因果の法灯

世の中には、迷信的な因縁解脱の甘言が蔓延っています。
汝に憑きし変死の因縁や、色情の因縁がありがたい経文を唱えると、落される、因縁が切れていく、という迷信が人々の心を惑わしています。
経文であろうと、法力であろうと、何者であろうと、因縁を切り落とすことはできません。
因縁解脱という言葉を使う者は、インチキ、ペテン師です。
僧侶、神官、霊能者のいう因縁切りは、何の根拠もない虚言です。
因縁とは魂の記憶であり、生命そのもの、魂そのものです。
因縁を切るということは、生命そのものを断つということです。
神の法則に基づいて、魂の記憶として刻印されている因縁を、人間ごときが切ることなど出来るはずもありません。
不遜であり、大言壮語も甚だしい虚言です。
因縁というのは、己の忍耐と努力精進によって改善させなければ、何事もなりません。
龍樹菩薩の言うように、忍耐、我慢と努力、寛容の心が命運律を向上へと導いていきます。
人生の成功、栄光は、忍耐と我慢、必死の努力とともにあります。
人生は、正しく、楽しく、仲良くですが、何よりも努力あるのみです。
一生懸命に努力する心の波動は、高次の波動であり、同じような高次の波動を引き寄せて、やがては夢の実現となります。
努力を忘れて、よい人生はありません。
努力しても、すぐには結果がでないことも多いのです。
そして、その時の良い事が、本当によい事とは限りません。
その時の悪い事が、悪い事とは限りません。
自分に都合のよいのが福徳でもなく、自分に都合の悪い事が災難でもありません。事の良し悪しは、後に、今生も命運の対価として顕れ、晩年に因果の総決算の対価として現世に顕現します。
一喜一憂することなく、己を信じて、努力し続けることが大切です。
己の忘れている過去の因果の対価も、必ず加算されて受け取ることになります。
因果律は、生涯にわたり、顕現し続けるものです。
忘れたものも、必ず、対価として、人生の中で出てきます。
事に対する責任を因果律に従って取っていかないと、対価が待っています。
反省、内省ができないと、対価は積もり積もって、解けなくなり、来世に持ち越すことになります。
来世に性格として残るのです。そして、同様の事を繰り返し、空しい人生を歩むことになります。
輪廻転生のたびに、命運が降りてしまいます。
今、悪い事が、本当に悪い事とは限らないのですから、結果がでなくても、自分を信じて最後まで努力することが、何よりも大切です。
こうした因果律は、思うことによって始動し、行動することによって動きだします。良かれ悪しかれ、行動しないと、人生は何も始まらないということです。




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by toukokira-kira | 2018-11-09 11:54 | Trackback | Comments(0)