何と言っても努力です

人生の勝ち負けは、一に努力、二に努力,三に努力です。
運などというものは、努力に付随してくるものです。
命懸けの努力が人生の勝負を決めます。
そうした努力は不可能を可能にします。
努力は人を裏切らないのです。
しかし、努力といっても、難しい顔をして努力しても駄目です。
神経質になって、緊張しながら努力しても、退歩するばかりで、前進しません。
神経質に緊張するのではなく、「笑顔、ニコニコ、ありがと!」の精神で緊張して、努力する姿が、一番、前進していける姿です。
ニコニコとして真剣に努力することが大切であり、神経質になって深刻に努力すると、何事も水泡に帰してしまいます。
ニコニコとした緊張と努力が物事を前に進め、目標を成就させます。
私達の努力には「笑顔の力」と「感謝の力」が不可欠ということです。

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# by toukokira-kira | 2018-04-21 21:06 | Trackback | Comments(0)

努力する習慣を

このところ、「失敗」とか「努力」をテーマに記事を書き綴っています。
私は「努力」という言葉が大好きだからです。
人間は、生まれながらに誰もが無限の可能性をもって、この世に生を受けています。
誰でも、生まれながら、やれば出来るという可能性が与えられているということです。自分の無限の可能性を引き出して、能力にまで伸ばすには、たゆまぬ努力が必要となります。
可能性は無限であっても、努力が伴わないと、折角の能力も開花しません。
ですから、努力することを習慣的に身につけることほど大切なことはありません。
そして、自己との闘いに克つことなく努力の習慣を身につけることはできません。
習慣とは恐ろしいもので、この世の最大最強の怪物が「習慣」という怪物です。
己との闘いに克って努力する習慣を身につけることです。
努力を貫徹するには、結局のところ、その人のもつ意志力と実行力にかかっています。
意思力は、志と心構えと無縁ではありません。
結局のところ、その人がいかなる志と心構えをもっているかということに尽きるのです。
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# by toukokira-kira | 2018-04-21 11:03 | Trackback | Comments(0)

絶望こそが

世界の哲学者サルトルは、「絶望のかなたにこそ真の実在が始まる」と言いました。
絶望こそが真実の始まりであり、本当の人生の始まりである。
絶望しても落ち込む必要などありません。
サルトルによれば、人間は誰でもあれこれ思いつめて、その結果、真面目に物事を突き詰める人ほど、絶望的になりますが、この絶望的な思いを克服したところに、真の肯定的な世界が現われるそうです。
一度も絶望したことのない者に真の肯定はないということです。
命をかけた努力をして、絶望して、それを乗り越えて、ようやく肯定的な世界に辿り着く。
失敗して、絶望して、それを乗り越えていく。
ここに人生の真実の醍醐味があります。
これが懸命に生きてきた人達の人生の歩みだと思いますが、その根底にあるのは、「命懸けの努力」です。
若いときに徹底的に勉強し、命懸けで努力したものがその分野での真実の世界に届く人となります。
そういう努力のことを「懸命不動」と言っています。
生涯を通じて変わらない、一筋に向かう懸命の努力を懸命不動と言って尊ばれているのですよ。

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# by toukokira-kira | 2018-04-21 10:32 | Trackback | Comments(0)

誠実な努力こそ

とにかく目標を見つけたら、目標に向かって「努力」という種を蒔くことです。
親の七光りなどなくても、努力という種を蒔きさえすれば、よい花が咲き、良い実が稔り、よい収穫がある。
努力しても、努力しても、願っても、求めても、なかなか自分の思うようにいかないのも人生の現実ではありますが、長い目でみれば、やはり世界は努力しつづけた人間が最後に勝利者となります。
努力は不可能を可能にしてくれるものです。
とくに前途洋洋たる若者は、努力の種を蒔くことを忘れてはなりません。
そして、願わくば、すべてに誠実であることです。
努力によって花を咲かせる人に共通するのは、ウソ、偽りには決して立たないということです。
誠実に努力し、感謝の心をもって努力するです。
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# by toukokira-kira | 2018-04-20 22:38 | Trackback | Comments(0)

現代という時代は、富やお金に絶対的な価値観を抱く拝金主義の世の中です。
何でもお金で買える時代です。
愛や正義さえもお金で変える時代になってしまいました。
しかし、お金は大切なものですが、それがすべてではありません。
真にすぐれた人は、命懸けの努力をし、誰よりも汗を流した人です。
人間にとって、大切なことは、汗の流し方と、努力の仕様であって、富やお金ではありません。
汗と努力の結晶が人間の一生を決めるのであって、地位や名誉、権力があるから一番偉いというものではありません。
お間違えのないように。
どれだけそのことで汗を流し、努力してきたかということが、人間の価値を決めるのであって、地位が一番上だから偉いというものではありません。
人間にとって、地位や名誉よりも、どのように生きてきたかということがはるかに大事なことです。
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# by toukokira-kira | 2018-04-20 22:30 | Trackback | Comments(0)

★努力の法則

人が10倍努力すれば、自分はその百倍努力する。
人が100倍努力すれば、自分はその千倍努力する。
要領よく努力して人に勝つことはできません。
地道な努力が王道です。
努力は人を裏切らないと言いますが、やるべきことを全力で、命懸けでやらないと、折角の努力が実りません。
自分の鈍重さをよく自覚している者は、いつも全力、命懸けで努力することを知っています。
生半可な努力では、その努力が報われることはありません。
本物の努力には、人生を貫く覚悟が必要です。
そうしたことを踏まえて、「努力は不可能を可能に」してくれます
自分の無限の可能性を信じて努力することが何よりも大切です。
そして努力の法則には秘密の法則が内在しています。
成功に導くのは努力だけではなく、感謝の力が物事を成就へと向かわせるということです。
努力だけでは決して成功も成就もしません。
寛容の精神とともに感謝の心をもって懸命に努力することが大事なことです。
そうすることによって、その人に「人の和」「地の利」「天の時」が揃ったならば大輪の花が咲くことでしょう。

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# by toukokira-kira | 2018-04-20 11:59 | Trackback | Comments(0)

人心とは

私の壮年時代は、大組織の組織人でしたので、さまざまな派閥関係の入り混じった人間関係の難しさに苦労しました。
その当時の愛読書はカーネギの「人を動かす」でした。
カーネギによると、人を動かすには、相手の欲しがっているものを与えることが唯一の方法だそうです。
さすれば、人間が欲しがっているものは何か。
心理学者のジェイムズは、人間の心の欲求で一番強いものは、他人に認められたいという欲求であると断じております。
ですから、組織の中で生きてゆくには、他者の心のかわきである渇望を正しく把握して、満たしてあげるということに尽きるわけです。
他者の渇望を正しく満たしてやれる人が信望を集めることになります。
人というのは、自分の存在を認めてくれる人を味方だと思いこむ習性があります。
自分を認めてくれると、その人の力になりたいと思うようになります。
これが人の心の働きであり、人心というものです。
ですから、世の中で生きていくには、あらゆる人に対して、「あなたは私にとって重要な存在ですというメッセージを伝え続けるこよが大切です。
世間の中で自分の見方を増やしていく最良の方法が、相手を認め、相手に敬意を払うというスタンスです。
古流神道では、人生を生きてゆく3つの基本があり、一つは「感謝の心」、2つは「反省の心」、3つは「他者への敬意」です。
相手の存在を認めて、受け入れる、そして敬意を払うだけで人間関係は豊かなものとなります。
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# by toukokira-kira | 2018-04-20 09:27 | Trackback | Comments(0)

天命を待つ

冬の五輪が開催され、日本人も大活躍です。
自分らしさを最大限に発揮できた人がメダリストになっているようです。
緊張しすぎて自分らしさを見失った人の結果は、折角実力がありながも残念な結果に終わっているようです。
五輪のアスリートはみな命懸けで努力してきた人ばかりです。
あとは自分を信じて、自分らしさをのびのびと発揮できるか出来ないかが勝負の分かれ目です。
結果をあまり気にしないで、「今」に集中できる人は強いアスリートだと思います。「人智を尽くして天命を待つ」とは、やるだけやったら、あとは結果を気にせず、「今」に集中して天命を待つということです。

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# by toukokira-kira | 2018-04-19 21:58 | Trackback | Comments(0)

人間世界の探求

人間って何でしょうか。
生きるってどういうことでしょうか。
人間世界ってどういう仕組みで成り立っているのでしょうか。

人間であるかぎり、人間が人間たる所以を学ぶことは生きている限りづっと続くものです。
人間が人間になろうという探求なくして、人間としての進歩はありません。
人間の本当の有り様、心の真実の有り様を探求するのがこのプログのテーマであり、その探求の道にもうこれでよいということはありません。
我が流儀五心朝天法の極意は、古流神道の極意であると同時に、こうした人間学、人間探求精神と重なり合って存在しています。
心の法則の探究と人間世界の探求こそが私の永遠のテーマです。

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# by toukokira-kira | 2018-04-18 22:19 | Trackback | Comments(0)

初心こそ

私は治療家であり、古流神道の修行者でもありますが、ある面では、「ありがとう」という言霊の研究者であり、実践者であり、心の法則を研究する学者です。
そうした私が座右にしている言葉が「初心忘れず」です。
初一念を生涯貫くということは、どんな分野であれ、これ以上好ましい人生の法則はありません。
「初心忘れず」を終生にわたり所持する人の人生というのは、必ず、成るようにして成るものと思います。
人間は、誰しも無限の可能性を持っているからこそ、その無限の可能性を開花せしめるのは、初一念の力です。
自分に与えられた無限の可能性に挑戦することこそが、最大の人間的な生き方だと思います。
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# by toukokira-kira | 2018-04-18 22:10 | Trackback | Comments(0)

懸命不動

仕事でも、スポーツでも、音楽芸術でも、研究でも、いやいややるのではなくて、楽しんでやる人には敵いません。
楽しんでやるということは、何ものん気にのんびりと要領よくやるという意味ではありません。
熱中して夢中になることでもありません。
夢中になっても、そういう情熱は誠に冷めやすく、長続きしないものです。
真に仕事を楽しむということは、仕事に対して、つねに変わらぬ心の緊張を失わないことだと思います。毎日、コツコツと、一生涯、たゆまぬ努力を継続できるということが、「楽しむ」ということだと思います。
これを別な言葉でいうと「懸命不動」と言います。
つけ加えるならば、仕事は人のためにするのではありません。
みんなそう思って仕事をしていますが、それは平面的で真実ではありません。
仕事は自らの魂を生かすためにするのものです。
自らの魂との対話が「人生」そのものということです。
ですから、自分の魂が後悔しないような生き方が一番ということです。


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# by toukokira-kira | 2018-04-18 10:14 | Trackback | Comments(0)

わからぬことばかり

この世界では判らぬことばかりで、何一つ真に判ったと言えることがありません。研究すればするほど、勉強すればするほど、わからないことがますます増えてきます。勉強すると、賢くなるどころか、わからんことが多くなって困り果てます。真に判ろうとすると、わかったと云えることなど一つもありません。勉強をしない人が「わかった」という時は、真にわかったのではなく、わかったつもりなのです。実際は何もわかっていないのです。何でも「わかった」「わかった」という人は要注意です。わからんということがわかったという人のほうが、はるかに程度が高い人と言えます。勉強したり、研究したりすればするほど、物の味方が広く、深くなり、わからん部分が宇宙の果てのように無限に広がっていることに気づきます。わかったと云えることなどほとんどなく、わからんことで埋め尽くされています。研究すればするほど、自分の愚かさを感じますので、謙虚にならざるを得ません。
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# by toukokira-kira | 2018-04-17 11:16 | Trackback | Comments(0)

人生とは魂との対話

仕事でも、スポーツでも、音楽芸術でも、研究でも、いやいややるのではなくて、楽しんでやる人には敵いません。
楽しんでやるということは、何ものん気にのんびりと要領よくやるという意味ではありません。
熱中して夢中になることでもありません。
夢中になっても、そういう情熱は誠に冷めやすく、長続きしないものです。
真に仕事を楽しむということは、仕事に対して、つねに変わらぬ心の緊張を失わないことだと思います。
毎日、コツコツと、一生涯、たゆまぬ努力を継続できるということが、「楽しむ」ということだと思います。
つけ加えるならば、仕事は人のためにするのではありません。
みんなそう思って仕事をしていますが、それは平面的で真実ではありません。
仕事は自らの魂を生かすためにするのものです。
自らの魂との対話が「人生」そのものということです。
ですから、自分の魂が後悔しないような生き方が一番ということです。
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# by toukokira-kira | 2018-04-16 22:20 | Trackback | Comments(0)

天上天下唯我独尊

2500年前に、仏陀である釈尊は、人間という存在を称して「天上天下唯我独尊」と言いました。
この地球上には、74億人の人々が存在していますが、その一人ひとりはこの宇宙の中で二人といない無上の存在です。
一人ひとりがこの宇宙の中で最も素晴らしい絶対的な存在です。
人間は一人ひとりがこの世に二人といない尊い存在ということです。
そして、その一人ひとりが無限の可能性をもった自己です。
一人ひとりの内心の奥底には内なる神が宿っています。
それほどに人間とは二つとない尊い存在です。
ですから、自分はもとより、他者への敬意を忘れてはなりません。
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# by toukokira-kira | 2018-04-16 17:54 | Trackback | Comments(0)

無題

戦争を知らない者が平和を語れないように、苦悩を知らない者が幸せを語ってはならない。
本当の幸せを感じることができるのは、苦難や悲哀を乗り越えてきた人です。
どん底の苦悩を知らないものに人間の真の幸せの尊さを語る資格はありません。

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# by toukokira-kira | 2018-04-16 17:43 | Trackback | Comments(0)

命の尊さ

前回も若さと健康について書きましたが、大切なことなので再度書きます。
若い時には、自分の若さの素晴らしさに気づかない。
宝石のように煌いている若さなのですが、若い時には当たり前と思い、年老いて老人になってはじめて若さの素晴らしさに気づきます。
同様に健康も、健康で元気なときには、それが当たり前と思い、健康のありがたさに気づきません。
普通に日常を送れるありがたさも、どん底の逆境に墜ちてからはじめて、普通であることのありがたさに気がつくようになります。
病気が命にかかわるようなガンや難病に罹ると、そこで初めて、命の大切さ、ありがたみに気づきます。
平凡な普通の生活を送れるということは、とても幸せなことなのですが、人間というのは、自分が奈落の底に墜ちてはじめて、平凡であることの幸福というものに気がつきます。
人生のすべてにおいて、自分の生命力の尊さや、生かされていることへの感謝を忘れて、慌しく生きているのが現代人です。
人間というのは、自分で生きているようで、実は生かされている存在です。
ですから私達は、生かされているこの命の尊さに思いを寄せて、感謝することを忘れないようにしなければなりません。
謙虚に、誠実に生きろということです。

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# by toukokira-kira | 2018-04-16 17:38 | Trackback | Comments(0)

命とは奇跡なり

若さは宝石のように美しく、健康であることは奇跡のように素晴らしいことなのですが、誰もそのことに気づかず、あたり前のようにそれを享受しています。
人間というのは、若い時には、若さの素晴らしさ気づかず、若さを忘れています。
年配高齢者からみると、若さとは実に宝石のように美しく羨ましいかぎりなのです。
また健康な時には、健康を忘れ、健康の素晴らしさを忘れています。
健康であることは宝であるのに、自分が持っているものに極めて鈍感です。
それゆえに健康に感謝せず、健康を貪り続ける人がどれほど多いことでしょうか。
天から与えられた生命と心と肉体には、至高の宝が備わっているのです。
言い換えるならば、自分には最高の幸福が備わっているということです。
人間は、病気になったり、年を取って老人になってはじめて健康や若さの素晴らしさをしみじみと感じるものかも知れません。
若さや健康はかけがえのないもので、奇跡的なものだとその時にはじめて判るのです。
生かされていりということ、命が与えられているということ自体がありえないことであり、感謝すべきことなのですよ。

我が命、今、ここに、こうしてあることに、感謝、感謝、感謝です。
そして人生とは、「笑顔、ニコニコ、ありがとう!」の心で命懸けで生きることだと思います。
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# by toukokira-kira | 2018-04-16 09:50 | Trackback | Comments(0)

寛容の美徳

寛容の美徳と言いますが、寛容の精神には、寛容の神様が息づいています。
謙虚さと誠実さの奥深くにある精神が寛容の心です。
真に自らに忠実になろうとするものは、その困難さがわかるだけに、他人の過ちや失敗に対して寛容です。
他人の過ちや失敗に理解と愛情をもつことができる人というのが、そうした過ちや失敗を許すことができる人です。
寛容の精神には神が宿りますから、そういう心で生きていると、人生も、運命も好転していきます。
神対応のできる人というのは、寛容の精神に貫かれた人です。
人間の偉さというのは、地位や名誉、財力でもなく、仕事の大小で決まるものでもありません。
どのように物事を捉えて、どのように感じ取るか、そういう心の精度、純粋さ、心のあたたかさによって、人間的な偉さが決まると思います。
感謝の心、許しの心、寛容の心を備えた「誠実さ」こそが人間の偉さを測る尺度ということです。
そういう観点から、人間を見つめつ目を養いましょう。
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# by toukokira-kira | 2018-04-15 12:01 | Trackback | Comments(0)

自信とは

一度失った信頼を取り戻すことは非常に難しいことであり、並大抵のことではありません。
さらには、自信というものも、一度失うと、立ち直ることが大変難しいものです。
そういう意味で信頼も自信も共通した一面があります。
さて、自信とは何か。
自信は、何の根拠もないのに、自然と生まれてくる心の働きではありません。
自分の過去の行いややり方の成功体験によって自信がついてきます。
自分が自分に対する約束をいかように実行してきたかという過去の実績が自信というものを形づくります。
乗り越えてきた過去の戦績が一つの自信になるということです。
自分がやろうと思ったことは必ずやり通すという、そういう積み重ねから自信がつくられてきます。
自分を信じて頑張るということは、過去の命懸けの努力を信じて頑張るということです。
「自信」という言葉の奥には、命懸けの努力をしてきたというバックボーンがあります。
ただし、自信をもつことはよいのですが、感謝の心と謙虚さを失った自信というのは、運命を破壊する方向に働きますので注意が必要です。
自信というのは、どこまでも感謝の気持ちと、謙虚さを伴った自信でなければならないということです
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# by toukokira-kira | 2018-04-15 10:54 | Trackback | Comments(0)

命与えられて

生かされている命
与えられている命

窓辺から朝日の光が射して
今日もまた朝を迎える
目を開けると、家の中のいつもの風景が広がっている
目が見えて、手が動き、足も立つことができる
今、ここに、こうして、我が命は息づいている
命を得て、生きているということは
奇跡のような不思議さであり、ありがたいことです
今、この身このままで 我が魂は極楽なり 
与えられている命に感謝、感謝、感謝。

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# by toukokira-kira | 2018-04-14 23:00 | Trackback | Comments(0)

懸命不動とは

一意専心の心について前回書いてきましたが、本物になろうと思う人は「懸命不動」の精神を貫かねばなりません。
懸命不動とは、命懸けで動かずということです。
自分の道を一筋に貫きながら、命懸けの努力をすることです。
とにかくこれと決めたら、右往左往、右を見たり、左を見たりせずにやることが大事です。一意専心の努力です。
大工さんでも、左官屋さんでも、鍛冶屋さんでも、生涯、一筋に命を懸けて邁進すれば、誰でも本物になれるのだと思います。
あっちふらふら、こっちふらふらでは、なかなか本物にはなれません。
人生を決定するのは、知能の優劣や頭の良し悪しではなく、人生に対する心構えや生活態度によるところが大きいのです。
富や権力、地位や名誉を掴み取った人が偉くて本物ということではありません。
本物かどうかは、心の有り様、考え方、精神的生命がどうなのかということです。
これからの若い人たちには、「命懸けで動かず」を座右として邁進されることをお祈りいたします。
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# by toukokira-kira | 2018-04-13 22:39 | Trackback | Comments(0)

人間とは

今日のこの記事で4500編を記念する記事となりました。
これまで人間の有り様を「人間世界の探求」と題して記事を書き綴ってきました。
精神的生命である人間の存在は、宇宙のように果てがなく、書いても、書いても、尽きることがありません。
そういう意味で人間世界の探求は終わりのない旅です。
植物の生命も、動物の生命も、本能的生命によって生きていますが、人間の場合には、本能的生命に加えて、精神的生命が備わっているからこそ、人間が人間であるわけです。
人間が人間たる所以と言ってもよいでしょう。
この人間の人間たる所以を学ぶことを「学問」と言います。
知識を学ぶことが学問ではなく、人間を学ぶことが本来の学問です。

そして、この精神的生命は、一人ひとりがみんな違うということです。
同じものは一つもありません。
人間の存在がこの世に二つとない「天上天下唯我独尊」といわれる所以です。
同じでないから面白く、同じでないものが混じり合うから、無限の変化が生まれます。
精神的生命をもった人間というのは、一人ひとりが個性があって尊い存在だということです。
個性の違いから誤解が生まれ、無理解から憎悪が生まれます。
得たいの知れない人間なんて一人も存在しないのですが、誤解と無理解から憎悪が生まれ、ぶつかり合うことになるのです。
全宇宙の中心たる人間こそは、あらゆるものの中で最も尊い存在だということを肝に銘じて、他者に対する敬意を忘れないようにしましょう
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# by toukokira-kira | 2018-04-13 22:31 | Trackback | Comments(0)

仕事の鉄則

計画段階は緻密、綿密に練り上げ、実行段階では堂々大胆にというのが仕事の鉄則です。
どの分野でも大家と言われる人物は、努力の鬼、努力の申し子のような人です。
事を始める前には、徹底的に準備をし、細かく詳細に計画を練り、これ以上の準備ができないくらいまでに努力し、用意周到に計画を練り上げます。
計画を入念に練って、準備万端のあとは実行するのみです。
そして、実行する時には大胆不敵に実行します。
結果など全く気にしません。
やるだけやったら、あとは天にまかせておけばよいのです。
やるだけ全部やったら天にすべてをお任せするというようなやすらかさで事にあたればよいのです。
「人智を尽くして天命を待つ」という境地です。
初めからろくな準備も計画もせずに、いちかばちか運命に任せるというようなずぼらなやり方、生き方では、事を成すことは難しいでしょう。
人の見えないところで懸命に努力し、命懸けで練習し、いざ事に当たるときには、大胆に実行するというのが、仕事、人生の鉄則です。
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# by toukokira-kira | 2018-04-13 21:50 | Trackback | Comments(0)

命懸けとは

地獄のような練習に耐え抜いて五輪で見事メダルを取った時に、練習は人を裏切らない、努力は人を裏切らないと、アスリートの誰もがしみじみと感じているようです。
戦争を知らぬ者には真の平和のありがたさがわからないように、地獄の苦しさ、どん底の苦悩を味わったことのない者には、本当の幸せや豊かさの意味がわかりません。
私はそう思います。
ですから、五輪のメダリストのように、限界を求めて、命懸けの努力をしたものでないと、真の栄光を掴むことは到底できないと思います。
笑顔でニコニコと感謝しながら、命懸けの努力する人には誰も敵いません。
人生において最も大切なものは、安っぽい自信などよりも、全力主義の命懸けの努力、徹底した努力です。
誰にも負けない努力さえしていれば、逃げ出すようなこわさもなくなり、自分を信頼する明るさ、強さが生まれます。
必死に努力するその姿の中に、生命の輝きがります。
人間は努力によってやすらぎを得る生き物ということです。
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# by toukokira-kira | 2018-04-13 10:18 | Trackback | Comments(0)

心に懐剣を

人生とは、一言で言えば、自分との闘いであると言えます。
己に打ち克つことが、人生に打ち克つことにつながります。
そういう意味で、人間にとって克己心というものは大切なものです。

人生を生きていくうえで何よりも大切なことは、自分との約束を守り、決して自分を欺かないことです。
一度やろうと決心したことは、必ずやり通して、自己を欺かないことです。
前に「心に懐剣を」という記事を書きましたが、修験道の修行者のように一度やると決めたことは、命に代えてもやり通すということが大切です。
自己との約束を守り、決して自己を欺かないことがとても大切であり、これさえできれば、人生は自分のものとなります。
言うは易し、行うは難し、です。
それゆえに心の修行が必要なのです
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# by toukokira-kira | 2018-04-13 09:29 | Trackback | Comments(0)

道に迷ったならば

長い人生の中では、道に迷うことが多々あります。
どちらの道を選択したらよいのか、どちらの方向に進めばよいのかという状況に誰しも遭遇します。
そんなときには、自分にとってより厳しい道、より困難を伴う道を選択すると間違いがないでしょう。
安易に安直な道、苦労いらずの楽な道を選ばないことが大切です。
これは宇宙の法則です。

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# by toukokira-kira | 2018-04-13 09:19 | Trackback | Comments(0)

チャンスとは

チャンスは待つものではなく、自分で掴み取るものです。
考えてばかりいてはダメです。
一つの行動からチャンスは生まれます.
人間は行動あるのみです。
行動しない人は、大切な命をムダにしている人です。

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# by toukokira-kira | 2018-04-12 18:44 | Trackback | Comments(0)

人を動かすのはその人の誠実さであり、人を守るのはその人の謙虚さにあります。
そして誠実さの裏側にあるのが謙虚さであり、誠実=謙虚さとなります。
人間が事をなすには、秀才、鈍才というような能力よりも、もっと大事なものがあります。
何かというと、性格、人柄です。
誠実さ、謙虚さを大前提にして、志とか、心構えとか、信念と言い換えてもよいでしょう。
人間にとって一番大切なのは、正直、誠実という人柄です。
誠実さに裏打ちされた志の高さが人間を決めます。
正直、誠実だけでは、生き馬の目をくり抜くようなせち辛い世間の荒波に翻弄されてしまうという危惧の声もありそうですが、やはり、人生という長い目でみると、誠実、正直な人柄の人が一番伸びる人物だと思います。
私は、人生も、運命も自分の性格によって決定づけられると何度も事あるごとに言ってきましたが、やっぱり、人間の人生は、人柄によって決まると思います。
完璧な人間なんていませんから、人に完全を求めるのではなく、人の長所を上手に使える人、そういう人が世の成功者となります。
しかし、人間の長所と短所を見抜く力はそう簡単に身に付くものではありませんから、いろんな面で経験を重ねるということが絶対的に必要です。
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# by toukokira-kira | 2018-04-08 21:23 | Trackback | Comments(0)

陰陽師の術法

我が流儀五心朝天法の秘儀、秘奥義は、秘中の秘の術法も含めて300術法ほどありますが、これまでに40点ほどの治癒系の秘儀、秘奥義を公開し、解説してきました。
治癒系以外の守護系、攻撃系、交信系の秘奥義は陰陽師の中核をなす術法なので完全非公開です。
治癒系では、とくに秘奥義の「始皇帝」と「卑弥呼」は、いつも使う十八番の秘儀です。
両術とも、ストレス遮断系の秘儀であり、ストレス調和法、ストレス遮断法、プラスイメージ増幅法などからなる術法です。
「始皇帝」や「卑弥呼」の術法から派生して出来たのが、「青龍」であり、「超銀河」であり、「フトマニ」であり、「陽明」であり、「燎原」などのストレス調和法です。
「始皇帝」も「卑弥呼」の術も、圧倒的な精神エネルギーによって触れずに痛みや症状を消滅調和させる超越的な治療法です。
「晴明」や「幻想皇帝」の秘儀は、患部をイメージで手の平に取り出して、治療して戻すという特殊な治療法です。
人間の世界を超えているかも知れません。
太極療法や内臓調整法、脊椎神経調整法といった伝統的な治療とともに、併用するのが「始皇帝」であり、「卑弥呼」の秘儀です。
「神武」や「法隆寺」は頭蓋骨を調整して、全身の痛みを消失させる秘儀です 。
人間の頭蓋骨は23枚の骨の組み合わせで構成されていますが、この頭蓋骨の痛みや緊張を取ってあげると、全身のあらゆる痛みが消失してしまいます。
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# by toukokira-kira | 2018-04-08 12:17 | Trackback | Comments(0)

信なくば立たず

「言」に「にんべん」をつけたのが「信」という字です。
この信という言葉の本当の意味は、実に重く厳しいものである。
その意とは、「発言に不信があれば受刑することを誓う」という厳しい掟が含まれている言葉であり、人間の誠の意を表す言葉が「信」である。
「信なくば立たず」というが、その言葉の意味には、厳しい重いものがあるということです。
信とは、信義、信用の信であると同時に、誠を尽くすという精神性を表す言葉です。
ですから、人のため、世の為に誠を尽くし、誠を捧げることを「信」というのですよ。
多くの日本人の座右の銘に掲げられているこの「信なくば立たず」の出典は論語であり、孔子は何よりも信を重んじました。
人間にとっては、信頼が第一であるということです。

さて、信のつく言葉に「信念」という言葉があります。
ダビデ王の子であるヘブライのソロモン王は、「人の本当の値打ちは、宝石でもなければ、黄金でもない。いわんや地位でも名誉でもない。
ただ信念の2文字である」と言いました。
人間にとって志と心構えが結晶化した信念ほど大切なものはありません。
信じて貫くという精神が信念です。
世界の聖人である釈迦も、キリストも、マホメットも、孔子も同じようなことをいっています。
釈迦は「信ぜざれば、救う能わず。縁なき衆生は度し難し」と言って、信念をもって信じるものは救われるが、縁のないものには、助けたくとも、手をさしのべることができない、と云いました。
キリストは「まず、信ぜよ」といい、「信じる者は救われる」と同じことを言っています。
マホメットに至っては、「疑って、迷って、真理から遠ざかる者よりも、信じて欺かれる者、汝は幸いなり」と云い、信じることの大切さを説いています。
この言葉は逆説的な言葉であり、信じる者は騙されないのであって、本当に信じる気持ちをもっている者には、嘘偽りが自ずと判るのです。
孔子は「信は万事のもと」といい、仁とともに最高の徳目としました。

信じる心、信念というものは、人生の重大事です。
信じない者は、縁なき者であり、救いようのない者となります。
何事も信念をもち、信じることが大切です。
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# by toukokira-kira | 2018-04-08 08:46 | Trackback | Comments(0)