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禍福吉凶の法則

禍福・吉凶、苦楽、善悪というものは、実に不思議なもので、そこに一定の法則性があるようです。
禍福、吉凶、苦楽、善悪とは表裏一体のものであり、作用・反作用の法則に従っているようです。
言い換えるならば、すべての事象には釣り合いの理が働いているのです。
世の事物には、釣り合いの理が必ず存在しています。
極端な得意絶頂の時には、その後に必ず失意絶望の時が来ます。
得意絶頂、全盛の最中に、奈落の底が口を開けて待ち構えているのです。
奢り高ぶって油断していると、奈落の底に真っ逆さまに墜ちていきます。
逆に、失望、逆境の最中にあっても、その向こうには希望の光が点りつつあるのです。

人間は、絶頂、平安な時こそ、用心を怠ってはならないのです。
絶頂の最中に、有頂天になり、油断して、驕り高ぶっていると、落とし穴に落ちていきます。
奢れるもの久しからず、栄枯盛衰の理のとおりです。

極端な失意の後には、歯を食いしばって頑張っていると、やがて必ず喜びの時がやってきます。
奈落の底に落ちたときでも、その後には、希望に満ちた栄光の時が待っています。人生は糾える縄目のごとしです。

人生の中では、禍福や苦楽、善悪が交互に、縄目のように織り成して現れます。
良い事も長くは続きませんが、悪いことも長くはつづきません。
これは宇宙の法則です。
ですから、忍耐、辛抱、我慢、努力が大切です。
仏陀である釈迦の仏教は、忍耐を説いた心の教えです。
落ち着いて穏やかで寛容な心を「忍耐」というのですが、これが一番大切だと仏陀が言われています。
陽気が続くと、陰気がやってきます。
喜びのあとには、悲しみがやってきます。
苦しみのあとには、楽しみがやってきます。
楽しみのあとには、苦しみがやってきます。
世の事物には釣り合いの法則が働いて、禍福、善悪、苦楽が交互に縄目のようにやってきます。

絶頂だからといって、浮ついていられないのです。
全盛期こそ用心すべき時なのです。
喜怒哀楽、一喜一憂の人生ですが、失意泰然、得意平然、死中活あり、の精神が大切です。

寒さ暑さは天地の呼吸ですが、苦楽、禍福は人生の呼吸です。
一喜一憂するには当らないのです。

苦しみの中にも、楽しみを見出す工夫が大切です。
人生はあせらず、ゆったりとです。
急がば回れです。
急がないことは早く片付け、急ぎの用は、ゆっくりやるのがよいのです。

自分が感動しなければ、他を感動させることができないように、まずは、自分を処することが大切です。
人生の中では、順境のあとに逆境が、逆境のあとに順境が交互に訪れてきます。
順境も逆境も心の持ち方一つです。

逆境の人は、失望しないで、順境の時のように心を安らかに対処し、順境の人は、逆境の時を忘れず、油断してはなりません。

今綴ってきたことは、全部波動の法則、交換の法則です。作用、反作用の法則、釣り合いの法則ともいいます。
この法則に従うと、幸せを求める方法は、人に恵むこと、人に施すことにあります。

与えれば、与えられるのです。
敬すれば尊敬されるのです。
赦せば、赦してもらえるのです。
情けは人の為ならず、なのです。

出世競争に目がくらみ、必死でしょうが、争い焦る心を忘れて、ただ職務に専念すると、たちまち昇進するのですよ。

組織社会にあっては、老子がよい言葉を残してくれています。
最上の者は、下の者からただその名を知られる者なり。
その次は、親しまれ、讃えられている者、その次は、畏れられている者、その次が、侮られる者である。と述べています。

この意味を自分なりに考えてみてください。
足るを知れば、辱められず、止まるを知れば危うからずです。
これが侮られない生き方です。

虚心坦懐にして、我見がなければ、他人を受け入れることができます。
組織社会では大切な心構えです。
我欲、我執、我見に囚われて、引き摺られて生きているのが人間です。
これらは、争いと衝突、対立のもとになり、身を滅ぼすもとになります。

少しでも驕り高ぶる気持ちがあれば、天地の道理が損なわれるのですよ。地位、名誉、栄光を求める心は、天地の道理と調和しない心です。

人のために役立てるように生きている人、他者を喜ばせようと生きている人には、喜びが3倍にも、4倍にもなって返ってきます。
これも宇宙の法則ですから是非承知おきください。







by toukokira-kira | 2018-02-04 14:15