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★★★★天の法則

幽冥観とは、死生観のことです。
死後の世界をどう捉えるかという思想、哲学のことです。
死生観には、霊魂の存在とゆくえ、永遠性についてが含まれています。
宗教観によってその世界観は如実に異なっています。
死生観は、世界中の思想家や哲学者の問題であると同時に、世界中の宗教家の問題でもあります。
日本には、何千、何万という宗教法人があり、仏教系の宗教団体も多数ありますが、死生観は、宗教団体によって全部違っています。
言い換えるならば、宗教団体の数だけ死生観があるということです。
信仰の自由、宗教の自由とはいえ、日本には何千という死生観があるのですよ。
死後の世界を否定する教義をもつ宗教団体や、霊魂の存在を否定する宗教団体もあります。
逆に誇大妄想的に死後の世界や霊魂観を主張する迷信的な宗教団体も数多くあります。
霊の祟り、先祖の祟りを喧伝する迷信的な宗教もたくさんあります。
日本には何千何万という宗教法人があり、まさに百花繚乱の様相を呈しています。
そしてそれぞれが狂信的に自分の宗教世界を信じています。
このへんがキリスト教世界とは違います。
日本では、何が正しくて、何が正しくないか、分けのわからない世界になっています。
世の中はもっとシンプルにできています。
神は、唯一ただ一人であり、宇宙の中心に存在しています。
宇宙根源の至高の神はお一人ということです。
宇宙神が宇宙の法即として示している死生観、霊魂観は、さらにシンプルです。
宇宙の法則では、波動の法則があるだけです。
波動の法則は、無限の変化の法則であり、森羅万象の変化の法則です。
生々流転する万物の法則が波動の法則です。
波動の法則を一言では言い表せませんが、これを理解することが、死生観の道ににいたる王道です。
波動の法則には、共鳴の法則、作用・反作用の法則、親和の法則、調和の法則、想念の法則、生命の法則、霊魂の法則、幽界・霊界の法則、神界の法則などがありますが、愛の法則、感謝の法則、寛容の法則など、心の法則も波動の法則の一つです。潜在意識の法則や、無限の可能性の法則、因果の法則、因縁の法則、カルマの法則や因縁の法則も、波動の法則に入ります。
波動の法則を極めることが、幽冥観を極めることになります。
波動の法則は、神の法則であり、奥が深いのですよ。
宇宙に存在するすべての万法が波動の法則に基づいています。
真実でないことに目を向けてはなりません。
# by toukokira-kira | 2019-07-22 16:47 | Trackback | Comments(0)

ひとりごと

私のこのブログ記事は、日本語で書いているのですが、読者には世界各国の外国の方々が多いようです。日本人でもなかなか理解できないようなことを書いているのですが、何十カ国の外国人の方々がどうして私の記事が読めるのか不思議です。
# by toukokira-kira | 2019-07-19 22:42 | Trackback | Comments(0)

龍樹菩薩の教え

仏教では釈迦につぐ功労者が龍樹菩薩です。
龍樹はあの有名な「色即是空、空即是色」という「空の思想」を確立した仏教中興の祖でもあります。
2世紀頃の人ですから、日本では弥生時代、卑弥呼の時代の人です。
南インドの仏教僧で、空の思想を確立し、阿弥陀如来の本願を説きましたので、日本では浄土宗で尊敬され、崇められています。
さて、本題に入る前に、とくに憂えてることが一つあります。
高齢者は、行く末が短いので、先のことをあまり真剣に考えない傾向にあります。
しかし、こうした高齢者以上に先のこと、未来のことを考えない若者が非常に多いような気がします。
今がよければよい、先のことなど知ったことではないという風潮にも見えます。
龍樹の仏教は、自利利他といって、我慢、忍耐の教えです。
前途洋々たる未来を切り開くには、人生の中で我慢、忍耐が必要だと言っているのです。
今さえよければよいというものではありません。
さて、横道に逸れましたので、本題に戻ります。
この龍樹ははじめから仏縁の深い、立派な人ではありませんでした。
肉体の快楽に走って放縦を極め、その果てに世の無常を悟った人です。
宮殿に忍び込んで、王宮の美しい女性に友達4人とともに戯れましたが、王様の逆鱗に触れ、目の前で友人たちが切り殺されてしまいました。
自分は九死に一生を得て、宮殿から逃げ帰ってきました。
肉体の快楽に走った龍樹は、情欲こそ堕落の道と悟って、魂の修行に専念し、空の思想を完成させた人です。
そして、人間はどんなに努力しても、どんなに望んでも、どんなに求めても、逆らえないものがあるのだと悟ったのです。
心ではじまり、心で終わるのが人間という存在です。
自分の心を、自分の魂を動かす別の存在があると知ったのです。
自分の思考と感情を動かす別の存在に気がついたということです。
龍樹菩薩は、修行の末に、自分の人生と運命を決定付ける別の存在に覚醒したのです。
それは、このブログでも繰り返し綴ってきた魂の記憶、因縁の記憶、カルマの記憶というものです。
魂の記憶=潜在意識であり、この潜在意識には、魂の悠久の記憶がしっかりと刻印されています。
魂の記憶とは、因縁やカルマの記憶のことであり、生命の記憶そのものです。
人間はこの因縁が邪魔するから、思うように人生を歩めないのです。
そう悟った龍樹菩薩は、それゆえに「色即是空、空即是色」と言ったのです。
そして「自利利他」の心こそ人の道であると説かれました。
運命転換の秘密は、実はこの自利利他の中にあります。
自利利他とは、小我大我とも云い、真我の心とも呼ばれています。
最澄は「利他こそ自利なり」と悟られました。
「情けは人のためならず」という言葉があります
人に情けをかけるのは、自分のためという戒めの言葉です。
利他の思いで行動すれば、すべてが自分のもとに返ってくるということです。
愛ある思いで行動すれば、すべてが悪因縁にならないと説かれました。
笑顔の力、感謝の力、そして美しい心の力には、艱難辛苦を乗り越える力があります。
読者の皆さんは是非とも、「利他こそ自利」ということを忘れないでください。







# by toukokira-kira | 2019-07-19 22:23 | Trackback | Comments(0)

ブーメランの法則とは

人を恨んだり、憎んだりすると、一番苦しむことになるのは自分である。
恨みや憎しみの波動が放たれると、その怨念波動は相手に向かいますが、その後に宇宙を彷徨い、漂うことになりますが、最後にはブーメランのように発した本人のもとに返っていきます。
これをブーメランの法則といい、宇宙の大法則でもあります。
その強烈な怨念波動が最終的には、それを発した自分に襲い掛かるということですからただ事ではすみません。
自分の放った怨念波動によって心身は破壊され、運命も人生も破壊されます。
情けは人のためならず、です。人に情けをかけるのは自分のためです。
良かれ悪しかれ、外部に放った想念波動は、最期は自分に返ってくるわけですから、よい想念だけを放つようにしたらよいのですよ。
人を恨んだり、憎んだりすると、一番苦しむことになるのは自分だということを知っておきましょう。
人に情けをかけたり、親切にすると、何倍にもなって自分に返ってくるというのが、宇宙の法則なのですよ。

# by toukokira-kira | 2019-07-15 17:51 | Trackback | Comments(0)

枕元に立つとは

このところ、私のブログは、幽玄界と幽冥観の色彩の強い宗教的な記事が多くなっています。
本格的な古流神道の教義がすでに始まっているということです。
人間は死ぬと、この世を去ってあの世にいきますが、あの世とはそう簡単に説明できる世界ではありません。
心とか、魂とか、幽霊とか、霊界とか、神仏とか、誰も見たことのない世界です。
ある意味では、あるといえばある、ないといえばない、という不確実な世界です。
その宗教世界観は、宗教の数だけある百花繚乱の世界です。
ただ言える事は、確かな世界はひとつもないということです。
何を信じるか、信じないか、ただそれだけだと思います。

古流神道の世界で代々伝えられているあの世について解説したいと思います。
古流神道では死のことを転化といいます。
霊魂は、死ぬ2~3日前には、事実上、肉体を離れる準備に入ります。
肉体と魂をつなぐコードは細く弱くなります。
否、すでに霊魂レベルでは、肉体から離れているのですよ。
3日前から魂はすでに肉体を脱出しているのです。
肉体と魂を結ぶエネルギーのコードがほとんど切れた状態になっているということです。
肉体は、生命エネルギーの供給が止るので、やがて消滅に向かいます。
エネルギーが完全にストップし、枯渇すると、死を迎えます。
霊魂は、死ぬ3日前ぐらいから肉体を離れて、旅立ちの準備をするということです。
危篤状態に陥り、もうまもなく自分はこの世を去るのだと自覚するようになります。
そして、遠く離れた戦地や仕事先から、愛する家族の枕元に立ち、お別れを告げに来るのです。
飛行機事故や船の沈没事故、高層ビルの大火災で亡くなる人も、事故当日に死ぬのですが、魂はすでに、数日前に肉体を離れています。八方塞りの宿命です。
こうした方々を生前、写真に撮ると、足が片方写ってなかったり、手が片方写っていなかったりと、写真に異変が生じます。
稀に徳を積んでいる者や守護神のついているものは、虫の知らせにより、乗車や搭乗を免れ、助かります。
虫の知らせとは、守護神の働きです。
大事故の因縁波動は、個人の事情を斟酌することなく、網羅的に呑み込んでいきますが、強運で強い守護神のついている人は、稀に難を逃れることができます。
大きな因縁波動の前では、個人の因縁波動や運、力など無力であり、呑み込まれていきます。
肉体から魂が抜け出る2~3日前には、肉体のオーラも光を失います。
ですから、転化の前では、何となく影が薄く感じるようになります。






# by toukokira-kira | 2019-07-15 16:59 | Trackback | Comments(0)

年金の未来

大正生まれの私の母の時代には、年金財源は48人の若者が1人の老人を支える時代でした。
私の若い時分でも10人の若い世代が1人の高齢者を支える健全な時代でした。
100歳を超える高齢者は全国でも数人の稀少な時代でしたから、まだ高齢化社会ではありませんでした。
100歳をこえる高齢者は、稀有なため、いわば神のような存在でした。
ところが、今や、100歳以上の人口が67000人を超え、神様のように崇められていた100歳以上の長寿者でしたが、今では珍しくなく、ごく当たり前のように受け入れています。
毎年、2000人以上の人が新たな100歳以上の高齢者となると同時に、超高齢社会の到来です。
現在、2,26人の若い世代が1人のお年寄りを支えて、年金財源が運用されています。
10年後には、3人に1人が65歳以上の高齢者となる超高齢時代が来ます。
団塊の世代がみな75歳以上となる「2025年問題」では介護の費用の問題が厳しく問われそうです。
20年後には、高齢者人口が4000万人とピークを迎える「2042年問題」が起こり無年金の問題が問われます。
今後は、1,7人の若者が1人の老人をさせる時代に突入し、やがて1,3人の若い世代が1人のお年寄りの年金財政を支える時代がまもなく到来します。
年金財政が破綻することは自明の理であり、それゆえに、現在、高齢者の定義を65歳から75歳へと引き上げられようとしています。
高齢者の定義が65歳から75歳に変更され、75歳からの年金支給となると、75歳までは元気に働いて稼がないと、暮らしは成り立ちません。
若い世代にとって、まもなく大変な時代がやって来ます。
覚悟はよろしいですか。
今がよければそんなことはどうでもよいという安易な生き方をしていると、大変なことになります。
今でも、老後破産とか、老後難民、高齢者の孤立という深刻な問題がクローズアップされています。
あっという間に年を取るのですよ。
その時に備える知恵を絞っておいても損はないと思います。

# by toukokira-kira | 2019-07-14 20:19 | Trackback | Comments(0)

魂の法則

輪廻転生の観点からみると、魂にとっては1000年に一度の人生ですから、チャレンジこその人生です。
もしかしたら数千年に一度の新たな人生のチャンスかも知れません。
数年、数十年で輪廻転生しなければならない魂も稀にありますが、通常は、数百年、千年に一度の転生です。
肉体を持って、魂の意思を自由自在に表現できることは、魂の最上の喜びです。
それがそのまま魂の修行になるからです。
現世は、魂を磨く修行場です。
肉体がないと、魂は磨くことができません。
ここが大事なところです。
肉体があってはじめて、魂の修行ができるということです。
肉体は、周波数の異なる他者の波動から魂を護る防御体です。
肉体バリアーとも言います。
肉体に付随する幽体、霊体という聖霊体がバリアーとなって他者の波動を弾き飛ばしています。
防御体である肉体があるから魂は現世に存在します。
魂の世界である幽玄界は、波動共鳴の世界です。
波動の同じ者が集合して、一つの塊、集合体となっている世界です。
同じ波動の者同士の世界ですから、変化は生まれません。
十字の法則の適用されない無変化の世界が霊界です。
変化が変化を生む生々流転の世界というのは現世だけのものです。
霊界は何の変化もない静寂の世界、眠りについた世界です。
生々流転、森羅万象の変化を生み出すのは、現世です。
魂の波動は、同じ波動の者以外は受け付けない世界です。
魂の世界は、厳然とした厳しい区分があり、波動の違う世界には近づけません。
それが波動共鳴の法則です。
ですが、防御体である肉体を持つと、波動の異なる他者と交わり、交流することができるのです。
霊界では、交流することのできない波動の違った魂と交流できるということです。
それこそ神の光のような高貴な人間とも現世では交わり、交流することができます。
魂の世界では考えられない高貴な世界の魂ともその気になれば交流できるチャンスが与えられているのが現世です。
そういう人間と交流し、薫陶を受けると、それだけで一気に魂の修行が格段に進みます。
霊界とは、無変化の眠りの世界であり、何の変化も、進歩もない世界です。
そんな世界で幾百年、幾千年も眠りつづけるのが霊界です。
そんな中で輪廻転生のチャンスを与えられ、新しい両親のもとで命を宿します。
まさに、命を与えられるということは千載一遇の奇跡的なチャンスなのです。
現世での80年の修行は、霊界での数万年の月日に匹敵するものです。
ですから、生きている時に、一生懸命に修行するとよいのですよ。
そうしたことができるのも、肉体という防御体があるからです。
肉体には、魂を護るために、他者の波動を弾きとばすシステムが備わっているのです。
三重,四重にも防御システムが張り巡らされているのです。
第一番目の防御体は、幽体です。
第二番目が霊体、第三番目が精神体、第四番目が神体と呼ばれる精霊体のことです。
身体に21あるチャクラも、他者の波動の侵入を防いでいます。
こうした完全な防御体をもつ肉体があると、波動の異なる誰とでも交流ができて、さまざまな経験が可能になります。
この経験が魂の記憶波動となって、魂を成長させます。
感動の経験をたくさん体験した魂は、光輝いてきます。
人や世のために、誠を尽くし、陰徳をたくさん積んだ魂は、霊界の数千年分の修行を果たすことになり、心界上昇を果たします。
魂にとっては、肉体をもって波動の異なる他者と交流し、パフォーマンスできる現世こそが修行場なのです。
魂の世界は、同類波動の集まる無変化の世界、眠りの世界です。
修行しようにも修行などできないのです。
次の輪廻転生の時まで、静かに眠りながら数百年、数千年と待ち続ける世界です。現世に生を受けるということは、魂にとって、千載一遇のチャンスなのです。
数千年の眠りから覚め、やっと魂の修行に励める時を迎えるのです。
人生80年ですが、肉体をもって表現できる現世は、魂の精神階層を上昇させるチャンスなのです。
霊界ではできないことが現世ではできるのです。
現世こそが魂の修行場です。
いろんなことにチャレンジして、共感と感動の体験を積み、徳を積み、魂の波動振動数を上昇させることができます。
魂の波動数は、魂の大きさを示すものです。
魂の大きさは、魂の経験総量です。
よい立派な魂とは、いろんな経験をして、徳を積んできた魂ということです。
善なる経験、体験こそが、魂を成長させ、光輝かせるものです。
命をかけて一生懸命に努力すること、向上心をもって夢中になってチャレンジすること、こうしたことが魂を磨き、ステップアップさせます。
頭の中で考えることよりも、一歩踏み出して行動し、新しい体験をすることが大切です。
どうせ生きているなら、無為に過ごすよりも、チャレンジ人生です。
命の炎を燃やして努力して、笑顔でチャレンジです。
悔いのない人生こそ、最高の人生です。
苦難、試練は、神からの贈り物です。
逃げると地獄ですが、立ち向かって、乗り越えていくと、不動心が与えられます。何度も、何度も、天が与える七難八苦を、七転び八起きして、乗り越えていく人は、数万年に一度の得難いチャンスである心界上昇を果たします。
霊界の上層世界、神の光近くに向かうということです。
苦境、試練こそチャンスなのですよ。
3年前に書いた新書のタイトルは、「苦境こそチャンス」という表題でした。
わが流儀五心朝天法の人生の極意はここにあります。
今日の文章は、波動共鳴が貫かれた魂の世界について綴ったものですが、幽冥界の真実の姿がここにあります。
今日のの記事は大事ですので、門下の修行者は、何度も、何度も読み返して、理解してくださいね。
私にとっては、今日のテーマの負けない心、挫けない心、どこまでもへこたれない心を伝道することが、わが使命であり、神との約束事なのです。
苦難に負けず、試練に立ち向かい、苦難を乗り越えて、不動心を獲得すること、それが魂の真に目指す処であり、真実の心、人間の有り様です。
もう一つ、大切なことがあります。
自分の命を顧みず、濁流に身を投じて、溺れている人を助けるような人命救助など、命がけで人の命を救う行為は、尊いものであり、そういうことのできる人は、神に祝福された特別な人です。
不動心と並ぶ福寿心が神から与えられます。
そういう人の魂は、心界上昇し、明るい神の光の世界に引き寄せられていきます。苦難に負けない心と、人の命を救うために命懸けになる心とは、魂にとって、この世の最高のパフォーマンスを成し遂げる心です。

なお魂の世界は、時間も空間も超越した世界ですから、感覚的には1日も、千年も変わりありません。
空間も超越した世界なので、イメージすると、瞬時にどこへでも出現できるのです。
地球の裏側にも一瞬です。
絶対時空に存在するのが魂や神の世界です。
時間軸、空間軸の概念は存在しません
# by toukokira-kira | 2019-07-13 11:43 | Trackback | Comments(0)

金縛りの法

執着の念や囚われの念、非業な行いなどの罪業が枷となって、霊界に行けず、不成仏となって幽界をさまよう霊を成仏させるのが、陰陽師の成仏法です。
幽界を支配する出雲の国の大国主命は、別の名を閻魔大王と言って、相当怖い方です。
現世での魂の罪業、功罪を審判します。
罪業の重い魂は、閻魔大王の命により、地獄世界に追いやられます。
幽界の最下層の暗い世界です。
地位も、名誉も、権力も、閻魔大王の前では邪魔になるだけで何の影響力もありません。
こうした幽界に自縛化した浮遊霊は、身代わりを見つけて、人間の身体に憑依して、再生しようとします。
波動の合った人間に憑依します。
要は、似たような人間を捜して憑依するということです。
とくにこの世に恨みを残して死んだ亡霊は、恨鬼といいますが、恨鬼は、夜になると憑依する人間を見つけ、この世に再生すべく盛んに活動します。
亡霊、怨霊は人間にとりついて再生しようとする習性があり、同類の者を見つけてとり憑こうとします。
同類とは、同じ周波数の波動をもつ人間を捜し出してとり憑くのです。
恨みや憎しみ、怒りの念に翻弄されている闇の心をもった人間に入り込むということです。
正しい健全な心をもった人間には近づけませんから、ちゃんと人生を送っている方は心配はいりません。
波動共鳴の法則により、明るい健やかな心には魔は入ることができません。
そして、こうした霊を縛りつけるのが、不動明王の金縛りの法です。
目に見えない不動の縄で死霊や怨霊を縛り付け、懲らしめる法であり、陰陽師の退魔法の一つです。
万丈の気骨と気迫が魂魄にないと修法できません。
# by toukokira-kira | 2019-07-12 22:18 | Trackback | Comments(0)

召鬼法とは

召鬼法とは、陰陽師の鬼を操る法のことである。
これは怪しい世界のものと紙一重の世界です。
現実世界では考えられない摩訶不思議の世界のものが召鬼法です。
鬼とは、邪気、怨霊、恨鬼、動物霊のことであり、要は、幽霊を使役する術のことである。
それゆえに、その正体を見抜く力がないと、陰陽師といえどもこれを使役できません。
聖剣と聖水と秘符の三種の神器と術法とで自在にコントロールする霊力が必要です。
霊邪気を自分の子分、手先にして使う呪法は、危険であり、相手に致命傷を与えることになるので、現代では使用禁止です。
ですから現在では、式神の法によって、危険ではない四神,八神を使役します。
四神と「鳳凰」「麒麟」「青龍」「霊亀」の四獣神のことで、これら四獣神を使役して陰陽師の式神の術法を修します。
青龍は守護神として使い、火を吹く鳳凰は無敵の攻撃神として使役し、麒麟は霊界との交信に用いて、霊亀は治癒神として患者の治療に使います。
これが私の召鬼法としての式神の法の概略です。

# by toukokira-kira | 2019-07-10 19:54 | Trackback | Comments(0)

判断を誤らないためには

宇宙の摂理を考察する時には、感情を加味せずに、純粋に思考することです。
何をいいたいのかというと、物事の道理を考えるときには、感情を入れずに考察することが必要ということです。
感情とは、己に力を与えるものですが、物事を判断し、考えるときには不要のものとなります。
感情は制御が難しい上に、本能と直結しているため、湧き上がってくる思いには、感情が常に伴ってきて、やっかいです。
ですから必然的に自分の都合のよい道理を組み立てるのが人間ということです。
判断を誤らないためには、感情を入れずに思考することが大切です。
まずは感情を交えずに、問題の道理、因果律を読み解いたならば、ここから感情の力を借りることになります。
行動する力は、感情の力だからです。
喜怒哀楽の力が乗り越えて、前進していく力となります。
怒りの感情も度を過ぎなければ、前進していくための力となるのです。
悲しみの感情さえも、度を越えなければ、再起する力となります。
道理とは、自然界の摂理からくる道理のことであり、自我からくる道理のことではありません。
道理を思考中に感情が加味された場合には、自我からの道理となります。
感情が加味されなかった場合には、自然の摂理からの道理となります。
これを人は自然の理と呼んでいます。
道を歩むときに一番必要なのは、自然の理です。
考えて、判断するときには、感情を完全に除外せよということです。
そして、行動に移すときには、「よし、やるぞ」と感情の力を借りれという理です。
# by toukokira-kira | 2019-07-06 10:38 | Trackback | Comments(0)

想念体とは

以前、想念が作り上げる想念体について書きました。
そして、想念が作り出す想念体の神や仏、眷属、天使などについて綴りました。
自分の想念によって作られる神、仏、眷属が眼前に現れてくるのですが、これは偽りの神であり、本物ではありません。
それは自分がイメージで作った想念体の神仏です。
見えずとも、そこに気配を放つ想念体が作られ、いつも自分に寄り添っているように感じます。
神仏とともにあるという感覚が生まれます。
そういう感覚が生まれると、神仏の加護があり、神仏の超越的な力が備わったと錯覚します。
でも、まだ何の神通力も想念体にはありません。
想念体の神仏に力を与えるには、与える力をイメージし、想念体に目的と使命を与えなければなりません。
と同時に、邪悪な心や、欲望の心を清めて、純粋な、透明な、澄み切った心で、毎日、想念体に祈りを捧げ、瞑想し、神霊的なエネルギーをイメージで与え続けます。
そうした努力を続けていると、想念体の神仏が成長し、育っていきます。
同時に想念体の神仏とコミュニケーションを深め、絆を深めていきます。
あくまでも純粋なピュアな心で絆を深めていきます。
そうすることで、本物の神霊の力が直に注がれるようになります。
本物の神霊のエネルギーを受けて、偽りの神、仏、眷属が、本物の想念体となるということです。
純粋な心で、本物の神仏をお祈りし、つながりをもつことで、自分の作った想念体に神霊が乗り移ってくれるということです。
私は、二人の愛弟子に「もう一人の自分」を与え、それに名をつけて、名は秘密にして、誰にも言わないようにして、もう一人の無限の力をもった自分を伝授して与えました。
このもう一人の自分との絆を深めて、エネルギーを与え続けると、超越的な存在であるもう一人の自分が育ちます。
欲望的な心や邪悪な悪魔的な心で祈り、つながりを求めると、悪魔や魔王の力が想念体に宿りますので、注意です。危険ですよ。
霊格、品格の向上のための修行を積んでないものは、想念体を作ると危険です。
作られた想念体は、与えられた力、目的、使命を達成しようとして働きます。
願望を叶えさせようとして、思考し、活動するのですよ。
この想念体の神仏、眷属の姿、形は、想念、イメージしだいです。
イメージ通りの姿、雰囲気で現れます。こうした想念体に名をつけ、必要な時に招魂し、働いてもらうのが、陰陽師の式神の法です。
例えば、陰陽師が術法で使う青龍についてでありますが、守護神である青龍には守護という目的と使命をイメージで与え続けており、日々の修行によってエネルギーも与え続けています。
式神を駆使するには、イメージの構想力が必要であり、長い修行が必須です。
式神の概念についてこのように詳述した書物はどこにもありません。
陰陽師の術法である式神の法の基本について今回は公開しました。





# by toukokira-kira | 2019-07-04 23:27 | Trackback | Comments(0)

宇宙の法則とは

宇宙の法則の一つに「潜在意識の法則」というのがあります。
「原因・結果の法則」「波動共鳴の法則」とともに宇宙の法則の3大法則です。
この潜在意識があなたの現実を作り出しています。
ですが、潜在意識にあなたの意思、思いを伝えなければ何も始まりません。
潜在意識に言葉で話しかけても、実は何も伝わりません。
願っても、求めても、努めても、潜在意識に何も伝わっていないので、希望は実現しないのです。
潜在意識が理解し、了解し、望まないことは何一つ現実化しません。
潜在意識に思いを伝え、理解してもらうことがとても大切なことになります。
そこで大切になるのが、潜在意識に思いを伝える方法です。
普通の方法では全く伝わりません。これが現実です。
それではどうしたらよいのでしょうか。
答えは簡単です。
潜在意識に伝わる特殊な言語を使えばよいのです。
潜在意識に伝える言語は、イメージという「宇宙言語」が必要です。
潜在意識ばかりではなく、霊界,神界と交流するには宇宙言語が必須となります。
宇宙言語とは、イメージのことです。
イメージには、とても不思議な力が秘められているのですよ。
そして、イメージの力こそが潜在意識を突き動かすことができます。
これはわが流儀の秘中の秘なのですが、今ここに公開しています。
視覚化、映像化するということがイメージ化するということです。
イメージで描いて伝えないと、潜在意識には伝わらないということです。
イメージでありありと描いて、繰り返し伝えていくと、潜在意識が理解してくれるようになります。そして、同時に霊界にも、神界にも伝わります。
ですから、潜在意識が理解し、了解してくれたことは、必ずそのことが現実化していきます。
そういう意味でよい明瞭なイメージを描くということは成功の秘訣なのです。
潜在意識の法則は、宇宙の法則なのですが、普通の言葉では伝わりません。
潜在意識を活用しようと思えば、潜在意識に伝わる言葉を使う必要があります。
潜在意識に伝わる言葉は、イメージ言語ということです。
イメージで思いを描くと、潜在意識に思いが届きます。
繰り返し、繰り返し、イメージして思いを届けるのです。
繰り返しの法則を忘れないでください。
イメージしたことを、声に出したり、書き出したりして、宣言することも効果的です。
繰り返すと、思いが蓄積していって、大きなエネルギーの塊になると、現実世界にそのエネルギーが流れ出すようになります。
そうすると、夢や目標の実現に向けて必要な人や物、情報が集まりだして、現実化します。
思わないことは実現しないのです。
心で思うから現実が現れるのです。
無意識の世界の潜在意識がそう思うから、現実が生じるということです。
潜在意識が働くから現実化するということです。
イメージ瞑想は、潜在意識に直接働きかけるものであり、瞑想によるイメージ化は、潜在意識の活用の王道です。
イメージ瞑想を生涯の友として、充実した人生を送ることもできるのですよ。
文字や言葉を駆使して、潜在意識に働きかけても、少しも届きません。
どんなにためになる話を聞いても、万巻の本を読んでも、私達の使う言葉や文字は潜在意識に届かないということです。
潜在意識に届かない情報というのは、どんなに本を読んで感動しても、その時だけのもので、数日もすると、記憶から薄れていきます。
潜在意識に伝わらない情報はすぐに忘れてしまい、血となり肉となりません。
潜在意識が理解しないことや望まないことというのは決して実現に向かわないということです。
何度も言いますが、イメージ映像が潜在意識が唯一理解のできる宇宙言語です。
イメージ=宇宙言語ということです。
潜在意識ばかりではなく、霊界や神界に届く伝達方法は宇宙言語であるイメージであり、イメージというのは次元を超えた不思議な力をもっています。
私は、このイメージ力を高める修行をして今日に至っております。






# by toukokira-kira | 2019-07-04 11:28 | Trackback | Comments(0)

左手の法則

陰陽道では左手の法則というものを大事にしています。
前回、顎関節症について陰陽の勾玉で治療する方法をお伝えしました。
今回は左の手の平を操作することで顎関節症を治す方法を伝授します。
まず手に三次元アーチとつくり、脳下垂体がセンター中央に入るようにするために、手の平と、手の甲に六亡星の図象を描きます。
手の平中央に六亡星を銀色で描き、その周囲を金色の円で囲みます。
手の甲には、金色の六亡星を描き、その周囲を銀色の円で囲むように描きます。
これで三次元アーチのある手が生まれ、すこぶる軽くなります。ホルモン代謝が活性化してきます。
左手首に隣接する親指の付け根の拇指のシコリをよく揉み解すと、左側の顎関節症が修復されます。
小指の付け根周辺のコリをよく揉み解すと、右側の額関節症が修復されます。
これは秘中の非に属する秘奥義です。
100%そうなりますのでお試しください。
口腔外科にいくよりも確実に改善されます。
肝臓周辺やお臍の周囲に痛苦しいシコリがあるばあいには、右手の小指側の手の平の最下部周辺を揉み解しながら、肝臓の周辺である右肋骨下部の際をやさしく揉み解します。
この両手取りの施術によって、肝臓周辺に集積している毒素が消滅し、同時に痛苦しいコリも消失します。
# by toukokira-kira | 2019-06-30 22:53 | Trackback | Comments(0)

秘奥義「卑弥呼」の原理

不安とか悩み、葛藤というものは、次から次へと現れてくるものです。
一つ解決したと思っても、次から次へと順番待ちしているかのように、新たな悩みや不安、恐れが現れてきて葛藤します。
人間が生きているということは、それ自体が数え切れないほどの不安や悩みを抱えて生きていることであり、一つ解決するごとに、次の悩み、不安が現われ、それが心を占領するようになります。
ですから、生きている限り、何かしら心配事があり、心が安らぐことはありません。
我が流儀の秘奥義「卑弥呼」を使うと、イメージ波動で一つ一つの不安や悩みというものを取り出して、心の中から消滅させることができます。
いわゆるストレス調和法です。
この秘儀を繰り返すと、何十回目か何百回目には、すべての不安や恐れが遮断されて、心はよりクリアーになっていきます。
魂を覆う汚れ、穢れが消滅していくということです。
イメージで浮かんできた心の汚れを、「いらない!」と断定して、宇宙に放り捨てて、消滅させるのです。
神の光で焼き尽くして消滅させるイメージでもよいでしょう。
イメージで不安を取り出して、消滅させていくと、魂はクリアーになっていきます。
古流神道では、虚空に黄色の光の珠をイメージして、その黄色の光の珠の中に、不安や恐れ、悩みや怒り、憎しみの心などをイメージで一つ一つ入れていきます。
汚れた心が黄色の光の中に入ると、黄色の光の侵入口が閉じていくイメージを行い、それで消滅していくのです。
イメージによって不安や悩みは消滅していくのですよ。
私が、人の不安や恐れ、心配事を秘奥義「卑弥呼」や「始皇帝」によって消滅調和させるのも、こうした玄理が基本になっています。
# by toukokira-kira | 2019-06-28 23:27 | Trackback | Comments(0)

陰陽師の秘奥義

陰陽師の使う術法を陰陽道と言います。
陰陽の意味は、陽が+、陰が-という原理です。
「+」は拡散系であり、「-」は収斂系となります。
磁石で言えば、N極とS極に相当します。
N極とN極は反発し、s極とS極も同様に反発します。
N極とS極は互いに引きつけ合います。
陽を表す色に金色と赤色があります。
陰を表す色に銀色と青色があります。
この陰陽である金銀,赤青の4色の色で治療することもできます。
硬直して短縮している筋肉や靭帯、関節に対しては、収斂して収縮していますので、そこを広げてやればよいのです。
ですから患部の両サイドに金色と金色の勾玉を描きますと、反発して短縮して硬直していたものが拡散します。
縮んで硬直していた患部の筋肉が両サイドから引っ張られて、拡散します。
筋肉の状態がもとに戻るということです。
逆に弛緩している筋肉に対しては、伸びきっていますので、正常な状態に戻してあげます。
この場合は、金色と銀色の勾玉を患部に描きます。
S極とN極が引き合うように金色と銀色は引き合って、伸びきった患部の筋肉を収斂させます。
伸びきっていたものが、正常な状態にまで縮むという減少が起こります。
赤色と青色を使っても引き合いますので、同様な現象が起きます。
これを応用したのが陰陽道による顎関節症の治療です。
収斂側の顎には、金色と金色の勾玉を描き、弛緩側の顎には金色と銀色の勾玉を描きます。
私の場合は、色ペンを使わないで、イメージで4色の勾玉を患部に描いて治療しています。
一瞬で、顎関節症が見事に復整します。
顎関節症を治す方法は幾つも方法がありますが、今回は陰陽の色勾玉を患部に描いて治療する方法をお伝えしました。
これは秘中の秘に属する秘奥義です。初めて公開しました。


# by toukokira-kira | 2019-06-28 16:27 | Trackback | Comments(0)

眼をみればわかる

目は口ほどに物を言うといいます。
人の魂や心の動きは、魂の器である肉体に現れます。
とくに目や身体に現れます。
その中で「瞳」は化粧して隠すことができないので、その人の本質が表れるところです。
眼の奥をジーっと見ればすべてが判るのです。
「瞳」は隠しようがないのです。
眼を見ればすべてが判るのです。
白隠禅師は、「君看よ、双眼の色変わらざるは、憂なきに似たり」と云いました。
日本の名言の一つです。
眼を見ればすべてを察することができるというのです。
心模様は、目に現れるということです。
悲しみに憂う眼か、苦悩に苛まれている眼なのか、怒りに燃えている眼なのか、憎しみを滾らしている眼なのか、喜びに満ち溢れた眼なのか、誰にでもすぐに察することが出来ると思います。
目や身体の様子を見れば、心の中の様子が大体判るのですよ。
喜んでいるのか、嫌がっているのか、リラックスしているのか、緊張しているのかが如実にわかります。
霊視などしなくても、目の動きを観察すると、普通の人でも、ほとんど心の中を見抜くことができるのですよ。
話をしているときに、目がこちらを向いて大きく見開いている人は、波長、波動が自分とよく調和する人です。
安心な人です。
瞬きが多かったり、疑視のまなざしを感じる人は、波長の合わない人です。
嫌らわれていると、そういう眼差しになります。
目の色を見て、どんな色の目なのか、直感で感じることです。
目にはいろんな色があります。
悲しい目、優しい目、苦しい目、怪しい目、疑いの目、不安と恐怖の目など、よく見ると判るのです。
はっとするような大きな目で、或いは、見開いた目で、こちらを見ている人は、まず間違いのない人たちです。
自分にとって、波動が共鳴する良い人たちということです。
私のもとに来る患者というのは、みなこういう人ばかりです。
腕組みをして話す人は、男女ともに警戒心が強い人です。
手を隠したり、拳を握ったまま話す人は、用心深い人です。
手の内を隠す人は油断のならない人です。
手の平を見せて話する人は、安心な人です。
足を揺らしたり、コツコツと鳴らす人は、その場に退屈していて、その場から一刻も早く逃げ出したい人です。
身体にソワソワと落ち着きのない人は、嘘、偽り、隠し事のある人です。
落ち着きのなさを強く感じる人は、詐欺師やペテン師に多いので気をつけましょう。
他人から肩をすくめられたら困惑されているということです。
このように仙術を使わなくとも、目を看れば、普通に相手の心の中が判るのですよ。
目が澄んで清らかで、温かみを感じる人は、人間として最高の人です。
汚れや濁りのある目、用心深い鋭い警戒の目には気をつけたほうが良いでしょう。目は口ほどに物を言うのです。
どんなに表情を作っていても、よく熟視していると、一瞬の刹那に、本来の目の色、光が見え隠れします。
顔は化粧して誤魔化すことができますが、目は隠しようがありません
# by toukokira-kira | 2019-06-27 23:51 | Trackback | Comments(0)

46億年の歴史に思う

地球が誕生してから46億年という。
40億年前に、単細胞の生命体が出現し、その遺伝子が進化して、多用な生物を生み出しました。
5億年まえの人類の祖先は、海の中の魚類でした。
それが進化して、400万年前には、北京原人、ジャワ原人となりました。
そして、10万年前には、ネアンデルタール人に進化し、さらに4万年前には、より人類らしい戦いの巧者クロマニヨン人に進化しました。
そして今日にいたるのが人類の進化の歴史です。
ですから、私達の遺伝子には、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の血を受け継いでいまs。
日本の縄文人は、1万6000年前に出現しました。
そしてこの40億年の間に、3000万種もの生物種が誕生しました。
一つの命の種から分化して、3000万種もの生命が誕生したのです。
「命の種」のことを、古神道では「魂」といいます。
生きとし生けるもののすべては、一つの魂から分化したものだということです。
生物種によって肉体は千差万別に異なっていますが、魂は同一のものです。
メダカやアリのような小さな肉体にも、生命という同一の魂が宿っているということです。
知性と理性をもった人間の魂だけが特別ということではありません。
人間は、脳という進化した肉体をもつ存在ではありますが、魂はみな同一のものです。
肉体が朽ちると、同時に魂も消滅します。
生命体が死を迎えると、その魂は自然界に同化していくように消滅します。
この世界は、生物多様性です。そして共存共栄してきました。
地球上の生物の歴史には、大きな転換点が5つありました。
過去5回の生物絶滅の歴史があるということです。
現在,6回目の絶滅の危機に向かっているということです。
何故ならば、1年間で、4万種もの生物種が地球上から消滅しているということです。
この地球上では、凄いことが、凄いスピードで現代に起きているのです。
鯨やうなぎ、さんご礁,狼や虎などが、絶滅の危機だそうです。
原因は、人間活動による弊害だそうです。
地球が40億年かけて作り上げてきたものが、この数十年で、音を立てて崩れ始めているのです。
南極や北極の氷や氷河の消滅も同様です。
40億年かけてつくり上げられたものは、一瞬で破壊されますが、もとに戻そうと思っても、もう戻せません。
地球破壊を止めて、地球を大切にする必要があります。
現在、地球には、75億人の人間が暮らしています。世界の科学者が計算すると、もうすでに地球1,5個分の人口だそうです。地球の食料、資源、エネルギーは限られています。
75億人の人間が、すべて日本人と同じように暮らすには、地球2,3個分が必要だそうです。米国人と同じ暮らしをするには、地球4個分が必要だそうです。
地球の人口は、毎年1億人づつ増加し、もうすぐに100億人になっていきます。
どうするのでしょうか。
現在の地球でさえ、餓死者は年間1億人です。
9億の人々が餓えと争いと伝染病に苦しんでいます。
恵まれた国の人々は、16億人です。
何とか生きている貧しい国の人々が47億人です。
食料、資源、エネルギーの争奪、分捕り合戦は激しさを増していますが、世界の平和は保てるのでしょうか。心配ですね。
牛肉も、マグロも、サーモンも、ウナギも世界中で分捕り合戦が激しくなっています。
日本ではこれに高齢社会の問題に拍車がかかっています。
北海道の上砂川町では、高齢化率が50%をこえました。
この町では、住民の二人に1人が65歳以上の高齢者ということです。
老後の年金や生活費の問題も噴出してきています。
令和という時代は、国の形が大きく変わる大変な時代だと思います。


# by toukokira-kira | 2019-06-26 22:31 | Trackback | Comments(0)

永遠の命

波動共鳴の法則は、不思議な法則である。
同類の波動は、同類の波動を引き寄せるという法則です。
類は類を呼び、友は友を呼ぶ法則とも言います。
そこに善悪の意思も判断も存在しません。
似たような波動の者同士が引き合うということです。
言い換えるならば、似たもの同士が結びつくという法則です。
良い波動には、良い波動が引き寄せられ、悪い波動には、悪い波動のものが引き寄せられるということです。
幸せな波動には、幸せな波動のものが招き寄せられてきます。
不幸な波動には、不幸な波動のものがやってきます。
争いと対立の波動には、同じような争いと衝突の波動をもったものがやってきます。
音楽を愛する波動のものには、同類の波動の者が集まってきます。
邪悪な心の波動のものには、邪悪な者が訪れて参集して来るようになります。
愛と感謝に生きる者には、愛と感謝に生きる人々が招き寄せられてきます。
お金にも波動があり、お金の波動には、お金の波動が引かれてきます。
お金を持っている人の波動には、同じように、お金を持っている人の波動が反応してきます。
波動の法則に善悪はありません。
成功者には、同類の成功者が集います。
失敗者の波動には、同類の失敗者の波動が集います。
自殺者には、同類の自殺者の波動が引き寄せられています。
何度も言いますが、波動の法則に善悪はありません。
ただ似通った周波数の波動が引き合うということです。
すべてがそうした波動の法則で貫かれているのが、この世界です。
現実世界は、目には見えませんが、波動世界なのですよ。
宇宙の法則は、波動の法則であり、そこに善悪の概念はなく、因果の法則である原因・結果の法則によって、代償が伴うだけなのですよ。
波動が波動を呼ぶのです。
波動が同類の波動を呼び込むのです。
好むと好まざるに関わらず、波動が同じ同類の波動を引き寄せているのです。
極悪非道な半端者でも、金運波動に恵まれている者は多く、金運波動と人格、品格波動とは無関係です。
金が金を呼び込んでいるのです。
この世の中で、金持ちが幸せ者と錯覚しているのは、損得勘定で生きている人が多いからです。
肉体をもたない魂にとっては、お金の使い道などありません。
魂レベルではそんなことはどうでもよいことなのですよ。
肉体をもつと、現実にお金が使えるようになるから、欲望を貪るようになるのです。
修行を重ねた魂は、この世に肉体をもって生まれても、欲望には無頓着です。
魂を磨いて、さらに向上していけるようなことにのみ最大の関心を示します。
この現実世界で、欲望に塗れ、金に塗れ、権力に塗れている者は、みんな未熟な魂の者たちです。
修行の進んだ高貴な魂の者は、清貧で誠実、正直で謙虚な魂の者です。
魂の真実、心の真実を悟っているのです。
本当の人間の有り様が判っているのです。
人間は、神から様々な人生プランを与えられて輪廻転生し、魂の修行場に向かいます。
神から与えられた人生プランにそって人生、運命を歩むのですが、人生プランは、神との約束事です。
魂の修行のために、自分が選んで約束した人生プランです。
社会環境、生存環境も自分が選んで生まれてきます。
あるときには、大金持ちの家に生まれ、何不自由なく暮らす人生を選択して生まれ落ちてきます。
あるときには、貧乏極まりないどん底の生存環境を選択して生まれてきます。
あるときには、権力者として、あるときには芸術家として、あるときには、宗教家として生まれてきたりします。
魂の修行に必要な生存環境、試練を選択して、輪廻転生を繰り返すのが、人間というものです。
権力や地位を握った者というのは、転生によって、驕り高ぶった者にもう一度権力と地位のある人生を与えて、権力を摑んでも、なお謙虚な誠実な生き方できるかどうかの試練を与えているということなのです。
その魂にとって必要があって、生存環境、社会環境が与えられるのです。
背負ったカルマの解消のために、同じ境遇の中に生まれ落とされることも多いのです。
有名になるのも結構、金を摑むのも結構、権力を握るのも結構、地位・名誉を摑むのも結構なことなのですが、魂にとって問題なのは、どのように金を生かして使うのか、どのように権力を人々のために活かすのか、ということが問われているのであり、大切なのです。
人の為、世のために金を使い、権力を使うかということが、その魂の分かれ道となります。
同じ境遇に生まれてくることは、二度とはないのが原則です。
今が大金持ちでも、来世は、違った境遇となります。
今が貧乏、どん底でも、来世は大金持ちの境遇で修行かもしれません。
自分の魂が神と相談して決めてくるのですよ。
魂の修行に必要な境遇が与えられるということです。
人生プランの作成には、神とともに、先祖の高級霊、指導霊も関与しています。
この世の境遇、浮き沈みは、はかない花のようなものであり、ひとときの幻のようなものです。
嘆き悲しむことも、喜びに沸き返る必要もありません。
ソクラテスの弟子プラトンは、永遠の命について説かれました。
それがキリスト教の信仰の母体となりました。
永遠の命は、輪廻転生の輪の中で、さまざま境遇、試練を体験しながら、向上進化し、神の光に近づいていくのですよ。
ご縁があって、ここまで読み進まれた修行者は、もう普通の人間ではありません。
三千世界を目前にした修行者であり、神と縁で結ばれた者たちです。合掌

# by toukokira-kira | 2019-06-24 22:07 | Trackback | Comments(0)

第三の眼を鍛える

私たちの額の中央部は、印堂といって、霊的な働きを司るチャクラです。
霊的な働きをするがゆえに第三の眼とも言われています。
印堂は、生命中枢である脳器官の脳下垂体、松果体の反射点です。
とくに睡眠中枢である松果体が発達してくると、霊的な力が発達してきます。
睡眠を誘うメラトニンは、朝の陽光を浴びてから15~16間後に分泌される脳内物質です。
朝の陽光を散歩などで十分に浴びておかないと、15時間後の夜にメラトニンが分泌されず、不眠症状になりやすくなります。
さて、話を第三の眼に戻しましょう。
私は、何かをイメージするときには、この額の中央部の第三の眼でイメージするようにしています。
患部に向けて、光の珠をイメージで放射するときにも、この第三の眼から光の珠をイメージで放出します。
頭の中でイメージするのではなく、第三の眼でイメージすることが大切です。
第三の眼から光の玉を前方に押し出したり、そこから後頭部まで引っ込めたりして、第三の眼を鍛えると、第三の眼が活性化してきます。
段階が進んでくると、光の玉の出し入れのスケールが大きくなり、前方に押し出したたイメージの光が宇宙の中心まで飛んで行き、さらには地球をグルグル回って、第三の眼に戻ってきます。
こうすることによって、第三の眼が霊眼となって開いてきます。
# by toukokira-kira | 2019-06-23 13:17 | Trackback | Comments(0)

怒りとは何か

「怒り」については何度も解説してきました。もう少し書きます。
人間は感情の動物です。
そして、すべてのネガティブな感情の奥底には「怒り」の感情が含まれています。
「怒り」の感情を理解し、克服することが人生の達人の道となります。
人間は、実は、怒りを糧にして生きています。
怒りを友として生存している生命体です。
怒りの感情なしでは生きていけない生命体です。
人間にとっては、怒りこそ、生きる力なのです。
怒りがあるから、それが力となって前進できるのです。
ですからそうした意味で、怒りがあるから夢が実現するのです。
人間から怒りの感情を除いたら、もう人間ではありません。
ですから、怒りを否定的に考える必要はありません。
怒りは生存と前進のための必要要素と捉えましょう。
人間から怒りを奪うと、無気力な夢遊病者となります。
怒りがあるから、意地も芽生えるのです。
怒りがあるから、耐え忍ぶこともできるのです。
怒りがプラスに働いているうちは、人生にとって実に有益なのです。
しかし、問題なのは、怒りがマイナスに働いたときです。
ネガティブな心で怒りが爆発すると、人生のすべてを一瞬のうちに失うことになります。
人間にとって必要不可欠な「怒り」なのですが、その怒りも過ぎると、激怒となり、よくありません。
喜怒哀楽の人生といいますように、喜怒哀楽の感情は普通に働いているうちには、プラスの方向に働いてくれます。
しかし、喜怒哀楽の感情が過ぎると、人生や運命を狂わせますので、よくありません。
喜びは、進むべき方向を指し示してくれますが、喜びが過ぎると、悪戯となります。
怒りは、前進する力となりますが、過ぎると激怒となろ、何もかも破滅へと導きます。
悲しみは、再起する力となりますが、過ぎると絶望となり、身の破滅を誘います。

さて、人間の本能には、闘争本能と怒りの本能が色濃く詰まっています。
そんな中で、人間のもつ正義心と理性が、感情の爆発、怒りの爆発を抑えているために、人間らしく振舞えるのです。
ですが、社会的に孤立している人や、疎外感を感じて生きている人は、怒りを抑制することができません。
孤独や疎外感というものは、怒りを絶えず誘う感情だからです。
孤独な者の怒りが世の中で一番こわいのですよ。
昨今,団塊の世代が高齢者になり、高齢化の問題が深刻になっています。
収入のない貧困の認知症の一人暮らしの高齢者が急増しているからです。
とくに男性は、会社人間が多いので、他に付き合いもなく、仕事を辞めると、社会的な孤立感、疎外感が大きくなります。
現役時代に企業の会長だとか、教授だとか、肩書きで生きてきた人の孤独感、疎外感は計り知れなく、心の中は怒りで充満しています。  
加えて800万人も存在する認知症患者です。
認知症の症状には、妄想、興奮,幻視、幻聴などがあります。
財布を盗まれるという妄想で、家族に暴力を振るったり、目の前に敵が数人現れて見える幻視により暴れたりして、高齢認知症の人の暴力、怒りが顕著なのです。
日本人は基本的に恥じの文化の中で生きていますので、世間体を気にしたり、世間体を大事にしているうちは、理性が働き、怒りや暴力を抑えることができるのですが、世間との付き合いがない場合には、抑制する力が働かないので、孤立した人間は、怒りや暴力を暴発させます。
昨今、老人高齢者の暴行や犯罪事件は急増しており、何と、発生件数は過去の50倍近いというのです。
少子化の問題とともに、高齢者の問題も深刻で複雑化しています。
同時に、超高齢社会が進展しつつあります。
わたしが若い頃には、65歳以上の高齢者は、全人口に締める割合は7%以下の時代でした。
当時は、10以上の若者が1人の高齢者を支えるという時代でした。
それが65歳以上の人口が7%を越えて「高齢化社会」と定義づけられる世となり、さらには高齢者人口が14%を越えて「高齢社会」に突入し、現在では高齢者人口が27,6%の「超高齢社会」に突入しています。
65歳以上の高齢者人口は1734万人、75歳以上の高齢者が1436万人、90歳以上の高齢者が177万人もいます。
そして100歳以上の長寿者が6万7000人もいます。
30年後の2050年頃には高齢化率40%になると予測されています。
現在、若い世代2,26人で1人の高齢者を支えていますが、30年後には間違いなく、1人の若者が1人の高齢者を支えるという「超超高齢社会」を迎えることになります。
生活を支える年金も不確かで、このままでは破綻に向かうでしょう。
老人の怒りが渦巻く世の中が確実にやってきます。
そんな中で、美しい老後を過ごすには、経済的な豊かさとともに、人間本来の美しい心の復権が不可欠です。
# by toukokira-kira | 2019-06-22 20:10 | Trackback | Comments(0)

苦海の人生

仏陀の教えでは、この世の中は、一切皆苦といいます。
すべてが苦であるというのです。
ですから苦海の荒波に翻弄されるのが私達の人生です。
世の中には、楽しいことも、嬉しいことも、喜びも希望も一杯あるのですが、それらも含めて、仏陀であるお釈迦様はすべてが苦であるというのです。
それは、すべてが変化して、動いているからです。
森羅万象のすべてが生成流転していますから、変化が変化を生み出しています。
この世の中で変わらぬものなど一つもありません。
喜びは、やがて悲しみとなり、希望はやがて失望となるからです。
永遠不変なものなど何一つありません。
釈迦の説いた「苦」とは、自分の思い通りにならないことが苦です。
世の中は、自分の思い通りにはならないことばかりです。
だからすべては苦なのです。
生老病死を四苦といいます。
4つの避けられない宿命を四苦というのです。
生きること、老いること、病むこと、死ぬことは、すべての人に必ず訪れます。
苦を受け入れて、苦の本質を明らかにすることによって、人生を豊かなものにすることもできるのです。
苦を諦めるのではなく、苦を明らめるのです。
苦の本質を明らかにすることで、苦を悟り、いつか苦を超越できるのです。
苦を超越した心の階層は、一番高い魂の階層であり、釈迦、キリストの世界ですが、誰にでも可能性のチャンスは与えられています。
日本では、空海と道元禅師が苦を超越した方です。合掌
# by toukokira-kira | 2019-06-21 00:03 | Trackback | Comments(0)

命ほとばしる

人間は、見方を変えると、波動エネルギーとしての存在です。
生命エネルギーであるプラーナが人間の生命力を握っています。
生命エネルギーは、心をたぎらせ、情熱を燃やすと、消費され、新たなエネルギーの補給が必要になります。
極限まで情熱を燃やし続けると、生命エネルギーが枯渇し、滅気状態となります。いわゆる燃え尽き症候群となります。
スランプとなるということです。
寝ても覚めてもという努力邁進を続けていると、ある時から、生命エネルギーが枯渇して、スランプ状態となります。
生命エネルギーは無限ではなく、補給しないと枯渇するということです。
やはり、人間というのは、ゆったりとリフレッシュすることが必要です。
生命エネルギーを補給する休養が大切ということです。
そうすることで、また再び情熱をもって取り組むことができます。
スランプを感じた時は、一時休養し、リフレッシュに努めることが大切です。
そういうわけでスランプは、がんばる人間であれば、誰にでも生じる現象です。
スランプはエネルギーが枯渇した状態ですから、エネルギーを補給さえすればまたやる気が湧いてきます。
世界的なピアニストも、バレリーナでも、スポーツ選手でも、必ずやってくるのがスランプです。
要は、がんばりすぎてのエネルギー不足ということです。
医学的には燃え尽き症候群ということです。
そういう人は、完全燃焼して燃え尽きて、燃え殻となっていますから、十分な休養が必要です。
エネルギーを再び蓄えると、元気になります。
何も心配はいりません。
そして、情熱をもって完全燃焼した記憶と経験のある人は、努力の大切さと、生命の輝きが何かということを知っている人です。
完全燃焼した経験のない人は、残念ですが、まだまだ修行の足りない未熟な魂の持ち主です。
自分の道が見つかると、夢中になり、完全燃焼できるのですが、自分の道を見つけることができないでいる人は、なすべきことも成さずに、無為に人生を過ごすばかりです。
俺は何のためにこの世に生まれてきたのかという嘆きの人生となります。
完全燃焼できる自分の道があるかないかによって、人生、運命は分かれていきます。あなたはどうですか。
花が美しいのは、迷うことなく、一筋に花の命を咲かせ、一意専心で花の光を点ずるからです。
私はそう思っていつも花が放つ光を見つめています。
合掌

# by toukokira-kira | 2019-06-19 17:51 | Trackback | Comments(0)

怒りという感情の正体

欧米では、肥満の者、喫煙者と並んで怒りっぽい人は、出世コースから外されるそうだ。
怒りを制御できない人は、管理職にはなれないということです。
さて、怒りとは、なんでしょうか。
ストレスと同じように、判っているようで判っていないのが「怒り」の正体です。
怒りという感情が理解できると、人間世界の大抵のことは解るようになります。
何故ならば、怒りという感情は、人間の心の根源にある根本心だからです。
私はこの怒りの感情について、随分と長い年月をかけて研究してきました。
そこで解ったことは、ストレスやネガティブな感情の奥底には、怒りの感情が伴っているということです。
ストレス=ネガティブな感情=怒りの感情という関係になります。
どういうことかというと、苦しみや悲しみ、憎しみや妬みなどの負の感情の裏側には必ず怒りの感情が寄り添っているということです。
世間から孤立した孤独者の怒りが爆発すると一番強い怒りとなります。
日本には、100万人もの引きこもりの人々が存在します。
そのうち半数以上の6割が中高年の人々の引きこもりです。
80代の父母に甘える50代の人々の引きこもりが新たな問題になっています。
そして、孤独者の怒りは大変こわいものとなります。
人生は苦であり、苦にはつねに怒りがつきまとっています。
苦海の人生ですから、人間の心には、つねに怒りが込み上がってきます。
怒りをいかに克服するかというのが人生の重大事となります。

怒りという感情は、小さな怒りから大きな怒り、激しい怒りまでさまざまですが、
それが人間の人生を支配しています。
イライラ、セカセカ、クヨクヨ、ムカムカという感情も立派な怒りの感情です。
このような小さな怒りも塵のように積もれば、大きな塊になって溜まっていきます。
正義感と合わさった怒りの感情は、前進するための力、勇気の力となります。
希望を失った絶望の怒りは、人生をどん底に突き落とします。
恨みや憎しみの感情を伴った怒りは、人生のすべてを一瞬で失わせる怒りとなります。
人生は喜怒哀楽といいます。
喜怒哀楽の人生が私たちの人生です。
生々流転の世なれば、喜びは悲しみにかわり、楽しみは苦しみに変わります。
悲しみの感情の裏にも怒りの感情が潜んでいます。
人間の苦しみとは何でしょうか。
思うようにはならないのが私達の人生です。
苦とは、思うようにならないことから生まれる感情です。
思うようにはならない人生だからこそ、自分さえよければよいという感情がはびこります。
江戸時代の儒学者中江藤樹は、自分さえよければよいということこそ、人間の原罪だと解説しています。
自分さえ良ければよいという心は、闇の者の感情であり、運命が堕ちていく心です。
そういう心だと、強い怒りとともに、苦難という苦を味わうことになります。
怒りの感情には、すべて苦という感情が伴います。
怒りの感情とは、人間の根本心であり、広義には、マイナスの負の感情、ネガティヴな感情のすべてが、怒りの心が根源です。
そして怒りにはすべて苦がともないます。
人生は苦なり、という所以です。
後悔もジェラシイも、妬み、嫉みも、羨みも、恨みも。憎しみも、すべて根源にあるのは怒りの感情です。
人生の成否を分かつのは、怒りの感情なのです。
こうすべきだ、こうあらねばならないという感情の裏返しが怒りとなります。
自分の心のルールに合わない人や、逸脱した人には、怒りが湧き上がります。
身近な人、親しい人ほど、こうすべきだという自分の心のルールにそぐわない場合には、怒りが大きくなります。
天変地異などの大きな災害に対しては、こんなことが起こってしまったという抵抗できない怒りが生まれます。
天変地異に対して怒りを表しても、届きませんし、怒りは空しいものに終わります。
怒っても仕方のないものに対しては、怒りはそれ以上大きくなりません。
人間は、怒りとともに生きているのであり、あらゆる闇の心が怒りを始原として生まれています。
腰痛も、肩凝りも、内臓の不調も、深刻な病も、すべては、怒りから生じています。
自分の人生も、運命も、境遇も、人間関係も、すべては心の怒りによって左右されています。
怒りを制御することを、自己コントロールといいますが、この人間世界の実相を知り、心の真実を悟り、自己コントロールできるように修練することは、人生の一大事です。
瞑想呼吸法が力を発揮します。
その一瞬、大きく深呼吸できれば、怒りは、爆発しないですみます。
怒りの6秒間ルールというのがあります。
6秒間一呼吸して怒りを辛抱できると、怒りは爆発しないですみます。
怒りが爆発しそうになったら、一呼吸、二呼吸でよいから大きく深呼吸することです。
我が流儀、五心朝天法は、霊的な処理、祓いとお清めばかりではなく、人間の心の真実、人の道の有り様も探求、指導しています。
今回の怒りと苦というものの解説は、秘奥義であり、初めて公開するものです。
若いうちにこの解説を読む機縁を持たれた方は、天より選ばれしものだと思います。
清貧でない者、志をもたぬ者、与えることをしらぬ貪りの者は、大概が怒りの虜です。
怒りを制するものは、人生を制するものと言っても過言ではありません。合掌
# by toukokira-kira | 2019-06-19 16:39 | Trackback | Comments(0)

「出会い」こその人生

人との出会いは宝物です。
どんな出会いでも必ずあなたにとって意味があります。
出会いは、一期一会です、大切にしましょう。
人生は、人との出会いから始まります。
人間の人生も、運命も、詰まるところ、人との出会いしだいです。
喜びも、悲しみも、人との出会いしだいです。
運というのは、人との出会いからもたらされるものだということです。
出会いなくして、運が拓けることはありません。
人との出会いを嫌がって、閉じこもっている人の運命は閉じたままで拓けません。
日本には、引きこもりという人々が100万人以上いるそうです。
驚くべきことに、働き盛りの中高年の人々60万人が高齢の父母に甘えて、引きこもっています。
欧米ではみられない現象が引きこもりです。
日本人の甘えの構造がそうさせています。
さて話を本題に戻します。
人との出会いをどう捉えて、どう生かすかによって、人生は大きく変わります。
人からの頼まれごとは、出会いのチャンスです。
嫌がらずに、積極的に引き受けましょう。
人からのお願いごとは、飛躍のチャンスです。運命転換のチャンスです。
与えれば与えられる法則のとおり、自分に還ってくるのです。
新しい飛躍のチャンスは、新しい出会いとともに生まれます。
人との出会いを大切にして、前向きに捉えることが大事です。
人が向こうから、どんどんと会いに来てくれるようになったら運気は、ますます隆盛となります。
人が人を呼び、運気が運気を呼ぶからです。
金運が金運を呼びます。
善なる波動の連鎖が幸運を呼び込みます
# by toukokira-kira | 2019-06-17 23:01 | Trackback | Comments(0)

運命転換の秘密

ありのままの自分、あるがままの自分を見つけ出すことが大切だと前に言いました。
そして、当たり前のことが当たり前と思っているうちは、修行が足りません。
例えば、家族はいて当たり前とお思いでしょうが、家族を失った人もいるのです。
最愛の父母や伴侶を失ったり、子供を失った人も大勢いるのです。
当たり前のことが当たり前と思える人というのは、とても幸運な人です。
当たり前のことが当たり前でないのがこの現実世界だからです。
人間は一人で生まれてきて、1人で死んでいきます。
生に暗く、死に冥いのです。
「生も日常、死も日常」という言葉があります。
生も死も特別に構える必要がない、という意味です。
死をいつも意識しすぎると、毎日が辛くなります。
生きることを毎日意識しすぎると、毎日が疲れてきます。
生も死もあるがままに、日常の当たり前のこととして受け止めようという教えが
「生も日常、死も日常」です。

自利利他という言葉があります。
大我の心とか、真我の心と言い換えてもよいでしょう。
これらの言葉は、どれも人間の生きる道筋を教えてくれる言葉です。
人間は何のために生まれてきたのかという根源的な意味を問う言葉です。
今年は是非とも、世の為、人の為に生きてみてはどうでしょうか。
そういう年回りです。
自分のためにだけ生きるのではなくて、まず他者のために生きてみましょう。
そして次に、社会のため、公共のために奉仕し、尽くす生き方を実行してみましょう。
世のために、社会のために貢献できたという喜びは、本当の喜びです。
他者のために、社会のために、或いは公共のために、奉仕して尽くしたことのない人には、ありのままの自分と出会うことは永遠にできません。
自分が、自分がと思って、自分のためにだけ生きている人には、あるがままの自分を認識することができません。
そして、見返りを求めて、人に何かをしてはなりません。
見返りを期待するならば、人に何かをしてはなりません。
これが人間世界の共通法則です。

自分の過去の言動を振り返って、内省、反省し、人の為、世の為に生きようとしている人は、ありのままの自分を深く感じることができます。
ありのままの自分とは、真如,真人の自分です。
ありのままの自分を感じられると、次の新しい世界へ参入できます。
ありのままの自分というものを、自分で描くことができるようになります。
自分で好きなように、自由自在に、ありのままの自分というものをイメージするのです。
それがあるがままの自分として潜在意識にインプットされ、人生、運命が大きく変わります。
これは運命転換の秘密の奥儀です。
ありのままの自分を感じられるようになったら、今度は、イメージでありのままの自分を想い描くということです。
なりたい自分をイメージするということです。
# by toukokira-kira | 2019-06-14 23:29 | Trackback | Comments(0)

岩を貫く信念

極真空手の創始者大山倍達は、どんな境遇に堕ちていても、やる奴はやる、どんなに環境が恵まれていても、やらない奴はやらない、と言っています。
死に物狂いで本気でやる奴は、ほっておいてもやる、やらない奴は、どれだけサポートしても、やらない奴だ、とも付け加えています。
命懸けの努力を続けるためには、好きで楽しいという感情がなければなりません。
義務感で嫌々やっていると、創意工夫もなく、どうしてもミスが多くなります。
それでは良い仕事ができません。
さて、天の理とは、神が定める人の運命のことですが、大山は、この運命さえも、自分の力で変えようとした人です。
よく「天の時」とか「天の理」という使われ方をします。
死に物狂い、本気でやれば、運命は変わる。
無我夢中の集中力があれば、人生、運命が変わる、と唱え、実践した人です。
大山は「無我夢中の力」と言いました。
そして空手界の伝説の人となりました。
大山は、天之理も、地の利も、人の和も、すべてが無我夢中の集中力あれば、後から付いてくることを証明しました。
夢中力で運命が変わるということです。
強い信念と志があれば、その信念が岩をも貫き、砕くということです。
それほど強い信念があれば、天の理も、天の時もあなたの背中を後押ししてくれるということです。

# by toukokira-kira | 2019-06-13 11:07 | Trackback | Comments(0)

無我の大我とは

無我とは、この世で一番かわいい存在である自分を忘れ去ることである。
自分を忘れることとは、自分という存在から一端離れることです。
自分という存在を因数分解してみると自分という存在がどんなものかよく判ります。
微分、積分して己という存在を分解してみることです。
きっと誰もが飽くなき欲望と、際限のない執着と、マグマのようにドロドロとした情念とが渦巻いていることでしょう。
無我とは、自分が、自分が、己が、己がという意識は寸分もない世界のことです。
富も、名誉も、地位も、名声も、権力にも執着しない世界のことです。
それが無我です。しかし、欲望も執着もない世界ですから難しい境地です。
無我の境地では、人格の完成という意識も、自己の救いという意識さえもありません。自分というものがないからです。
透明になった自分、それが自分を忘れるということです。
そして、自分というものが一切ない無我の境地の中で、他者や社会のために尽くすという心を大我の心といいます。
これを無我の大我ともいいます。
現実世界の中で、私は、こういう人をいまだみたことがありません。
無我と大我とは、共鳴波動の関係のものです。
無我の実践が、大我の心の実践であり、自利利他の心の実践ということです。
我が流儀ではこれを四端の心の実践と申しています。
人間世界の真実と真理がここにあります。
自分を空にして、自我を失くすることが、本当の自分に遭遇するということです。
自分を空にしないと、本当の自分に近づけないということです。
自分を忘れた時に、すべてが自己になるということです。
自己がないとき、すべてが自己だ、といったのは道元禅師です。
すごい達観だと思います。チンポウミボウの自己です。
すべてのものに、真実の自分が現れるという真理が、そこにあります。
無我の大我こそ、真実の本来の自己です。
無我こそ、無相の自己であり、自己もなく、他己もない世界です。
まさに自利利他の心です。少し難しかったですね。
我々が棲む迷いの世界である菩薩界には、無我の大我の存在はありません。
心界上昇して如来界の上方にいかないと、そういう世界には遭遇できません。
が、しかしです。それは、人間が永遠に目指すべき世界です。
幾多の困難、試練を見事に乗り越えていった人物といのは、如来界に心界上昇を果たした魂といえるからです。






でも、これは宇宙の真理です。
この宇宙の真理は、万法共通の法則です。
それ故に、諸法無我といいます。
無我を実践できる人は、人類史上、そう多くはありません。
私達の目指すべき永遠の目標です。
# by toukokira-kira | 2019-06-12 17:11 | Trackback | Comments(0)

潜在意識

魂とは潜在意識のことである。
悠久の魂の記憶が潜在意識にはびっしりと詰まっており、因縁やカルマの記憶も刻印されています。
この潜在意識は、宇宙意識と直結しており、潜在意識のアンテナ受信機である第三の眼に意識を集中すると、宇宙意識波動とつながります。
第三の眼でぼんやりと瞑想したことが、第三の眼に映像情報として入ってきます。
宇宙意識波動とは、霊界のアーカシックレコードのことであり、霊界情報がそこから映像情報として降りてきます。
ぼんやりと瞑想して「こんなことができたらいいな」「あんなことができたらいいな」「こんな病気や症状を治せるといいな」と瞑想していると、第三の目に必要な映像情報が霊界の智慧として入ってきます。
しかし、眼を覚醒させた瞬間に、99%以上のことが忘れ去っています。
潜在意識の思考回数はものすごいスピードなので、顕在意識に戻った時点ですべて忘れてしまいます。
潜在意識の動きはとても早く、1秒間に4000億回の思考回数です。
瞑想中にはゆったりと映像記憶をかみしめていますが、眼を覚醒すると、何も記憶することができません。忘れ去って、何も残りません。
それでもわずかな記憶の断片をかき集めて、それをヒントに新しい治療方法を開発しています。
第三の眼による瞑想呼吸法はたくさんありますが、第三の眼に意識を集中して、瞑想しながら呼吸法を行います。
第三の眼に口、鼻があると思って、そこで呼吸します。
吐く息の時、イメージで光の珠を螺旋状に第三の眼から数十センチ前に押し出します。数十センチ先の空間は、数億光年先の異空間と設定します。
吸う息の時、今度は、それを第三の眼に戻し、さらに奥の後頭部までイメージで動かします。これを暇さえあれば繰り返します。
第三の眼が活性化して、アーカシックレコードとつながります。
宇宙からの情報が降りてくるようになるということです。
大宇宙の意識と、人間の小宇宙意識とがつながったのです。
そうなると、霊界の情報が気づきとして降りてきます。
直感とか、第六感というものは、いわば天啓ですから、だいたい正しい方向に導いてくれます。
迷わず、直感を信じることが大切です。






# by toukokira-kira | 2019-06-10 21:03 | Trackback | Comments(0)

武士道の心

以前、武士道とは我慢すること、耐え忍ぶことだと云いました。
大義のためには、堪えて、堪えて、どこまでも耐え忍びます。
我慢にも限界がありますが、とにかく我慢して耐え忍ぶのが武士です。
仏教中興の祖であり、釈迦の生まれ変わりといわれた竜樹菩薩は、「色即是空、空即是色」という空の思想の生みの親ですが、この空の思想の結晶が「自利利他」です。
「自利利他」とは、一言でいうと、我慢すること、耐え忍ぶということがベースになっています。
ですから、仏教とは、我慢、忍耐の教えです。
それほどに、人間の人生にとって、我慢、忍耐は大事だということです。
昨今の現代人は、とてもせっかちで待つということを知りません。
すぐに思うような結果がでないと気がすまないのです。
本当にやりたいこと、目指したいことがあれば、待つこと、我慢することが大切です。
待つことによって、物事が熟成していきます。
我慢して待つことが、物事を成就させる王道だということです。
前途洋々たる皆さんには、是非ともこの点を理解して欲しいと思います。
すぐに結果をという人が多いようですが、我慢して待つということが大切です。
物事を成就させるには、その人に与えられている「天の時、人の和、地の利」の3つが揃わないと難しいのです。
時が来るまで、じーっと我慢して待つといことが大事だといことです。
それは仏教の教えであると同時に、武士道精神というものです。
そして、勇気を鍛えることは、我慢する心を育てることです。
勇気のない者には、我慢する心は育ちません。
忍耐、我慢の心なくして真の勇気は生まれないものなのです。
忍耐や我慢の心のない勇気は、本当の勇気ではなく、蛮勇でしかありません。
勇気というものは、雲助,三下奴やごろつきなどの血気に走るような蛮勇とは大違いです。
武士道における礼儀の教えとは、自分の悲しみ、苦しみで、他者の喜びや平穏な心を乱さないことを教えたものです。
人に不快な思いを抱かせないというのが武士道精神の真髄です。
これら勇気と礼儀が一緒になって、武士道精神が育まれ、それが今日の日本の心を生み出しています。
感情を表にださない国民性は、このようにしてできたものです。
人に迷惑をかけてはならないということは、親なら誰でも子に云って聞かせる代表的な言葉です。
日本人は顔にださないけれど、細やかな情緒をもっています。
日本では、立派な人間、偉大な人間は、感情を表に出さない人のことです。
感情を顔にだすのは男らしくないとして敬遠されました。
父親が人前で子供を抱くのは威厳を損なうことと思われていました。
欧米では当たり前の家族、夫婦の抱擁、キスも、人前ではタブーです。
感情を表に出さず、沈着冷静さだけが求められます。
こうした日本人の器質は、武士道精神に依拠しています。
デモクリトスが最高の善とよんだ魂の平安の状態を達成するために、自我を抑え、心の平静を保つのであるが、日本人は皆、このようにいつも我慢し、平静を保ち、最高の善を日常的に実践してきました。
西欧人にとっては日本人のメンタリテイは驚きなのです。
感情をコントロールすることを克己心といいますが、克己心は日本人特有のものです。
感情を表にださない武士道精神とは、耐え忍ぶ美学の結晶です。
苦難に負けず、試練に挫けず、どんな逆境にあっても諦めないのが武士道精神です。
その大いなる忍耐と寛容の精神が私たちの心にも息づいています。




# by toukokira-kira | 2019-06-08 20:11 | Trackback | Comments(0)

仇討ちの文化

日本独自のものに仇討ちというものがあります。
刑事裁判所がない古い時代には、殺人は罪ではありませんでした。
被害者の身内から付け狙われて、復讐されることだけが、殺人を食い止め、社会秩序を維持する手段でした。
昔の前時代には、仇討ちは、社会秩序を守るための正義の行いでした。
裁く法はなくとも、世間が許さないということです。
社会の正義を守るためのものが仇討ちでした。
復讐には違いないのですが、そこには正義の理念が与えられています。
復讐に正義感が与えられると、もう復讐ではないのです。
切腹も、仇討ちも凄惨極まりないものですが、そこに正義という道徳が付与されると、尊敬を集める崇高なものに変わります。
これが世の中を動かす原理です。
昔、この世で一番美しいものは何かと、エジプトの神話に出てくるオシリス神は、ホルス神にお尋ねになりましたが、その答えは、「親の敵を討つ」ことが、一番美しいことだというものでした。
同様に日本人も、主君や親、恩人の敵を討つことが最上の美徳、忠義の士でした。ですから仇討ちは、正義感に訴え、皆を納得させる力があります。
正義の復讐が仇討ちであり、正義感に裏づけされていないものは、復讐です。
正義感のない復讐は、単なる復讐で、誰からも評価されません。
怨恨は、仇討ちではありません。
老子は、恨みには徳で応えなさい、と云いました。
孔子は、傷つけられたら、正義の仕返しをしなさいと言っています。
どちらが正しいかは自明の理です。
アラブには復讐法というものがあります。
目には目、歯には歯です。
やられた分だけ、やり返すことが法律で許されました。
正義の復讐は、復讐にあらず、という風潮です。
日本の仇討ちのルールは厳しいもので、主君、目上の者、恩人の仇に報いるときだけ仇討ちが認められ、自分や妻子が被害にあっても、決して認められませんでした。
認められるための道徳的正義がルールとして存在したのです。
やったら、やり返される、というのは、現代の刑法にあい通じるものです。
人を殺したら、死刑という刑罰が待っています。
自分がやるか、国家がやるかの違いです。
古流神道では、復讐はどんな正義感があろうとも、許されるものではありません。仕返しの心は、神の意志に反するものです。
辛く苦しくとも、人間である以上、愛と、許し、寛容の精神が求められます。
今の世、世界を見渡してみると、聖戦と称して、正義であれば何をしてもよいという風潮があります。
正義を実現するための戦いと称して、対立する人々の命を平気で奪っています。
聖なる戦いで死んだ者は、アラーの側近くの天国にいけると宣伝し、煽っています。
正義というものを間違うと大変なことになるということです。
その意味で何がよくて、何が悪いかという「是非の心」の修養は、とても大切です。









# by toukokira-kira | 2019-06-07 22:37 | Trackback | Comments(0)