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2017年 07月 10日 ( 2 )

欲望と執着こそ

心の特別な習性とは、欲望であり、執着であり、我見でしたね。
そして、執着するから怒りや憎しみが生まれます。
釈迦である仏陀は、臨終の最期に弟子たちに言葉を遺しました。
それがバーリー語で「アーユサンカーロオサットウバーヤダンマーサンカーラー」です。
日本語に訳すと「我欲、我執、我見の消滅」という意味です。
まさに我欲、我執、我見の消滅こそ、人間にとって一番大事と仏陀は言っていたのです。
さて、昨今は、凄惨極まりない事件が多発しています。
自己中心で身勝手な欲望や執着に囚われた事件が次々に報じられています。
人々の心が目に見えない不安で一杯になり、大きく波立っているのが解ります。
心の欲するものを欲望によって集めようとします。
お腹が減れば食べ物を手に入れようとしますし、喉が渇けば飲み物を求めます。
欲望には際限がなく、必要に応じて自分を満たすために行動します。
ところが、欲望に翻弄されると、目的のためには手段を選ばなくなり、道を誤り、道を踏み外します。
欲望と執着がすべての行動のきっかけとなります。
欲望が過剰に氾濫し、それに麻痺しているのが現代人です。
本当に必要なものだけではなく、あれも欲しい、これも欲しい、心の欲するままに、とめどもなく欲求を満たそうとする人が多くなっています。
これでは、他人のことが気になって、他人の芝生は良く見えるということになります。
人は人、自分は自分なのですが、人と比較して見比べる人間が多くなっているような気がします。
そういう心から妬み、嫉みの心が渦巻きます。
お金は勿論ですが、立派な家や家具、素敵な服や装飾品、時計や貴金属、おいしい食事、仕事での成功と出世、地位や名誉、権力や支配欲、幸福な家庭と結婚など、際限なく欲望が広がっていきます。
人と同じように幸せになりたい、豊かになりたい、いや、人以上のものが欲しいと渇望します。
欲望と執着に呑み込まれた世界が、現世と言ってもよいでしょう。
知らぬ間に、みんなそのように欲望と執着に染まっているのです。
それが高じると、人を傷つけたり、人のものを奪ったりするのです。
企業は、人が望むものを、これでもかというほどに、便利なものをつくりだして、提供し続けています。
その競争の渦の中で、人々は呑み込まれ、翻弄され、抜け出すことができなくなっています。
あの手この手と、みなが欲しいものを作り続けると、人々はそれを求めて次から次へと、踊らされ、それを欲しがり、欲望の連鎖が生じます。
そうした現代社会の中にあって、そうしたゲームからドロップアウトして、真理の安らぎに向かい、本当の自分を探しだすことは、容易なことではありません。
そうした世の中にあって、このブログと縁で結ばれ、本当の人間の有り様と、人間の人間たる所以を学ぼうとする人は、特別な存在だと想います。


by toukokira-kira | 2017-07-10 20:36 | Trackback | Comments(0)

心の特別な習性とは

このブログの主題は「心の法則を知ろう」であり、「命の法則」を互いに学ぶことにあります。
さて、人の心には、特別な習性があります。
特別な習性とは、欲望のことです。
心は、磁石のように常に何かを引っ付けようとしています。
何かをくっつけて満足する習性が心にあるのです。
欲望に突き動かされて、飽くなき欲望の渦に呑み込まれ、自分というものを見失っていくのが、人間というものです。
前世からのカルマによって次から次へと欲望が湧き上がり、心は休むことなく欲望の追求に走ります。
カルマによる欲望の追求、執着と我見が人間の心の習性ということです。
これは魂の習性ですから、仕方がないことです。
欲望があるから執着が生まれます。
執着の心から、恐れの心や憎しみの心、怒りの心が生まれます。
欲望と執着に囚われるから、苦しみがあり、悲しみがあり、淋しさがあります。
後悔やジェラシーさえも欲望と執着の結果なのです。
ある時には、望みが叶い喜び、またさらなる欲望に向かいます。
ある時には、叶わずに悲観にくれ、再び新たな欲望に向かいます。
心の習性である欲望と執着に翻弄されて、波瀾万丈、紆余曲折の中で人生を歩むのが人間です。
心の習性とは、カルマのことであり、因縁波動のことであり、魂の記憶のことです。
現代的に言うと潜在意識と言い換えても過言ではありません。
人間の心というのは、欲望とセットになって歩んでいるのです。
欲望を持たない人間などありえないということです。
こうした欲望を修行によってよく制御しているのが聖人たちです。
こうした心をどのように落ち着かせたらよいのでしょうか。
こうした果てしのない欲望に抑制をかけ、消耗しつづけている心を安定化させるにはどうしたらよいのでしょうか。
これは古今東西の聖人たちの永遠のテーマなのです。
そう思って、人はいろんなことに取り組んでいます。
そして、どれも効果がないため、迷いの淵に堕ちていきます。
穏やかで静かな心の状態をつくれるのは、ただ一つの方法しかありません。
それを見つけるために、一生涯、探し求め、迷い続けるのが人の人生です。
このブログの読者には、その答えを特別にお知らせしようと思います。
その答えは、本当の自分に出会うということです。
自分の真我へ魂を還すことです。
自分の真我を強く大きく光輝かせないと、調和のある平安な世界は訪れません。
我々凡夫の近道は、天照主大日大神の恩恵を受けて、神につながることです。
心は静かに落ち着き、欲望が心から鎮まっていきます。
人々の心が、少しでも欲望や執着の心から解放されることが、私の願いであり、使命です。

by toukokira-kira | 2017-07-10 18:09 | Trackback | Comments(0)