2018年 10月 12日 ( 1 )

★★「四端の心」小講義

今回は日本屈指の思想家、歴代宰相の指南役、陽明学者安岡正篤の珠玉の言葉を紹介します。
人生の参考になります。この四端の心が解ればこのブログはもう卒業です。
なぜならば、このブログの本当のテーマは、一言で云うと「四端の心」ということだからです。
現代人が過去に置き忘れてきた心が「四端の心」です。
これまでも安岡哲学として有名なものを少々抜粋して紹介してきました。
安岡氏が好んで使われた孟子の言葉が「四端の心」です。
「四端の心」は我が流儀の根本教義でもあり、人生の精髄でもあります。
「四端の心」は人間としての有り様と、正しい心の道筋を示しています。
人間が人間たる所以を学ぶと、必ず「四端の心」に行きつきます。
生来、人間には「人に忍びざるの心」があります。 
まず「四端の心」の第一番目の「惻隠の心」とは、他人の不幸を見て見ぬふりの出来ない心です。
他者の苦境、逆境を見過ごせない心のことを言います。惻隠の情とも云います。
第二の「羞悪の心」とは、自らの不正・悪を恥じ憎む心のことです。
第三の「辞譲の心」とは、互いに譲り合う心、よい物は相手に譲り、悪い者は自分が引き受けるという謙虚な心のことを言います。
誹謗中傷という世間の攻撃から身を守ることができるのは、唯一、この謙虚な心だけということです。
第四の「是非の心」とは、善悪を見分ける心のことです。
この四つが四端つまり四つの徳の芽生えであり、人はこの4つの心を養い育てることでそれぞれ、仁・義・礼・智の四徳を実現できると孟子は言いました。
そして、稀代の哲学者安岡正篤の人間学の心がここにあります。
四端の心は私の座右でもあります。
惻隠の心は、他者への思いやりの心です。
人の逆境を見過ごしに出来ない心です。
もっと身近な言葉で言うと、やさしい親切な心のことです。
この心が昇華すると、大慈大悲の心となります。
己の命を顧みず、苦境の最中にいる他者を救い出すという菩薩業へとつながる心です。
急流の渦巻く川に飛び込んで溺れている人を助けるなどの行為です。
惻隠の情がなければ、為しえることではありません。
親切心の極致が惻隠の情です。
この心は宇宙と大調和する心ですから、他者にやさしく親切にすると、間違いなく、あなたの人生、運命、健康面で大きく好転します。
自分の運命、人生を変えるということは、正直、大変むずかしく、至難の業です。
しかし、運命を変える唯一の方法が、人に親切にするという菩薩行だということを知っておきましょう。
他者に喜びを与え、親切にしてあげると、あなたの人生、運命が大きく変わるということです。
人を迷いの世界に引き込む占いなどに頼ってはダメですよ。
キリストも、釈迦も、占いの類を生涯遠ざけておりました。
それよりも、人に親切にすることです。そうすれば運命が確実に変わります。
羞悪の心とは、恥ずる心のことです。
日本人は恥の文化と言われています。
恥ずべき事をしてはならないというのが日本人の良心です。
人を敬するようになると、恥を知るようになると言います。
尊敬する師をもたぬ者には、恥ずる心は生まれません。
そう安岡は言っています。
人は、母から愛を学び、父から敬を学び、恥を知るようになります。
恥の文化が日本です。
人の人たる所以は、「道徳」を持っていることである。
それは「敬」する心と「恥」ずる心に現れる、と安岡は言います。
敬する心は、人が限りなく発達を望み、未完成なものに満足せず、より完全で偉大なものに憧れるところから生まれてくる。
そして、敬する心が生まれると、必ず恥ずる心が生まれてくる。
敬する心と、恥ずる心は相似関係のものである。
しかし、今日の教育はその大切な敬する心を省みなくなっている。
それは、戦後西洋教育が「愛する」ということのみを重んじる教育であった、ということが一番の原因である。
愛というものは、女性―母の特性であります。
愛のみを強調した結果、大事なのは母だけと言うことになり男性―父の存在価値が次第に薄れて行ったのです。
家庭において、子供は本能的に母親に「愛」を、父親に「敬」を求める。
人間は敬する気持ちを持つと、自らその敬するものに少しでも近づこうとする気持ちが起こってくる。
愛とは別の憧憬を、その敬の対象に持つようになる。
「敬と恥」については安岡氏の哲学文章をそのまま抜粋したものです。
辞譲の心とは、謙譲の心を含んだ言葉です。
よい事は人に薦め、悪いことは自分が受け取るというのが謙譲の『謙」です。
利益を人に譲って、害を自分が引き受けるというのが、謙譲の「譲」です。
この二つ合わせて謙譲の心となります。
辞譲の心とは。こうしたことを含めて譲り合う心のことです。
譲り合う心というのは、日本人の美しい心です。
過失を免れる心は、唯一、この辞譲の心です。
謙虚さは、世の中を渡るために必要な心となります。
是非の心とは、善悪を見極める心のことです。
正しい正義心のことですが、難しい言葉です。
正しい因果律を悟り、正義心をもって、思考し、行動することなのですが、実践は難しいでしょう。
何故ならば、人間は誰もが、迷い、囚われの世界に引き摺られて、生きているからです。
道なき道を迷い行くのが人間だからです。
何が正しくて、何が正しくないのかを、見極めることは難しいのです。
正義心とは、万人がよしとする生き方のことであり、自分の喜びが他者の喜びにつながる生き方のことです。
自分さえ良ければという心ではありません。
江戸の陽明学者によれば、自分さえよければよいというのは、犯罪に等しいそうである。
人間は利欲に突き動かされ、感情に翻弄される生き物なので、是非の心は危ういものとなります。正しい判断が出来なくなるということです。
この記事は大切な視点なので、何度も、何度も読み返して、熟読玩味してください。

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by toukokira-kira | 2018-10-12 21:52 | Trackback | Comments(0)