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四端の心を論ずる

四端の心は、わが流儀、五心朝天法の根本をなすものです。
心の霊的階層を高めるためには必須の心です。
陰陽師の法を使うには、正義の波動の放出が不可欠ですから、四端の心を目指します。
四端の心とは、中国の孟子が唱えた教えです。
もともとは、仙術を使う仙人の心の有り様を説いたものです。
人間は、正しい因果律を悟って、正義の心で、楽しく、仲良く人生を送るのが理想です。
四端の心をもって生きると、正しく生きることができます。
四端の心の実践は、仁義礼智信、勇謙の実践です。
勇謙とは、勇気と謙虚という意味です。
四端の心とは、惻隠の情、是非の心、羞悪の心、辞譲の心の4つです。
惻隠の情とは、他者の苦境を見過ごしにできない心のことです。
是非の心とは善悪を見極める心のことです。
羞悪の心とは、恥ずべき心のことです。
辞譲の心とは、良き事は人に譲り薦め、悪しきことは自分が引き受けるという謙虚な心のことです。
この4つの心は仁義礼智信、勇謙の実践です。
仁は憂えず、義は正しく、礼は規律ある生活、智は惑わず、信は疑わず、勇は恐れず、謙は謙譲です。
仁の「憂えず」とは、双眼の色変わらざるは憂なきに似たり、の憂いです。
この憂いには、他者の逆境を見過ごしにしないという意があります。
他者の苦難、困難を見て、知らぬふりするような心ではありません。
自分の命を捨ててでも、他者の苦境を救おうとする心です。
「義の正しく」は、正義心のことです。
正しい因果律を悟って、正義心をもって行動できるということです。
正義心とは、万人の誰もが認める行為を正義といい、自分の喜びが他者の喜びにつながるような心を正義心といいます。
他者のことを考えずに、自分本位に欲する心のことを罪悪心といいます。
身勝手で利己的な心は、罪悪なのですよ。
「礼」とは、規律ある生活態度のことですが、所作、態度、心配り、心遣いのことです。
美しい言葉や所作、態度、心遣いには、心の美しさがあります。
「智」の惑わずは、宇宙の知恵、宇宙の真理、自然界の摂理を悟るということです。
「信」の疑わずは、自分を信じ、他者を信じ、宇宙を信じて疑わないということです。
努力を尽くすことを誠といい、誠を尽くすことを信と言います。
人と交わる道は、信と仁(情愛)にあります。
人の世界では、信なくば立たず、です。
信を一端失くすと、誰からも相手にされません。
「勇」の畏れずとは、物事に動じない胆力を備えていることです。
最後の「謙」は、謙譲の心のことです。

これは生きていく上で、大切な心構えです。
この「謙」が重要です。
世の中を渡るには謙と予の二つが大切だからです。
謙とは謙譲、予とは準備ということ。
謙譲とは、利益を人に譲って、害を自分が引き受けるのが「譲」であり、よい事は人に推し、悪いことは自分がとるのが「謙」である。
要は謙虚な心ということです。
世間の中で、過失を免れる方法は謙譲にあります。
謙譲とは、達人の心です。
上から目線の驕り高ぶった心のことではありません。
劣等感も優越感も超越した心です。
相手の言葉、顔色で意味を深く洞察し、智慧深く、用意周到であるがゆえに、他者に対して謙るのである。
「謙」の形を極める者は、人生の達人である。
真の勇者は、臆病者のようであり、真の知恵者は、愚者のようであり、真の巧者は、下手のように見えるのです。
権威,権勢を示すことはなく、どこまでも謙虚なのです。
私のブログは非公開記事も含めて5000編ほど収録されていますが、実は、この1編の記事「四端の心」を理解し、真に悟ることができれば、あとの記事は不要なほど重要なものなのですよ。
by toukokira-kira | 2019-02-23 22:20