人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブレない心

人は、自分の確固たる生き方や、信念をもたず、ふらふらとしていると、付和雷同の運命となり、空しいものとなります。
沢山の大切なものを見失います。
人生の中では、大切なものを見失わない生き方が大切です。
ある意味では、一本筋を通すことです。
しかし、筋を通しすぎて、頑迷固陋になってはいけません。
人の話にはよく耳を傾けることが大切です。
弘法大師空海はその教えの中で、人の話や意見に耳を貸さない愚か者を教化するための経典を書き残されましたが、空海は、この世界の中で一番の愚か者は、人の話、意見に全く耳を貸さない者だと断じています。
自分本位で、身勝手で、自分の利得だけ考えて行動するので、目的のためには手段を選ばず、正論も通じません。
争いと衝突、摩擦と対立のたえない世界で生きることになります。
こういう生き方の人は、案外大変多く、そういう方には、心の幸せも平和も訪れないことでしょう。
俺が、俺がと、自分の欲得だけを考えて、感情に振り回され、理不尽な振る舞いをする人は、今も昔も変わらないのです。
こういう生き方をしていると、大切なものを見過ごしてしまいます。
周りが見えなくなり、折角のチャンスも見失ってしまいます。
現実世界では、いつも運命の扉は、誰に対しても開かれています。
謙虚な心で、感謝の心で周囲を見つめていないと、運命転換の扉が目に入らないのです。
驕り高ぶった心では、何も目に入らないのです。
欲得に心が奪われ、感情に翻弄されている心では、大切なものが目の前にあっても、気がつかないのです。
いつも扉が開かれているのですから、きっかけさえあれば、チャンスに巡り会うことができるのです。
チャンスをつかんだら、あとはやるかやらないかだけです。
謙虚に前向きに生きていると、必ず大切なものが、運命の転換となるチャンスが巡ってくるのです。
「立志照隅」という素敵な言葉があります。
志を立てて、自分のいる場所を照らすという意味です。
与えられた場所で、人生の花を咲かせなさい、という意味だと思います。
自分の志をもって、隅々まで照らす人間になろう、与えられた場所で精一杯努力して、人にとって大切な人間になろう、という意味だと思います。
素敵な言葉ですね。人間にとって、当たり前のことが、いつも当たり前にできるということがとても大切なことです。
そのためには、自分の行動に誇りがもてないとできません。
そして何よりもブレない心が必要です。ブレない意思があって、人の話を聞く耳があるだけで、ちゃんと生きていけるのだと思います。
ブレない心があれば、何かにつまずいても、へこんだことがあっても、いつでも立ち直ることができます。
気をつけないといけないのは、独りよがりになることです。
筋を通しすぎると、落とし穴もあるからです。
仏教の仏陀は、菩提樹の木の下でお亡くなりになる前に、最後の言葉を残されました。「アーユサン カーロ オサットウ バーヤ ダンマー サンカーラー」とバーリー語で言われました。
日本語に訳すと、難しいのですが、我執、我見、我欲の消滅というような意味です。
人間にとってこれが一番大切なのだよ、と唱えられて最後を迎えられました。
釈迦如来が最後に発せられた言葉ですから、大変奥深い意味があるのだと思います。
我執、我見、我欲の消滅こそが悟りの道だと、仏陀が言われたのです。
自分の心に囚われて、自分の考え方に固執することほどつみ深いことはないと言っているのです。
心は水の流れのようにサラサラとしていなければなりません。
人の話を素直に聞ける人間でありたいものです。
なにかをやり遂げるには、志がなければなりませんが、それと同じぐらいに大切なことは、人の話をよく聞くということです。
人の話に耳を傾けない人の、人生、運命意は悲しむべきものとなります。
たとえ今がよくても、それは勢いにまかせているだけで、裸の王様の運命は決まっているのです。
裸の王様では、円滑な人間関係も、信頼関係も築けず、物事が成就することもありません。





























by toukokira-kira | 2016-12-07 20:23