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★心を空っぽにする

心をサレンダーするとは、心を空っぽにして、自分の心を神に預けてしまうことを言います。
心を空っぽにするとは、無念無想の境地が必要であり、自分の心を捨てることです。
自分の心を捨て去るとは、自分の心のすべてをすっかり明け渡してしまうことです。
そこには自分という存在が存在しないほどに空っぽということです。
自分の心がわずかでも残っているうちは、心が空っぽではありません。
自分も、自分の心も忘れ去った境地が、サレンダーです。
ですから本当の意味で、心を空っぽにすることは大変むずかしいことです。
仏教の禅宗では、このことを「本来無一物」といい、禅の根本教義となっています。
苦しかったり、悩んだりするのは、心が何かにとらわれているからです。
長い人生を生きていると、見栄やプライド、憎しみや怒り、悲しみや苦しみ、そういったものが魂に染み付いています。
そうしたドロドロとしたマグマのような情念、情動をどんどん捨て去って、空っぽにしていく。
そして、心になにもなくなったとき、「本来無一物」という世界が現われます。
心に何にもなくなったときに、実はすべてが現われてきます。
すべてを手にすることができるということです。
心に何もなくなったときに、本当の自分というものに出会うこともできます。
心に何もなくなったときに、すべてが与えられ、「足ることを知ります」。
足ることを知ることで、心は満たされるのです。
心に何もなくなったときに、日常の当たり前のことや、日常の小さな、小さなことこそ、人生の一大事であることが判るのです。
何もないところに、すべてがあるということです。

心がサレンダーして、空っぽになると、魂を覆っていた曇りが晴れ渡って、魂の奥底に鎮まる内なる神、真我が光輝きだします。
真我の光が強く輝くと、カルマの波動が弱められて、運命、人生が好転します。
宇宙の生命エネルギーは、心が空っぽの時に、膨大な生命エネルギーが身体に流入し、蓄えられ、必要な時に放出されます。
心がいろんなネガティブな想いで翻弄されていると、生命エネルギーは枯渇状態であり、必要な時にも、力を発揮できません。
生命エネルギーが枯渇すると、下降の運命、波瀾万丈の人生となるということです。
必要な時に奇跡を起そうとするならば、心を空っぽにして、サレンダーして、日々エネルギーを蓄積させることです。
本当に心を空っぽにできるようになるには、長い修行が必要ですが、できるようになると、喜怒哀楽の境地を超越し、生老病死の境地を超越した心を獲得します。
死さえも恐れない境地となるということです。
そういう感情、想いのすべては、心の作用、心の働きによるものであり、心がなくなれば、そういう感情も消えてなくなります。
心を空っぽにするということは、心から別離するということであり、心の束縛からはなれ自由になるということです。
心がつくりだす闇の感情からお別れするということです。
苦しみも、悲しみも、寂しさも、怒りも、憎しみともお別れするということです。心が作り出す感情も、心がなくなると、存在しないからです。
心をサレンダーするということは、究極において、喜怒哀楽の感情さえも超越するということです。
心を明け渡して、神にすべてを委ねるラポールの心がサレンダーです。
究極の信頼の心がサレンダーです。
奇跡を生み出す心がサレンダーです。
患者も治療家を信頼して、治療家に心を開いて明け渡すと、すなわち心がサレンダーすると、少なからず奇跡のようなことが起きます。
何事においても、疑念を抱きながら斜めに構えて、身構えていると、よい結果を得ることができません。
なお、喜怒哀楽を超越した精神階層とは、第7心界に相当するもので、大聖者たちの世界です。
生老病死の苦を超越した精神世界とは、第8心界のことであり、これはもう人間世界のことではありません。















by toukokira-kira | 2018-01-26 19:58