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靖国神社

天皇をして現人神と言ったのは、江戸時代の国文学者平田篤胤である。ペリー来航以来の国に殉じた戦没者を英霊と呼んだのも平田篤胤である。人間を神様として祭ることは、通常ではないことですが、国に殉じた者を英霊と位置づけ、英霊は特別な存在となり、神様となった。1869年、明治2年に明治天皇の命により、東京招魂社が設立され、10年後の1879年、明治12年に靖国神社として改組され、今日に至ります。靖国神社は、国に殉じた英霊を祀る特別な神社です。当初は、戊辰戦争の戦没者を合祀することから始まり、明治維新の志士をはじめ、1853年のペリー来航以降の国内戦乱に殉じた人たちを祀った。日清、日露戦争や、第一次、第二次世界大戦などの英霊246万6000余柱が合祀されています。戦後も、今日まで国の為に殉じた公務員は英霊となり、合祀されています。1848年には、東京裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名が処刑されたが、19781978年に年に合祀されている。この時点では中国は何も言っていない。第二次世界大戦では、アジアの人々が2000万人戦死し、日本人も300万人が戦死しています。東京裁判では、平和に対する罪で、元首相の東条英機や、陸軍大将、陸軍中将など25名がA級戦犯として有罪判決を受け、そのうち7名が死刑となりました。こうした明治時代からの歴史と、国に殉じた人々246万余柱が合祀され、神として、英霊として祀られているのが靖国神社です。この靖国神社の首相や閣僚の参拝を巡って、国際的な問題に発展しつつあります。昨年の12月26日、安倍首相が突然に靖国神社を参拝しました。現職総理としては、2006年の小泉首相以来7年ぶりの参拝でした。この行動に対して、中国、韓国が激しい懸念を表明し、同盟国の米国も失望の意を表明するなど、政治、外交問題の大きな火種に発展しています。2001年~2006年までの間に、小泉首相は、首相として6度も参拝していましたが、米国は沈黙を守っていました。その米国までもが、今回、安倍首相の靖国参拝に対して、失望の意を表明し、待ったをかけたのです。なぜ、日本の一神社をめぐり、諸外国を巻き込んで、これほどの騒動になるのでしょうか。安倍首相には、もう、靖国神社を参拝しないで欲しい。これは米国政府の本音である。米国政府が日本政府に、こうした確約を求めていたことが、米紙によって報じられ、明らかとなった。靖国神社は日本の神社である。日本人の精神世界を現すところです。日本人の安倍首相に対して、お参りしないで欲しいと、同盟国の米国の政府が要請するという摩訶不思議な構図です。事情を知らない人が聞けば内政干渉にもほどがあると思うかもしれません。台頭して力をつけ、影響力を強めている中国への配慮ということが誰の目にも判ります。東アジアの安定を求める米国には、靖国は日中韓の火種になる懸念以外のなにものでもありません。中国と韓国は、歴史認識問題として、閣僚の公式参拝には絶対反対なのです。靖国神社とは、国に殉じた英霊を祀る神社であり、日本独自のものです。神社は、日本人の精神世界のバックボーンとなる大切なところです。首相が参拝していけない所ではありません。諸外国からとやかく言われる筋合いのものではありません。しかし、なぜ、首相が参拝すると問題になるのか。信教の自由の保障と、政教分離の原則が一つの問題である、憲法第20条で、掲げられている。もう一つは、歴史認識問題と、A級戦犯合祀の問題である。信教の自由は次のとおりである。憲法20条では、信教の自由は何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない。とある。公職者の参拝は憲法違反となるが、私人は、この憲法条文により、信教の自由があり、参拝できる。政教分離の原則については、憲法20条で次のように規定されています。国及び機関は、宗教教育、その他いかなる宗教的活動をしてはならない、とあります。つまり、首相や閣僚、知事などの公職にある人が公的に靖国神社に参拝し、公的な支出によって玉串料や寄付を行うことは憲法20条に違反するとして、問題視されています。結論から言うと、公的参拝は駄目だが、公的な立場を離れた私人としての参拝は、問題ないのです。信教の自由という憲法で保証された権利だからです。公人か私人かが焦点です。あとは、政治外交上の問題です。中国の言い分は、独善的です。靖国神社は戦死者を英霊として祭り、戦争自体を肯定的に美化して捉えている、けしからん、というものです。そうした神社に公的な立場の人が公式に参拝するのは、問題がある。過去の侵略への反省がない、となるのです。内政干渉以外のなにものでもありません。この中韓の考え方に、組して米国が失望の意を示したことは、世界正義の観点からは残念なことです。靖国神社は、中国の言うように、戦争自体を肯定的に捉えたという公式見解は一度も発したことはありません。靖国の問題をややこしくしているのは、A級戦犯の合祀問題です。1978年に、東京裁判で平和に対する罪に問われたA級戦犯14名が国家の犠牲者として靖国神社に合祀されたのです。多くの兵隊、軍人を牛馬のごとくに使い、平然と見殺しにしてきた悪い奴も相当いましたが、この者たちがただちに悪いわけではありません。勝った者が、負けたものを裁く裁判で、責任を取ったということです。国と国のけじめということです。神社での参拝は、人としての心の問題、精神世界の問題です。別次元の問題です。戦争犯罪人を神として祭るのはけしからん、戦争犯罪人に頭を下げて、参拝するのは問題がある、という反発が中韓です。日本神道を理解しない中での誹謗中傷です。合祀の問題は、靖国神社自身がどうするか主体的に考える問題であり、外野がとやかく言うべき問題ではありません。政府が分祀を働きかけると、憲法違反になります。神道の考えでは、神は一つになっており、選別して取り上げることはできない、分祀して神を分離することはできない、というのが基本的な考えです。またA級戦犯ゆかりの寺社は、靖国神社だけではありません。1948年に処刑されたA級戦犯は7名です。東条英機元首相、広田弘毅陸軍大将、松井石根、板垣征四郎、木村平太郎、土肥原賢二、武藤章の陸軍中将など7名です。彼らの位牌はひそかに関係者の手によって持ち出され、静岡県熱海市の興亜観音に埋葬され、1960年代には、その一部が、愛知県西尾市の殉国七士廟にも分骨されています。この二つは小さな靖国神社と呼ばれることもあります。戦争責任を一身に背負って、罪を被って殉国の士として処刑された彼らこそ、靖国神社の英霊となるべき人々です。天皇の名代として裁かれた英霊なのです。決して戦争を肯定し、美化するというものではありません。遺族の無念はいかばかりか、と思うのです。中国と無用の緊張を高めないでくれ、歴史問題を蒸し返さないでくれ、日本は米国のことを思って対処してくれ、というのが米国のスタンスです。それを破って参拝したから絶望となったのです。あれほど言っていたのに、忠告を聞き入れなかったことに対する絶望でした。安倍首相は、国のために闘った方々に祈りを捧げ、感謝の思いを捧げるのは世界のリーダーに共通する姿勢である、として、意に介さない。それでよいのだと思います。






by toukokira-kira | 2015-08-10 13:58