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辺境の人々こそ

聖書や物語の世界には美しい清らかな世界がたくさん描かれていますが、現代の現実世界というのは、あまりにもドロドロとした汚れた世界、偽りに満ちた世界、或いは妬みに溢れた虚飾の世界になり過ぎていると思います。
正義が貫かれた清く正しいといった理想の世界とは程遠い世界が現代です。
こうした混沌とした世の中にあっては、人間はかくあるべきと正論を唱え論じることは甚だ心もとないことである。
現代の人々は、欲と執着と情動に突き動かされているので、そんな真面目腐った正論など戯言にしか聴こえないのかも知れません。
まじめな正論を唱える者が嫌がられ、疎んじられ、めんどくさく思われ、浮き上がってしまうような世の中が現代という時代です。
私はそんな世の中だからこそ、あえて「人間世界の探求」と題して心の法則の解明に意を注いできているのです。
ですからできる限り清く正しく明るい世界のあるべき姿というものを語り続けていこうと考えています。

さて、世界には、秘境のような厳しい奥地にあって、自給自足で必死、命懸けで生き抜いている人々が大勢います。秘境で暮らす人々は、電気を水道も、勿論お店もない、自給自足の厳しい環境の中で、夫婦や家族が力を合わせて、支え合い、助け合い、慈しみ合ってて生きています。この世界には、そういう人々が大勢います。

文明社会の先進国で暮らしていると、秘境で暮らす人々は、未開の貧しい民ぐらいにしか思っていないかもしれません。

が、しかしです。生存環境はとても厳しいものがありますが、その魂は純粋であり、透明で、清らかです。穢れ、汚れのないピュアな魂です。地上のどんな人々よりも、魂が清らかで美しい人々です。神に最も近い人々です。

辺境で暮らす人々は、公平、公正にすべてを分配し、助け合って、譲り合って生きていますので、争いや対立がありません。いかに環境が厳しくとも、その人間性は素晴らしく、真我は強く大きく光輝いています。

現代の科学技術文明の中で暮らしている我々こそが優れた人間だと思い上がっていては駄目です。辺境で助け合って暮らす人々のほうがはるかに人間らしく、人間本来の美しい心、美しい姿があります。魂が透き通っているということです。

変な虚栄も、驕りも、虚飾もありません。騙す、欺く、盗む、いじめる、憎むという悪い心も存在しません。すべてが助け合って、支え合って、譲り合って生きているからです。真我が光輝いています。

人間の魂の成長、魂の修行のためには、辺境の奥地で暮らしたほうが、断然よいことは疑いがありません。毎日の水汲みに、2時間も山道を歩くなど、肉体をもつ身には、過酷で厳しい毎日かも知れませんが、魂にとっては、まさに極楽浄土、天国が辺境の最奥地の人々の生活であると私は思います。

辺境の奥地で力強く生き抜いている人こそ、この地球上で、最も霊格の高い人々であり、神に最も近い人々です。私は、そういう人々に尊崇の念を抱くばかりです。
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by toukokira-kira | 2017-07-28 10:20 | Trackback | Comments(0)

私は春夏秋冬の年4回の「ありがとう」の100日行を行っています。
年4回の100日行ですから、年300日の「ありがとう」の修行です。
「ありがとう」の修行は、感謝の修行ですから、大切な人生の修行となります。
毎朝日課の1時間のウオーキングの折に、2000回の「ありがとう」の修行に入ります。
ようは1時間歩きながらひたすら「ありがとう」を唱えるということです。
年4回の100日行ですから、一年中「ありがとう」を唱えていることになります。
こうすることによって、奇跡のエネルギが蓄積され、奇跡の修法、奇跡の治療を新たな気持ちで出来るようになります。

気の治療家は、人々にエネルギーを与え続けるので、どんなにエネルギーで充満している元気な治療家でも、治療活動を続けていると、エネルギーが奪われていきます。
気の治療家で長生きした人はいないのです。
患者の邪気を受けて、みんな病気になって死んでいきます。
ですから日頃のケアーが大切です。

でも、私は気の治療家ではないので心配いりません。
「ありがとう」という無限の宇宙のエネルギーによる治療なので、何万人の患者を治療しても邪気を受けることは少しもありません。
私は、毎朝1時間ほど歩いていますが、その散歩中に、1時間、心の中で「ありがとう」と唱え続けるだけのことですから、修行と言っても、時間の有効活用です。
新しく始める方は、理由の定かではない涙が溢れ出ててくるまで、とにかく唱え続けることが大事です。

さて、「運動」とは、運が動くと書きます。
動くことによって、「運」が動き始めるということです。
行動すると、結果がでます。
原因・結果の法則です。
因果は、動くことによって、良くも悪くも動きます。

運が動き出すためには、一歩でも、半歩でも踏み出さないと動きません。
頭で考えてばかりいて、実践が伴わないと、運は良くも悪くも、動かないのです。人生は、実践あるのみです。
あなたも私と一緒に「ありがとう」の修行を楽しく笑顔でやってみませんか。
自分をとにかく変えたいと思っている方は、人生が必ず変わりますので、是非とも「ありがとう」を唱える修行に取り組んでみてください。
「ありがとう」は不思議な言葉であり、奇跡を呼び起こす言霊です。



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by toukokira-kira | 2017-07-24 09:11 | Trackback | Comments(0)

辞譲の心

私はよく人間の有り様として、「四端の心」と「自利利他の心」「大我の心」の実践について推奨督励し、このことについて幾度となく書き綴っています。
この3つの心こそ人間の真実の道、真実の心の本当の有り様だからです。

四端の心の一つに、「辞譲の心」というのがあります。
辞譲の心とは、謙譲なる心のことです。
よきものは人に譲り、悪きものは自分が引き受ける、というへりくだった謙虚な心のことです。

「自利利他の心」というのは、他者を活かす心ということであり、多くの人々が喜んでよしとする心のことです。
正しい因果律に基ずく正義心とは、多くの人々が喜んでよしとする生き方のことをいいます。
一言で云うと、相手本位に考え、他者に喜びを与える存在になることが、自利利他の心であり、大我の心です。

喜びを与える存在になるためには、前回書いた「頼みごとを断らない」ということも大事なことであり、今回の辞譲の心、すなわち、譲る心も同じように大事な心です。
自分が、自分が、己が、己がという自分本位で自我の心が強いと、喜びを与える存在にも、譲る心にもなれません。

人生の目的は、競い合ったり、比べあっやり、争ったりすることではありません。競い合って1位になることでもなく、お金をたくさん稼ぐことでもありません。
人生の目的は、感謝の修行とともに、喜ばれる存在になることだと、いつの日か、誰もが気がつく時がくるでしょう。
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by toukokira-kira | 2017-07-23 22:21 | Trackback | Comments(0)

仏弟子アーナンダ

釈迦如来である仏陀の愛弟子にアーナンダという従兄弟がいて、仏陀によく可愛がられました。
そのアーナンダが仏陀にある時、質問しました。
「師よ、よき仲間を得ることは、聖なる道の半ばに来たといってもよいのではないですかと」

仏陀は答えました。よき仲間を得ることは、聖なる道の半ばではない。
聖なる道のすべてであると。
闇の中で迷った時に、闇を照らしてくれる灯火となる。
それをよき仲間という。
このように仏陀はアーナンダに云いました。

これは人間の道の真理です。
よき仲間を得ることによって、人間は、老いる身でありながら、老いを恐れずにすみ、病む身でありながら、病むことを恐れずにすみ、死する身でありながら、死を恐れずにすむのです。
逆に言うと、よき仲間を持たない者は、老病死を恐れて過ごすことになるということです。
ですから、よき仲間を持つことは幸せに生きることの絶対条件です。
よき仲間を持っている人は、それだけで安心立命です。
よい仲間をもっていない人は、あまりよい人生といえないかもしれません。
神様の贈り物である「頼まれごと」のない人ということです。
人から頼まれごとのない人は、問題のある孤独な人です。

頼まれごとがドンドンときて、断らずに引き受けていると、よい仲間が増えていきます。
頼まれごとのこない人は、人から相手にされていない寂しい人です。
人生、運命の転換は、よき人との出会いと、頼まれごとの引き受けから始まるということです。
頼まれごとは人生のキーワードであり、人生の秘密であり、人生の秘訣です。
人からの頼まれごとをめんどくさがって嫌がる人というのは、自分からチャンスを放棄している人ということです。
そういう人の運命、人生は暗い孤独なものとなります。



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by toukokira-kira | 2017-07-23 18:13 | Trackback | Comments(0)

正義の心とは

私達の子供時代は、正義の味方「月光仮面」と申しましたが、この正義とは一体何でしょうか。
判るようで判らないのが「正義」という言葉です。
さて、人間には、正義心と使命観があって人間でいられるのですが、この正義心と使命観が自我意識と結びつくと、あまりよいものではなくなります。

自分は間違っていない、相手が間違っている、自分こそは正義である、と思ってしまうと、人は威張ったり、怒鳴ったり,怒ったりします。
中途半端な正義心や使命観を持つと、争いや対立のもととなります。
これを仏教では「我見」といいます。
人が「こうあるべきだ」とか、「こうあらねばならない」と固定的に考えると、そこから外れた人は、みな悪ということになります。
偏狭な正義心があると、争い事が絶えません。
この世のすべての人が、自分こそは正しいと思ったら、争うと衝突、対立と抗争ばかりになります。
我欲、我執とともに、この我見というのは実にやっかいなものです。
互いが、互いの価値観に基づき、自分こそ正義だと思うと、争いが起こるのです。世の中のすべての人が、自分は間違っていると思えば、争いも戦争も起きません。自分は正しいと思うから、そこに怒りや憎しみが生まれ、攻撃の心が湧き上がってくるのです。
ですから、人間は、つねに、自分は間違っているかも知れないと思っていれば、そういう攻撃的な心は湧いてこないのです。
正義心や使命観は、人間が生きていくためには、なくてはならないものですが、使い方を間違うと、争いのもとになるということです。

自分を律するための正義心、使命観なのであって、それを他者に投影したり、求めたり、強要したりすると、争いが絶えなくなるのです。
自分の信じる正義心や使命観がどんなに立派なものであっても、それを他人に押し付けてはならないということです。
こうしろ、ああしろと勝手気ままに命令ばかりしていると、人間関係が破綻していきます。

本物の正義心と使命観というものは、神の領域にあるものです。
普通の人々の正義心や使命観は、自分とは違う考え方の相手を憎しみ、恨み、怒り、軽蔑、差別するような心の動き、感情の誘発につながっていきますから、ご用心ということです。

偏屈な正義心を振りかざすと、必ず争いが起きるということです。万人がよしとする生き方が真の正義心であり、万人に喜ばれる心なのです。正義心とは、神の領域の心であり、謙虚さがないと、大変なことになります。

もしかしたら、私が間違っているのではないだろうかと、つねづね考えることが、謙虚さということです。そういう謙虚さがあれば、正義心を持っていても、相手を憎まず,怒ることもないのです。誠実さとともに、謙虚さは、人間が人間たるための大切な美徳の一つです。
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by toukokira-kira | 2017-07-23 17:55 | Trackback | Comments(0)

幸福招来法の言霊である「幸福の門」を読者に伝授します。
幸福の門は、我が流儀の最高無比の真言マントラであり、これを潜在意識に深く染み込むように毎日繰り返して唱え、暗唱することが基本です。
万巻の経典、聖書や難解な宗教書を読破するよりもはるかに霊験のある言霊だと思います。
この幸福の門に縁があって結ばれた方は、暗唱して自分のものとするとよいでしょう。
暗唱してこれを護持すると、人間も、人生も、運命も大きく変わります。
暗唱が苦手な方は、よく見えるところに貼りつけて、いつも唱えるようにするとよいでしょう。
そうするおとによって、幸運は我がものとなります。
ただし、継続は力なり、です。ローマは1日でならず、ですよ。
■言霊法「幸福の門」
「私を取り巻くすべてが最高です。調和しています。
私の回りには、よいことばかりが起きる。
望まないことは、決して起こらない。
私のすべてがどんどんよくなる。
私は神の子あらゆる点ですべてがよくなる。
私はついています、幸運です。ラッキーです。
今が、この瞬間が、最高です、嬉しいです、楽しいです、幸せです。」
とまず唱えます。

引きつづき
「今の夫が最高です。
今の妻が最高です。
今の両親が最高です。
今の兄弟、家族が最高です。
今の友人が最高です。
今の仕事が最高です。」
と唱え、自分の境遇を肯定し、感謝します。

最後の締めの言霊として
「私の周りのすべてが最高です。
私は最高に今が幸せです。
私にはすべてが与えられ、備わっています。
十分すぎるほど与えられています。大満足です。
今、此処に、こうして、わが命あることに
感謝します。感謝します。感謝します。」
幸福の門の言霊は、これで終了です。
これを毎日朝晩唱えていると、数年を経たずして、あなたの運命、人生は激変することでしょう。



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by toukokira-kira | 2017-07-23 14:10 | Trackback | Comments(0)

宇宙の第一法則

以前、「幸福の門」の言霊を伝授しました。
この世界は、波動共鳴の世界です。
波動が波動を引き寄せて、現実をつくりだします。
ですからよい言葉の波動が幸運を引き寄せます。
人の悪口や愚痴、不平不満を言う人には、同じ波動をもった不平不満分子の人たちが集まってきます。
人の悪口や愚痴、不平不満を言うことが得意な人たちが周りに集まってくるということです。
類は類を呼ぶ、友は友を呼ぶ法則のとおり、同じ波動のものが引き寄せられて、集まってくるのが波動世界です。

波動世界の波動共鳴の法則こそが、宇宙の第一法則ともいうべきものです。
人の悪口、陰口を言わない人には、悪口を言わない仲間が集まってきます。
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、最高です」と言霊を言い続けていると、嬉しい、楽しい、幸せな最高の仲間や事象がやってきます。

今の自分が最高です、満足です、しあわせです、感謝します、というあなたには、そういうよい波動の仲間や事象、出来事が引き寄せられてくるということです。
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by toukokira-kira | 2017-07-22 22:02 | Trackback | Comments(0)

痛み中枢「側座核」

私は,15年以上前から、米国の疼痛学会の権威サーノ博士の論文を目にしており、「腰痛は心の怒り」であると、確信をもっていました。
筋肉、神経を内側から緊張させるものが怒りです。
怒りは、自律神経の交感神経を緊張させて、内臓とともに全身の筋肉を硬直させます。
ネガティブな感情とはストレスを誘う感情であり、その根底には怒りの感情が潜んでいます。
ですから、ネガティブなマイナスの否定的な感情というのは、ストレス反応を誘うばかりではなく、全身の筋肉をも緊張させ、硬直させるのです。
ですから何度も言いますが、腰痛は心の怒りなのです。
交感神経の緊張により過度に筋肉が硬直すると、古傷や慢性的に悪いところにまず痛みがでます。
ですから怒りを伴うストレスによって交感神経が緊張すると、腰や肩、背中や膝が痛みます。

人間の身体は、「このバカ、マヌケ」と言われると痛み、「ありがとう」と云うと痛みが消えます。
言葉に敏感に反応するということです。
同様に、「怒ると」痛みが出て、「笑う」と痛みが消えます。
実験してみると如実に判ります。
また愚痴や文句、不平不満を言うと身体に痛みがでて、「ありがとう」と感謝すると痛みが消えます。
さらに「赦さない、今に見ておれ」「ちくしょう、このやろう」と云うと痛みが激しくなり、「ごめんね」と素直に謝ったり、相手を「ゆるす」ことが出来ると、身体から痛みが消えます。

心の中で、「辛い苦しい」と思っていると痛み、「幸せ、嬉しい」と思っていると、痛みが消えていきます。
ですから、腰痛も、肩こりも、膝痛も、通風も、神経痛も、リウマチも、神経が張り詰めた状態になっていると、痛みが出てきます。

ネガティブな感情に支配されていたり、ストレスによって交感神経が緊張すると、痛みが激しくなるということです。
とくにネガティブな感情には、すべて怒りの心が潜んでいますので、怒りの心が痛みをつくります。

怒りや憎しみ、不安や恐怖といった感情は、筋肉系ばかりではなく、脳内ホルモン系にも大きな影響を与え、脳内モルヒネなどの分泌を疎外します。側座核では痛みを感知する中枢ですが、脳内モルヒネの分泌により、痛み中枢の側座核が中和されて、痛みが和らぐようにできているのですが、怒りなどのストレスがあると、痛みを抑える脳内モルヒネの分泌が遮断され、激痛が走るようになります。

赦したり、感謝したり、ありがとうと云ったりすると、身体に生じた痛みは半減したり、消失したりします。
医者にかかっても神経痛がよくならない人に、許しと感謝の行をしてもらうと、すぐに痛みが消えてなくなります。

怒ったり、人を赦せない人は、とくに痛むのですよ。
人を赦せない人は、神経を緩ませることが出来ない人ですから、身体中が痛い、痛いと、痛みます。
自分に対して厳しい人も、身体が悲鳴をあげて痛みます。
悪い心模様の人は、あなたのやっていることは、他人に迷惑かけていますよ、と天罰のように、天から痛みが降り注いできて、痛むのですよ。

他人を赦すことが出来ると、痛みばかりではなく、体調もよくなり、すべてが調和へと向かいます。
実は、許すと、緩ますとは、日本語の語源が同じものであり、許しの心こそ、痛みから解放される道ということです。



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by toukokira-kira | 2017-07-22 21:47 | Trackback | Comments(0)

「相手本位」こそ

幸せな人生を送る人の共通点は、まず自分のことよりも、他者のことを優先して考える人です。
自分が、自分が、己が、己がという自我意識が強ければ強いほど、人生は逆回転していきます。逆境に向かっていくということです。

自分のことよりも、人のことを大切にする人は、心のレベルが高い人であり、穏やかで平和な人生を送ることができます。
キーワードは「自分本位」ではなく「相手本位」です。
身勝手な自己中心的な考え方ではなく、一端、自分を滅して、相手本位に考えることが大我の心というもので大切なありようです。

しかし、不平不満や、愚痴、泣き言、悪口、文句を言って過ごす人は、そのとおりの悪い波動を引き寄せてしまい、不平不満と泣き言、愚痴を言って暮らす人生となります。例外は一切ありません。必ずそうなります。

逆に、そういったマイナスの言葉を戒め、優しく、周囲の人を元気づけ、勇気づけるものであれば、神や宇宙を味方にすることができます。
否定的な言葉を発し続けると、神や宇宙を敵に回してしまいます。

そうなると、どんなに一生懸命に努力して生きているつもりでも、こんなはずではなかったということになります。
ですから、幸福の門で紹介したようなプラスの言葉を使い続けることが大切です。

朝から晩まで、暇さえあれば、「嬉しい、楽しい、幸せです、最高です。ありがとう、愛しています」と唱えているとよいのです。
「私の周りにはよいことばかりが起きて、悪いことは一つも起こらない、ありがとう、ありがとう」と云い続けていると、そういうプラスの波動の人と事象が引き寄せられてきます。

世の中には、よく、こういう人が必ずいます。
私の言った通りに、実行していたのに何もよくならない、と不平不満を言う人です。
ありがとうを毎日100回、3ケ月唱え続けたけど、何も奇跡が起きなかった、とか、不平不満、悪口、文句などは3か月間一切云わなかったのに、思い通りの人生が送れない、という泣き言です。

人生はもとより、自分の思いどおりにはなりません。
そして、そういう心根では、何をやっても、すべて思い通りにはならないでしょう。
義務感だけでワクワク、ドキドキ感がないと、幸福の門の言霊を唱えても、効果が薄いのですよ。
ただ義務的に唱えることは止めましょう。
感謝の心がないから、結果が出ないと、すぐに不平不満が出るのですよ。
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by toukokira-kira | 2017-07-21 20:48 | Trackback | Comments(0)

我欲、我執、我見の消滅

人間の心の特質は3つあって、一つは「欲しい、欲しい、もっと欲しい」という欲望でしたね。
欲望はいわば心の本能ですから、欲望を超越することは不可能に近いです。
心の特質のもう2つは、「執着」と「我見」でしたね。
この欲望があって、我見で執着するから、怒りや憎しみ、妬み、羨みの心が生まれます。
我欲、我執、我見の消滅こそが仏陀の目指した悟りの境地なのですが、言い換えると、これらの我欲、我執、我見があるからネガティブな感情が生まれるということです。
そしてすべてのネガティブな感情には、「苦」が内在し、「怒り」が伴っています。
その意味でこの迷いの世界は、苦海であると同時に、怒りが爆発噴火する世界といえます。
ネガティブな感情には、大なり小なり、怒りの心が含まれています。
怒りや憎しみ、恨み、妬みといった感情には、苦悩と同時に大きな怒りの心が内在しています。
日常的な感情であるイライラ,セカセカ、ムカムカといった感情には、小さな怒りの心が内在しています。小さな怒りも蓄積するとバカになりません。

こうした怒りの心は、極限になって、臨界点に達すると、植物を枯らすほどの毒素を周辺に撒き散らします。
怒りや恐怖の心というのは、物理的な力を発揮するということです。
毒素が一番強いのは、怒り、恨み、恐怖の感情です。
恐怖の波動というのは、物をカタカタと動かしたり、電気を点けたり消したり、真夜中にエレベーターを動かしたりする力を発動します。
怪異現象や怪奇現象には恐怖や恨み、怒りの波動というものが作用しているということです。
恐怖の波動の毒素については簡単な実験でもすぐにわかります。
大きな瓶に、「ありがとう」と云って、息を吹き込み、その中に蚊やハエなどを入れると、1時間ぐらいは生きています。
しかし、怒った状態で息を吹き込むと、ハエや蚊はたちまちのうちに窒息死します。2~3分で毒死するのです。
私達が、恨んだり、憎んだり、恐怖で脅えたりすると、それが極限に達すると、盆栽や花を枯らすほどの毒素が周囲に放たれるということです。

その毒素は、生体細胞を傷つける働きがありますので、相手ばかりではなく、自分自身の身体をも傷つけてしまいます。
怒ったり、憎んだり、羨んだりすると、自分の五臓六腑を壊してしまうということです。
怒れば怒るほど、自分の身体を傷つけ、壊してしまうことになります。
怒りや憎しみ、恨みの波動というのは、身体を破壊する方向に作用します。
五臓六腑の不調ばかりではなく、腰痛や肩痛などの筋肉系の痛み、症状も出現します。
私は随分昔から、腰痛は「怒り」であると説いてきましたが、筋骨格系の痛みというのは怒りや苦の感情から派生しているものです。
いつも不平不満や愚痴、泣き言、文句、悪口を言っている人も同様であり、そうした人の身体には必ず不調箇所があります。
否定的な言葉を発した本人が、身体を蝕むことになるのです。
穏やか言葉で暮らす人と、怒鳴りあって暮らす人とでは、病気になる確率は格段に違うのです。

人間の心の作用は不思議なもので、本人が「幸せ」と感じると、身体のすねべてが調和してきます。
逆に「不幸せ」と感じると、血圧も血流も乱れ、五臓六腑も不調和になります。
元気健康で生きるためには、心の有り様が大切ということです。
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by toukokira-kira | 2017-07-21 18:00 | Trackback | Comments(0)