わが孤独論

孤独は人間の最高の美徳であり、至高の贅沢であると云った詩人がいますが、私もそれには共感できます。孤独と孤立を混同してはなりません。孤独とは、奥深い境地であり、自分を見つめ直すための最高の境地、境遇です。

最近は、人とつながらずに孤独に生きる、という本が人気を集めているそうです。

人間を理解するには、「怒り」という感情の本質を理解する必要があります。
同時に、「孤独」という感情の本質を知っておく必要があります。
人間は、一人で生まれ、一人でこの世を去っていきます。
言い換えるならば、生に暗く、死に冥しです。
このブログでは、「怒り」の本質をテーマとした記事や、「孤独」をテーマとした記事を数十篇にわたって書いてまいりました。
人間を理解するためには「怒り」も「孤独」も必要不可欠なものだからです。
今回は改めて、「孤独」について考えてみたいと思います。
さて、前にも言いましたが、「孤独」と「孤立」とは別次元のものです。
大抵の方々が混同して理解しているようです。
「孤独」とは、内面世界を確立した人間だけが感じ取れる崇高な世界のものです。
孤立、四面楚歌の憐れさ、寂しさとは無縁のものだということです。
孤独死に代表されるように、世の中では、孤独=悪=忌み嫌われるものという理解が一般的のようです。
孤独という言葉を聞いただけで、「ああはなりたくない」と忌み嫌うばかりです。
誰もが孤独に対する理解が足りないように思います。
孤立と違って、孤独は内面世界の最高の境地を表す言葉なのですよ。
同一に考えてはなりません。
孤独を愛することのできる人というのは、自分の内面世界を確立した人間にだけ与えられた特権ということです。
成熟した人間だけが到達できる境地が「孤独」という世界なのです。
そういう人間にとっては、一人でいるほうが何倍も愉しく、充実しているからです。
集団の中では、誰もが他人に合わせて、気遣いながら生きていく必要があります。
周りに自分を合わせて生きていくのが処世術というものです。
孤独とは、そういうものを超越した生き方です。
孤独とは、内面世界を確立した最高の境地ですから、品性のない人間の孤立とはわけが違います。
孤独を会得した人は、内面世界を確立した人であり、品位の高い素敵な人です。
孤独を知らない人は、品のない人と言っても過言ではありません。
年を取ると、品性が顔に出ます。
顔をみればすべてが分かるのです。
人間の顔は生き方の履歴書なのです。
卑しい根性や狡賢い人間性は顔に表れます。
孤独を愛する人間の顔というのは、極上の品性をもった人間の顔ということが言えます。

心の淋しい時代ですから、人とのつながりを求め、つながっていないと不安になるのですが、その一方で、人とつながる生き方に悩んでいる人も大変多いと聞きます。

つながる生き方に悩むのは、70%が女性といことで、つながらない生き方を模索しているそうです。ソーシャルネットワークが原因のようです。

人間関係に満たされていないから、つながりを求めようとするのですが、安易なつながりは、煩わしさが生じてきて、めんどくさくなるのです。

煩わしさのない、ほどよいつながりがよいのですが、むずかしいのです。
つながらないことが不安なので、煩わしさの中で悩むのでしょう。

いい人でありたい、嫌われたくない、と頑張り過ぎている自分が常にいることに気づきましょう。

孤独が素敵なことで、こわくなくなったら、孤独を愛せるようになり、もっとシンプルに生きられるようになるのですよ。
他人の目を気にするあまり、頑張って生きる必要などないということです。


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by toukokira-kira | 2018-04-06 16:46 | Trackback | Comments(0)