ありのままの自分とは

人は仮面を剥がせば、誰しも、不合理で、分からず屋で、我が儘な存在です。それが人間というものです。肉体を持ってしまった人間はやっかいな存在です。自分がかわいいから、あらゆるものに執着し、囚われ、引き摺られ、物欲に突き動かされます。仕方ないのです。お金や影響力が幅を利かすこの世界で、そうでない世界もあるということを知るべきです。それが本当の世界なのですから。宇宙の法則や神の法則を知って、ありのままの自分に立ち返ることが大切です。ありのままの自分とは、本当の自分ということです。真実の心ということです。言い換えると、正直で素直な有り様に立ち戻るということです。さらに言い換えると、嫌な自分をすべて捨て去るということです。人間は、お金のある所に心が向うのです。影響力のある所に心が向うのです。それを物質的な心といいます。ですからお金持ちや、地位、名誉、名声のあるところに心は向うのです。人は一見、弱者をひいきにはしますが、実態は、勝者側にしかついていません。人間は自分が一番かわいいから、自分に一番都合のよいところに心は向います。そういうものです。そういう利欲にもとずく物質的な心を離れ、真実の心に立ち返ることを、あるがままの自分といいます。こうした素直で正直な美しい心の有り様は、あなたを無防備にするかもしれませんが、それでもなお素直で正直なあなたでいるということが、ありのままの自分ということです。人の為、世のために最善をつくしても、その見返りにひどい目に逢うかも知れません。それでもなお社会のために誠を尽くすこと、それがありのままの自分ということです。一切の見返りも、代償も求めない思いやりの心が、ありのままの自分ということです。人と人とを隔てている心の壁が取り払われた状態を愛といいますが、それがありのままの自分ということです。もしあなたが成功すれば、嘘の友達と、本物の敵をつくることになりますが、それでもなお社会に役立つような成功を目指していくことが、ありのままの自分ということです。利欲で動くのではなく、真実の心の声に従って、生きていくこと、それがありのままの自分ということです。魂の修行には最適の心模様です。ありのままの自分になれると、神の波動と調和します。人生、運命は神から祝福されたものとなります。天照主大日大神 合掌
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by toukokira-kira | 2014-08-31 21:15 | Trackback | Comments(0)

世の中、大きく変わってきています。大転換の時代の到来です。社会のしくみが大きく変化しています。原因は、少子高齢化です。代々木ゼミという巨大な予備校組織が、全国29箇所ある予備校のうち22校を廃止すると発表しました。世の中が変わってきたのです。子供が少なくなって、大学の数が多いので、大学はどこも定員割れの状態なのです。選り好みをしなければ、全員が現役で大学に入れるのです。浪人して大学に入るという風潮もなくなっているようです。大学進学率は54%です。大学卒業後の就職率は96%です。悪くありません。進学希望者は30万人です。そのうち8万人が浪人生です。昔は3人に2人は浪人生でした。現役で大学に入れる人は少なかったのです。今は進学希望者の7人に一人が浪人生ですから、予備校は大変なのです。昔は40~50万人の浪人生が普通でした。格差社会といわれて久しいのですが、中国や韓国の若者に比べると、まだ日本の若者は恵まれています。韓国では相当厳しい競争社会です。大学進学率は90%以上ですが、卒業しても就職先がありません。就職率は50%ぐらいです。とても低いのですが、50%の就職者のうち70%は非正規です。月収も8万円程度と低く、夜遅くまで働きます。若者の格差社会が進行していますので、ニートも100万人を超えています。年金システムも弱く、年金は月9400円で、絶望して自殺する高齢者数は日本の5倍です。こうした韓国の格差社会の状態を追いかけて進行しているのが、日本です。格差が広がると、治安も悪くなります。格差社会の指標にジニ係数というのがあります。韓国のジニ係数は0,53です。暴動が起きても不思議ではないレベルです。暴行は日本の3倍、強盗は2倍、殺人は5倍,性犯罪は40倍です。格差社会が広がる日本もこうした状況に、社会が変化していくことが想定されます。今、日本の人口は1億3000万人ですが、30~40年後には、7千万人~8千万人に激減です。7割の自治体が人口減、財政難で消滅するとという想定もあります。出生率も1,29と低いのです。理由は、子供を生める年齢の女性の60%が未婚だからです。未婚女性が多いのです。経済的な理由が大きいようです。この未婚女性の6割が結婚すると、出生率は1,60となり、人口減少がストップするということです。格差社会と少子高齢化の動向は、これからの若者にとって必須のものだと想います。






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by toukokira-kira | 2014-08-31 10:38 | Trackback | Comments(0)

信頼の絆

心の道、人の道、正しき因果律の道を歩めるようになってはじめて、他者に対する真の癒し、治療、修法が可能となってきます。心の道とは、真実の心のことで、慈愛の心のことです。人の道とは、誠の人の有り様のことです。真実の心、人間の有り様、慈愛の心をもって、その者を救いたい。助けたい、治したい、という想いがなければ、救うことはできません。慈愛とは、無償の愛であり、対価を求めない心のことです。救いたい、助けたい、という純粋な心であり、想いなのです。利欲、利得で突き動かされるようなものではありません。これは神の法則です。治療やお祓い、お清めを受ける人も、修法者を絶対的に信頼しなければなりません。心を空っぽにして、明け渡す必要があります。心のすべてをお願いします、お預けします、という心です。大丈夫かしら、とか、良くなるのかしら、とか、疑念をもつと、奇跡など起こりようもありません。神の修法は、信頼の法則と、慈愛の法則で動くのです。心の作用が大きいということです。信頼関係で結ばれている人、絆で結ばれている人は、無限の力が無限に働いて、しばしば奇跡のようなことが生じるということです。絆や信頼関係は一朝一夕には構築できるものではありませんから、神の法を執り行うには、縁や絆を大切にしゃなければならないのです。私が、信頼の絆で結ばれていない人の治療や修法を、基本的には行わない理由がここにあります。
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by toukokira-kira | 2014-08-30 11:23 | Trackback | Comments(0)

三つ子の魂百まで

「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」これは江戸時代の子育て教育方針です。三つ子の魂百までの喩えのとおり、三つまでに心の基本を育てなければなりません。生まれたばかりの赤ちゃんには心というものはまだありません。父母からの魂である生存本能だけで生きています。半年ほどすると、風の魂である奇魂が他の3魂に引き寄せられ肉体に入ります。荒魂,和魂、幸魂,奇魂の四魂がここで揃い、四魂誕生と同時に意識、心が赤ちゃんの中に生まれます。この頃からクスッと笑ったり、反応したりします。四魂が揃って、心というものが生まれたからです。そして赤ちゃんの心は透明で無垢で、清らかなままです。汚れも穢れもありません。何の色もついておりません。神の心に近いのが赤ちゃんの心です。なれど、これから人間として生きていくために必要な基本的な心を3年間かけて育てなければなりません。それが「三つ心」ということです。人間は神の光から分かれて生まれました。ですから神の光と同じ性質をもっています。神の光の本質は愛です。愛は信頼に向う心です。愛と信頼の心こそが神の心であり、神が人間に与えられた心です。心の豊かさとは、愛と信頼の心です。心の感性は、愛と信頼の心から磨かれます。赤ちゃんに必要な心の豊かさ、心の感性とは、愛と信頼の心なのです。三つまでは、可能な限り、愛情を注ぎこみましょう。愛のある言葉をかけて、愛の心で包み込みましょう。赤ちゃんにとって愛は、植物にとっての水であり、栄養であり、信頼を育む大本となるものです。信頼の心は、人間として歩むための大切な心です。心の枝葉を豊かな心と、感性豊かな心で広げてあげてください。愛が十分に注がれ、両親への信頼が培われた赤ちゃんの心は、成長するにつれ、豊かな心を表現するようになることでしょう。良い行いは、豊かな心から生まれます。感性の豊かさは、人間としての心配り、気遣いの基本となるものです。心を教える前に、躾をしてはいけないのです。まずは、人間としての大切な心を育むことです。そして、それから躾です。「六つ躾」とは、6歳までに躾をしなさいということです。躾とはトレーニングのことで、日常生活のマナーや挨拶などを教えて、実践させることです。「ありがとう」「こんにちは」「ごめんなさい」「ただいま」「席を譲ること」「お礼をいうこと」などです。「九つ言葉」というのは、9歳までにお世辞がいえるようにするということです。現代のお世辞とは意味が違って、世辞とは、「お体は大丈夫ですか」と相手を思いやる言葉をかけられるようになるということです。相手への気遣いができてはじめて、良く出来た子だと認められました。気遣い、心配りは、人間が生きていくうえで必須のものだからです。自己中心的な人には到底出来ない心の使い方です。『十二文」というのは、12歳までに文章が書けるようにしなさいということです。昔の人は、12歳ともなれば、小さな大人として扱われたからです。9歳で丁稚奉公に出されるのが常でしたから、12歳はもう子供ではありません。挨拶状、お礼状。お詫び状ぐらいは書けるように仕込まれたのです。『十五理で末決まる」とは、15歳までに世の中の理、森羅万象を理解させなさい、ということです。昔は15歳げ元服、もう一人前の大人でした。15歳にもなれば、もう独り立ちです。あとは親の責任ではなく、子供自身の責任です。魂の成長の観点からも、人間は15歳でもう立派な大人です。多少経験面では足りませんが、心は大人です。大人として何でもできるし、何でも判断できます。人間はこうして生まれてから、順次成長を遂げ、大人になっていきます。どういう大人になっていくかは、育ててくれる両親と環境に大きく影響を受けます。そうした育成環境は、自分のもって生まれた因縁に左右されます。よい両親、よい環境のもとに生まれてくるには、良い因縁が必要ですが、自分では選べません。自分の魂の波動因縁に従って、同じ波動の両親の魂に引き寄せられて、新たな生を受けるからです。自分の魂に見合った両親、環境が与えられるのですから、文句は言えないのです。生まれてまもなく、生きることすら困難と思えるような悲惨な生存環境に落ちる魂もあれば、心豊かな、感性あふれる恵まれた生存環境に生まれ落ちる魂もあります。魂の歩んできた道のりが、光と闇に道を分かつのです。カルマが解消され、完成形の近い魂と、不完全さが極まる魂とでは、現世での生存環境に雲泥の差があるのは当然です。大勢の人々を殺害し、苦しめてきた過去世をもつ魂と、人々の救済のために命を捧げ尽くしてきた人の魂とでは、その清算すべきカルマに雲泥の差があります。同じ生存環境に生まれてくるということは絶対にありません。自分の今、現在の境遇、生存環境を見れば、大体のことは解るのです。平凡であっても、幸せに暮らせるならば、感謝なのです。生まれてすぐに、生きていけないような生存環境にある魂も何億とあるのですから。命があるということが、ありがたいことなのです。私は、いつも神に向って「我が命、今、ここに、こうしてあることに感謝します」と唱え、命あることに感謝しています。子供は、親の躾と教育しだいです。親の人格と人間力が子供に反映していきます。親を見れば、大体のことが判るのです。けなされて育つと、人をけなすような人間になります。とげとげとした環境で育つと、人間が乱暴になります。不安と恐れの中で子供を育てると、子供も不安と恐れを抱くようになります。かわいそうな子と思って育てると、みじめな子になります。子供を馬鹿にすると、引っ込み思案な人間になります。親が人を羨み、妬んでいると、子もそういう子になります。叱りつけてばかりいると、自分は悪い子と思い込んでしまいます。励ましてやると、子は自信をもつようになります。褒めて育てると、明るい子に成長します。愛してあげれば、人を愛するようになります。認めてあげれば、子供は自分が好きになります。見つめてあげるだけで、頑張り屋になります。分かち合うことを教えると、思いやりの心が育ちます。親が正直であれば、子も正直です。子供に公平であれば、正義感が育ちます。守ってあげると、子供は強い子に育ちます。子供がどんな人間に育っていくかは、親の人間としての有り様、家庭環境と躾と教育しだいです。今述べてきたことは、子供ばかりではなく、大人にも当てはまる指針です。ありのままの自分を振り返って、見つめ直し、反芻自戒することから、運命が変わってきます。


























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by toukokira-kira | 2014-08-29 14:04 | Trackback | Comments(0)

四端の心

四端の心は、わが流儀、五心朝天法の根本心です。心の霊的階層を高めるためには必須の心です。陰陽師の法を使うには、正義の波動の放出が不可欠ですから、四端の心を目指します。中国の孟子が唱えた教えです。もともとは、仙術を使う仙人の心の有り様を説いたものです。人間は、正しい因果律を悟って、正義の心で、楽しく、仲良く人生を送るのが理想です。四端の心をもって生きると、正しく生きることができます。四端の心の実践は、仁義礼智信、勇謙の実践です。勇謙とは、勇気と謙虚という意味です。四端の心とは、惻隠の心、是非の心、羞悪の心、謙譲の心の4つです。惻隠の情とは、他者の苦境を見過ごしにできない心のことです。是非の心とは善悪を見極める心のことです。羞悪の心とは、恥ずべき心のことです。謙譲、辞譲の心とは、良き事は人に譲り薦め、悪しきことは自分が引き受けるという謙虚な心のことです。この4つの心は仁義礼智信、勇謙の実践です。仁は憂えず、義は正しく、礼は規律ある生活、智は惑わず、信は疑わず、勇は恐れず、謙は謙譲です。仁の「憂えず」とは、双眼の色変わらざるは憂なきに似たり、の憂いです。この憂いには、他者の逆境を見過ごしにしないという意があります。他者の苦難、困難を見て、知らぬふりするような心ではありません。自分の命を捨ててでも、他者の苦境を救おうとする心です。「義の正しく」は、正義心のことです。正しい因果律を悟って、正義心をもって行動できるということです。正義心とは、万人の誰もが認める行為を正義といい、自分の喜びが他者の喜びにつながるような心を正義心といいます。他者のことを考えずに、自分本位に欲する心のことを罪悪心といいます。身勝手で利己的な心は、罪悪なのですよ。「礼」とは、規律ある生活態度のことですが、所作、態度、心配り、心遣いのことです。美しい言葉や所作、態度、心遣いには、心の美しさがあります。「智」の惑わずは、宇宙の知恵、宇宙の真理、自然界の摂理を悟るということです。「信」の疑わずは、自分を信じ、他者を信じ、宇宙を信じて疑わないということです。努力を尽くすことを誠といい、誠を尽くすことを信と言います。人と交わる道は、信と仁(情愛)にあります。人の世界では、信なくば立たず、です。信を一端失くすと、誰からも相手にされません。「勇」の畏れずとは、物事に動じない胆力を備えていることです。最後の「謙」は、謙譲の心のことです。これは生きていく上で、大切な心構えです。この「謙」が重要です。世の中を渡るには謙と予の二つが大切だからです。謙とは謙譲、予とは準備ということ。謙譲とは、利益を人に譲って、害を自分が引き受けるのが「譲」であり、よい事は人に推し、悪いことは自分がとるのが「謙」である。要は謙虚な心ということです。世間の中で、過失を免れる方法は謙譲にあります。謙譲とは、達人の心です。上から目線の驕り高ぶった心のことではありません。劣等感も優越感も超越した心です。相手の言葉、顔色で意味を深く洞察し、智慧深く、用意周到であるがゆえに、他者に対して謙るのである。「謙」の形を極める者は、人生の達人である。真の勇者は、臆病者のようであり、真の知恵者は、愚者のようであり、真の巧者は、下手のように見えるのです。権威,権勢を示すことはなく、どこまでも謙虚なのです。私のブログは非公開記事も含めて1000編ほど収録されていますが、実は、この1編の記事「四端の心」を理解し、真に悟ることができれば、あとの記事は不要なほど重要なものなのですよ。







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by toukokira-kira | 2014-08-29 11:08 | Trackback | Comments(0)

悔い改めるとは

神は悔い改めるものに救いを与え、信じる者だけに希望を与えるというのがキリスト世界の神です。キリスト世界の神は唯一絶対の神で、万物をその意志と命令によって創造する神である。人間も神の命令によってつくられた。「人であれ」と命令すると、無から人が作られたのである。神が「○○であれ」と命令すると、山も川も、海も、植物も、動物もみんあ創造されるです。神道の神は、自分の光を分け与えて人間を生み出しましたので、神も人間も同質の性質をもった存在なのですが、キリストの神は、自分の身体の一部を分け与えて人間をつくったわけではありません。神と人間は、同質のものではありません。神と人間の立場は歴然としており、厳格な隔たりがあります。神は人間を裁き、罪と罰を与える絶対的な存在です。この世界を支配し、管理する絶対者です。そういうキリスト教なのですが、矛盾もたくさんあります。その救いは、どのような罪悪を行った者でも、教会あるいは聖職者に懺悔すれば、罪穢れは清められ、救われるというのです。悔い改めということを、宗教の都合のよいように教えているのです。牧師さんに懺悔しても、そんなことでは因果律は消えません。自分の行った行為の対価は、教会に行って懺悔すれば清算できると想っているようですが、そんな簡単なことではありません。信者獲得のため、布教のためなのでしょう、本来、賢者たちのいう悔い改めるということは、神の道あゆみし者になるということです。懺悔して、告白すれば、それでよいというものではありません。因果の流れを変える唯一の道が悔い改めるということです。厳しい修行の道を歩むことなくして、悔い改めなど存在しません。教会、聖職者に罪を告発すれば、今までの罪は帳消しにされる、というようなものが懺悔ではありません。仏教でも、お題目を唱えさえすれば、極楽往生できると教えていますが、どうでしょうか。お題目とはお経のタイトルです。お経のタイトルを唱えると、お経の全部を唱えたことになるそうですが、意味不明です。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経と経典のタイトルを唱えるだけで、無上無比の功徳があり、極楽往生できるということですが、意味不明で、本筋を逸脱しています。キリスト教徒で、経典に相当する聖書のタイトルを、「聖書、聖書、聖書・・」と唱える人は誰もおりません。「聖書」と唱えても、何の功徳も救いもありません。イスラム教徒ではコーランが聖書に相当しますが、聖典の題名を「コーラン、コーラン、コーラン」と唱える人は一人もおりません。反省、内省を真剣にして、心に改めて誓うと、その反芻自戒の念波動がその人を包みます。脳内からはストレスホルモンが消滅します。運気も上昇していきます。心の有り様が問題なのです。心から悔いて、他者に謝罪すると、互いの脳波動からストレスホルモンが一瞬で消滅します。元気健康を保てるということです。ありがとう、ごめんね、愛しています、という言葉が人生を豊かなものにしてくれるということです。












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by toukokira-kira | 2014-08-27 12:53 | Trackback | Comments(0)

4000億の波動情報

この世界に顕れる現象世界は、無限です。あなたの目前の空間に広がっている事象の情報は膨大です。眼の前の情景は勿論のこと、1秒間に4000億ビットの情報が眼前の空間に生じています。森羅万象のごとく無限の変化を生じさせています。1秒間に4000億もの情報が飛び交い、生成され、消滅し、生々流転を繰り返しているのです。分子から原子,陽子などの素粒子の無限の変化や、まだ未知の素粒子の運動や、無限の変化を遂げる波動群が生成流転しているのです。見えないだけです。認識できないだけです。実際は目前の空間にそうした情報が飛び交っているのです。認識できないものは、存在しないと同じことです。人間には認識できないことが沢山あるのです。霊的波動も、神の波動も、災害事故などの事象波動も、天変地異などの波動もそこに実は存在しています。見えないだけです。認識できないだけです。東北を襲った大震災の直前には、深い海を泳ぐイカの群れが、突如としてイカの大群が海上に逃げるようにして顕れたそうです。大震災の波動を感じ取ったからなのでしょう。火山爆発前には、その波動を察知したねずみの大群が動きます。土砂崩れのときには、ゴーゴーという波動が何時間も前から感じられるといいます。この世界のすべてのもの、すべての事象には波動があり、波動情報として存在しているということです。人間の潜在意識は、そうした情報と向き合って、フル回転しているのです。1秒間に4000億ビットもの情報と向き合い、選別しているのです。生命を維持していくための情報を選び取って、表層意識に流しこんでいるのです。潜在意識は、魂の記憶、因縁そのものですから、因縁にしたがって、必要な情報を選別して脳に送っているのです。本当は、無限数の情報が眼前にあるのですが、殆どすべてが捨てられていき、因縁情報だけが選び取られて、顕れます。神の波動も目の前に存在しているのですが、波動の低い者には、見ることも、認識することもできません。この記事で何を言いたいかというと、魂の記憶、因縁の記憶、命の記憶にない情報は、無視されるということです。潜在意識は、魂の記憶に附合しない情報は選び取らないということです。言い換えると、私達の思考、感情、理性、行動は、魂の記憶に基づいているということです。魂の記憶にないものは、思考されないということです。シンプルに言うと、過去世の記憶の繰り返しということです。人間の思考は、過去の繰り返しであり、昨日の繰り返しが今日の思考です。新しい思考など一つもありません。過去の思考習性に縛られているのが人間です。これが因縁と呼ぶものです。因縁が邪魔するとは、こうしたことをいいます。物事をどう認識し、どう理解するか。事象の捉え方、思考習性は、魂の記憶に基づくということです。魂の記憶とは因縁ですから、因縁に基づいて、人間は思考し、行動し、感情を表すということです。魂の記憶にないことは、選択しないのです。魂の記憶にそった思考、行動しか選択しないということです。この因縁があるから人生は難しいのです。望んでも、思うようにはいきません。因縁が邪魔するのです。魂の記憶=潜在意識ですから、潜在意識が邪魔するといってもよいでしょう。この潜在意識に大変革を起させない限りは、人生、運命は変わらないのです。潜在意識の法則は、宇宙の法則であり、潜在意識を知ることにより、人間には無限の可能性が開けているという法則です。一方で、運命、因縁の法則があり、因縁に縛られているという現実があるのです。これらの宇宙法則を理解することを、因果律を悟るといいます。正しき因果律を悟ることが、人生、運命転換の秘訣です。







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by toukokira-kira | 2014-08-27 10:41 | Trackback | Comments(0)

赦すということ

南アフリカの指導者、ネルソンマンデラ前大統領が昨年秋に亡くなられた。45歳で投獄され、27年間の獄中生活の果てに、70歳を超えてから大統領にナリ、アパルトヘイトの人種差別と闘い、ノーベル平和賞を受賞した方である。人は自由を奪われ、抑圧されると、憎しみが沸き上がり、怒り心頭で爆発するものだが、マンデラ氏は憎しみや怒り、恨みを愛の心に変えて改革を行ってきた人である。寛容の神様が宿った、赦しがテーマの人であった。憎い相手を恨まず、無条件で赦した。「赦す」ということで、人間の本当の強さというものを教えてくれた。憎悪、恨み、怨念、怒りの対象である相手を無条件に赦し、対話を進め、改革を勝ち取ったのである。歯には歯、目には目は、イスラムの復讐法であるが、彼の場合は、常に平和に向かう心であった。心の捉え方一つで、世界が変わることを証明しました。偉大な人であったと思います。人の人生にとって、感謝の心とともに、赦しの心が何よりも大切です。赦しの心は、人間の本当の強さを顕しています。本当に強い人間でないと、人を赦すことなどできないのです。赦しの心は、神が一番喜ぶ心です。根底に愛と感謝の心が貫かれているからです。赦しの心をもった瞬間に、運命、人生が変わることが多いのです。寛容の心には、寛容の神様が宿るのです。合掌
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by toukokira-kira | 2014-08-26 10:32 | Trackback | Comments(0)

努力の輝き

強いものはいらない、しなやかな折れない心でありたい。そして真に鍛えたものだけが、最後に残ります。頼るべきは人の努力です。私は、努力という言葉が一番好きな言葉です。努力する心には輝きがあります。今、輝いていないものに、明日の未来、明日の輝きなど、あるはずもない。「今が輝いている」とは、一生懸命に努力することの素晴らしさを知るものの輝きです。まだ成功していなくても、貧しく不遇であっても、どんなに逆境にあっても、一生懸命にやる事の素晴らしさを知る者には、何かしら輝きがある。明るく希望をもって、一生懸命やる事の素晴らしさ、それは、人間の今と、命を輝かせてくれる宝物だと思います。私は、小樽に住む若い音楽家夫婦にそうした波動を感じ、尊敬の念をもっていましたが・・・。人のひたむきな努力に神の祝福あれです。合掌
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by toukokira-kira | 2014-08-26 10:20 | Trackback | Comments(0)

心の想いが現実をつくる

「この世界には、科学や物理学の法則では理解できない不思議な現象が数多くあります」と云ったのはかの有名なシェークスピアです。科学では到底理解の及ばない精神世界の存在を感じていたのだと思います。「科学の研究に情熱を傾けた者なら誰でも、宇宙の法則の中に、大いなる意識を確信するようになる。人間の魂、意識よりもはるかに高い次元ある意識体だ」これなドイツの理論物理学者のアインシュタインの言葉です。両者ともに、この世界への正しい認識を示した言葉だと思います。この宇宙空間に偏満する波動エネルギーというものは、科学では検地できない波動です。物理学の法則を超越したエネルギーです。宇宙の波動エネルギーと、地球の大地の波動エネルギーとが融合して、現実世界に影響を与えています。否、現実世界を動かしているといったほうが正確です。この世界には、人生に大きな影響を与え、かつ、人間の営みに無限の力を与えてくれる波動エネルギーというものが存在しています。いわば宇宙の無限の力です。宇宙の力は、宇宙の法則が顕現したものです。神の法則が宇宙の法です。宇宙の法則を知って、理解を深めて、宇宙の力を引き寄せることができたならば、凄く素敵なことです。宇宙のエネルギーは、どのようにしたら使いこなせるのでしょうか。まずは、宇宙の法則を知ることだと思います。宇宙の法則は深遠で、果てしなく広く、一言では説明できませんが、あえて申し上げると、波動共鳴の法則です。波動の法則は、神の法則といってもよいものです。どんな法則なのかというと、少しずつ綴っていくのですが、まず、簡単にわかりやすく説明しておきましょう。人間は生きている限りは、常に何かを考えています。心の中にいろんなことを思い浮かべて過ごしています。人は思考する生き物です。思考は、波動エネルギーです。思考と感情は連動しています。思考や感情を積み重ねると、エネルギーが蓄えられていきます。思考を強めて、繰り返していると、心の中にあるハイヤーセルフの中心核に、波動エネルギーの大きな塊ができてきます。思考エネルギーの塊です。思考にもとづく想念の塊です。この想念の塊がやがて現実世界にエネルギーとして放出されると、現実世界に影響が現れます。自分の思っていたことが、思っていたとおりに実現する、という現実が顕れるということです。人生を思い通りにする力と言ってもよいでしょう。人間の思いや思考は、いつでも現実世界に影響を与えているのです。これは普遍の法則です。リンゴが木から落ちる、というニュートンの万有引力の法則と同じように、必ず、いつでも生じている法則です。この波動エネルギーを手に入れるために、神に祈りを捧げる人や、神に背中を押してもらえるように一生懸命に努力して頑張っている人がいます。呪文を唱えたり、経文を唱えたり、瞑想や呼吸法を行ったり、いろんなことを試みていますが、みんな試行錯誤、暗中模索のようです。心のエネルギーが現実世界を動かしているのですが、心の力の凄さをみんな知らないのです。心の中の思いや感情が、現実をつくっているのです。自分に顕れてきた現実は、実は自分自身がつくりだした現実ということです。自分が引き寄せてきた現実ということです。自分の周りに起きている現実は、自分が望んで引き寄せてきたものです。







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by toukokira-kira | 2014-08-26 10:04 | Trackback | Comments(0)