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2017年 06月 17日 ( 2 )

ただ一筋に

苦と楽、愛と憎しみ、希望と絶望、悲しみと喜び、これらの感情は、互いに相反する感情ではあるが、表裏一体の関係にある感情です。
苦があるから楽があり、楽があるから苦があります。
愛と憎しみは、一見、対立したものに見えますが、表裏一体のものです。
愛があるから、憎しみが起こり、憎しみがあるから愛が存在するのです。
愛の心の裏返しが憎しみの心であり、愛するがゆえに憎むのです。
愛は憎しみに変る感情であり、愛の裏切りは憎しみと変るのです。
愛するがゆえに、憎しみも倍増するのです。
喜びが悲しみへと変り、悲しみが苦しみとなり、苦しみから絶望となるのです。
絶望から怒りへと変わっていきます。そして世を恨みます。
変わらぬものなど、この世には何一つありません。
生々流転の世です。
今が辛く、苦しい、絶望の淵にいる人は、希望の光を見出そうとし、楽を求めます。
反対に、居心地のよい生活を送っている人は、自分を律するため、厳しい環境を求めようとします。苦を求める者、試練を求める者、喜びや楽を求めるものなど、さまざまです。
自分にない環境を求めようとするのが人間です。
ここが重要なポイントです。
貧乏でどん底の逆境にある者は、とにかく金持ちになりたい、出世したい、しかるべき地位を得たいと血眼になります。
人も羨むような順境にあって、何不自由なく過ごしてきた人は、あえて厳しい環境、試練を求めようとします。
深窓育ちのお姫様のようなお嬢様が不自由な生活を求めて厳しい環境を選択することが少なからずあります。
喜楽の最中にいる者は、辛苦を求め、艱難辛苦の最中にいる者は喜楽を求めます。何を求めるのかは、人それぞれです。
辛く苦しい生活を送っているものと、居心地のよい生活を送っている者とでは、求めるものが違うということです。
あなたはどちらを求めているのでしょうか。
いずれにしても、自分の選んだ道に責任をもちましょう。
責任をもつということは、選んだ道がたとえ荊の道であっても、最善の道であったと言われるような努力をするということです。
懸命な努力によって正解の道となれば、荊の道であっても、選択は間違ってはいなかったのです。どんな道を選択してもよいのです。
努力によって正解の道とすればよいのです。
自分の人生に責任をもつならば、どんな選択をしようと、尊い選択ということです。
自分の人生は、自分が決めるのですから。
何もあれこれと迷う必要はありません。
自分が選んだ道であれば、その選択が正解となるようにただ最善を尽せばよいのです。
一筋に咲く花のように、美しい花を咲かせるために、ただ一筋に生きればよいのです。
花の命は、迷わず、一筋に咲くから美しいのですよ。
by toukokira-kira | 2017-06-17 21:55 | Trackback | Comments(0)

清貧の心

中国の諺に、「燎原の火」という言葉があります。
小さな火も、中原に火がつくと、またたくまに廣野を焼き尽くすほどの豪火となり、猛火となり、烈火となって燃え広がるという諺です。
燎原の火のごとく燃え上がって、瞬く間に、天下を統一したのが、紅衛兵を率いた毛沢東です。
毛沢東は、何千万人という多くの人々を粛清した権力者なので、好きではありませんが、小さな第一歩から、14億人の巨大な中国を統一しました。
小さな第一歩が、大きな第一歩の始まり、スタートです。
今日を迎えるのに当り、小さな、小さな、第一歩を勇気を出して、踏み出していきましょう。
毎日、毎日が新しいスタートです。
小さな第一歩が、燎原の火のように、燃え広がり、大きな第一歩となるように、最善を尽すことを誓い、神に祈りましょう。
早朝の朝日の光を浴びながら、光の瞑想を行い、朝日の無限の力を戴きましょう。朝日の力は、愛と勇気、信頼と癒しの波動であり、魂が元気一杯になります。
「モダンタイムス」というチャップリンの映画を思い起こしました。
人間は、愛と希望と少しだけのお金があれば生きていけるという名画です。
生きていくのに、多くは必要としません。
小さな愛と、小さな希望と、少しのお金の3つがあれば生きていけると、チャップリンは言っています。
私もそう思います。その3つが生きていく上での小さな光となると思います。
とくにお金は、生きていくのに必要な少しだけのお金があればよいのです。
それ以上欲しがると、餓鬼の世界に堕ちていきます。魂が汚れます。
お金には強い力がありますが、破滅に向かう魔力もあります。
使い方を誤ると、すべてを失わせる闇の力に翻弄されてしまいます。
天使と悪魔、諸刃の剣がお金ということです。
拝金主義の方や、損得勘定で生きている方は、このブログを見ないほうがよいでしょう。
私たちは、清貧に生き、誠実、正直を最上の美徳とするものだからです。
清貧とは、なにも貧乏になるという意味ではありません。
武士道や騎士道の清貧の心は、清らかにして、分け与える心のことです。
富豪でも、清貧の人がたくさんいます。
富みを独占するのではなく、分け与えることを知っている人は清貧の人です。
富める者も、貧しき者も、分け与えるという清貧の心が何よりも大切です。
分け与えることを知らぬ者は、いくら地位、名誉が高くても餓鬼畜生道の亡者だと思います。
かのキリストも「与えよ、与えれば、与えられる」と申し述べています。
ですから、お金がすべてという世の中でありますが、業突く張りのガリガリ亡者にはならないようにしましょう。
清貧こそ真の生きる道だと思います。

by toukokira-kira | 2017-06-17 09:58 | Trackback | Comments(0)