心の法則を知ろう

他者から受ける怒りや憎しみ、恨みの波動を指向性の外部波動といいます。
これを受けると、いわば恨みの生霊ですから、身体は破壊される方向に動きます。
これを除去しないと大変なことになります。
しかし、心を必要以上に乱すこうした外部波動は、完全には除去できない仕組みになっています。
心の中で反省、内省が誘われなくなるからです。
完全に除去すると、反省も内省も生まれないからです。
恨み、ねたみの波動を受けるのには、受ける原因があるのです。
原因があって結果が生じます。
このため心のシステムは、原因について、内省、反省がないと、除去できないシステムになっています。
除去できないということは、心の痛みが残り、本人を苦しめるということです。
己の言動を正し、誤解を解くという努力が、邪気の完全除去には必要になります。反省や内省がないと、人間は、傲慢、怠惰、横柄となり、魔の心を増長させることになります。
ですから心は完全には、外部の波動である、恨み、憎しみ、妬みの波動を、反省、内省することぬきにして、除去することをしないのです。
これは心の基本法則です。
反芻自戒して深く内省、反省することが心の安定につながります。
これは重要なポイントですからお忘れなく。
ですから私達陰陽師の祓い清めの術法をもってしても、完全には邪気を祓いきることはできません。
人の心には、多少の乱す心が必須であり、それが反省、内省となり、人生を前進させる力となっていくのです。
しかし、限度を超えて心を乱されると、病気や道を踏み外すことになるので、陰陽術によって必要以上の乱れを除去するのです。
陰陽術すなわち「卑弥呼」や「始皇帝」などのストレス調和法の秘儀によって、必要以上の乱れは除去しますが、それ以上の乱れは、除去できません。
それは反省、内省によって、向上変化をもたらすための乱れですから、反省ぬきにして乱れを除去することは、心が許さないのです。
ですから、後悔して深く反省することが心の安定にとってとても大事なことということです。
何事にも、1に反省、2に反省です。
ストレスにせよ、トラウマにせよ、霊邪気にせよ、呪いの波動にせよ、己に押し寄せてきているのには、原因があるのです。
原因・結果の法則によって苦しめられているのです。
心が反省し、内省し、真に悔い改めないと、邪念邪気、生霊の波動は消滅することはありません。
心をクリアーにしようと思えば、反省、内省の瞑想を繰り返し、すべてのものに感謝することです。

宗教の本質は、安直な欲望成就を願う手段のものであり、精神の脆弱化を促進する心の迷信化にあります。
それは心のもつ性であり、人の業とも呼べるものです。
人間の生存的本能が迷信化した宗教を求めるようになるのです。

心の充実とは、心が永遠に満足して、充足するということですが、それはまず、自分を伸ばして向上しようと尽力することです。
そのことにより、他者に認められ、信頼されることを最良の喜びとして感じます。そうした経験を通して人は進化していきます。
この辿る道を神道といい、己の精神階層を向上させる道です。
神の道を歩めば福徳につながります。
神の道に向かって歩むための智慧を福寿光といいます。
このブログはできるだけ皆さんの小さな「福寿光」となるように人生の智慧や教訓を古流神道の観点からお伝えしています。




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# by toukokira-kira | 2017-06-29 10:56 | Trackback | Comments(0)

魂の輝きこそ

心の輝きとは、魂の輝きのことです。
小林麻央は、美しい魂の輝きを残して旅立たれました。
肉体があるときには、物質的に恵まれたり、富や財産に恵まれたり、地位や名誉、権力を摑んだほうが楽しいに違いありません。
しかし、欲望に囚われて貪欲となり、権力を摑んで支配欲に溺れたりすると、心の輝きは失われ、魂は汚れて雲ってきます。
人間というのは、自分の命があといくばくかもないことを知ると、そういう物質的なものはすべて捨て去って、精神的な心の輝きを求めるようになります。
肉体を失ったあとは、魂だけが残りますが、その魂が輝きを失ったものであれば、取り返しのつかないことになります。
魂の世界は何千年も、何億年も変化のない世界ですから、暗い湿った無限地獄に堕ちていくと、永遠にそこで苦しまなければなりません。
肉体を持った時の数十年という僅かの期間、身勝手な栄華を極めたために、その代償として、何千年もの間、暗い苦しい辛い世界に魂は沈むことになります。
これは大変難しいことなのですが、人間は、肉体をもっている時に、心の輝きを失わないように、欲望をコントロールして人生を歩まなければなりません。
この世に生まれて、肉体を持っていると、つい際限のない欲望に翻弄され、魂の輝きを失う道へと踏み込んでしまいます。
欲得に目がくらむ亡者が人間です。
誰もがみんな仮面を剥がすと、貪欲なガリガリ亡者の正体を露わにします。
金を摑んだ者、権力を摑んだ者、地位や名誉を摑んだ者は、多かれ少なかれ、我欲、我執、我見に囚われた悲しむべき魂のものたちです。
もちろんそういう生き方ではない人生を選択する人も少なからずいます。
現世では、栄華を極めても、肉体を失うと、厳しい魂の審判の時が待ち受けています。
そうした者たちとは違った生き方を目指すことも大切な道筋です。
やはり心の輝き、魂の輝きを失わない生き方が一番大事ということです。
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# by toukokira-kira | 2017-06-28 21:57 | Trackback | Comments(0)

陽光の浄化力

陽の光には不思議な力があります。
とうに朝日の陽光には5つの特別な力があります。
愛と勇気、感謝と信頼、希望の力があります。
朝日を浴びていると、そういう力がふつふつと湧き上がってきます。
陽の当らない部屋、陽射しの入らない部屋や家は、陰気がこもりやすい家となります。
暗い陰気な家は、運気も悪く、よい家とはいえません。
陽光が差し込まない家というのは、自然の力、自然の浄化力がないので、悪霊や霊邪気の格好の棲家となります。
陽の入らないくらいじめじめした部屋や家には、霊邪気が自縛化しやすく、また妖しい霊たちを呼び込みます。
暗い部屋で過ごしていると、魔の霊気によって心も精神もしだいに蝕まれていきます。陽の差し込まない部屋は、いくら安くても、借りないほうがよいですよ。
窓のない牢獄のような部屋は全くの論外です。
私は、陰陽師の修法、術法を執り行う時には、法具を使用し、その法具に霊邪気や生霊を封じ込め、対象者を祓い清めるのですが、その時に、使用した法具「神命象」や「人型代」は家に持ち帰りますが、すぐには家に入れません。
外で陽光の光、陽射しに30分以上当てて、十分に浄化させてから室内に持ち帰ります。
それくらい陽の光には、大自然の浄化力があります。
陽の光には、神の波動が内在しており、邪悪な霊波動を自然浄化、消滅させてくれます。
陽光とはありがたいものです。
天気の良い日に、外の芝生に寝転がり、陽光を浴びながら瞑想すると、元気健康となります。

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# by toukokira-kira | 2017-06-27 10:44 | Trackback | Comments(0)

根なし草

木の根は、木の幹が太く大きくなるほどに、それを支えるために、地中深くに太く、強く、深く、縦横無尽に広がります。
根は地中深くに伸びているために見えません。
根は見えないけど、木の幹、木の大きさを見れば、大体想像ができます。
立派な大木には、立派な木の根が生えて、その大きな体を支えます。
逆に言うと、根っ子が大きくて強靭だと、大きな立派な木に成長するということです。根は土の中にあって見えませんが、根を太く深く、強く伸ばしていったものが勝ちです。
人間も根無し草は駄目です。
根のない人間は使いものにならないということです。
人間には、いざ勝負という時節が必ずいつの日か到来します。
そうしたときに、悔いのないちゃんとした勝負ができるように、日頃から、根を太く強く大きく伸ばすことに努めなければなりません。
何度も言いますが、根のない人間は駄目です。大成しません。
ですから若いうちは、立派な根をつくるために命懸けで切磋琢磨の修行です。
勝負の時は、いつ,何時に来るやも知れません。
根は誰にも見えませんが、華の咲かない冬の日に、せっせと精進努力して、誰にも負けない根っ子をつくることが成功の秘訣です。
どんな分野であれ、最善を尽して、誰にも負けないぞ、といえるくらいの精進努力が明日の未来を確実に開きます。
命懸けの努力が未来を切り開きます。
願えば夢は叶います。
願い続ければ夢は叶うのです。
どこまでも、最期まで願い続けることが一番大事です。
途中で諦めたり、中途半端で投げ出すから駄目になるのです。
そして命懸けの努力が夢の実現を後押しします。
根のない人間になってはいけません。








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# by toukokira-kira | 2017-06-26 21:30 | Trackback | Comments(0)

不撓不屈の同心協力

今日は北海道の開拓時代の古い話しをします。
私の住む北海道は、屯田兵という開拓者によって何もないゼロからのスタートで開墾され、開拓されました。
鬱蒼と生い茂る原始林の原野を切り開き、血の滲むような血と涙と汗と努力の結晶によって今日の北海道の発展があります。
開拓者には不撓不屈の「開拓者魂」とともに、「同心協力」という言葉があります。
今はあまり使われなくなりましたが、同心協力、不撓不屈が開拓精神の根本です。
「同心協力」とは、みんなが同じ心で、協力し合うことです。
極度の厳しい環境の中では、みんなが力を一つに合わせて生き延びるしか方法がなく、開拓者はみな運命共同体であったのです。
開拓の時代は、そういう深い、強い人間関係の絆で結ばれていました。
そして、何事にも負けない、挫けない、敢闘精神の心が、北海道の開拓を成功させました。
本州とは違い、厳冬期はマイナス30度をこえる極寒の地では失敗の連続でした。
過酷な環境の中では、一人では何も出来ません。
しかし、同心協力で、10人が力を合わせると、一家の力が生まれます。
一家の力はやがて十家の力となり、百家の力にもなります。
同じ心の者が何人か集まり、力を合わせると、やがて、想像もつかないような大きな力となるということです。
「同心協力、不撓不屈」。
現代では、失われた過去の言葉ですが、よい言葉ですね。
この北の大地が、鬱蒼とした原始林に覆われていて、道もなく、住む家もない開拓の厳しい辛い時代には、何事もゼロからのスタートでした。
失敗と試行錯誤の毎日で、不平不満を言っている余裕などない大変な時代でした。寒い北海道では米が育たず、草を食べ,蛙や蜥蜴を食べて飢えを凌いだそうです。
米ひとつをとっても、品種改良の辛抱強い闘いの歴史でした。
何万回、何十万回という失敗を重ねて、寒さに強い米を品種改良しました。
ゼロからの生き残りの大戦争が開拓の仕事でした。
そういう中では、みんなが心を同じくして、力を合わせないと、生き残っていけません。
そして、失敗という言葉もありませんでした。
ただうまくいかなかっただけであり、失敗という概念はありません。
うまくいってもいかなくても、すべてが前進するための要素ということでした。
現代に生きる私達もこのことを学ぶべきでしょう。
失敗は成功の1要素ということです。
成功するために必要な失敗は、それを失敗とはいいません。
ただうまくいかなかっただけのことです。
こういう捉え方をもつことも大切なことだと思います。
まあそういうわけで、「同心協力」「不撓不屈」とは、開拓時代の先人たちのそういう生き様を表した言葉です。
個人の自由と個性を尊重する現代では、不撓不屈の同心協力という言葉は死語となりましたが、こういう時代だからこそ大切にしたい視点だと思います。








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# by toukokira-kira | 2017-06-26 11:00 | Trackback | Comments(0)

小林麻央さん逝く

小林麻央さんが昨晩、2年8か月の闘病生活の末に、家族に見守られて息を引き取ったそうです。
治ると信じて、前向きな闘病生活を送っていただけに、誠に残念でなりません。心から哀悼の意を表したいと存じます。
臨終を迎える最期の一言、夫の海老蔵さんに「愛してる」と言ってこの世を旅立たれたそうです。
麻央が最期に「愛してる」と言ったんです。本当にそう言ったんです。
そういって会見で涙をぬぐう海老蔵さんと真央さんは死の直前まで深い愛に貫かれていたようでした。テレビの会見を見ていて、素敵な夫婦だったんだなあと心底思いました。
麻央さんは海老蔵さんと結婚するときに、「役者市川海老蔵の人生のパートナーとして支えていけるチャンスを神様が私に与えてくれた」と言って、海老蔵さんを日夜陰から支えてきたそうです。
そんなけなげな女性が、いまどきどこにいるでしょうか。
海老蔵さんはすばらしい伴侶を得て幸せだったと思います。
この麻央さんのひたむきな愛によって海老蔵さんは人間的に大きく変わりました。
そう海老蔵さん本人がいっておられました。
その麻央さんを失った海老蔵さんの深い悲しみは計り知れません。
乳癌のうち3%が20代、30代の若い女性が罹る若年性の乳ガンだそうで、この若年性の乳癌というのは大半が悪性のたちの悪いガンだそうです。
乳癌の9割は術後もよく、生還するのですが、全体の1割に当たる悪性の乳癌の場合は術後も悪く、あちこちに転移して手の施しようのないものだそうです。
小林麻央さんの場合もこの悪性の乳癌であり、余命半年という重篤なものでした。
昨年の夏を乗り越えることが難しいものでした。
専門の医師によると、今夏まで生きてこられたことは大変ながんばりと奇跡だそうです。
高齢者の二人に一人が癌に罹るという時代でありますが、若い人の癌も多いのです。毎年、2万人の若者が癌との闘病のすえに旅立っているという現実があります。
前向きに、ひたむきにガンと闘ってきた小林麻央さんですから、多くの人達に共感を呼び起こし、勇気を与えてきたものと思います。
そして何よりも、家族の愛、絆の深さ、大切さというものを改めて全国の人々に教えてくれたものと思います。
前向きで、愛を信じ、苦難の中にも苦しみ、悲しみを乗りこえて、笑顔とともに勇気をあふれる人生を貫かれた麻央さんです。
こういう人こそ、本当の意味で「美しい人」というのだと思います。
愛に満ちた麻央さんのご冥福を心からお祈りいたします。
どうぞ安らかにお眠りください。

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# by toukokira-kira | 2017-06-24 08:34 | Trackback | Comments(0)

不安と恐怖の心こそが

私は、天から授かった大自然の力や宇宙の力である生命波動、調和の波動エネルギーを使って、人々の整体治療を行っていますが、宇宙の力、大自然力をもってしても、治すのが容易ではない時があります。
大自然のバイブレーション波動を注入しようとしても、相手のチャクラである龍泉が固く閉じていると、大宇宙のエネルギー波動を注入できないことがあるのです。
強烈なストレスやトラウマ、煩悩などがあると、その人のチャクラは分厚い幽体に覆われてしまい、固く閉ざされてしまいます。
相手の心に拒絶する心や不安、恐怖というものがあると、生命体のバリアー機能である
チャクラが自動的に閉じてしまい、生命エネルギーを与えることができません。
生体にとっても生命エネルギーの循環が中断し途絶えることになりますので、心身ともに調和を失い、乱れてきます。
こういう人は、生命波動を外部から取り入れることができないことから、心身の復旧が難しくなるということです。
こうした場合には、「玄部道流」の秘術により、閉じている龍泉を開き、活性化させてから、宇宙エネルギーである生命エネルギーを百会から注入します。
玄部道流とは、頭頂の百会のチャクラを活性化させて開き、生命エネルギーを注入する秘術のことを言います。
不安や恐れ、恐怖や怒り、苦しみや悲しみの念があると、心身の復旧が大変難しくなるということです。
ストレス調和法によって、まずは、ストレスやトラウマ、恐怖の念を消滅調和させてから、太極療法を行うということが必要になります。
ストレスやトラウマ、恐怖の念というものは、元気健康のもとである生命エネルギーの循環を遮断しますので、心身が乱れ、歪み、壊れていきます。

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# by toukokira-kira | 2017-06-23 18:09 | Trackback | Comments(0)

富は心に築け

富は心に築け、という言葉があります。
財産、財宝を築くと、誰もが欲得に目を奪われて心を失います。
富は心に築くものです。
心を豊かにして過ごすためには、気づきの力が大切です。
気づきの力によって人生が決まります。
気になることがあっても、気づきの力の弱い人は、そのまま放置してしまいます。この気になるということこそが、神霊界のメッセージなのですから、放置してはならないのです。
気になった時には、自分の言動をすぐに振り返って、思い起こし、内省、反省することが大切です。
内省、反省すると、悪い波動が消滅していきます。
内省の力は、悪因縁を消滅させる力があります。
ストレスもトラウマも、霊邪気や生霊の波動も、内省、反省により悔い改めると、昇華して、消滅していきます。
すべての事には原因があり、その果実が結果です。
原因があって結果があります。
この原因・結果の法則のことを因果の法則といい、宇宙の法則のひとつです。
人に憎まれたり、恨まれたり、妬まれたりするのは、自分にも原因があるのです。原因が残っている限りは、心の法則により、悪い波動は消滅しないのです。
消滅しないで、心身を苦しめ、蝕むのです。
ですから、思い起こして、内省し、悔い改め、すべてを認めることです。
すべてを認めて、認識すると、問題は解決に向かいます。
問題と向き合わないで、内省も反省もしないでいると、いつまでもトラウマやストレス、生霊などの霊波動が離れず、苦しむことになります。
すべてを認めると、新しい世界が拓けてきます。
内省、反省のない人の邪気を祓おうとしても、全部は祓い切れません。
原因が残っているために、反省、内省が生まれるまでは、悪い波動などは憑いて離れません。
これは心の法則であり、宇宙の法則です。
原因・結果の法則はこのように出来ています。
気になることがあったならば、顧みることが大切です。
不安や恐怖があると、心身が復旧せず、内省、反省がないと悪い波動は除去できずに残り、宗教などに囚われて依存心が強くなると、もう心を助け、救うことはできません。そうならないように気をつけましょう。
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# by toukokira-kira | 2017-06-22 21:05 | Trackback | Comments(0)

一瞬に生きる

前回、「今を生きる」というテーマで記事を綴りました。
今回はその続編で「一瞬に生きる」です。
一瞬に生きるとは、奥深い言葉である。
自分が、一瞬、一瞬をいかに充実して深く刻んでいけるのか、その総和が、価値ある人生を送れるか,送れないかの分岐点です。
人生は長ければよいというものではありません。
いかに一瞬、一瞬を深く、深く生きたかということで人生の価値が決まると思います。
偉人や聖人は、短命で終わる人も多いのです。生きた時間は短いけれど、その短い人生で生み出した足跡は、尋常ではありません。
ただならぬものがあります。
凡人が400年、500年生きても追いつかないほどの偉大な業績を残しています。
短い人生の中で、永遠不滅の足跡を残していったのが偉人、聖人たちです。
凡人がどれほど長く生きながらえても、到底、及びません。
20年、30年の短い人生で、偉大な足跡を残した人物はたくさんいるのです。
人生の価値は、長さではなく、深さです。
一瞬、一瞬の深さが問われるのです。
世界中で、人生の座右の書として、或いは人生の羅針盤として推奨されているのが、ローマ時代の思想家セネカの名著の数々である。
人類最強の思想家がセネカかも知れません。
「人生は決して短くない。短くしているのは、自分自身である」
これはセネカの名言です。
人間というものは、何事もないときには、永遠に生きているかのように、時間を過ごすものです。
病気になったり、死が差し迫っていたりすると、自分の人生はなぜこんなに短いのかと嘆くのです。
それが人間です。永遠と思っていた命に限るがあると思うようになると、慌てるのです。
死にたくないと、神様を恨むようになるのです。
そして、与えられた人生の時間を浪費してきたことを悔やむようになるのです。
そして、生の終わりを意識したとき、人間は初めて、一瞬、一瞬に生きる大切さを認識するようになります。
その時にようやく、わが命、今、此処に、こうしてあることに感謝するようになれるのです。
永遠に生きられると思うから、瞬間に対する意識、思いは生まれないのです。
人生には終わりがある。
一寸先は闇である。明日のことなど、誰にも判らない。
そう思えば、今、この時、この一瞬が大切であり、それがすべてであると思えるようになるのである。
人生を短くしているのは、自分自身ということであり、一瞬、一瞬を悔いのないように深く生きたならば、人生の長さは問題でないということです。
そんな充実した人生を送りたいものですね。

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# by toukokira-kira | 2017-06-22 20:46 | Trackback | Comments(0)

小さな一歩から

人間は一歩でも、半歩でも実際に踏み出すことが大切であり、一歩踏み出す勇気が一番重要です。
頭で考えてばかりいて、何も行動に移さないというのが最悪のパターンです。
人間は行動してなんぼの世界です。
行動しないのは、何のための人生か判りません。
人生とは様々な体験や経験を積むことです。
感動と共感のもてる有益な経験を積むことが人生の大きな目的の一つです。
魂にとって、とりわけ人のため、社会のために陰徳を積むことは、最高の修行であり、最上の経験です。
人間は、百考よりも一つの行動です。
百考は一行に如かずです。
とにかくやって見たいと思ったことは、思い悩んでいないで、小さな一歩でもいいので、まずスタートさせてみましょう。
とにかくやってみるという勇気が大事です。
一つでも行動することが大切であり、行動してみないと判らないこともたくさんあります。
人間は、行動することによってのみ、喜びが生まれ、感動が生まれ、幸せを感じることができます。
何もしないでいては、感動も喜びも、幸せも、新しい発見もありません。
人間は行動し、体験することによって、成長することができると思います。
私はそう考えています。
人間は弱くて、不器用なので、失敗も多いのです。
思ったようにはなかなかいきません。
しかし、毎日が新しいスタートです。
何十回、何百回と失敗しても、全く気にすることはありません。
失敗の中に成功以上の意味を見出せたら、それは単なる失敗ではありません。
将来の成功に向けての偉大な失敗であり、表彰に値する失敗かも知れないのですよ。
失敗など全く気に留める必要はありません。
それよりもこわいのは、初志貫徹の心を忘れて、心変わりすることです。
中途半端に投げ出して、諦めてしまう心です。
夢や希望は、諦めないで、自分の可能性を信じて、どこまでも努力精進すれば、必ず実現に向かうものです。
ほとんどの人は途中で諦めてしまうから、夢が遠のいて、中途挫折の運命となるのです。
私は現役の頃、いろんなことにチャレンジしてきました。
何にでも関心をもち、何にでも感動し、何にでも感謝できるように心掛けておりました。
チャレンジリストをつくって、どんな新しいことにスタートが切れるのか、リストアップして、チャレンジを続けました。
行動して、チャレンジしてこその人生ですから、思いついたことを少しずつメモしていき、チャレンジしていきましょう。
毎日が新しいスタートですから、失敗などこわくはありません。
可能性は無限です。
とくに自分が今までにやったことのないことにチャレンジするのです。
格好よく言うと、いわば創造への挑戦です。
そうすると、新しい一日が始まり、新しい人生が胎動していきます。
こうしたことの取り組みによって、人生は確実に変わっていきます。
小さな一歩から、大きな一歩となり、場合によっては偉大な一歩となるのです。
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# by toukokira-kira | 2017-06-21 15:26 | Trackback | Comments(0)

信念を貫く

ここ最近は、このブログの中でもとくに大事な論点について連続して掲載執筆しています。
さて、人間にとっては、志とか、心構えとか、信念というものが極めて大切です。この世界には、正解なる真理などないのです。
自分が選んだ選択が正解であったかどうかは、自分の努力が決めることです。
どんな選択をしても、努力精進しだいで、正解にもなるし、不正解にもなるのです。
ですから、どんな逆境も、どんな障害も乗り越えていくんだという信念があれば、選択したすべてが正解となるのです。
他人が何と言おうと、自分が信じる道を歩めばよいのです。
誰にも負けないような努力精進の道を歩む覚悟さえあれば、自分の信念を貫けばよいのです。
人から非常識と言われても、信念を貫いた選択は、素敵なものです。
みんなと同じ道を歩む人が多いのですが、自分の信じる道だけを歩んでいくというのも素敵で美しいと思います。
たとえそれが孤独の道であっても、荊の道であっても、誰からも理解されず異端児と言われても、そういう生き方を私は尊敬しています。
人に迎合して、不和雷同する主体性のない生き方より格段に尊い生き方だと思います。
われ一人この道をゆかん、です。
100人のうち、99人が左の道にいっても、信念があれば、自分一人は右の道に行ってもよいのです。
99人が反対するアイデアであっても、自分が一番よいと感じたら、信念をもって、自分一人そのアイデアに賛成すればよいのです。
人間は、志と信念で価値がきまります。
時として、世の中のヒット商品は、大多数が反対したアイデアから生まれることが多いのです。
世の中から愚かといわれても、自分の信じる道を歩めるような人間を目指したいものです。
信念を貫いて、邁進努力する人ほど素敵な人はおりません。


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# by toukokira-kira | 2017-06-20 21:12 | Trackback | Comments(0)

どんな状況でも最善を尽くす姿に、人は感動するものです。
自分の可能性を信じて、努力邁進し、最善を尽くすことが最も大切なことである。
結果は気にせず、最善を尽くすことを目標とするべきです。
最善を尽くして、最終的な結果はあまり気にしないことが肝要です。
結果は人智の及ばぬ世界のものです。
結果を自分でコントロールできないからです。
ですから、最善を尽くすことが目標となります。
結果を目標としないということです。
結果がすべてと考える人には、理解が難しいかも知れません。
目標は結果ではなく、自分が選択した道に向かって最善を尽くすということです。
人智を尽くして天命を待つという言葉がありますが、その意味するところは、まさにそういうことです。
自分の道に向かって、一意専心の努力を行い、最善を尽くす、結果は気にしない。
そうすることで不安は消え、迷いは無くなります。
努力の一歩、一歩に充実したものが感じられるようになります。
目標に向かって努力すること自体が、充実感となって現れます。
最善を尽くすことを目標に頑張っている人は、大抵が、望むような結果を獲得する人が多いのですよ。
しかし、本当のところは、最善さえ尽くせば、結果などどうでもよいのです。
やるだけやったら、あとはすべてを天にまかせる。結果など気にしない。
後悔しないようにやりつくしたら、あとのことは天にまかせてゆだねる。
最善を尽くすことに価値があり、尊いのです。
「人智を尽くして天命を待つ」の本当の意味はそういうことです。
私の一番好きな言葉でもあり、人生の座右です。

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# by toukokira-kira | 2017-06-20 21:00 | Trackback | Comments(0)

人生の極意

人生の目的に引き続いて、今回は人生の極意について綴りたいと思います。
50歳になって始めて判ったことや、60歳になるまで気が付かなかったこと、さらには、つい先日まで知らなかったことが沢山あるのですが、新聞やテレビ、本を見たり読んだりして驚いたことは、すでに10代、20代にしてそうしたことを理解し、知っている人々が少なからずいるということです。
この年齢になってようやく判ったことが、すでに10代の青年が知っていたりするのです。とても驚かされます。
いろんな本を読んで先人の智慧を吸収しているからでしょう。
さて、テーマの人生の極意についてです。
古流神道の修行者として感じていることを綴ってみたいと思います。
どんな人生を歩んでいくのか、それは自分が道を選び、決断していくことです。
人生の醍醐味は、人生の選択を自分で決めて、自分で責任を負うことにあります。どんな選択であれ、どんな決断であれ、自分で決めるということが尊いことです。人生の歩むべき方向を迷っていても、神様が決めてくれるわけではありません。
自分自身が決めていくんだという意識が芽生えた時には、人生の主導権を手に入れたこととなり、人生への主体性が一気に高まっていきます。
その時から、充実した人生の第一歩が始まります。
人生の選択は、自分が決定し、その選択が正しかったかどうかは関係ありません。正解など決まっているわけではなく、自分自身が精進努力することによって正解にしていくことが大事なのですよ。
ここが大事なポイントだと思います。
偉大な成功者や偉人たちは、必ずといってよいほど人生に紆余曲折があり、波瀾万丈の人生があります。
自分の選んだ道がたとえ荊の道であったとしても、それを乗り越えて、尋常ではない努力を重ね、苦闘しながらも、選んだ道を正解にしていったのです。
どんな人生の選択をしても、それは尊いのであって、その選択が正解となるような精進努力が大事ということです。
これこそが人生の極意です。
自分の選んだ道に100%の責任を持ちながら歩んでいくことが、人生の極意です。
幾多の苦難、困難、障害を乗り越えていく強力な力となるからです。
自立した自己の実現といってもよいでしょう。
人生の道は、自分で決める。
選択した人生に100%責任をもつ。
人生を生きる醍醐味はまさにここにあります。

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# by toukokira-kira | 2017-06-20 11:32 | Trackback | Comments(0)

人生の目的とは

人生の目的とは何か。
誰もが一度は遭遇するテーマです。
そして誰もが答えられないまま自問自答の日々が続きます。
人は何のために生まれてきて生きているのかと問われたならば、自分の精神性を高めるためと、私は答えます。
心を磨く、魂を磨いて高めるということです。
精神性を高めるとは、人間の本当の有り様、真実の心を磨くことですが、別な言い方をすると、人間の存在そののもを見つめ直すことです。
人間が人間としての有り様を見つめ直すということです。
古来より、学問とは、単なる知識や情報を習得することではありません。
学問の本当の意味は、人間の存在そのものを探求し、考察することです。
学問とは知識を学ぶことではなく、人間の本当の有り様や、真実の心を探ることが学問です。
まさに学問とは、心の教えのことであり、仏教では、自利利他の心の実践であり、道教では四端の心の実践であり、武士道では、大我の心の実践です。
これを神道では真我の心といいます。真人、真如を言います。
しかし、人によっては、幸せになるため、と答えるかも知れません。
幸せは、自分の心が決めることです。
幸せは、外にはありません。
自分の中にしか見つけることのできないものが幸せです。
どこか遠くにあるものではありません。
外に探しに行っても永遠に見つかりません。
自分の中にしか見つけることのできないものが幸せです。
そう思えるようになるには、精神性の向上が不可欠です。
精神性を高めることなくして、幸せはないということです。
霊格、品格を高め、精神的レベルを向上させることが人生の目的だと私は思います。
言い換えると、人の為、社会の為に役立つことのできる人間になるということです。
人間の本当の喜びは、自分の誠を尽くした活動により、多くの他者が、世の人々が喜んでくれることにあるのであり、自分自身の個人的な喜びよりもはるかに大きく、価値あるものです。
人の喜びが自分の喜びと感じられるような精神性を持ちたいものです。
精神性を高めて、自分の喜びが、多くの人々の喜びとなるように切に願っています。
実際のところ、人の不幸を喜び、人の不幸を願うような心をもった人々も実に多いのですよ。
私のこのブログの大きなテーマも、人間の本当の有り様と、心の真実です。
私は、宇宙の法則としての心の法則に基づいて、種々論じてきていますが、まだまだ道半ばです。
このブログには4000編をこえる記事が収録されていますが、その一つ一つが魂を磨いて、精神性を高める一助になればと念願して書き綴ってきたものです。

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# by toukokira-kira | 2017-06-19 20:51 | Trackback | Comments(0)

笑う門に福来る

初夏も押し迫り、街は行き交う人でごった返しています。お祭りの季節なので何処へ行っても黒山の人だかりです。神棚の大掃除は終わりましたか。
きれいにお掃除をして、整理整頓が一番ですよ。
乱雑にしていると、乱雑な波動が放射されて、運気を悪くします。
塵やゴミから放たれる波動は、よいものではありません。
汚れた有り様を見て、折角の福の神も逃げていってしまいます。
福の神は、清らかな清浄な波動に引かれて玄関先にやってきます。
玄関先を覗いて、脱いだ靴が乱雑に置かれていたり、整理整頓が行き届いていないと、福の神はすぐに出て行ってしまいます。
きれいな美しい玄関先から家人の明るい笑い声が聞こえてくると、福の神は玄関から上がって部屋に入ってきます。
笑い声に引き寄せられて、部屋の中にやってきます。
笑う門に福来るです。
福の神は、門をくぐって、玄関口を覗きますが、玄関が乱雑だとすぐに外に戻っていきます。
言い争いの大きな声を聴くと、堪らんわいとばかり、福の神は一目散に逃げていきます。
反対に、玄関がきれいに整頓され、靴が揃えられていると、フムフムと満足して玄関先に入ってきます。
靴がきれいに揃えられているということは、家人の心も揃っているからです。
玄関先に入ってきた福の神ですが、さらに、家の奥から明るい笑顔、笑い声が聞こえてくると、笑い声に誘われて、家の奥までやってきます。
廊下も、天井も、壁も磨かれて、ピカピカ、トイレなどの水周りも清浄だと、素敵な波動が部屋中に流れているので、福の神が逗留するということになります。
そして、争いがなく、笑顔の絶えない家には、福の神がずっと逗留することになります。
しかし、整理整頓ができていない不潔な家には福の神は近づきません。
運が悪いと嘆かれる人は、徹底した掃除と整理整頓の毎日を送ってみてください。
それだけで運が上向いてくると思いますよ。
整理整頓の行き届いた家に住んでいると、自然と人間らしい感謝の念が湧いてきますし、笑顔がこぼれてきますから、運気が上昇するということです。
福の神は、何と言っても神様です。
人間の力では及ばない無限の力、神通力をもっています。
福の神の波動が家中に放たれると、家族のみんなが健康で幸せになれます。
家族の皆が心を合わせて、福の神がやって来られるような家の環境と雰囲気をつくりたいものですね。
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# by toukokira-kira | 2017-06-19 09:21 | Trackback | Comments(0)

ただ一筋に

苦と楽、愛と憎しみ、希望と絶望、悲しみと喜び、これらの感情は、互いに相反する感情ではあるが、表裏一体の関係にある感情です。
苦があるから楽があり、楽があるから苦があります。
愛と憎しみは、一見、対立したものに見えますが、表裏一体のものです。
愛があるから、憎しみが起こり、憎しみがあるから愛が存在するのです。
愛の心の裏返しが憎しみの心であり、愛するがゆえに憎むのです。
愛は憎しみに変る感情であり、愛の裏切りは憎しみと変るのです。
愛するがゆえに、憎しみも倍増するのです。
喜びが悲しみへと変り、悲しみが苦しみとなり、苦しみから絶望となるのです。
絶望から怒りへと変わっていきます。そして世を恨みます。
変わらぬものなど、この世には何一つありません。
生々流転の世です。
今が辛く、苦しい、絶望の淵にいる人は、希望の光を見出そうとし、楽を求めます。
反対に、居心地のよい生活を送っている人は、自分を律するため、厳しい環境を求めようとします。苦を求める者、試練を求める者、喜びや楽を求めるものなど、さまざまです。
自分にない環境を求めようとするのが人間です。
ここが重要なポイントです。
貧乏でどん底の逆境にある者は、とにかく金持ちになりたい、出世したい、しかるべき地位を得たいと血眼になります。
人も羨むような順境にあって、何不自由なく過ごしてきた人は、あえて厳しい環境、試練を求めようとします。
深窓育ちのお姫様のようなお嬢様が不自由な生活を求めて厳しい環境を選択することが少なからずあります。
喜楽の最中にいる者は、辛苦を求め、艱難辛苦の最中にいる者は喜楽を求めます。何を求めるのかは、人それぞれです。
辛く苦しい生活を送っているものと、居心地のよい生活を送っている者とでは、求めるものが違うということです。
あなたはどちらを求めているのでしょうか。
いずれにしても、自分の選んだ道に責任をもちましょう。
責任をもつということは、選んだ道がたとえ荊の道であっても、最善の道であったと言われるような努力をするということです。
懸命な努力によって正解の道となれば、荊の道であっても、選択は間違ってはいなかったのです。どんな道を選択してもよいのです。
努力によって正解の道とすればよいのです。
自分の人生に責任をもつならば、どんな選択をしようと、尊い選択ということです。
自分の人生は、自分が決めるのですから。
何もあれこれと迷う必要はありません。
自分が選んだ道であれば、その選択が正解となるようにただ最善を尽せばよいのです。
一筋に咲く花のように、美しい花を咲かせるために、ただ一筋に生きればよいのです。
花の命は、迷わず、一筋に咲くから美しいのですよ。
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# by toukokira-kira | 2017-06-17 21:55 | Trackback | Comments(0)

清貧の心

中国の諺に、「燎原の火」という言葉があります。
小さな火も、中原に火がつくと、またたくまに廣野を焼き尽くすほどの豪火となり、猛火となり、烈火となって燃え広がるという諺です。
燎原の火のごとく燃え上がって、瞬く間に、天下を統一したのが、紅衛兵を率いた毛沢東です。
毛沢東は、何千万人という多くの人々を粛清した権力者なので、好きではありませんが、小さな第一歩から、14億人の巨大な中国を統一しました。
小さな第一歩が、大きな第一歩の始まり、スタートです。
今日を迎えるのに当り、小さな、小さな、第一歩を勇気を出して、踏み出していきましょう。
毎日、毎日が新しいスタートです。
小さな第一歩が、燎原の火のように、燃え広がり、大きな第一歩となるように、最善を尽すことを誓い、神に祈りましょう。
早朝の朝日の光を浴びながら、光の瞑想を行い、朝日の無限の力を戴きましょう。朝日の力は、愛と勇気、信頼と癒しの波動であり、魂が元気一杯になります。
「モダンタイムス」というチャップリンの映画を思い起こしました。
人間は、愛と希望と少しだけのお金があれば生きていけるという名画です。
生きていくのに、多くは必要としません。
小さな愛と、小さな希望と、少しのお金の3つがあれば生きていけると、チャップリンは言っています。
私もそう思います。その3つが生きていく上での小さな光となると思います。
とくにお金は、生きていくのに必要な少しだけのお金があればよいのです。
それ以上欲しがると、餓鬼の世界に堕ちていきます。魂が汚れます。
お金には強い力がありますが、破滅に向かう魔力もあります。
使い方を誤ると、すべてを失わせる闇の力に翻弄されてしまいます。
天使と悪魔、諸刃の剣がお金ということです。
拝金主義の方や、損得勘定で生きている方は、このブログを見ないほうがよいでしょう。
私たちは、清貧に生き、誠実、正直を最上の美徳とするものだからです。
清貧とは、なにも貧乏になるという意味ではありません。
武士道や騎士道の清貧の心は、清らかにして、分け与える心のことです。
富豪でも、清貧の人がたくさんいます。
富みを独占するのではなく、分け与えることを知っている人は清貧の人です。
富める者も、貧しき者も、分け与えるという清貧の心が何よりも大切です。
分け与えることを知らぬ者は、いくら地位、名誉が高くても餓鬼畜生道の亡者だと思います。
かのキリストも「与えよ、与えれば、与えられる」と申し述べています。
ですから、お金がすべてという世の中でありますが、業突く張りのガリガリ亡者にはならないようにしましょう。
清貧こそ真の生きる道だと思います。

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# by toukokira-kira | 2017-06-17 09:58 | Trackback | Comments(0)

死中活有り

死中活有り、有事暫然、壷中天有り、得意平然、、失意泰然とは、身の処し方をいいます。
死中活有りとは、死んだつもりになってやれば出来ないことはなにもないという喩えです。
死を覚悟して事に臨むことの潔さを讃える言葉です。
昔の武士は陰腹を切って、血でにじむサラシを隠しながら、人生の一大事に臨みました。
死んだつもりで事に臨んだ者で、事を成さぬ者など一人もおりません。
まさに武士道精神の死中活有りです。
虎の穴に入らなければ、虎の赤ちゃんを獲得できないという喩えの通りです。
自分の身を案じていては、事に臨むことはできないということです。
自分の身を捨て去ったところに、活路が開けるということです。
人生では、よく死んだつもりになって、背水の陣を敷いて、退路を断って事に臨み、活路を見出したという話を少なからず聞きます。
いざという時には、死中活有りです。
私の現役時代にはそうやって何度も苦境を脱してきました。
死んだつもりになって事を成せば実力以上の力、火事場の馬鹿力が発揮されることでしょう。
有事暫然とは、普段は平静を保ちながらも、一旦、大事が生じると、ありったけの勇気を振り絞って、テキパキ迅速に事に対処するという意味です。
普段はいたって穏やかで、大人しいが、やるときにはやるという人です。
得意平然とは、人生の黄金期、絶頂期にあっても、決して得意げにならず、驕り高ぶらず、油断せず、謙虚に平然としているということです。
人生では、得意の絶頂の時も、失意の苦難の時も、あざなえる縄目の如く、交互に訪れるものです。
良いことも長くは続かず、悪い事も長く続きません。
禍福は縄目のように交互に押し寄せてくるのです。
得意絶頂期の最中には、奈落の底が口を開けて待っているということです。
油断すると、真っ逆さまに失意の淵に堕ちていきます。
逆に、失意絶望の最中に、希望の光が見え隠れしているということです。
ですから、失意泰然なのです。
失意絶望の最中にあっても、悪い事は長くは続かない。
失意の後には、必ずよい事が訪れる。
だから失意のときこそ、泰然として身を崩さないことが大切であるという教えです。
辛く苦しい時こそ、笑ってやり過ごすのが大切ということです。
まさに禍福はあざなえる縄のごとし、です。
人生の禍福で、一喜一憂する必要がないという喩えです。
これは私の40年来の座右であり、心の支えとなった言葉です。
今でも片時も忘れることはありません。

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# by toukokira-kira | 2017-06-16 22:48 | Trackback | Comments(0)

他山の石

私が通っていた大成小学校の校門には二宮尊徳の石像があり、体育館の正面の大額には「攻玉他山」の四文字が刻まれていました。
もう60年も前の昔になります。
攻玉他山とは、他山の石を以て玉を磨くべし、という意味の言葉です。
いわゆる他山の石です。
他山の石とは、人の過ちを見て、わが身を正せということです。
他人の誤りや不幸を、対岸の火事として観るか、他山の石として観るか、によって本質は相当違います。
私達の小学校時代には、体育館のステージ中央の額に、古いひなびた木製の額に、攻玉他山と大書されたものが掲げられていました。
当時は意味不明でしたが、ありがたい意味の言葉なんだろうなと思っていました。
小学校の正門には、二宮尊徳さんの石像が立っており、芝刈りした木の小枝を背中一杯に背負った二宮金次郎少年の石像をいつも見て育ちました。
先生や母親から、二宮金次郎は、親を助けるために、働きながら学問をした少年で、昼間は暗くなるまで働き、勉強は夜、人目を忍んで、月の光を頼りに本を読んだと教えられました。蝋燭の火の明かりなどもってのほかでした。
私も夜、二宮尊徳の真似をして、月の光を頼りに本を読んでみましたが、目が悪くなるだけで、読めるものではありません。
そういう記憶が残っています。
もう半世紀以上も前のことです。
私達の眼前には、無限の教訓が広がっています。
無限の教訓を他山の石とするのか、見過ごして傍観するのかによって、人生は大きく変わってくると思います。
人生において「他山の石」とは誠に意味の深い言葉だと思います。



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# by toukokira-kira | 2017-06-16 14:05 | Trackback | Comments(0)

今を生きる

一瞬に生きるとは、奥深い言葉である。
自分が、一瞬、一瞬をいかに充実して深く刻んでいけるのか、その総和が、価値ある人生を送れるか,送れないかの分岐点です。
人生は長ければよいというものではありません。
いかに一瞬、一瞬を深く、深く生きたかということで人生の価値が決まると思います。偉人や聖人は、短命で終わる人も多いのです。
生きた時間は短いけれど、その短い人生で生み出した足跡は、尋常ではありません。ただならぬものがあります。
偉人というのは、凡人が400年、500年生きても追いつかないほどの偉大な業績を残しています。
短い人生の中で、永遠不滅の足跡を残していったのが偉人、聖人たちです。
凡人がどれほど長く生きながらえても、到底、及びません。
20年、30年の短い人生で、偉大な足跡を残した人物はたくさんいるのです。
人生の価値は、長さではなく、深さです。
一瞬、一瞬の深さが問われるのです。世界中で、人生の座右の書として、或いは人生の羅針盤として推奨されているのが、ローマ時代の思想家セネカの名著の数々である。人類最強の思想家がセネカかも知れません。
「人生は決して短くない。短くしているのは、自分自身である。」これはセネカの名言です。
人間というものは、何事もないときには、永遠に生きているかのように、時間を過ごすものです。
病気になったり、死が差し迫っていたりすると、自分の人生はなぜこんなに短いのかと嘆くのです。
それが人間です。
永遠と思っていた命に限るがあると思うようになると、慌てるのです。
死にたくないと、神様を恨むようになるのです。
そして、与えられた人生の時間を浪費してきたことを悔やむようになるのです。
生の終わりを意識したとき、人間は初めて、一瞬、一瞬に生きる大切さを認識するようになります。
その時にようやく、わが命、今、此処に、こうしてあることに感謝するようになれるのです。
永遠に生きられると思うから、瞬間に対する意識、思いは生まれないのです。
人生には終わりがある。
一寸先は闇である。
明日のことなど、誰にも判らない。
そう思えば、今、この時、この一瞬が大切であり、それがすべてであると思えるようになるのである。
人生を短くしているのは、自分自身ということであり、一瞬、一瞬を悔いのないように深く生きたならば、人生の長さは問題でないということです。
しかし、言うは易し、行うは難しです。
ですからその第一歩として、何にでも好奇心と感心をもって、何にでも感動できる感性をもち、何にでも感謝できる日々を送れることが大事だと私は思っています。
この感心、感動、感謝のことを世の人々は「3感」といって人生の大切な座右にしているようです。
この3感をもって「今に生きる」ということです。


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# by toukokira-kira | 2017-06-14 10:28 | Trackback | Comments(0)

笑顔の力

笑顔の力には、不思議な力が宿っています。
笑顔の波動には、魂に勇気と元気を与えてくれる波動が内在しています。
治療家がいつも笑いに包まれている場合、テクニックなど使わなくても、治療家自身が患者に意識を向けただけで、患者のもっているネガティブなエネルギーが自動処理されてしまいます。
何か特別なことをしなくても、すべてが処理されるのです。
笑いの力って凄いですね。
辛く苦しい時ほど、笑おうよ!なのです。
治療家も心の底から笑いが起こらないようだと、修行が足りません。
人様の治療なんて、とても、とても・・です。
少しでもいいから笑っていると、人生、運命まで変わるのですよ。
苦境を乗り越えるには、とにかく、笑う、笑う、です。
笑う門に福来るですよ。
笑って、笑って、どこまでも笑って、人生を再度やり直したという人で難病を克服した人もいるのですよ。
笑顔はよい運命を運ぶ切り札ということです。
「笑顔、ニコニコ、ありがとう!」の人生が最高です。
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# by toukokira-kira | 2017-06-13 12:08 | Trackback | Comments(0)

潜在意識の法則

宇宙の法則である潜在意識の法則について、折に触れ、度々、解説をしてきました。
「大丈夫だよ」「心配いらないよ」「治るよ」というプラスの言葉をかけてあげると、その言葉を受け入れた人は、潜在意識に伝達され、現実化していきます。
脳がその方向に向かってフル回転していくからです。
深い信頼関係、権威がないと、「大丈夫」と云っても、相手の意識がその言葉を受け入れませんから、何も生じることはありません。
そういう意味で「信じる者は救われる」ということです。
言霊による治療効果を生むのは、言霊を与える者ではなく、むしろ、言霊を受ける側の意識が、言葉を受け入れているかどうかにかかっています。
信頼し、尊敬する先生が「治るよ」「大丈夫だよ」と一言、声を掛けただけで、頭痛が消えた、痛みが消えたという人は数多く、枚挙の暇はありません。
必ず治る、よくなるという思いを患者が本当にもつと、病気は治るのです。
症状はなくなるのですよ。
潜在意識に言葉が適切にインプットできれば、潜在意識は、その言葉の実現に向けて全力で動き出します。
潜在意識へのインプットはどおようにすればよいのでしょうか。
潜在意識へのインプットで一番障害になるのが、現在意識,顕在意識です。
通常は、表層意識が邪魔して、潜在意識にインプットできません。
通常の意識状態で、潜在意識にインプットできるのは幼児だけです。
言葉やイメージは、潜在意識に届くものですが、顕在意識が邪魔します。
顕在意識がまだ十分に発達していない幼児期に受けた言葉や体験、イメージは、潜在意識にインプットされ、今後の人生、運命を左右します。
三つ子の魂百までの譬えの通りです。
大人の場合には、夜床について、朦朧とした意識状態のときに、言霊やイメージを潜在意識に送り、これを繰り返します。
ウトウトした状態で、半眼の状態で、言霊、イメージを集中させ、繰り返すのです。
必死になって遣ると却って出来なくなります。
やろうと思えば思うほどできなくなります。
のんびりと、ゆったりと、あせらずに、楽しんでやるのが秘訣です。
言霊とイメージに強い感情が結びつくと、潜在意識への効果が高まります。
潜在意識の法則は、イメージの集中繰り返しの法則であり、感動体験の法則でもあります。
強い感動体験のイメージとともに言霊を思い起こすと、より強く潜在意識に刻印されていきます。
この現実世界では、自分の思いが現実をつくります。
自分の思いとは、無意識の世界である潜在意識のことです。
ですから私は、患者に対しては「大丈夫だよ」「治るよ」を何十回も、何百回も連呼して相手の心に届けようとしています。
治療家が自信を持って治るよ、治るよ、と3か月間、毎日何十回も言い続けていると、どんな病気でも本当に治ってしまいます。
ですからどんな病気でも、力強く励ますことが大事です。





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# by toukokira-kira | 2017-06-13 11:13 | Trackback | Comments(0)

腰痛は怒りである

ネガティブなマイナスの感情が脳の扁桃体に伝わると、大なり小なり、「不快感」が伝わります。扁桃体が不快と判断するのです。
扁桃体が不快と判断すると、扁桃体は興奮し、暴走するようになります。
不安も恐怖も、心配事も悲しみ、憎しみも、すべて不快と判断します。
扁桃体が不快と判断すると、「怒りのホルモン」であるノルアドレナリンが分泌されます。
ネガティブな感情にはそれに連動して「怒りのホルモン」が分泌されるのです。
ですからこうしたネガティブな感情にはいつも怒りの感情が寄り添っているのです。
怒りとは、不快+攻撃性の感情のことですから、同時に攻撃性が強くなります。
不快な感情と攻撃性の両面がでてくるのが「怒り」です。
人間のさまざまなネガティブな感情は、別名ストレスと呼ばれ、これがすべての病気の始まりです。
ストレスの心は、言い換えるならば、怒りの心です。
ストレスが慢性の腰痛の原因だと昨今判明してきましたが、そのことはすなわち、「腰痛は怒り」であるということです。

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# by toukokira-kira | 2017-06-12 22:00 | Trackback | Comments(0)

古代医学の力

空海聖人、道元禅師の行っていた古代医学は、大宇宙の大いなる力、大自然の無限の力を用いて患部の痛みを瞬時に調和させる霊法です。
私もよく用いていますが、患部に指圧で揺らぎを与えて、その圧痛点に生命エネルギーを注ぐと、痛みは瞬時に消えていきます。
圧痛点のことをトリガーポイントといいますが、筋肉異常は、この圧痛点を中心に生じていて、遠隔的に痛みが放散されています。
筋肉に圧を加えてゆらぎを与えると、ゆらぎを与えた所に生命エネルギーが集中して、患部を癒します。
患部をゆらゆらと揺らぎを与えて、圧痛点を探り、患部の中心点に生命波動を送ります。
右回転、左回転の波動スパイラルで生命エネルギーを注入します。
生命エネルギーには、色彩があり、痛みなどの身体の治療には、青い光の波動、赤い光の波動を使います。
関節周辺を治療するときには、金色と銀色の光の波動を使います。
内臓を治療するときには、白と紫の光の波動を使います。
夢や希望を実現させるには、赤い光の波動を使い、音楽の演奏には、天眼の白い光を使います。
古代医学では、光と色の波動を使い分けて、イメージ波動で患部にエネルギーを注いで病気や痛みを治しました。
宇宙、大自然に存在する不思議な図象を患部に指先で描いて、治すことも多用します。稲穂のマークや神代7代の御神名を霊光文字で患部に描いたりします。
ヤタノカガミの図象、勾玉の図象、稲穂の図象、フトマニの図象、クニマリの図象なども描きます。
患部の痛み、愁訴は瞬時に消えます。ありがたいことです。
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# by toukokira-kira | 2017-06-12 21:22 | Trackback | Comments(0)

痛みの真実

ここ数回は痛みというものの本質について様々な角度から考察してきました。
多くの外科医は、筋骨格の構造上の変化と痛みとは関連していないことを臨床経験で知っています。
慢性的な痛みの原因が、骨や軟骨のズレや歪み、変位によるものではなく、真の原因は生理的メカニズムによるものだと知っているのです。
「骨が」「軟骨」がという構造上のゆがみと痛みは無関係なのですが、それに起因しているものと患者の誰もがそう信じています。
そういう思い込みと不安が患者の潜在意識に深く刻印されています。
筋骨格系の痛みやしびれは、ガン、骨折、感染症を除き、それはハードのトラブルではなく、ソフトのトラブルなのです。
脳の反逆、自律神経、心の作用の問題ということです。
慢性腰痛は脳が原因です。
そういうことが最新の医学研究で判明してきました。
脳が原因であり、その痛みを治すのも脳です。
脳が原因ですから、整形外科のどこに行っても慢性腰痛は治らないわけです。
治らないから様々な理由をつけて言い訳をします。
神経が押さえられているから痛い、軟骨や椎間板が潰れているから痛い、脊椎にすべりや分離があるから痛い、骨盤、仙骨にズレ、ゆがみがあるから痛い、姿勢が悪いから痛む、筋力がないから痛む、などなど、日本の医者も患者も強く思い込んでいますが、これはすべて迷信です。
米国疼痛学会の常識とは正反対です。
整形外科医が得意とする構造上の問題と慢性の痛みは無関係です。
そういう痛みの生理学はありません。
骨が、軟骨が、と医者は言いますが、痛みとは無関係です。
真実は、心の作用にあります。
心が脳に影響を与え、慢性腰痛の痛みを引き起こしていたのです。
心の動き、交感神経の緊張が、外力エネルギーとなって、センサーに痛みの電気信号を送り、センサーがその痛みを脳に送りますが、痛み中枢のDLPFCが痛みを制御して、痛みを消失させれば問題はないのですが、DLPFCの働きがストレスによって衰えているから痛いのです。
DLPFCが元気になり、不安やストレスが解けて筋肉の強いレン縮が止れば、痛みは止るのです。
痛みの原因は、骨や軟骨にあるのではなく、脳の影響下にある筋肉,靭帯にあります。
腰痛の原因を骨格のズレ、ゆがみ、中枢神経とする医学だから治せないのです。
米国疼痛医学会では明快にそのことを指摘し、誤りであると断言しています。
腰痛の大部分の真の原因は、筋肉の緊張と筋肉障害によるものということです。
脳の働きと筋肉の問題を解決すれば、すべての腰痛などの痛みが解決するということです。
筋肉痛の原因は4つです。緊張と、硬直障害、レン縮と不随意収縮の疼痛、トリガーポイントなどの圧痛点と遠隔放散する疼痛です。
筋肉にアプローチして、正常な状態、調和の取れた状態を取り戻してあげると、痛みは消滅するのです。
これは、15年前の私の書いた本から抜粋した文章ですが、未だその信念は変わっておりません。
椎間板ヘルニアであろうと、脊椎間狭窄症であろうと、腰椎すべり症であろうと、腰椎分離症であろうと、骨の変形にどんな病名、症状がつこうとも驚くことは何一つ必要もありません。臨床経験上、骨、軟骨は関係ありません。
慢性痛と骨は全く関係ないからです。
骨のズレ、歪みが神経を圧迫して、痛むのではありません。
そういう生理学はないのです。
慢性の痛みと骨格変位は関係ありません。
ストレスを調和させ、痛む患部の筋肉を丹念精密にアプローチして、正常にしてあげれば、痛みはなくなるということです。
骨が、骨がと言っている間は、少しも治りません。
12年前の米国の医学研究では、男女とも50歳以上の8割の人に脊椎の骨格変位がレントゲン上生じています。そのうち半数が歩くことも困難とも思えるヘルニアの所見でしたが、痛みもない、正常な運動もできるという人が大半でした。逆に、検査では正常な人も、ヘルニアの痛みで動けない人がたくさんいたのですから驚きです。検査すると半数の人が変形異常となりますが、痛みもなく正常です。筋骨格系の痛みは、骨、軟骨とは無関係であり、そのほとんどが脳が原因の筋肉異常であり、心身症が大本の原因ということです。
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# by toukokira-kira | 2017-06-11 13:37 | Trackback | Comments(0)

心が痛みをつくる

すべての身体の不調はストレスから始まるといっても過言ではありません。
痛みというのは、ストレスの心がつくりだしているものです。
慢性痛の原因は脳であることが判明してきましたが、痛みは脳がつくると同時に、その痛みは心がつくっているという本質を忘れてはなりません。
自律神経の交感神経の緊張が発痛物質を分泌し、それが神経細胞に伝達され、酸欠状態をつくり、痛みが脳に伝達されて、ひーひーと痛むのです。
交感神経の緊張による酸欠が急激に起こっているのが、ぎっくり腰です。
筋肉の酸欠状態が腰痛や肩こりの原因です。
酸欠は交感神経の興奮緊張によって引き起こされます。
筋骨格系の痛みは、交感神経の緊張によるものですから、不安や恐怖などのストレスと密接です。
密接というよりもストレスの感情と連動しているものです。
繰り返し言いますが、不安や恐怖の感情であるストレスが痛みをつくります。
不安や恐怖、苦しみや悲しみの感情が脳に入ると、ノルアドレナリンという「怒りのホルモン」を分泌しますので、そうした感情の裏には怒りが隠されています。
そうした意味で私は「腰痛は怒り」であると言ってきたわけです。
心の怒りや苦しみが痛みをつくるのです。
慢性的に繰り返し痛む人は、骨、関節のズレ、歪みに目を向けるよりも、心の歪みに目を向けるべきです。
不安神経症やうつ病では、交感神経の過緊張のために、痛みの感覚が強烈、敏感に出てきます。
痛みのでる圧痛点をトリガーポイントと言いますが、圧痛点が患部です。
圧痛点はたくさん点在します。
この圧痛点の痛みが、交感神経を絶えず刺激して、緊張を誘い、痛みの悪循環をつくります。
整形外科ではこの圧痛点のトリガーポイントにブロック注射を打ちますが、私は、圧痛点にゆらぎのエネルギーを注入します。
痛むところに、きめ細かく指圧し、そこにエネルギーを照射します。
正反の青赤の光のスパイラルをイメージして患部に描いてもよいでしょう。
不安神経症やうつ病と筋骨格系の痛みはとても密接で、関係が深いのです。
交感神経の慢性的な緊張状態のためです。
うつ病の治療をすると、腰痛や膝痛が治ったという人は大変多いのです。
抗うつ剤投与によって、膝関節が治ったという事例はたくさんあるのですよ。
米国のサーノ博士は、腰痛治療などは、潜在意識に働きかける治療をすべきだと言っています。
腰痛は心の作用が大きく、交感神経を緊張させているために生じるからです。
腰痛に限らず、身体の痛みは、心の調和が不可欠です。
ストレス、トラウマを遮断して、心の安定を取り戻さないと、快方に向かいません。
古流神道のストレス調和法がここで威力を発揮します。
無限の力をもった宇宙生命波動がストレスを断ち切ってくれます。
しかし、慢性的な痛みというのは、痛み中枢であるDLPFC部位の異常が原因ですからこのDLPFCが正常に働くように手立てを講じなければ解決しません。
脳の前頭前野にあるDLPFCが身体の痛みを制御しコントロールしていますので、ここが正常に働かないと、いつまでも痛い、痛いが続くことになります。
痛みを軽減したり、消失させたりする働きというのは、痛み中枢であるDLPFCが司っていますので、ここが本来の働きを取り戻してくれないと、慢性痛は治りません。
そういうことがカナダの医療チームの最新の研究で判ってきました。
不安や恐怖、怒りや悲しみの感情が痛み中枢であるDLPFCの神経細胞を萎縮させ、その機能を衰えさせて、その結果、慢性痛を生み出しているのです。
慢性腰痛の原因は脳にあったということです。
ストレスの心が脳を狂わせてしまったのです。
そういう意味で、心が慢性痛の痛みをつくっているということです。





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# by toukokira-kira | 2017-06-11 10:55 | Trackback | Comments(0)

痛みの本質

心の痛みの代償行為が肉体の痛みです。
心を守るために肉体に痛みをつくるということです。
意識が肉体に向かうように強烈な痛みをつくります。
心の苦痛を遮断するために肉体に強い痛みをつくるのです。
心の痛みを救うために、肉体に痛みを出しているということです。
心の痛みは、生命、命に直結する苦しさです。
肉体の痛みよりも心の痛みのほうがはるかに深刻なのです。
放置すると、自ら命を絶つもの、自殺するものが大勢出現します。
心の痛みを止めなければ、生命体がもたないのです。
その心の痛みを止めるには、強烈な痛みを肉体に作り出す以外にはありません。
心の痛み、ストレスが強烈なほど、腰痛や肩凝り痛も強烈となります。
痛みは、心の痛みの代償行為として、肉体に生じてきているのです。
受け続けてきたストレスが強烈で、限界を越えて、持続的に襲いかかっているということです。
腰に痛みがくれば腰痛となり、消化器系にストレス反応が出れば、胃痛、腹痛、下痢となります。
循環器系に出ると不整脈、高血圧となります。
呼吸器系に出ると、喘息、セキとなります。
皮膚に出ると、蕁麻疹やアトピーとなります。
ストレス反応があらゆる症状、痛みをつくるということです。
根本療法は、心の調和です。
ストレスやトラウマから心を解放してあげないと、何も始まりません。
腰痛や肩凝りの85%以上が原因不明です。
医者にみてもらっても、原因が判らないから、「腰痛症」という名称が付いています。
腰痛で医学上の病名がつくのは、ヘルニア、脊椎狭窄症など、ごく僅かです。
ほとんどの腰痛がひとまとめに「腰痛症」と診断されます。
原因不明なので、治せないのです。
怒りなどの心が原因ですから、西洋医学では歯が立ちません。
古流神道には、ストレス調和法という秘奥義があります。
ストレスを処理できれば腰痛はしっかり治ります。
ストレス反応点であるDLPFCポイント、扁桃体反応点、側坐核の反応点、海馬の反応点などに生命エネルギー波動を注ぎます。



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# by toukokira-kira | 2017-06-10 21:41 | Trackback | Comments(0)

DLPFCと扁桃体

これまでに慢性痛の原因である脳のdlpfcと扁桃体との関係について綴ってきました。
DLPFCは判断力を担うので、ここが弱ると、人格の発現、適切な社会的な行動が出来なくなります。
また、意欲、活力をも担うので、一つの仕事に集中する能力の源泉を失うことになります。
DLPFCは脳の中で最も進化した部位であり、大切なところです。
日本ではまだ認可されていませんが、海外ではこのDLPFCへの磁気刺激療法が普及しています。
現在、ストレス社会の到来の中でうつ病患者が増加していますが、うつ病のカギを握っているのが扁桃体です。
こうした扁桃体の暴走を抑えるのがDLPFCです。
人間のストレス情報は脳の扁桃体に入ってくるのですが、この扁桃体は神経細胞の集まりであり、不安や恐怖、悲しみの感情を生み出すところです。
入ってきた情報を扁桃体が不快と判断すると、扁桃体は興奮します。
そして扁桃体にたくさんの血流が流れ込み、過剰な反応を示すようになります。
そうすると、コルチゾールというストレスホルモンが分泌されます。
コルチゾールが分泌されると、「怒りのホルモン」であるノルアドレナリンが分泌されますので、闘争本能に火がつきます。
またコルチゾールが血中に流れると、血液中の免疫細胞と結びついて、その結果、免疫細胞の活動が停止状態になってしまいます。
不安や恐怖、怒りや悲しみというストレス感情は、扁桃体を狂わせ、DLPFCを衰えさせ、免疫細胞の活動を弱め、さらには慢性の腰痛やうつ病を発生させます。
まさにストレス感情こそが万病の元と言っても過言ではありません。
このDLPFCの働きを正常化させる治療が磁気刺激療法なのですが、私は磁気の代わりに宇宙生命波動の刺激を脳のDLPFC部位に与えて治療しています。
そうすることによって扁桃体の過剰な活動を抑制できる効果を生み出します。
今日も私のDLPFCに関する臨床応用の研究が続きます。
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# by toukokira-kira | 2017-06-10 11:32 | Trackback | Comments(0)

痛みの治療とは

今日は「痛みの治療」がテーマです。
腰痛にしろ、肩凝りにしろ、膝痛にしろ、その根本原因は、ストレスです。
ストレスとはネガティブな感情全般を言います。
不安や恐怖、怒りや悲しみの感情をストレスと言います。
慢性痛というのは、腰痛に限らず、すべてが不安や恐怖、怒りの感情が生み出しているということです。

心の作用、心の動きが、脳を緊張興奮させ、交感神経を緊張させ、痛みをつくります。
心を守る防衛機能が肉体に痛みをつくっているのです。
肉体に痛みをつくることで、心に向かっている気をそらし、心を守っているのです。
その脳のメカニズムは巧妙であり、ストレスが限界をこえて蓄積してくると、痛みを制御している脳の部位が働かなくなり、肉体に痛みをつくります。
その脳の部位こそ、今話題沸騰中のDLPFCという前頭葉の部位です。
此処が働いて機能しないと、痛みの悪循環がずっと続くことになります。
心身症で悩んでいる人は、全員が必ずどこかここかに腰痛、肩凝り、胃痛,喘息などの痛みを抱えています。
それが長く続くと、痛みが慢性化し、痛みの神経回路ができてしまい、痛みの悪循環を引き起こします。
痛みの神経回路、記憶回路が出来て、痛みの悪循環が生じると、患部を意識しただけで、条件反射的に痛むようになります。
長い間、痛みで苦しんできた人は、痛みの悪循環でさらに苦しむことになります。この痛みから解放するには、患部に流れる情動エネルギーを止める必要があります。
神経回路に痛みを伝達している情動エネルギーの発露を停止させる必要があります。
痛みを生じさせるエネルギーこそ、情動エネルギーです。
不安や恐れ、怒りなどの本能由来の感情エネルギーを情動といいます。
この情動が限界を越えると、痛みが現れてくるのです。
心の防衛機能が壊れて、痛みが現れてくるのです。
感情を抑圧する身体の防衛反応が限界を越えると、痛みとなって現れてくるのです。
人間の心は、不快な感情を無意識に押さえ込む心の防衛システムが働き、心の安定装置が備わっています。
不快な感情がしっかり抑圧できているときには、何の問題も生じませんが、その不快さが限界を越えると、大変なことになります。
感情の抑圧だけでは心の安定が保てませんので、新たな防衛機能が必要になります。
肉体の痛みは、心を守るための新たな防衛装置なのです。
それゆえに脳のDLPFCは本来の仕事を放棄して、肉体に痛みを与えるように仕向けるのです。
ですから痛みの治療には、心の治療、ストレス、トラウマの消去調和が不可欠です。同時に機能停止しているDLPFCに宇宙波動の刺激を与えて、調和を誘います。
そして心の治療は、魂の治療です。
魂の治療は潜在意識の治療です。
心、魂を調和させるには、宇宙の無限の力である生命波動のパワーが必須です。
人間の世界を超えた、物理学の世界を超えたアプローチが必要になります。
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# by toukokira-kira | 2017-06-09 19:28 | Trackback | Comments(0)

痛みとは何か

今日は「痛み」について考えてみようと思います。
身体の痛みとは、一体何であろうか。
痛みや痺れは、何かがエネルギーとなって、神経回路に痛みを伝達しているのです。
それが脳に伝わり、痛みを脳が認識するから痛むのです。
痛みが起こるエネルギー、それは情動というものです。
心の作用です。
情動とは、本能由来の基本的な感情です。
不安、恐れ、怒り、悲しみ、苦しみなどの感情のことです。
痛みは、感情を抑圧したときの身体の防衛反応です。
不安や恐怖のエネルギーが脳に入ると、痛みをコントロールしているDLPFCという脳の部位が萎縮して、その機能が衰えます。
そうなると、患部が元通りに治っても、痛い、痛いと痛みます。
従って、痛みの治療は、心の治療、体の治療の療法からのアプローチが必要になります。
その意味で、筋骨格系の痛みの原因は、ほとんどが心身症です。
筋骨格系の痛みは、ハードのトラブルではなく、ソフトのトラブルです。
心の動き、心の作用で痛みます。
自律神経の交感神経の緊張が外力エネルギーとなってセンサーに痛みの電気信号を送るから痛いのです。
その意味で痛みとは、ストレス反応なのです。
ストレス反応には5つのタイプがあります。一つは、腰痛などの筋骨格系の痛みです。
2つは、胃痛などの消化器系の痛みです。
3つは、セキなどの呼吸器系の痛みです。
4つは、不整脈や高血圧などの循環器系の痛みです。
5つは、湿疹、かゆみなどの皮膚に出るタイプです。
そしてこれらの痛みの生理学は、痛みの心理学です。
ストレスによって、身体のいたるところに痛みが出現します。
これらの原因は、感情の抑圧にあります。不安や怒りを無理やり押さえ込むと、首、肩、腰が痛みます。
人間の心の防衛機能は、不快な感情を無意識に押さえ込むように出来ています。
心の安定装置が働いているのです。
不快な感情がしっかりと抑圧できている間は、問題が起きないのですが、限界を越えると、抑圧だけでは心の安定が保てず、新たな防衛体制の構築が必要になります。
それが痛みです。肉体に痛みをつくりだして、肉体に気が集中するようにしむけるのです。
心の痛みから心を護るためにです。
心の痛みは、肉体の痛みより深刻だからです。
肉体に痛みをつくって、不快な感情から目をそむけさせるのです。
無意識の働きでそうなるのです。
不安、抑うつ、恐怖が肉体の痛みをつくっているのですよ。
その意味で、腰痛は恐れであり怒りなのです。
腰痛の心理的な原因は、不安と恐怖、怒りと憎しみ、自己否定と自己嫌悪、情けなさ、自責の念、孤立などの心です。
苦悩、困惑があると、痛みは慢性化し、悪循環となり、条件反射して、痛むようになります。
この論文も14年前に書き綴ったものですが、懐かしいので再度掲載してみました。
そして、今、この慢性的な痛みのメカニズムが脳科学的に判明してきました。
もとより不安や恐怖、怒りや悲しみが痛みの原因なのですが、脳のDLPFC部位の衰えによって慢性的な痛みが発生しているということが判ってきたのです。
不安や恐怖などのストレスが蓄積されていくと、痛みをコントロールするDLPFCの機能が失われ、痛みの悪循環が起こるということです。
痛みを軽減したり、痛みそのものを消失させる指令を担うDLPFCが働かなくなるから慢性痛ガ起こるのです。
ですから前頭葉にあるDLPFC部位に刺激を与えて、本来の機能、働きを取り戻すことが出来れば、慢性の腰痛や肩こりは解決に向かうのです。



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# by toukokira-kira | 2017-06-08 21:08 | Trackback | Comments(0)