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ベートーベンとモーツアルト

どんな姿かたちであれ、この世に生を受けて、生まれ落ちて、命を授かったということは、ありがたいことです。神の計らいに感謝、感謝です。

ベートーベンの「喜びの歌」の波動には、生きる喜び、生の喜びという波動で満たされています。ベートーベンもまた、神から与えられた、耳が聞こえないという苦しみの試練の中で、生きる喜びを感じ取ろうと、もがき苦しんだ天才なのかもしれません。喜びの歌には、そういう音楽精神が流れています。

モーツアルトと並んでもう一人の天才がベートーベンですが、世に流布するベートーベンの肖像画は、苦悩に満ち溢れています。とても苦しい顔をしています。こわい顔にも見えます。誰にも理解されない苦しみで悶える孤独の顔をしています。
しかし、苦悩と葛藤しつづけたベートーベンの言葉は真実味をもって差し迫ってきます。
「人間は真面目に生きている限りは、
必ず、不幸や苦しみが降りかかってくる。
しかし、それから逃げないことが肝要だ。
自分の運命として受け入れ、辛抱強く我慢し、
さらにその運命と力強く闘えば
いつか必ず勝利するのだ。」

さらにベートーベンは、「名声を得た芸術家はそのことによって苦しめられる」と
語っており、人間の魂の輝きにとって、名声、名誉は邪魔になるだけで、何にもならないと判っていたのです。やはりベートーベンは神の子、只者ではありません。
ベートーベンにとっては、人間世界の出世や地位、名誉、名声などはどうでもよいもので、邪魔なものと達観していたようです。

音楽演奏の好きな人が、自分の身体にモーツアルトの魂を招魂して欲しいと懇願されたので、秘奥義により招魂しました。そしてモーツアルトの名曲レクイエムを演奏し始めました。モーツアルトの霊が憑くと、音霊の波動はモーツアルトそのものとなります。我が流儀では、ベートーベンでも、ナポレオンの霊でも、釈迦やキリストの聖霊も,イメージさえできれば、諸霊を招き寄せることができます。聖霊が身体に入ると、魂に変革が起きます。運命も大きく変ります。これが波動世界の醍醐味です。

モーツアルトもまた、音楽の神様です。
そのモーツアルトが、「多くのことをなす近道は、一度に一つのことだけをすることだ」と云っています。天才、神様と言われたモーツアルトでさえ、一つの道に一意専心です。自分の道を見つけたら、迷わず、まっしぐら、一直線、一筋に向かいます。一筋に向かう力です。一筋に真向かうということが大切ですね。
それゆえに、モーツアルトは、「音楽は自らの人生であり、人生は音楽である」と言い切りました。神のごときモーツアルトの音楽は,この一意専心の心から生まれたものでした。「夢を見るから、人生は輝く!」これもモーツアルトの言葉です。素敵ですね。そして、「自分にもできる!」が成功するための黄金律です。
苦があるから楽があり、楽があるから苦があるとも云えます。
悲しいことがあると、喜びが大きく、喜びがあるから悲しみが深くなります。
苦楽の人生、喜怒哀楽の人生と云われる所以ですが、喜びも悲しみも人生の中では表裏一体のものです。喜びの後にには悲しみが訪れ、悲しみや絶望の果てに喜びや希望の光が見えてくるものです。こうした喜びと悲しみを一つのメロディとして表現したのが、若きモーツアルトが組み立てたピアノ協奏曲です。モーツアルトのピアノ協奏曲には人生の悟りが封印されているといってもよいでしょう。天界や霊界の神々が祝福を与える名曲の旋律にはプラスの無限の波動が秘められています。さすが天才モーツアルトです。
悲しみも、喜びも、苦しみも、楽しさも、その人の人生に必要だからこそ存在するものです。一喜一憂して、有頂天になったり、うらめしく思う必要はありません。
禍福はあざなえる縄目のごとくに、交互に立ち現われてきますが、苦楽もまたしかり、であり、喜怒哀楽もまたしかりです。
そういう人生の悟りを協奏曲のメロディにしたのがモーツアルトです。
モーツアルトって若いのに凄い感性ですね。やはり天才です。




by toukokira-kira | 2016-06-01 11:17