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★★★不動心で大志を抱く

人生の意義は、立志の一語につきます。
志を立てるということは男子、一生の一大事です。
「立志照隅」とは、志を立てて、自分の四隅、周囲を自分の光で照らすという意味のことです。
与えられた環境の中で、一生懸命に頑張って、辛抱して、花を咲かせよう、人の為に少しでも役立つ人間になろうという意味も含んでいます。
「立志」とは、人のため、世の為に役立とうと誓う心のことです。
自分が満足するだけの夢や希望というのは、「立志」とはいいません。
人のため、世の為に役立つ人間になろうという意志が入って、はじめて「立志」となりす。志とはそういう意味のものです。
与えられた環境がたとえ逆境にあっても、逆らわずに、むしろ受け入れて、従うことで、新たな道が開ける、物事が通じていく、と易経に書かれています。
立志照隅とは、無心の心で、自分の周囲を自分の光で照らすことのできる人間になろうよ、ということです。
無心の心とは、己を捨て去った心です。
己を捨てるということは、利欲を捨てることです。
執着、囚われの心を捨てるということです。
これを小我を捨てるとも言います。
己を捨てたところに、真我があり、「大我の心」があります。
人は誰でも自分が可愛いくて、可愛くて仕方ないいので、自分を捨てることなどできません。
自分が可愛いから、人を責め、非難し、怒り、憎み、妬みます。
自分が可愛いから物事に執着し目先の利欲に走ります。
己というものを一端捨て去らないと、心はがんじがらめでどうにもなりません。す。
マグマのようなドロドロとした情念が恨みに向かい、復讐に走ります。
大我とは、己を一旦捨て去って、他者や社会のために奉仕し、尽くす心のことです。
人の為、世の為に生きようとする尊い心です。
これを立志の心と言います。志とはそういう性質のものです。
人間の価値は、この二度と来ない人生の意義を、いかほどまでに自覚するか、その自覚の深さに比例するといっても過言ではありません。
人生の意義を自覚するには、自分というものを、自覚し、認識する必要があります。
ありのままの自分を、ありのままに認めることが必要です。
ありのままの自分に出会えると、大いなる存在と繋がります。
大いなる存在と繋がると、迷うことなく、自分の歩むべき道を進むことができるようになります。
人生には、幾つもの試練が待ち受けています。
幾多の困難、苦難に遭遇します。
人生には、山あり、谷あり、嵐ありです。
晴れの日もあれば、曇りの日もあります。
乗り越えていく壁は高く、峻厳に連なります。
こうした試練、困難を体験し、乗り越えて、克服した経験のみが、自分をつくる支柱となります。
自分が体験し、体得し、それによって気づいた事、或いは解決したことのみが、真に自分の力となるのです。
その意味で、苦境、苦難は、大きな変化のためのチャンスなのです。
古流神道では、苦難をものともせずに乗り越えていく心を「不動心」といって、最高の心として位置づけられています。
自分の人生、運命を変えていけるのは、不動心の獲得だけなのです。
不動心によって、自分を変え、未来を変え、世界を変えることができるのです。
運命も人生も大きく変わるということです。



試練、苦難に真正面から立ち向かい、挫けず、負けないで、乗り越えていく、苦しみや悲しみを乗り越え、それを人生の糧にしていく生き方が不動心であり、唯一の運命好転の方法です。
人生では、志を立てるということが一番大事です。
優れた実践や経験の背後には、必ず一つの思想信念が存在します。
志のない人間に大きな仕事をなすことができません。
志があって、事の捉え方がよくて、失敗を成功以上に活かす人間こそ、真に畏るべき人間です。
by toukokira-kira | 2018-11-01 18:40