人気ブログランキング |

無我の大我とは

無我とは、この世で一番かわいい存在である自分を忘れ去ることである。
自分を忘れることとは、自分という存在から一端離れることです。
自分という存在を因数分解してみると自分という存在がどんなものかよく判ります。
微分、積分して己という存在を分解してみることです。
きっと誰もが飽くなき欲望と、際限のない執着と、マグマのようにドロドロとした情念とが渦巻いていることでしょう。
無我とは、自分が、自分が、己が、己がという意識は寸分もない世界のことです。
富も、名誉も、地位も、名声も、権力にも執着しない世界のことです。
それが無我です。しかし、欲望も執着もない世界ですから難しい境地です。
無我の境地では、人格の完成という意識も、自己の救いという意識さえもありません。自分というものがないからです。
透明になった自分、それが自分を忘れるということです。
そして、自分というものが一切ない無我の境地の中で、他者や社会のために尽くすという心を大我の心といいます。
これを無我の大我ともいいます。
現実世界の中で、私は、こういう人をいまだみたことがありません。
無我と大我とは、共鳴波動の関係のものです。
無我の実践が、大我の心の実践であり、自利利他の心の実践ということです。
我が流儀ではこれを四端の心の実践と申しています。
人間世界の真実と真理がここにあります。
自分を空にして、自我を失くすることが、本当の自分に遭遇するということです。
自分を空にしないと、本当の自分に近づけないということです。
自分を忘れた時に、すべてが自己になるということです。
自己がないとき、すべてが自己だ、といったのは道元禅師です。
すごい達観だと思います。チンポウミボウの自己です。
すべてのものに、真実の自分が現れるという真理が、そこにあります。
無我の大我こそ、真実の本来の自己です。
無我こそ、無相の自己であり、自己もなく、他己もない世界です。
まさに自利利他の心です。少し難しかったですね。
我々が棲む迷いの世界である菩薩界には、無我の大我の存在はありません。
心界上昇して如来界の上方にいかないと、そういう世界には遭遇できません。
が、しかしです。それは、人間が永遠に目指すべき世界です。
幾多の困難、試練を見事に乗り越えていった人物といのは、如来界に心界上昇を果たした魂といえるからです。






でも、これは宇宙の真理です。
この宇宙の真理は、万法共通の法則です。
それ故に、諸法無我といいます。
無我を実践できる人は、人類史上、そう多くはありません。
私達の目指すべき永遠の目標です。
トラックバックURL : https://toukokirak.exblog.jp/tb/29469288
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by toukokira-kira | 2019-06-12 17:11 | Trackback | Comments(0)