれたパブロ・ピカソもご多聞にもれず、一芸に秀でた人生の達人です。

「私は、対象をみたままではなく、私が思うように、感じたままに描きます」と云ったのはピカソである。そして「創作活動は、はじめは破壊活動だ」として、人の描かない世界を探求しました。
ピカソは常々、「私は、いつも自分のできないことをしている。そうすれば、できるようになるからだ」と云って、不得意を克服していました。
ピカソもまた懸命に努力する天才でした。

「人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ」と警笛を鳴らしました。時代というものをよく見つめていたということです。

「芸術とは、悲しみと苦しみから生じるものだ」と述懐していますので、ピカソの芸術もまた、人生の悲しみと苦しみをバネにして生まれたものかもしれません。
悲しみと苦しみに苦悩するのが人間なのですね。
今日は、ピカソの代表作「ゲルニカ」の絵が描かれているティーシャツを着ていますが、そこには人間の苦悩が描かれており、身体が引き締まります。

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by toukokira-kira | 2018-07-29 08:06 | Trackback | Comments(0)

★★★一灯照隅の志

人生の中では、大切なものを見失わないことが大事です。
そのためにはブレない意思をもつことが必要になります。
一本筋を通すことだと想います。これを志といいまう。

しかし、人の話や意見に耳を貸さないのはいけません。
人の話には耳を傾けることが何よりも大切です。
弘法大師空海は、この世界の中で、一番の愚か者は、人の話、意見を聞かない者だと断じています。
救いようのない人とは、聴く耳をもたぬ者のことです。

そういう人は、自分中心、自己本位で、身勝手で、理不尽で、自分の利益だけを考えて行動するので、目的のためには手段を選ばず、怖ろしいことも平気でやります。正論をいっても全く通じません。

おれが、おれがと、自分の欲得だけで、感情に振り回されて、理不尽な振る舞いをする人は、今も昔も変わりません。いつの時代でも、どこにでもいます。

さて、「立志照隅」とか「一灯照隅」という含蓄の深い言葉があります。
志を立てて、自分のいる場所を照らすという意味です。
言い換えるならば、自分の与えられた場所で花を咲かせなさい、と言うことです。どちらも同じ意味だと想います。
自分の志をもって、隅々まで照らす人間になろう、与えられた場所で精一杯、努力して、人々にとって欠かせない人間になろう、役に立つ人間になろう、という意味だと想います。

素敵な言葉ですね。
人間にとっては、ブレない意志があって、人の話を聞く耳があるだけで、ちゃんと生きていけるのだと想います。
ブレない心があれば、何かに躓いても、へこんだことがあっても、いつでも立ち直ることができます。

志をもつことは良い事なのですが、気をつける必要もあります。
気をつけないと、独りよがりの志になります。
我欲、我執、我見という陥りがちな落とし穴です。
自分の考え方、見方に囚われてはなりません。
仏教の釈迦如来は、我欲、我執、我見の消滅こそが悟りへの道だと言われました。自分の考え方に固執することほど罪深いことはありません。
心は水の流れのように、サラサラしていなければなりません。
人の話が聞ける人間でありたいものです。

何かをやり遂げるには、志がなければなりませんが、それと同じくらいに大切なことは、人の話を良く聞くということです。
人の意見に耳を貸さない人の命運は、悲しむべきものとなります。
たとえ今が勢いに任せてよくても、裸の王様と命運は決まっています。

裸の王様では、円滑な人間関係も信頼関係も築けず、物事が成就することもありません。
人の話を聞く事とともに大事なことは、気配り、心配りという高次の心です。
気遣い、心配りは、人を喜ばせ、楽しませるばかりではなく、困っている人を見捨てない、見過ごしにしない心です。

感謝の心で本当の心遣いができる人は、よく人生の修行ができた人です。
小我に生きると、自分という心、俺がという心、エゴの心が動きだし、運命を下降させます。
努めても、求めても、願っても、思うようにいかない人は、もう一度、自分を見つめ直してください。小我に生きていないかと。

小我のエゴの心は、人生の中で、往々にして、大事なものを見失わせます。
幸せや豊かさを願っても、願い求めるほどに離れていきます。
小我の心では、いくら努力しても、富も仕事も、成功も、引き寄せることはできません。このことを理解し、悟ると、あなたの運命は変わります。

小我を捨てて、大我に生きると、幸せで、豊かな人生へと変わります。
大我とは、自分を捨てて、人の為、世の為、他者のために何かを為すという心のことです。自分本位ではなく相手本位の心です。
すべてのよき運命を引き寄せる心の波動がそこに内在しています。

もうひとつ大事なことは、コツコツと積み重ねることで、あたりまえの習慣が偉業、大業を為すということです。
あたりまえのことを習慣化するためには、あたりまえのことに意味づけをして、誇りをもつことが必要です。
あの千利休は、当り前のことが当り前に、いつでもどこでもできるようなら、私はあなた方の弟子になると言いました。
日々コツコツと当り前のことが当たり前にできるということは、地味なように見えますが実は凄いことなのですよ。
そういうことのできる人が偉大な大業をなす人となります。
当り前のこととは、「いつも笑顔」「明るく挨拶」『約束を守る」「人への気遣い」「人に親切にする」などなどですが、世間では、あたりまえのことが出来ていないのです。

人間はすぐに楽したがります。折角のよい習慣も、気を抜くと、すぐに悪い習慣に変わってしまいます。
人間は前進していないと、後退していく生き物です。

あたりまえのことを、あたりまえに、こつこつと毎日できるのは、特別な能力です。
誰もができるものではありません。
凡人はみな三日坊主です。長く続きません。
あたりまえのことの、その先に、すごいことが起きるのだと想います。
あたりまえの積み重ねが大きなことを成し遂げるということです。
当り前のことが当たり前にできない人間には、決して偉業は成し遂げられません。

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by toukokira-kira | 2018-07-27 10:46 | Trackback | Comments(0)

現代人

今という時代は、平和な可能性に満ち満ちた時代です。だから、今の人は、みんな、「何かしなければ」という病気に罹っています。
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by toukokira-kira | 2018-07-26 20:24 | Trackback | Comments(0)