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藤堂高虎とは

徳川家康が最も信頼し、重用したのが藤堂高虎という人物です。
家康にはよい家来がキラ星の如くにたくさんいたということです。
彦根城などの堅固な城つくりで有名な藤堂高虎にも、すぐれた部下がたくさんいました。

藤堂高虎の周りには、主君高虎とともに殉死する覚悟の部下が70名もおりました。
決死の覚悟の部下に囲まれた高虎とは、一体、どのような人物だったのでしょうか。

前に、刎頚の友という記事を書きました。
友人のためならば、自分の首をはねられても、惜しくない、全く後悔しないという友情のことであると書きました。
そういう友人関係が武士の世にはあったということです。
自分の生命を投げ出してもなお後悔しない、というのですから、他人からそう思われている人物とは、尊敬に値する相当な人物であることが想像できます。

刎頚の友を持っていると聞いただけで、その人物に対して、尊敬の眼差しとなります。

藤堂高虎は、正真正銘、70名の刎頚の交わりに等しい信頼のできる有能な部下をもっていたのです。
人こそ宝です。これ以上強い者はありません。

ある日、高虎は、主である家康にあるお願いをしました。
「私には、殉死覚悟の有能な部下が70名います。私は、これから主命に従い、命を賭して、事に当りますが、私が命を落とすことがあっても、どうかこの70名の部下たちが殉死しないように止めおきくださりますように」と云いました。

これを聞いた家康は、藤堂高虎の人物の大きさを知り、感激したということです。高虎のために自分の命を捨てる覚悟の部下が70名もいると知って、家康は驚愕し、臣下である高虎を尊敬するようになりました。

家康は終生、大事なことは高虎に相談し、高虎の進言だけは必ず聞いたということです。
「刎頚の交わり、刎頚の友」よい言葉ですね。






by toukokira-kira | 2017-09-24 17:21