人気ブログランキング | 話題のタグを見る

真我の瞑想

自分を捨てる、心を捨てる、主体を捨てることを真我の瞑想という。
俺が、俺が、自分が、自分がという自己中心で自分本位の身勝手な心を捨て去る瞑想ということです。
それだけで魂の曇りやぬめりを拭い去ることができます。
慈悲の心だけを残して、あとはすべてを捨て去って、心を空っぽにします。
慈悲の心とは、大悲、大慈の心のことです。
イメージも念想も不要です。
その瞑想の中では、自分という存在はどこにも見当たりません。
心さえも存在しません。
そして魂のすべてを神にサレンダーします。
無念無想の中で、呼吸にすべての意識を集中させ、呼吸を整えていきます。
これが究極の瞑想ですが、この瞑想に入れる人は大変な修行者です。
自分をすてて、心まで捨てるという瞑想は大変難しく、至難の業です。
心をゼロにして、神にただひたすらサレンダーする瞑想呼吸法ですが、これができるようになると、最強、最高の修行者となります。
身にまとった魂の汚れ、穢れが魂のサビとなって真我を曇らせていますので、自分本位の身勝手な心を改め、相手本位になれる慈悲の心を練磨するとよいのです。
真我の瞑想とともに、人にはやさしく親切にし、人を助け、人を救い、人に誠を尽くす無償の善行を日々行うならば、どんなに悪しきカルマや因縁も中和されて、溶解し、運気を回復することができるようになることでしょう。

by toukokira-kira | 2017-08-25 10:55