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礼法の心とは

今回は礼法の力について綴ります。
日本の礼儀作法はそこはかとなく優美である。
優美とは最も無駄のない動きのことです。
礼儀を教える流派で最もよく知られているのは、小笠原流である。
その家元曰く、礼道の中で一番大切なことは、心を磨くことであるそうだ。
礼を会得して座るならば、たとえ凶暴、凶悪な人間が攻撃を仕掛けてきても、害を加えることはできない。
会得した礼には愛の波動、感謝の波動、神の心の波動が流れており、暴徒も手出しできないのです。
礼法の力、優美さの力は、精神をも支配できるのですよ。
野蛮な暴徒といえども、威厳と気迫のこもった礼法の波動には、逆らえないのです。
礼の究極は、愛の波動です。ありがとうの波動と双璧です。通行人を狙って闇に潜む暴徒も、ありがとうと口ずさみながら通りいく人には、襲いかかれません。
ありがとうは魔法の言葉、神の言葉です。
暴漢は手出しできません。
それと同じ波動が。会得した礼法には備わっているのです。
恐るべし、小笠原流です。
礼儀は立ち居振る舞いに優美さを与えるだけではなく、思いやりの仁と、へりくだる気持ちの謙譲から生まれています。
他者を思いやる優しい心で行われるものが礼です。
礼法を鼻にかける人は、本物ではありません。
悲しみを共にし、喜びを共にする大我の心が礼法の心です。
美しい心、美しい言葉遣い、美しい所作、美しい表情、これらは、小笠原流の美人の条件です。
目配り、気配り、心配りのことを3配りといいますが、これがないと美しい礼法の心の実践はできません。
美人の条件と言いながら、顔の良し悪しには一切触れていません。
美人の条件を満たすと、誰でも美しい女性となります。
いくらお化粧しても、心や所作が貧しいと、女性としての魅力に欠けます。
瞳の力というのをあなたは知っていますか。
顔と違って、瞳は化粧して誤魔化すことができません。
瞳の輝きを見れば、その人間が判るということです。
眼差しに人間性のすべてが表れているということです。
眼の瞳の輝きや曇りを見れば、心の中も読み取れるということです。
白隠禅師は言いました「君見よ、双眼の色変わらざるは憂なきに似たり」と。
やさしい愛の心に、優しい眼差しが宿るということです。




by toukokira-kira | 2017-01-22 23:09