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■困難から逃げると

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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:44

宇宙9 内向きの心配り

好かれようとすれば、誰からも好かれなくなります。何をするにも、仲が良い者同士が一番いいのに決まっています。しかし、仲良くなるには、好かれようとしてはなりません。好かれようとするあまり、自分を必要以上によく見せようとする内向きの気遣いは、自分のためにはなりません。自己中心的な人は、自分に対して心をくばります。気遣いも自分に対してのものです。すべて自分へ、という内向きの心くばり、気配りなのです。他者に対する心くばり、気遣いは微塵もありません。すべては、自分をよく見せようとする内向きの気遣いなのです。こうなると、見苦しくなり、誰も助けてくれません。他者に対する心配り、気遣いを続けていると、困ったときには、誰かが必ず助けてくれます。正しい気配り、心配りができると。因果律は上昇に転じていきます。内向きの気配りは身を破滅させるもので、何もなりません。人間は背伸びせずに、自然体がよいのです。自分を大きく見せようとする人や、自分をよく見せようとする意識の強い人は、あまり評価の高い人ではありません。裏表があって評判も良くありません。驕り高ぶった態度につながる性質のものだからです。驕り、高ぶりの心は、因果律を下げる闇の心です。謙虚な心ではありません。人々から嫌われ、疎まれる心なのですが、本人はそれに気づかない人が多いのです。しかし、年を重ねて、やがては気がつくようになります。人は、喜びと悲しみを繰り返し、その中で多くのことに気がつくのです。気がついて、悟り、悟っては、気がつくのです。世の中には、たくさんの正解があるのと同じように、沢山の悟りがあり、真理があります。知らないことが山ほどあります。人間は、一つ悟っては、自分の力のなさを知り、そして学びます。学ぶことにより成長し、さらにまた悟ります。こうした悟りを繰り返して、人生を終えていくのです。悟りを繰り返しているうちに、自分にとっての真実も、相手にとっての真実も、これらは人を基準とした真実であり、主観でしかないことを理解するようになります。本当の真実は、普遍であり、永遠性があり、すべてと調和しています。本当の真理は絶対的な存在です。









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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:18 | Trackback | Comments(0)

負の債務であるカルマが行為よりも動機、心の想いに強く作用するといいましたが、私達の動機、心の想いは、どこからくるのでしょうか。私達の心や意識に浮かび上がってくる思考、感情、想念はエネルギーなのですが、どこからそうした意識が湧き上がってくるのでしょうか。思考と感情が動き出して、怒りや憎悪の念を生み出します。欲望に囚われて心を失います。哀しみや苦しみみ呑み込まれて、絶望の心に翻弄されます。人の思考も感情も、すべて因縁のなせる業です。想いや感情は因縁に支配されています。因縁とは、魂の記憶です。輪廻転生を繰り返してきた魂の悠久の記憶が因縁です。魂に深く刻まれている記憶と体験の記録です。魂には前世からのすべての記憶が刻印されています。今世での人生プランや、清算すべきカルマ、背負わなければならない宿命まで、魂の中心核に刻印されています。それに必要な波動エネルギーを与えられて、この世に誕生したのです。その人間に与えられた魂の波動エネルギー量を見れば、大体の人生が解るのです。エネルギー量に見合った人生となるからです。因縁には、どんな人生を歩むのか、どんな人格で、どんな性格の人物か、その運命はどんなものか、などが魂に因縁として刻まれており、生れ落ちた時から、おおよその人生、運命は決まっているのです。決まってはいるのですが、際限なく下降する可能性が残されており、予定通りにはいきません。人間は、油断すると、どこまでも落ちていくのです。どんなに立派な人でも、一歩間違うと、奈落の底まで落ちていくのです。人生を全うすることは大変難しいのです。人間は一歩でも前進しようとする心がないと、後退していく定めにあります。前進しないと、現状維持すらむずかしいのです。ズルズルと後退していきます。生まれ持って与えられた運命を向上させることは大変むずかしく、逆に運命を下降させることはいとも簡単です。限りなく、どこまでも落ちていきます。誰もが波乱万丈の人生の可能性を秘めているのです。与えられた命運を下げないように、しっかりと生きなければなりません。そのためにはまず、自分を知ることです。動機が悪く、生み出したエネルギーが悪ければ、受け取る報いも悪いものとなります。動機がよくて、生み出すエネルギーがよければ、受け取る報いも良いものとなります。この波動エネルギーは、人間の身体に密接にかかわります。人間の身体の病の殆どは、私達自身が生み出した波動エネルギーが原因です。怒りは身体を弱らせ、憎しみの心は、ガンなどの原因となります。人を責める気持ちによって、喘息を引き起こします。笑い声が不足すると、のどが不調となります。例えば、前世で人を責めてばかりいた人は、今世では喘息をもって生まれるということは、普通にあります。そういう喘息の人が、人を責める気持ちを心から反省して失くすと、その症状はやがて消えていくのです。人に与えられるエネルギーは無尽蔵ではありません。人は、人生プランを持って生まれれきて、そのプランを生きるのに必要な量のエネルギーだけを与えられて人生を歩みます。魂の器に見合ったエネルギーが与えられているので、器以上の大きなことはできません。魂の器の大きさは、生まれ落ちたときに、決められています。器の大きな魂は、運命もよく、意義ある人生を歩みます。器の小さな魂は、エネルギー量も少なく、命運も芳しくなく、波乱万丈の人生を送ることになります。















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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:17 | Trackback | Comments(0)

三つ心

「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」江戸時代の子育て教育方針です。三つ子の魂百までの喩えのとおり、三つまでに心の基本を育てなければなりません。生まれたばかりの赤ちゃんの心は、まだありません。父母からの魂である生存本能だけで生きています。半年ほどすると、風の魂である奇魂が引き寄せられてきて、四魂が生まれ揃い、意識、心が生まれます。笑ったり、反応したりします。でも心は透明で無垢なままです。汚れも穢れもありません。何の色もついておりません。神の心に近いのが赤ちゃんの心です。なれど、これから人間として生きていくために必要な基本的な心を3年間かけて育てなければなりません。それが「三つ心」ということです。人間は神の光から分かれて生まれました。ですから神の光と同じ性質をもっています。神の光の本質は愛です。愛は信頼に向う心です。愛と信頼の心こそが神の心であり、神が人間に与えられた心です。心の豊かさとは、愛と信頼の心です。心の感性は、愛と信頼の心から磨かれます。赤ちゃんに必要な心の豊かさ、心の感性とは、愛と信頼の心なのです。三つまでは、可能な限り、愛情を注ぎこみましょう。愛のある言葉をかけて、愛の心で包み込みましょう。赤ちゃんにとって愛は、植物にとっての水であり、栄養であり、信頼を育む大本となるものです。信頼の心は、人間として歩むための大切な心です。心の枝葉を豊かな心と、感性豊かな心で広げてあげてください。愛が十分に注がれ、両親への信頼が培われた赤ちゃんの心は、成長するにつれ、豊かな心を表現するようになることでしょう。良い行いは、豊かな心から生まれます。感性の豊かさは、人間としての心配り、気遣いの基本となるものです。心を教える前に、躾をしてはいけないのです。まずは、人間としての大切な心を育むことです。そして、それから躾です。「六つ躾」とは、6歳までに躾をしなさいということです。躾とはトレーニングのことで、日常生活のマナーや挨拶などを教えて、実践させることです。「ありがとう」「こんにちは」「ごめんなさい」「ただいま」「席を譲ること」「お礼をいうこと」などです。「九つ言葉」というのは、9歳までにお世辞がいえるようにするということです。現代のお世辞とは意味が違って、世辞とは、「お体は大丈夫ですか」と相手を思いやる言葉をかけられるようになるということです。相手への気遣いができてはじめて、良く出来た子だと認められました。気遣い、心配りは、人間が生きていくうえで必須のものだからです。自己中心的な人には到底出来ない心の使い方です。『十二文」というのは、12歳までに文章が書けるようにしなさいということです。昔の人は、12歳ともなれば、小さな大人として扱われたからです。9歳で丁稚奉公に出されるのが常でしたから、12歳はもう子供ではありません。挨拶状、お礼状。お詫び状ぐらいは書けるように仕込まれたのです。『十五理で末決まる」とは、15歳までにとの中の理、森羅万象を理解させなさい、ということです。昔は15歳げ元服、もう一人前の大人でした。15歳にもなれば、もう独り立ちです。あとは親の責任ではなく、子供自身の責任です。魂の成長の観点からも、人間は15歳でもう立派な大人です。多少経験面では足りませんが、心は大人です。大人として何でもできるし、何でも判断できます。人間はこうして生まれてから、順次成長を遂げ、大人になっていきます。どういう大人になっていくかは、育ててくれる両親と環境に大きく影響を受けます。そうした育成環境は、自分のもって生まれた因縁に左右されます。よい両親、よい環境のもとに生まれてくるには、良い因縁が必要ですが、自分では選べません。自分の魂の波動因縁に従って、同じ波動の両親の魂に引き寄せられて、新たな生を受けるからです。自分の魂に見合った両親、環境が与えられるのですから、文句は言えないのです。生まれてまもなく、生きることすら困難と思えるような悲惨な生存環境に落ちる魂もあれば、心豊かな、感性あふれる恵まれた生存環境に生まれ落ちる魂もあります。魂の歩んできた道のりが、光と闇に道を分かつのです。カルマが解消され、完成形の近い魂と、不完全さが極まる魂とでは、現世での生存環境に雲泥の差があるのは当然です。大勢の人々を殺害し、苦しめてきた過去世をもつ魂と、人々の救済のために命を捧げ尽くしてきた人の魂とでは、その清算すべきカルマに雲泥の差があります。同じ生存環境に生まれてくるということは絶対にありません。自分の今、現在の境遇、生存環境を見れば、大体のことは解るのです。平凡であっても、幸せに暮らせるならば、感謝なのです。生まれてすぐに、生きていけないような生存環境にある魂も何億とあるのですから。命があるということが、ありがたいことなのです。私は、いつも神に向って「我が命、今、ここに、こうしてあることに感謝します」と唱え、命あることに感謝しています。

























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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:16 | Trackback | Comments(0)

不平等

私たちは、何かを決定するとき、意思力を使います。その意思決定に従って、甲状腺がエネルギーの生産や分配を行います。心が正しければ、正しくエネルギーが循環し、全身に適切に配分され、心身は調和のとれた状態となります。心が正しくないと、正しくエネルギーが循環しません。全身に適切に配分されずに、心身は調和を失います。心が正しくない、ということは、負の感情や否定的な想いに支配された心ということです。ストレスの心と言い換えてもよいです。人間は、不幸せな感情を持つと、血流も、血圧も乱れ、内臓も不調和となります。逆に、幸せと感じると、血流も血圧も、内臓もすべてが調和します。不幸せな感情とは、否定的な負の感情です。不安や恐怖、怒りと憎悪、悲しみと苦しみなどの病気を誘う感情です。幸せと感じる感情は、プラスの感情、光の感情です。愛の心、感謝の心、許しの心などが、光の心の代表格です。すべてが調和へと向う心です。不幸せな感情の中に、強くストレスを誘う感情があります。不平等と感じる心です。人間は、公平、公正でないと、強いストレスが無意識にかかる生き物です。公平さを欠いた心、不平等な取り扱いを受けた心は、ストレスに襲われ、身体の不調和を誘うのです。不平等こそが、争いや摩擦、批判の源泉なのです。不平等なことをやり続けていると、それがカルマとなって代償を支払うことになってしまいます。
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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:14 | Trackback | Comments(0)

人生プラン

魂が肉体に宿り、生まれ変わりを繰り返すのには、大きく2つの理由があります。一つは、魂を成長させて、より光輝く存在とするためです。神と同質の愛の性質を磨くことです。より神に近づくためです。人間は神の光から分かれて生まれでた存在ですから、神への帰巣本能があります。神界近くの光の世界へと目指して、すべての魂が輪廻転生を繰り返して、魂のカルマを清算し、或いは魂を磨く修行を重ねいるのです。光輝く世界に到達した魂は、神の御前にあり、もはや輪廻転生の因果から解放された存在となります。二つ目は、過去世の過ち、つまりカルマを消滅させるためです。魂が負っている負の債務を支払うためです。魂の成長とカルマの返済過程にある今の我々は、不完全な存在です。この不完全さを埋めるために輪廻転生を繰り返します。1000年に一度かもしれない輪廻転生を幾度も繰り返して、魂の成長と、カルマの清算に励みます。壮大な悠久の時を経て、輪廻を繰り返します。生まれ落ちるたびに、今生での人生プランを背負わされています。人生プランとは、運命のことです。どんな人生を歩むのか、どんな命運が待ち受けているのか、おおよその人生プランが定められてこの世に誕生します。その人生プランに必要な波動エネルギーが与えられて、魂は人生を渡るのです。波動エネルギーとは、魂の器の容量のことです。魂の器の大きさは、生まれ落ちるときから決まっているので、器に応じた人生を歩みます。その意味で、命運は大体、決まっているのです。忍耐の足りない人は、忍耐を養うような環境のもとに生まれてきます。魂の成長のために、より過酷な環境に生まれてくることもあります。身体に障害をもって生まれてきたり、不運、不幸な星のもとに生まれたりします。運命は、自分の魂が決めた人生プランです。どの環境も、その魂の成長にとって必要不可欠なものです。こうした人生プランの中で、よりよい想いと行いにより、自分の力で可能な限り、運命を切り開いていく、それが人生なのです。そのためには、人生を見つめ、これからの人生を考える必要があります。この世に生れ落ちてきた自分に、与えられた条件を正確に、ありのままに認識することが大切です。人間として生まれてきたことの意味を理解することは、とても意義のある重要なことです。自分は一体何者なのか。何故、自分はこの世界に生まれてきたのか。何故、己はこの世に生を受けたのか。誰でも一度は自問自答するテーマです。自分の与えられた条件というのは、どんな因縁、運命、自我を背負って生まれてきたのかということです。ありのままに認識することからすべては始まります。そして人生をこういうふうに生きなければならない、と気づくことができれば、その人は幸せな人です。こういうふうに考え、こういうふうに行動しょうと決意し、より良き経験と体験を積むことができるからです。魂に良き経験の記憶を刻むことができるからです。そういう魂は磨かれ、上昇します。命運律も上昇していきます。良き体験の記憶こそが、魂を永遠に輝かせるからです。そのために怒りや憎しみなどの感情をコントロールしたり、道を誤ったり、踏み外したりしないように自分をコントロールすることに腐心することでしょう。そのためには、何よりも、この世界の正しい認識が必要です。正しい因果律的な生き方を認識した上で、自分をコントロールする方法を身につける必要があります。瞑想呼吸法はその一つとなることでしょう。こうした事柄はどれも人生の一大事です。少しでも参考になればと思い、このブログで、因果の法則、波動共鳴の法則とともに心の法則,魂の法則といった事柄を様々な観点から綴っています。合掌
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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:13 | Trackback | Comments(0)

清貧、不平等

自分が何かを決めるとき、ああしよう、こうしようと決めるときには、意思力が働いています。そのときの心のあり方が問題となり、カルマとなります。公平、公正な思考が重要で、それを欠いた意思決定は、自分の内外に不調和を生み出します。外には争い、摩擦、批判の種となります。内には、無気力、無関心、怠惰、脱力となって現れます。どんなことが起きているのかと言うと、全身の細胞が不活性となり、神経系、心臓、代謝など各器官の働きが低下します。皮膚の乾燥、発汗減少、便秘などさまざまな症状が起きてきます。喉の不調は、否定的な言葉の使い過ぎです。笑い声も足りません。人を責める気持ちがセキとなり、喘息となります。心からの反省と笑顔が何よりの調和をもたらします。公平さを欠い行動は、自他に大きな影響を与えます。人間の身体は、不平等ということに、無条件に反応します。無意識に反応します。負の反応です。ストレス反応といってもよいです。ストレスホルモンが分泌され、身体の調和が失われるのです。公平、公正な行動がとれるように、自分自身をコントロールする意志力必要です。自己コントロールできなければ、カルマを重ねるばかりです。とんでもない意思決定の連続では、カルマの解消どころか、大きくなるばかりです。自己コントロールする意志力がなければ、感情や欲に呑み込まれて、欲望やエゴの言いなりになる危険があります。大事なことは、公正公平な心をもつことです。人間席は、不平等がすべての争いの種なのです。不平等な行為こそが、不平不満、怒りの根源なのです。公平、公正な意志力が求められるのです。意志力で一番大事なことは、言葉の使い方です。声に出して言葉を語るとき、この3次元世界に言霊の波動エネルギーが解き放たれ、一つの意思決定がなされてしまうからです。自分の語る言葉が、のちにどのような形で自分に還ってくるか、戻ってくるか、考えてみてください。吟味した良い言葉や笑い声を外に響かせましょう。言葉には神が宿っていますから、よくも悪くも実現する力、作用する力をもっていますから、十分な注意が必要です。私たちの世界は三次元世界ですが、神が憩う世界は高次元の光の世界です。魂の高いレベルでは、神の光の世界と一体になった高次の世界です。魂はみな修行して、魂を磨いて、カルマを清算して、完全形の魂を目指して上昇しようと努力しています。どこに向って努力しているのかというと、神の光に向って努力しているのです。三次元の人間は、神への帰趨本能をもっているのです。もともと、人間は、神の光から生まれ出た存在だからです。人間は愛という、神と同じ性質が大本にあるからです。人は、こうした神も性質をもった愛と、カルマという負の負債の両方をもった存在です。もちろんカルマには悪いものばかりではなく、良いカルマもあります。良いカルマの積み重ねを徳といいます。カルマの負債と、徳の積み重ね。人はこの両方をもっており、良いカルマが悪いカルマを帳消しにしてくれるのです。悪いだけの人間はいません。徳を積み重ねて、因果律、命運を向上させることもできるのです。徳を積みましょう。キリスト教の教えに基づく徳とは、愛、希望、信仰です。西洋の古典世界では、徳とは、正義、叡智、忍耐、清貧の4つです。徳の定義を簡単に言うと、自分の喜びが、すべての人の喜びとなるような行為のことです。自分の行為が他者の幸せに結びつく行為のことです。自己中心的な、身勝手な行為とは一線を画すものです。「徳」の延長線上には、神の光の世界があり、徳を積む道は、神の道につながる道です。神に愛される人々は、純粋で愛に満ちた、心の清い人です。小利口な人のことではありません。「汚れた心の聖職者よりも、清い心の無心論者のほうが神に近い」という言葉があります。「愛のない成功よりも、愛のある失敗のほうがはるかに価値がある」という格言もあるのです。心に愛があれば、動機に愛があれば、何をしても、失敗しても、魂に傷はつかないのです。魂の向上の妨げにはならないのです。魂にとって、結果よりも、心のあり方、動機が大切なのです。愛こそすべてを活かす命なのです。さて、現代では貧苦は、四苦に続く5番目の苦になっていますが、清貧は人間の重要な徳目です。私欲を捨て、正しい行いのために、貧しく、生活が質素なことを清貧といいます。古来より、最高の徳目として尊ばれました。成功して、沢山の富みを得ている人が、私欲を捨てて、正しい行いのために、貧しい人と分かち合い、自らも質素であるならば、それは清貧な人です。どんな境遇にあっても、愛と分かち合う心があれば、清貧のために豊かさを否定する必要はありません。この世界では、人は感情と欲に突き動かされて、よく道を誤ります。わたし達を縛るものから自由になるためには、清貧が必要なのです。心を失わずに、自由度を高めることが、本当の幸せを手に入れることになるのです。権力、富、地位、名誉、名声といった物質的な欲棒は、人の心を縛り、波乱万丈の人生へと誘うものです。それゆえのに、生きるとは、迷い多き苦しみの人生となるのです。清貧という言葉は、現代ではすでに死語に近いものとなりましたが、見つめ直さなければならない大切な言葉です。











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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:13 | Trackback | Comments(0)

■波動
この世界は波動世界です。大宇宙全体が陰陽の二つの波動で構成されています。銀河も星雲も、星も、惑星もすべてに波動があります。勿論、地球や月にも固有の波動が存在します。地球上には様々な原子、分子が存在しますが、それらすべてに固有の波動があります。有機物、無機物の波動というものもあります。すべての物や物体にも固有の波動があります。石ころにも、鉛筆にも、家具や自動車にも独自の波動があります。この世に存在するものには、すべて波動が存在しています。地球上に存在する70億人の人間にも固有の波動があり、同じ波動は一つもありません。動物や草木、花にも独自の波動に包まれています。波動には高い波動、低い波動があり、高次の高い波動はより細かい波動です。低次の低い波動は、より粗い波動です。これらの波動の性質を決めているのは、波動振動数です。人間の個体を識別する波動階層は無限の広がりで構成されています。心のレベルに応じて、所属すべき波動階層が決められています。基本となる波動階層は決められていますが、心の状態、感情の状態によって、人の発する波動も、その種類が変わります。愛の心、感謝の心、許しの心、寛容の心、信頼の心が発露されているときには、光の波動、プラスの波動が放射されています。波動が高次の細かい波動に変化し、人々をやさしさと温かさで包み込みます。何時間、一緒にいても、疲れることなく、癒されるばかりの一時となります。高次の波動は、常に相手の幸せを願う波動であり、心身を癒します。波動の粗い低次の波動を発するときには、出会ったときに、人々に圧迫されるような威圧感を感じさせます。哀しみや苦しみに飲み込まれているときの波動は重苦しいものとなります。怒りや憎悪に翻弄されている波動は、近寄るのも嫌な波動となります。恨みや怨念、呪いを発している波動は、魔界の波動となります。低い低次の波動は、自己中芯的な身勝手な人の波動であり、自分の利益だけがすべての人の波動であり、相手を思いやることは一つもありません。油断なく、相手を貶めることことばかり考えています。そして、同じような悪い波動を呼び寄せて、さらに闇の道に落ちていきます。人と出会って、嫌な感じを受けるというのは、その波動を直感でキャッチしたということです。自分の波動レベルが低いと、周りには低次元の波動の人々が招き寄せられ、さらに低い世界に落ちていくことになります。社会のしくみの中では、人間はみな平等なのですが、波動の世界では厳しく隔てられています。とくに高次の波動の人は、精霊、竜神、鳳凰、麒麟,霊亀などが憑いており、世のため、人の為になるような行動をしようとするとき、宇宙から竜神などが呼び起こされ、大きな力をもって、世に力を発揮します。人は、自分のためにというときには、力は発揮できません。他者や社会のために貢献しようとする意識をもったとき、より大きな力を発揮することができます。ただ波動の低い人が、どんな行動を起そうとも、宇宙の竜神を呼び起こすことはできません。自己中心のエゴの心には、天の神も反応しません。常に自分に向う内向きの心、自分のことしか考えられないエゴの心は、神の嫌う闇の心であり、運気も下降し、物事も成就しないことになります。でもこの現実世界は、こうしたネガティブな波動のほうが圧倒的に多く存在しています。良い心よりも悪い心が幅きかす世の中になっています。戦争や争いも、いまだ絶えません。光の心よりも闇の心が優先する世界になっています。人間は、良い心も悪い心も持っているのですが、この世界では、良い心が引っ込んで、悪い心が跳梁跋扈します。悪い心のほうが出現しやすいということです。よほど自分を律していないと、油断すれば、闇の道に落ちていきます。それが人間というものです。心して生きなければなりません・人間は努力しないで、いつも正解や解答を戴くばかりでは、真に理解することはできません。なぜならば、エネルギーが働かないからです。エネルギーは得るものではなく、出すものだからです。出すことによって、得るものだからです。自ら努力、探求し、一生懸命に考えないと、エネルギーが働かないので、力にはなりません。エネルギーを出さないと、得るものはないということです。人間にとって、努力が一番大切です。そして、自分の本質に目覚めた魂だけが、神霊界に入ることを許されます。神霊界はエネルギー波動の世界であり、覚者の世界です。自分の本質とは、肉体ではなく、魂です。神の光から生まれた魂のことです。無限とは原因を意味し、有限とは、物質、つまり結果を意味します。この理に目覚めた魂は高きに上昇していきます。宇宙はアーカシックレコードです。智慧の記憶の宝庫です。先人たちの智慧が凝縮されている世界です。神仙界ともいいます。この宇宙と直結している知恵者は、必要に応じて神仙界からの智慧をいつでも引き出すことができます。知識人は目に見えない世界は信じません。知恵者と知識人とでは隔たりが大きすぎるのです。自我には、小我と大我とがあります。小我は自分中心の内向きの世界です。大我は他者や社会のために貢献しようとする外向きの世界です。小我では、神仙界の力が得られないため、大きな力を発揮することができません。何事も発展しないということです。大我は真我ともいい、精霊が背中を押してくれるので、大きな仕事をやり遂げることができます。大我で行動すれば、カルマは生じることはありません。小我で行動すると、自分本位なので、解消すべきカルマが憑いて廻ります。大我とは、目的意識をもって行動するということです。目的意識は、他者や社会のためということが必要です。決して自分のためのだけの目的ではありません。大我の意識波動と、小我の意識波動とでは、波動周波数が違います。小我を捨て、大我に生きることが肝要です。自分中心に物事を考える小我には、物事を成就させる力がありません。波動のバイブレーションは、一定ではありません。心のあり方によって、その周波数が変わるからです。意識や考え方、物事の捉え方によっても変わります。良い思考、良い感情で過ごすと、良い波動に包まれて、穏やかに過ごせます。生活のあり方、暮らし方でも波動は変わってきます。戦争や争い、災害などの事象にも波動があります。事象や出来事には因縁があり、固有の因縁波動が出ています。国や地域には、国の波動、地域の波動が存在します。国家には国家固有の波動とカルマがあります。宗教圏、文化圏にも固有の波動に包まれており、宗教が織り成すカルマが数多くあります。宗教戦争や民族の対立と争いのカルマが厳然と刻印されています。この地球には、200の国と地域、70億人の人間が生存しています。食料、資源、エネルギーは30億人分しかないのに、70億人が生存しています。今世紀末には100億人になるそうです。200の国々が国民の生命を守るために、さらに一層、食料、資源、エネルギーの奪い合いが過熱してくると想います。200もの国と地域があるのですから、きれいごとでは生きていけません。戦争と争いが起こることは必須となります。この世界は、さらにネガテぃブな波動で覆われることになりかなません。この世は、魂の修行場です。争いと摩擦に明け暮れる現世では、魂の修行も難しいものとなります。












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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:10 | Trackback | Comments(0)

引き寄せるとは

■クリアーとは
原因となった人の行為に対して、恨み、寂しさ、怒り、苦しみ、哀しみなど自分の中に負の感情が必ずあります。時間がたっていたり、幼かったりすると、忘れているかも知れないし、負の感情にふたをしている場合もあります。奥底にある無意識の世界である潜在意識は全部覚えているのです。潜在意識が自分の想いとは反対の動きを誘うのです。ですから、生涯の出会いの中で、負の感情を抱く人を思い起こし、書き出していきます。そしてそれらの負の感情を一つ一つ、五心朝天法によってクリアーにしていきます。書き出した紙を燃やしてもいいです。すべての負の感情が消滅するというイメージを描きながら、燃やすとクリアーになります。潜在意識の奥深くに潜んでいた抑圧された負の感情を遮断してしまうと、よきものを引き寄せることにブレーキをかけていた潜在意識がクリアーになり、必要なものが引き寄せらてきます。負の感情をクリアーにすると、人生が変わり始めます。

■絆を結ぶ法とは
紙に感謝の想いを書きます。そして新しく良き縁を結び直したい相手の顔をイメージしながら下記の言葉を唱えます。
「私は貴方を愛している。あなたも私を愛している」
「私はあなたに感謝している。あなたも私に感謝している」
「私はあなたを許します、あなたも私を許します」
相手との関係が行き詰っているときにやると、効果はばつぐんです。最後は、紙に火をつけて燃やします。意識は、新しい絆が結ばれたと断定します。

■見えない人々の力
この世界は、肉体をもった人間と、肉体を持たない人間とが混在する世界です。肉体をもたない人間とは精霊、竜神のことです。現世と天界を行き来しています。人の為、世のためにという目的と使命観をもった行動にたいして、力強く後押ししてくれる存在です。自分の欲望を満たすための個人的な行動には加担しません。

■願い事は「達成され、感謝し、幸せをリアルに感じる」です。
異本的には、そのことに一生懸命に努力して、エネルギーを出し続けることです。エネルギーを出すと、何かが得られるのです。そして達成した、という完了形で断定します。断定すると、達成した状態が引き寄せられてきます。感謝の波動は、対象物や、対象となる事象と調和し、引き寄せる働きがあります。幸せをリアルに感じるはとは、今が最高に幸せでない人には、幸運はやってきません。心が嬉しく、楽しく、最高に幸せと感じると、それと同じ幸せな状態が引き寄せられてきます。感謝の波動は高次の細かい波動で、愛も、富も、豊かさも、幸せも、何事も引き寄せてくれる波動です。「幸せをリアルに感じる」が物事を呼び寄せるメインの波動ですが、感謝の波動が増強してくれるのです。願い事は、努力が基本ですが、呼び寄せの法を使うと、努力が一層報われるということです。

■人は思考するとき、電波のような想念を飛ばしています。明るい人が入ってくると、部屋全体が明るくなります。怒っている人がいれば、周りがその波動の影響を受けて、イライラしてきます。人は自分で思っている以上に自分の心が周りに影響を与え、周りの人にも影響を受けているということを知るべきです。自分の周りには、自分と同じ波動、似通った波動の人が集まってきます。人には特有の波動があり、似た波動を感じると、親しみを感じ、話をしてみたいと想い、居心地もよく感じます。逆に、自分とは相当異なる波動の人とは、違和感や嫌な感じを受けることでしょう。類は類を呼ぶの法則です。素敵な人には素敵な波動があります。私の友達は素敵な人ばかり、と言う人は、自分が素敵なのです。お金持ちの人の周りには、やはりお金持ちが多いです。逆に、俺の周りにはろくな奴がいない、と言う人は、その人がろくでない人なのです。友は友を呼ぶのです。運が悪いと言う人には、運の悪い状況が引き寄せられてきます。こんな仕事は嫌だと言う人には、同じようないやな仕事が巡り巡ってきます。お金がないという人には、お金のない状態がやってきます。お金が欲しいと思っている人も同様です。彼氏が欲しい、と言う人には、欲しいという状況が永遠につづきます。健康が欲しいも同様です。「欲しい」は、潜在意識に今彼氏がいない、今健康でない、今幸せでない、と発信していることになります。彼氏がいない現実、健康でない現実、幸せでない現実を引き寄せます。今が幸せと感じていない心では、幸せを引き寄せることはできません。世界は私に何も与えてはくれないと思っている人には、その通りの未来がきます。世界は私に何でも与えてくれると思っている人には、そのとおりの未来がやってくるということです。心の世界が現実の世界となって現れてくるのです。










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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:09 | Trackback | Comments(0)

良いところ観る

私たち人間の現実は、心の中を映し出す鏡であることを前に述べました。つまり、、自分の人生に起こる問題の原因は、すべて自分自身の中にあるということです。自分の心のあり方が、周囲の対人関係に鏡のように顕われます。子は親の鏡、環境も自分の心の鏡として顕れます。ですから、心のあり方、事象の捉え方によって、現実は変わったものに変化していきます。心のあり方は、生まれ持った性格パターンに左右されているので、事象の捉え方を変えることは、理屈では解っていても、そう簡単なことではありません。人生を変えるには、心の持ち方を変えることですが、自分の性格が災いして、思うように変えることはできません。根源にあるのは、自分の性格です。性格こそが、魂の悠久の記憶にもとづく顕れであり、因縁そのものであり、清算すべきカルマそのものであり、運命を誘うものです。自分を変える方法を教えてくれる書籍は沢山ありますが、そのとおりには行きません。人間の性格を変えることは、因縁を変えることです。運命を変えることです。神が定めた人生プランを変更することです。そう簡単ではありません。性格を変えるということは、全生涯をかけて努力してもなお実現が難しいほどの厳しさがあります。そうした厳しさを自覚しながら、前進することも大切なことです。自分を変えるということは難しいことなので、本当の自分を見つけ出す努力が大切です。さて、人は、他人の足りないところ、駄目なところに目が行く習性があります。ですから、意識して、他人の良い所、好ましいところを観るくせをつける必要があります。そうでなければ、人は粗ばかり探す悲しい存在になってしまいます。他人の好きな所も、嫌いなところも、実は自分自身の好きな所、嫌いな所なのです。他人という鏡をとおして自分を映しだしているのです。他人のあそこが嫌いといってみても、実は、他人に投影した自分の嫌なところをキライと云っているのです。人の悪口は、自分の悪口なのです。逆を言えば、自分が認識できない所は、他人が持っていても、認識できません。自分にないものは気がつくことができないのです。自分に良い所、悪い所があっても、自分が認識できていなければ、それを他人が持っていても認識できないということです。ですから、自分の良い所、好きな所を一杯さがすことです。他者の良い所がよく見えてきます。本当の自分には、良い所が無限に存在します。魂は本来、全知全能の完璧な存在です。因縁やカルマによって黒いモヤがかかって、不完全な存在になっていますが、本当の自分を見出すことができれば、人生は確実に変わっていきます。古来より、人からエゴを抜いた存在が神であると言われてきましたが、私たちは、幾たびもの輪廻転生を繰り返して、完全さを取り戻す旅を続けています。この世の人はみな、修行中の身です。自分にも足りないところが沢山あって、他人にも足りないところが沢山あります。御互い修行中なのですから、支え合い、助け合い、ゆずり合って生きてゆくべきなのです。他者の良い所を観てあげようということは、自分の良さを発見し、良さを育て、取り戻す旅でもあります。他者の良い所を積極的に見つけて、自分と他者の良い部分に水をそそぎ、良いお花を咲かせましょう。いろんな花を咲かせたほうが、人生は幸せなのです。








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by toukokira-kira | 2014-06-11 22:08 | Trackback | Comments(0)