2018年 10月 03日 ( 3 )

★★大自然に帰れ

大自然には、凝り固まったストレスの心を融和溶解させる不思議な力があります。
大自然には、すべてのマイナスなものを分解し、調和させる力があるということです。
大木が鬱蒼と生い茂る大自然のど真ん中にいると、大自然のいぶきに心が反応して、体が反応して、ブルブルと小刻みに振るえてきます。
断崖絶壁に囲まれた険しい山には、大抵、山の神様がおられ、その上空には、眷属である龍が自在に飛び交っています。
そういう大自然には、神々の気配がただよい、次元の高い波動とエネルギが流れています。
そしてあなたの全身の60兆個の細胞が、大自然の波動に反応します。
体が山や川、森、草原、澄んだ空気など、大自然の波動に敏感に反応します。
全身の細胞は、その地球そのままの大自然の澄んだ波動に合わせようとして、体中の毒素、汚れ、邪気を排出しようとします。
ですから、霊山などの神域に足を踏み入れると、水分を取っていなくても、トイレが近くなります。
大自然の気には、人間の心身に染み着いた穢れ、汚れを祓い清めてくれる効果があるのです。
ですから、大自然の中で時間を過ごすと、ストレスや悩み事は、どこかに吹っ飛んでいってしまいます。
大自然には、ストレスを溶かしてしまう見えない力があるのです。
ですから、見えない力に引かれて、登山をする人が大勢いるのです。
山頂に上ると、疲れは吹っ飛んで、みなすがすがしい顔をしています。
大自然の波動や山岳系の神様の波動を受け取っているかっらです。

人間の身体には、治す力である治癒神経や蘇生神経が備わっており、これらの神経が作動さえすれば病気は治癒すると以前に云いました。
治癒神経や蘇生神経は「ありがとう」という感謝の言葉に反応して作動するとも言いました。
愛にもとづく親切心をもつことによって、最高の状態に働きはじめます。
そしてもう一つ大事なことは、大自然の力です。
大自然の中に入って、大自然の息吹に囲まれて過ごすと、治癒神経が作動して、ストレスも病気も回復し、寿命も伸びます。
大自然の波動には、人間の体を蘇生させ、治癒させる特殊な力が内在しています。
大自然に包まれて過ごすと、人間は元気健康になるということです。
ですから、大自然の森や川、木々に囲まれながら、難しい顔をしないで、笑顔でにっこりと「ありがとう」と云って感謝して暮らすのが一番健康によいのですよ。
あのルソーは「自然に帰れ」と言いましたが、自然のいぶきに抱かれて暮らすのが人間にとっては一番自然なのです。
我が流儀五心朝天法の秘奥義に「卑弥呼」や「始皇帝」、「超銀河」などのストレス調和法の秘儀がありますが、これを使わなくとも、大自然の中でゆったりと時間を過ごせば、不安や恐怖の念も消滅してしまいます。
ですから、山男、山女は、心身ともに健康です。
[PR]
by toukokira-kira | 2018-10-03 13:18 | Trackback | Comments(0)

六中観

六中観とは、安岡哲学の真骨頂であり、真髄がここにあります。
素晴らしい言葉の連続です。暗唱して味わってみてください。
「死中活あり」はとくに私が大好きな言葉です。
●「忙中閑有り」
ただの閑は退屈して精神が散漫してしまう。
忙しい人の方は、ほんの一時の時間を見つけては、沢山の本を読むし、いろんなことで人生を楽しむことができる。
●「苦中楽有り」
苦労のない所に楽しみはない。苦はあるから楽がある。楽しみと苦しみは紙一重。
●「死中活有り」
死んだつもりになってやれば、何だってできる。できないことなぞない。
かえって駄目だと思っていた道も開ける。
いよいよの時には死んだつもりになって頑張てみよう。
●「壺(こ)中天有り」
現実の世俗的生活の中に自らが創って行く別天地。哲学的別天地のことです。
●「意中人有り」
私淑できる人物を、或いは理想的人物を心の中に持っている。
人生の中で「師」をもっている人とそうではない人とでは、天と地の開きがあります。
●「腹中書有り」
断片的知識でなく、しっかりした哲学を腹の底に納めていること。
[PR]
by toukokira-kira | 2018-10-03 10:40 | Trackback | Comments(0)

安岡哲学

「六 然の思想」・・・安岡哲学の真髄がここにあります。
これらの言葉は私が青年期に最も愛唱したの座右でした。
好きな言葉ですから、若い時分からいつも暗唱し、声を出して唱えていました。
●「自處超然(ちょうぜん)」(自ら処すること超然)
さて、この言葉の意味は奥深く、めざす境地ではありますが、なかなか難しいです。
超然とは、一切の物に囚われないようにするということです。
喜怒哀楽の感情から超越し、呑み込まれないようにすることです。
利欲に突き動かされて、翻弄されないようにするということです。
誰もが欲する富、名誉、地位、名声などに執着しないということです。
自分の考え方に固執して、争わないということです。
一言で云うと、我欲、我見、我執に囚われないという生き方のことです。

●「處人藹然(あいぜん)」(人に処すること藹然)
この言葉の意味は、人に接して相手を楽しませ心地良くさせることです。
人間関係とは、人の心を喜ばせ、楽しいものにするためのものです。
コミュニケーションの目的は、人を喜ばせ、楽しいものにするためのものです。
喜びの人生、豊かな楽しい人生のためには、この心が不可欠です。

●「有事斬然(ざんぜん)」(有事には斬然)
一旦、事があるときは、ぐずぐずしないでてきぱきと活発にやることです。

●「無事澄然(ちょうぜん)」(無事には澄然)
事なき平時には、静かに月を湛える水面のように澄みきっていることです。

●「得意澹然(たんぜん)」(得意には澹然)
得意絶頂なときほど、偉ぶらず、謙虚に、淡々とあっさりしていること。
得意平然とも云う。
●「失意泰然(たいぜん)」(失意には泰然)
失意、落胆のときほどうろたえず、堂々と泰然自若としておること。

六然は安岡哲学の真髄です。人生かくありたいものです。


[PR]
by toukokira-kira | 2018-10-03 10:10 | Trackback | Comments(0)