和して同ぜず

「和を以て尊しとなす」と云ったのは聖徳太子です。
しかも相手に付和雷同せずに「和して同ぜず」の精神が和の文化です。
日本人の心の底流に流れているのは、この「和」の精神です。
日本の人々ほど、和の心を大事にする民族はおりません。
何よりも人々の和を重んじ大切にする国です。
西洋の個人主義とは大きく異なっています。
盆の上の大豆は、右に傾けると、一斉に右に寄せ集まってきますが、左に傾けると、大豆は一斉に左に傾いてきます。右に倣えという精神です。
これが横並びを大切にするのが日本の和の精神の基本です。
この和の精神があるから、日本人には宗教は必要ないのかも知れません。
日本人はある意味では無宗教的な国民なのですが、宗教的な感性は十分もっている国民です。
「ありがとう」「お陰様で」「いただきます」「ご馳走様」と、日常生活の中に感謝の心が息づいています。
日本では、宗教に代わるものが和の精神なのでしょう。
だから無宗教的でも何の支障もないのです。

日本では、盆の上の大豆のように、皆と同じように考え、行動しなければ、仲間はずれになるということです。
盆の上の大豆のように、皆と協調して、同じ方向に歩調を合わせて生きることを大切にしてきた民族が日本人です。
出る杭は打たれるのです。出る杭は抜かれるのです。
一番を目指すと、潰されたり、仲間はずれになりやすいのです。
ですから、日本では、1番よりも、何でも2番を目指すことがよい事とされています。
ところが、西洋の個人主義では、盆の上の大豆を右に傾けても、一斉に右に傾きません。
物理学の法則通りには動かないのです。
盆の上の大豆を右に傾けても、左に飛び跳ねる大豆がたくさん存在するのです。
一斉に右に習えとはいかないのです。
これが西洋の個人主義です。
何よりもその人の個性を大切にします。
その反対に、10人が10人、みんな同じ行動をとろうとし、それをよしとするのが、和の文化です。
そうした中では、横目で他人の生活の様子を伺い、みなが同じであることを望みます。
横並びが最良とする文化です。
そして他人の芝生は良く見える、の喩えのとおり、人の生活ぶりを見て、比較して嘆き、羨みます。
場合によっては、横並びでないことに腹を立てるのです。
人と違った行動を取っていると,終いには、のけ者や村八分になるのです。
和の文化には、よい面もたくさんありますが、マイナス面もたくさんあるのです。
私達は、知らず知らずに、そういう和の文化の中で暮らしているということです。
西洋の個人主義は、10人が10人、てんでバラバラに行動します。
それをよしとする精神文化があります。
人と同じで、自分の考え方を持たないと軽蔑されます。
聖徳太子は、和を唱えながらも、「和して動ぜず」とも言いました。
和を基本としながらも、不和雷同してはいけない、自分の志、信念を曲げてはならないとも言っておられます。
和の精神とはそう簡単なものではなく、難しいものなのです。

[PR]
トラックバックURL : https://toukokirak.exblog.jp/tb/28164754
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by toukokira-kira | 2018-02-28 12:43 | Trackback | Comments(0)