人気ブログランキング | 話題のタグを見る

宗教と民族

人間にとって宗教とは何か。
こういうテーマについて一度は考えてみる必要があるうでしょう。

私は、古流神道の修行者ですが、古流神道とは、宗教とは無縁の日本古流の修行道です。
ですから私は宗教家ではありません。
さて、人間にとって宗教とは、いろんな考え方があるようですが、私が思うところ宗教とは文化そのものであり、民族固有の歴史を示しているようです。
世界の宗教は大きく分けて7つの流れから成り立ちます。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、儒教、道教の7つです。

この宗教の7つの流れが、国境を越えて、そのまま独自の文化圏、民族圏を構成しています。
ですから、世界には、人々の大きなまとまりが7つあるということです。

何故、宗教があるのでしょうか。
結論から言うと、宗教が存在しなければ人間世界は成り立たないからです。
神を信じない者、神を畏れない者ほど怖い存在はありません。
支配者にとって無神論者というのは、手に負えない存在ということです。
現在でも、サウジアラビアでは、無神論者の外国人の入国を拒否しています。
理由は、神をも畏れない人間は何をするか判らないからということです。
入国審査の欄の宗教のところに「宗教なし」と記入した外国人は入国を許されません。
人々が平和に暮らすためには、その地域に特有の共通の行動様式と、共通の思考様式が不可欠です。
同じ考え方で、同じ行動を取る人々が集うことにより、共通の民族意識が生まれますが、その一翼を担うのが宗教です。
宗教がなければ人間の大きなまとまりはできません。
国が民衆を囲い込むには宗教が必要ということです。
互いが互いを理解し合える関係にあるのが民族文化というものです。
同じ思考方式、同じ行動様式を宗教で学びますから、互いの行動を予測できるのです。空気を読める人間になれるということです。
互いの考え方を推測できるのです。
そういう人々の集まりが民族文化と言います。
民族とは、互いが互いのことを分かり合える関係にありますから、安心して暮らすことができます。
この民族文化を根っこで支えているのが宗教です。
宗教は、国王に命令されて学ぶものでもなく、強制されて学ぶものでもありません。
宗教を信仰するだけで、自然と、共通の思考様式と、行動様式が身につくようになっています。
そこに、人間のまとまりができるのです。
宗教による人間のまとまりのことを「民族」とか「文化」とか言うのです。

ですから、イスラム教にはイスラム文化圏が根付き、キリスト教には、キリスト教文化圏が存在するわけです。宗教が固有の文化圏をつくっているということです。

そうして、人間の歴史でもある5千年も、6千年もの間、宗教は滅びることなく、今日まで受け継がれてきていますので、これから先の未来も滅びることもないのです。

そして、この宗教がある限り、地球上には、民族が群雄割拠し、幾つもの文化圏が並立し、一つの地球市民にはなれません。
地球文化がある程度成熟してくると、地球の平和のためには、宗教というものがが邪魔になる時代がやってくるかもしれません。

共通の民族意識は、宗教の信仰と、その生活文化から芽生えるものなのですが、基をただせば宗教の神は一つです。イスラムの神も、キリストの神も、ユダヤの神も、神道の神も、みな呼び名は違いますが、同じ神です。
宇宙の中心にいる唯一絶対神のことです。

それ以外の神は、人間の都合でつくり上げた想像の神です。
人間の心が作り出した想像上の神ということです。
まさに鰯の頭にも信心です。

世界中には何十万という宗教団体があり、何万という膨大な数の神仏が存在しますが、これらはすべてが人間の想像で作り出した神です。
人間の創造力って凄いですね。

なお、仏教には、神様はおられません。
仏教には、菩薩や如来がおりますが、元来、菩薩や如来は、超越的な力をもった特別な存在ではありません。

バーリー語を直訳すると、菩薩とは、仏教の修行者という意味であり、如来とは、仏教の悟り、真理に到達した者という意味です。
要は、修行に励む人間ということです。
仏陀の時代には、真理を究めた人間が如来であり、仏陀であり、模範でした。
それがいつの間にか、菩薩も如来も神様のような存在になってしまいました。

仏教では、誰でも人間は、心の教えの修行により仏陀のようになれる、という心の教えです。
仏教とは、宗教というよりも、心の教えのことであり、心の諸法則を極めた者が如来ということです。
なお、現在の仏教は変容しており、仏陀の時代の仏教ではありません。
本来、仏陀の仏教にはあの世も霊魂も存在しておりません。
葬式とか法要とか、供養とか、墓とか、先祖の祟りとか、檀家制度とか、そういう概念は仏教には存在しないものでした。
それが、葬式仏教、商売仏教と揶揄され、僧侶の生活のための仏教になっているようです。

まあ、仏教を一生懸命に信心するならば、「人間仏陀」を目指し、仏教の菩薩、如来を目指し、心の諸法則を学び、探求する必要があります。

by toukokira-kira | 2017-10-01 23:08