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真我の心とは

自分の心から自由になるためには、心の使い方に一工夫が必要です。
人を救い、助けるという行為は、魂の進化にとって最も崇高な美しい行為です。
人が苦しみに呑み込まれ、悲しみに翻弄されている時、手を差しのべて楽にさせてあげると、あなたの魂が喜びます。
人の苦境を見て、見て見ぬふりをして何もしないのは、罪深いことだと思います。
人の健康を回復させ、人を幸せにできることは、素晴らしいカルマとなります。
美しい絵を描き、美しい音楽を演奏し、美しい歌声で人の心を癒すことも、よいカルマとなります。
多くの人が喜んでくれることをすると、よいカルマとなるということです。
人の心の痛みや苦しさを解消させてあげたり、病気を癒してあげたりすると、最高のよいカルマとなり、相手の魂が喜びます。
あなたの魂の輝き、すなわち真我の輝きは、人のために奉仕し尽くす行為の総和で決まります。
人のため、世の為に誠を尽くしてきた人間の魂というのは、真我の光で輝いているということです。
自分のことしか考えない人、自分さえよければよいという身勝手な人の真我は黒い雲で覆われていて、魂が曇っている人です。
さて、人は何で苦しんでいるのでしょうか。
人間関係、仕事、お金など、さまざまです。
それを解決したとしても、生きている限りは、また次の問題がやってきます。
救っても、助けても、次から次へとストレスが覆いかぶさってきます。
それが人間というものです。
苦しみは生きている限りなくなりません。
心を満足させても、その満足は長続きしません。
人の生き方には、大きく分けて2つあります。
自分のために生きる生き方と、人のために生きる生き方の2つです。
前者を小我といい、後者を大我といいます。
自分のために生きる人は、自分の欲望を満足させるために生きる人です。
自分さえ良ければよいという生き方につながります。
慈愛をもって幼子のために生きる母親のような生き方を大我の心といいます。
人のために生きる生き方です。
慈愛をもって他者や社会のために尽くし、奉仕するという生き方こそ、自利利他の心、大我の心といって、自分の真我を強く大きく光輝かせる生き方となります。
人を助けるような生き方をすると、何かのきっかけで、修行する人となります。
修行して力を与えられると、多くの人々を救い、助けることができるからです。
自分の苦しさから逃れるために修行に入る人も多いのですが、人の為、世の為に尽せるようにと、修行に入るのが正道です。
世の中や他者のために尽くせる人間こそ本物の人間です。
皆さんも是非、本物の人間になってください。




by toukokira-kira | 2017-06-29 22:56 | Trackback | Comments(0)

心の法則を知ろう

他者から受ける怒りや憎しみ、恨みの波動を指向性の外部波動といいます。
これを受けると、いわば恨みの生霊ですから、身体は破壊される方向に動きます。
これを除去しないと大変なことになります。
しかし、心を必要以上に乱すこうした外部波動は、完全には除去できない仕組みになっています。
心の中で反省、内省が誘われなくなるからです。
完全に除去すると、反省も内省も生まれないからです。
恨み、ねたみの波動を受けるのには、受ける原因があるのです。
原因があって結果が生じます。
このため心のシステムは、原因について、内省、反省がないと、除去できないシステムになっています。
除去できないということは、心の痛みが残り、本人を苦しめるということです。
己の言動を正し、誤解を解くという努力が、邪気の完全除去には必要になります。反省や内省がないと、人間は、傲慢、怠惰、横柄となり、魔の心を増長させることになります。
ですから心は完全には、外部の波動である、恨み、憎しみ、妬みの波動を、反省、内省することぬきにして、除去することをしないのです。
これは心の基本法則です。
反芻自戒して深く内省、反省することが心の安定につながります。
これは重要なポイントですからお忘れなく。
ですから私達陰陽師の祓い清めの術法をもってしても、完全には邪気を祓いきることはできません。
人の心には、多少の乱す心が必須であり、それが反省、内省となり、人生を前進させる力となっていくのです。
しかし、限度を超えて心を乱されると、病気や道を踏み外すことになるので、陰陽術によって必要以上の乱れを除去するのです。
陰陽術すなわち「卑弥呼」や「始皇帝」などのストレス調和法の秘儀によって、必要以上の乱れは除去しますが、それ以上の乱れは、除去できません。
それは反省、内省によって、向上変化をもたらすための乱れですから、反省ぬきにして乱れを除去することは、心が許さないのです。
ですから、後悔して深く反省することが心の安定にとってとても大事なことということです。
何事にも、1に反省、2に反省です。
ストレスにせよ、トラウマにせよ、霊邪気にせよ、呪いの波動にせよ、己に押し寄せてきているのには、原因があるのです。
原因・結果の法則によって苦しめられているのです。
心が反省し、内省し、真に悔い改めないと、邪念邪気、生霊の波動は消滅することはありません。
心をクリアーにしようと思えば、反省、内省の瞑想を繰り返し、すべてのものに感謝することです。

宗教の本質は、安直な欲望成就を願う手段のものであり、精神の脆弱化を促進する心の迷信化にあります。
それは心のもつ性であり、人の業とも呼べるものです。
人間の生存的本能が迷信化した宗教を求めるようになるのです。

心の充実とは、心が永遠に満足して、充足するということですが、それはまず、自分を伸ばして向上しようと尽力することです。
そのことにより、他者に認められ、信頼されることを最良の喜びとして感じます。そうした経験を通して人は進化していきます。
この辿る道を神道といい、己の精神階層を向上させる道です。
神の道を歩めば福徳につながります。
神の道に向かって歩むための智慧を福寿光といいます。
このブログはできるだけ皆さんの小さな「福寿光」となるように人生の智慧や教訓を古流神道の観点からお伝えしています。




by toukokira-kira | 2017-06-29 10:56 | Trackback | Comments(0)

魂の輝きこそ

心の輝きとは、魂の輝きのことです。
小林麻央は、美しい魂の輝きを残して旅立たれました。
肉体があるときには、物質的に恵まれたり、富や財産に恵まれたり、地位や名誉、権力を摑んだほうが楽しいに違いありません。
しかし、欲望に囚われて貪欲となり、権力を摑んで支配欲に溺れたりすると、心の輝きは失われ、魂は汚れて雲ってきます。
人間というのは、自分の命があといくばくかもないことを知ると、そういう物質的なものはすべて捨て去って、精神的な心の輝きを求めるようになります。
肉体を失ったあとは、魂だけが残りますが、その魂が輝きを失ったものであれば、取り返しのつかないことになります。
魂の世界は何千年も、何億年も変化のない世界ですから、暗い湿った無限地獄に堕ちていくと、永遠にそこで苦しまなければなりません。
肉体を持った時の数十年という僅かの期間、身勝手な栄華を極めたために、その代償として、何千年もの間、暗い苦しい辛い世界に魂は沈むことになります。
これは大変難しいことなのですが、人間は、肉体をもっている時に、心の輝きを失わないように、欲望をコントロールして人生を歩まなければなりません。
この世に生まれて、肉体を持っていると、つい際限のない欲望に翻弄され、魂の輝きを失う道へと踏み込んでしまいます。
欲得に目がくらむ亡者が人間です。
誰もがみんな仮面を剥がすと、貪欲なガリガリ亡者の正体を露わにします。
金を摑んだ者、権力を摑んだ者、地位や名誉を摑んだ者は、多かれ少なかれ、我欲、我執、我見に囚われた悲しむべき魂のものたちです。
もちろんそういう生き方ではない人生を選択する人も少なからずいます。
現世では、栄華を極めても、肉体を失うと、厳しい魂の審判の時が待ち受けています。
そうした者たちとは違った生き方を目指すことも大切な道筋です。
やはり心の輝き、魂の輝きを失わない生き方が一番大事ということです。
by toukokira-kira | 2017-06-28 21:57 | Trackback | Comments(0)

陽光の浄化力

陽の光には不思議な力があります。
とうに朝日の陽光には5つの特別な力があります。
愛と勇気、感謝と信頼、希望の力があります。
朝日を浴びていると、そういう力がふつふつと湧き上がってきます。
陽の当らない部屋、陽射しの入らない部屋や家は、陰気がこもりやすい家となります。
暗い陰気な家は、運気も悪く、よい家とはいえません。
陽光が差し込まない家というのは、自然の力、自然の浄化力がないので、悪霊や霊邪気の格好の棲家となります。
陽の入らないくらいじめじめした部屋や家には、霊邪気が自縛化しやすく、また妖しい霊たちを呼び込みます。
暗い部屋で過ごしていると、魔の霊気によって心も精神もしだいに蝕まれていきます。陽の差し込まない部屋は、いくら安くても、借りないほうがよいですよ。
窓のない牢獄のような部屋は全くの論外です。
私は、陰陽師の修法、術法を執り行う時には、法具を使用し、その法具に霊邪気や生霊を封じ込め、対象者を祓い清めるのですが、その時に、使用した法具「神命象」や「人型代」は家に持ち帰りますが、すぐには家に入れません。
外で陽光の光、陽射しに30分以上当てて、十分に浄化させてから室内に持ち帰ります。
それくらい陽の光には、大自然の浄化力があります。
陽の光には、神の波動が内在しており、邪悪な霊波動を自然浄化、消滅させてくれます。
陽光とはありがたいものです。
天気の良い日に、外の芝生に寝転がり、陽光を浴びながら瞑想すると、元気健康となります。

by toukokira-kira | 2017-06-27 10:44 | Trackback | Comments(0)

根なし草

木の根は、木の幹が太く大きくなるほどに、それを支えるために、地中深くに太く、強く、深く、縦横無尽に広がります。
根は地中深くに伸びているために見えません。
根は見えないけど、木の幹、木の大きさを見れば、大体想像ができます。
立派な大木には、立派な木の根が生えて、その大きな体を支えます。
逆に言うと、根っ子が大きくて強靭だと、大きな立派な木に成長するということです。根は土の中にあって見えませんが、根を太く深く、強く伸ばしていったものが勝ちです。
人間も根無し草は駄目です。
根のない人間は使いものにならないということです。
人間には、いざ勝負という時節が必ずいつの日か到来します。
そうしたときに、悔いのないちゃんとした勝負ができるように、日頃から、根を太く強く大きく伸ばすことに努めなければなりません。
何度も言いますが、根のない人間は駄目です。大成しません。
ですから若いうちは、立派な根をつくるために命懸けで切磋琢磨の修行です。
勝負の時は、いつ,何時に来るやも知れません。
根は誰にも見えませんが、華の咲かない冬の日に、せっせと精進努力して、誰にも負けない根っ子をつくることが成功の秘訣です。
どんな分野であれ、最善を尽して、誰にも負けないぞ、といえるくらいの精進努力が明日の未来を確実に開きます。
命懸けの努力が未来を切り開きます。
願えば夢は叶います。
願い続ければ夢は叶うのです。
どこまでも、最期まで願い続けることが一番大事です。
途中で諦めたり、中途半端で投げ出すから駄目になるのです。
そして命懸けの努力が夢の実現を後押しします。
根のない人間になってはいけません。








by toukokira-kira | 2017-06-26 21:30 | Trackback | Comments(0)

不撓不屈の同心協力

今日は北海道の開拓時代の古い話しをします。
私の住む北海道は、屯田兵という開拓者によって何もないゼロからのスタートで開墾され、開拓されました。
鬱蒼と生い茂る原始林の原野を切り開き、血の滲むような血と涙と汗と努力の結晶によって今日の北海道の発展があります。
開拓者には不撓不屈の「開拓者魂」とともに、「同心協力」という言葉があります。
今はあまり使われなくなりましたが、同心協力、不撓不屈が開拓精神の根本です。
「同心協力」とは、みんなが同じ心で、協力し合うことです。
極度の厳しい環境の中では、みんなが力を一つに合わせて生き延びるしか方法がなく、開拓者はみな運命共同体であったのです。
開拓の時代は、そういう深い、強い人間関係の絆で結ばれていました。
そして、何事にも負けない、挫けない、敢闘精神の心が、北海道の開拓を成功させました。
本州とは違い、厳冬期はマイナス30度をこえる極寒の地では失敗の連続でした。
過酷な環境の中では、一人では何も出来ません。
しかし、同心協力で、10人が力を合わせると、一家の力が生まれます。
一家の力はやがて十家の力となり、百家の力にもなります。
同じ心の者が何人か集まり、力を合わせると、やがて、想像もつかないような大きな力となるということです。
「同心協力、不撓不屈」。
現代では、失われた過去の言葉ですが、よい言葉ですね。
この北の大地が、鬱蒼とした原始林に覆われていて、道もなく、住む家もない開拓の厳しい辛い時代には、何事もゼロからのスタートでした。
失敗と試行錯誤の毎日で、不平不満を言っている余裕などない大変な時代でした。寒い北海道では米が育たず、草を食べ,蛙や蜥蜴を食べて飢えを凌いだそうです。
米ひとつをとっても、品種改良の辛抱強い闘いの歴史でした。
何万回、何十万回という失敗を重ねて、寒さに強い米を品種改良しました。
ゼロからの生き残りの大戦争が開拓の仕事でした。
そういう中では、みんなが心を同じくして、力を合わせないと、生き残っていけません。
そして、失敗という言葉もありませんでした。
ただうまくいかなかっただけであり、失敗という概念はありません。
うまくいってもいかなくても、すべてが前進するための要素ということでした。
現代に生きる私達もこのことを学ぶべきでしょう。
失敗は成功の1要素ということです。
成功するために必要な失敗は、それを失敗とはいいません。
ただうまくいかなかっただけのことです。
こういう捉え方をもつことも大切なことだと思います。
まあそういうわけで、「同心協力」「不撓不屈」とは、開拓時代の先人たちのそういう生き様を表した言葉です。
個人の自由と個性を尊重する現代では、不撓不屈の同心協力という言葉は死語となりましたが、こういう時代だからこそ大切にしたい視点だと思います。








by toukokira-kira | 2017-06-26 11:00 | Trackback | Comments(0)

小林麻央さん逝く

小林麻央さんが昨晩、2年8か月の闘病生活の末に、家族に見守られて息を引き取ったそうです。
治ると信じて、前向きな闘病生活を送っていただけに、誠に残念でなりません。心から哀悼の意を表したいと存じます。
臨終を迎える最期の一言、夫の海老蔵さんに「愛してる」と言ってこの世を旅立たれたそうです。
麻央が最期に「愛してる」と言ったんです。本当にそう言ったんです。
そういって会見で涙をぬぐう海老蔵さんと真央さんは死の直前まで深い愛に貫かれていたようでした。テレビの会見を見ていて、素敵な夫婦だったんだなあと心底思いました。
麻央さんは海老蔵さんと結婚するときに、「役者市川海老蔵の人生のパートナーとして支えていけるチャンスを神様が私に与えてくれた」と言って、海老蔵さんを日夜陰から支えてきたそうです。
そんなけなげな女性が、いまどきどこにいるでしょうか。
海老蔵さんはすばらしい伴侶を得て幸せだったと思います。
この麻央さんのひたむきな愛によって海老蔵さんは人間的に大きく変わりました。
そう海老蔵さん本人がいっておられました。
その麻央さんを失った海老蔵さんの深い悲しみは計り知れません。
乳癌のうち3%が20代、30代の若い女性が罹る若年性の乳ガンだそうで、この若年性の乳癌というのは大半が悪性のたちの悪いガンだそうです。
乳癌の9割は術後もよく、生還するのですが、全体の1割に当たる悪性の乳癌の場合は術後も悪く、あちこちに転移して手の施しようのないものだそうです。
小林麻央さんの場合もこの悪性の乳癌であり、余命半年という重篤なものでした。
昨年の夏を乗り越えることが難しいものでした。
専門の医師によると、今夏まで生きてこられたことは大変ながんばりと奇跡だそうです。
高齢者の二人に一人が癌に罹るという時代でありますが、若い人の癌も多いのです。毎年、2万人の若者が癌との闘病のすえに旅立っているという現実があります。
前向きに、ひたむきにガンと闘ってきた小林麻央さんですから、多くの人達に共感を呼び起こし、勇気を与えてきたものと思います。
そして何よりも、家族の愛、絆の深さ、大切さというものを改めて全国の人々に教えてくれたものと思います。
前向きで、愛を信じ、苦難の中にも苦しみ、悲しみを乗りこえて、笑顔とともに勇気をあふれる人生を貫かれた麻央さんです。
こういう人こそ、本当の意味で「美しい人」というのだと思います。
愛に満ちた麻央さんのご冥福を心からお祈りいたします。
どうぞ安らかにお眠りください。

by toukokira-kira | 2017-06-24 08:34 | Trackback | Comments(0)

不安と恐怖の心こそが

私は、天から授かった大自然の力や宇宙の力である生命波動、調和の波動エネルギーを使って、人々の整体治療を行っていますが、宇宙の力、大自然力をもってしても、治すのが容易ではない時があります。
大自然のバイブレーション波動を注入しようとしても、相手のチャクラである龍泉が固く閉じていると、大宇宙のエネルギー波動を注入できないことがあるのです。
強烈なストレスやトラウマ、煩悩などがあると、その人のチャクラは分厚い幽体に覆われてしまい、固く閉ざされてしまいます。
相手の心に拒絶する心や不安、恐怖というものがあると、生命体のバリアー機能である
チャクラが自動的に閉じてしまい、生命エネルギーを与えることができません。
生体にとっても生命エネルギーの循環が中断し途絶えることになりますので、心身ともに調和を失い、乱れてきます。
こういう人は、生命波動を外部から取り入れることができないことから、心身の復旧が難しくなるということです。
こうした場合には、「玄部道流」の秘術により、閉じている龍泉を開き、活性化させてから、宇宙エネルギーである生命エネルギーを百会から注入します。
玄部道流とは、頭頂の百会のチャクラを活性化させて開き、生命エネルギーを注入する秘術のことを言います。
不安や恐れ、恐怖や怒り、苦しみや悲しみの念があると、心身の復旧が大変難しくなるということです。
ストレス調和法によって、まずは、ストレスやトラウマ、恐怖の念を消滅調和させてから、太極療法を行うということが必要になります。
ストレスやトラウマ、恐怖の念というものは、元気健康のもとである生命エネルギーの循環を遮断しますので、心身が乱れ、歪み、壊れていきます。

by toukokira-kira | 2017-06-23 18:09 | Trackback | Comments(0)

富は心に築け

富は心に築け、という言葉があります。
財産、財宝を築くと、誰もが欲得に目を奪われて心を失います。
富は心に築くものです。
心を豊かにして過ごすためには、気づきの力が大切です。
気づきの力によって人生が決まります。
気になることがあっても、気づきの力の弱い人は、そのまま放置してしまいます。この気になるということこそが、神霊界のメッセージなのですから、放置してはならないのです。
気になった時には、自分の言動をすぐに振り返って、思い起こし、内省、反省することが大切です。
内省、反省すると、悪い波動が消滅していきます。
内省の力は、悪因縁を消滅させる力があります。
ストレスもトラウマも、霊邪気や生霊の波動も、内省、反省により悔い改めると、昇華して、消滅していきます。
すべての事には原因があり、その果実が結果です。
原因があって結果があります。
この原因・結果の法則のことを因果の法則といい、宇宙の法則のひとつです。
人に憎まれたり、恨まれたり、妬まれたりするのは、自分にも原因があるのです。原因が残っている限りは、心の法則により、悪い波動は消滅しないのです。
消滅しないで、心身を苦しめ、蝕むのです。
ですから、思い起こして、内省し、悔い改め、すべてを認めることです。
すべてを認めて、認識すると、問題は解決に向かいます。
問題と向き合わないで、内省も反省もしないでいると、いつまでもトラウマやストレス、生霊などの霊波動が離れず、苦しむことになります。
すべてを認めると、新しい世界が拓けてきます。
内省、反省のない人の邪気を祓おうとしても、全部は祓い切れません。
原因が残っているために、反省、内省が生まれるまでは、悪い波動などは憑いて離れません。
これは心の法則であり、宇宙の法則です。
原因・結果の法則はこのように出来ています。
気になることがあったならば、顧みることが大切です。
不安や恐怖があると、心身が復旧せず、内省、反省がないと悪い波動は除去できずに残り、宗教などに囚われて依存心が強くなると、もう心を助け、救うことはできません。そうならないように気をつけましょう。
by toukokira-kira | 2017-06-22 21:05 | Trackback | Comments(0)

一瞬に生きる

前回、「今を生きる」というテーマで記事を綴りました。
今回はその続編で「一瞬に生きる」です。
一瞬に生きるとは、奥深い言葉である。
自分が、一瞬、一瞬をいかに充実して深く刻んでいけるのか、その総和が、価値ある人生を送れるか,送れないかの分岐点です。
人生は長ければよいというものではありません。
いかに一瞬、一瞬を深く、深く生きたかということで人生の価値が決まると思います。
偉人や聖人は、短命で終わる人も多いのです。生きた時間は短いけれど、その短い人生で生み出した足跡は、尋常ではありません。
ただならぬものがあります。
凡人が400年、500年生きても追いつかないほどの偉大な業績を残しています。
短い人生の中で、永遠不滅の足跡を残していったのが偉人、聖人たちです。
凡人がどれほど長く生きながらえても、到底、及びません。
20年、30年の短い人生で、偉大な足跡を残した人物はたくさんいるのです。
人生の価値は、長さではなく、深さです。
一瞬、一瞬の深さが問われるのです。
世界中で、人生の座右の書として、或いは人生の羅針盤として推奨されているのが、ローマ時代の思想家セネカの名著の数々である。
人類最強の思想家がセネカかも知れません。
「人生は決して短くない。短くしているのは、自分自身である」
これはセネカの名言です。
人間というものは、何事もないときには、永遠に生きているかのように、時間を過ごすものです。
病気になったり、死が差し迫っていたりすると、自分の人生はなぜこんなに短いのかと嘆くのです。
それが人間です。永遠と思っていた命に限るがあると思うようになると、慌てるのです。
死にたくないと、神様を恨むようになるのです。
そして、与えられた人生の時間を浪費してきたことを悔やむようになるのです。
そして、生の終わりを意識したとき、人間は初めて、一瞬、一瞬に生きる大切さを認識するようになります。
その時にようやく、わが命、今、此処に、こうしてあることに感謝するようになれるのです。
永遠に生きられると思うから、瞬間に対する意識、思いは生まれないのです。
人生には終わりがある。
一寸先は闇である。明日のことなど、誰にも判らない。
そう思えば、今、この時、この一瞬が大切であり、それがすべてであると思えるようになるのである。
人生を短くしているのは、自分自身ということであり、一瞬、一瞬を悔いのないように深く生きたならば、人生の長さは問題でないということです。
そんな充実した人生を送りたいものですね。

by toukokira-kira | 2017-06-22 20:46 | Trackback | Comments(0)