隣人愛とは

隣人愛とは、人間愛のことです。
「自分の隣人を愛せよ」とキリストは言いましたが、奥深い言葉です。
自分を愛するのと同じように隣人を愛しなさいと言ったのですが、キリスト教の教えのすべてがこの一言に凝縮されています。
キリスト教はこれ以上でもこれ以下でもありません。
隣人を愛せよ、とはどういう意味が込められているのでしょうか。
マタイの福音書にそのことについての大事なことが綴られているそうです。
隣人の苦境を救い、手助けし、親切にして、思いやりをもつということは、すなわち、キリストや主である神に対して善行を捧げ尽していることになるのだ、とマタイの福音書に書かれているそうです。
隣人へのよい行いは、そのまま神への行いであるとしました。
隣人が喜べば、それは神が喜んでいることになるのだそうです。
隣人を神と置き換えると、意味が判ってくるそうです。
ですから、他者へのよい行いは、神へのよい行いとなって、神が大変喜ばれるということです。
人の苦境を見て、見過ごしにできない惻隠の心こそ、隣人愛の心です。
他者に対しての思いやりのある優しい心、気配り、心くばりの中に、人生、運命を好転させる鍵があるということです。
皆さんは気づいていないのですが、この「隣人愛」の中に人生、運命を好転させる秘訣があるということです。
隣人愛のことを古流神道流にいうと、自利利他とか大我の心となります。
そうしたものには運命を根こそぎ変えていく力があります。
人を助け、人を救い、人に誠を尽くすというのが本当の意味での隣人愛ですが、こうした無償の愛、無償の善行の実践の中に運命を変える力が潜んでいるということです。
言うは易し、行うは難しですが、是非とも運命を打開したいと思っている人はこの無償の善行を「1日1善」の行として実践してみてください。


この点については、古流神道もキリスト教も変わるところはありません。
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# by toukokira-kira | 2017-08-22 10:46 | Trackback | Comments(0)

運命は変えられるか

あなたは今、心を変えることで、運命を変えていくことができます。
心イコール「カルマ」ですから、心を変えるということは、カルマを変えるということです。
心を変えることによって、運命を根こそぎ変えることができます。
しかし、心を変えることは大変難しく、至難の業です。
さて、心もカルマも、「波動共鳴の法則」に従っていますので、心やカルマには同じ波動を引き寄せるという法則があります。
カルマには同じ波動のものを引き寄せる法則があるということは、善なるものを差し出すと、同じクオリティの事象が引き寄せられてきます。
与えれば与えられる法則のとおりです。
思いやりの心には、思いやりの心が還ってきます。
人を愛すれば、愛されるということです。
今から新しいスタートです。決して遅くはありません。
今から将来に向けてよいカルマを積んでいくと、運命が少しずつ変りはじめます。よい出会いと、よいチャンスに恵まれます。
私達のすべての行為は、カルマという法則に従っています。
原因があって結果が生じます。
悪い行為をすれば、悪いカルマの種が蒔かれ、悪い結果が生じます。
よい行いは、よい結果として顕れてきます。
自分が発したものは、同じ質の結果となって必ず還ってきます。
自分が発した怒りや憎しみ、呪いの想念は、相手にも届きますが、最期には回りまわって自分に還ってきます。
宇宙に発したものは、すべて自分のもとにブーメランのように戻ってくるということです。
自分が発した悪想念が自分に戻ってきて、自分を苦しめることになるということです。
行為の結果はすぐに出るものもありますが、でないものもあります。
今世のどこかで対価が伴うものもあり、来世に持ち越すものもあります。
突然、道が開けたり、道が閉ざされたり、潜在能力が開花したりします。
人気の絶頂の者が、突然、災害や事故、病気ということも珍しくはありません。
いずれも、自分が蒔き続けてきたカルマの種が実を結んだ結果ということです。
カルマの種はこうしている今も蒔き続けられています。
そして未来に結果となって顕れてきます。
未来をよくするには、今、よい行いをすることが必須ということです。
カルマを帳消しにして、運命を変えていくためには、もっとアクティブに生きていく必要があります。
人を助け、人を救い、人に誠を尽くし、人に奉仕するという自利利他の行を一生懸命に実践することです。
自分本位ではなく、自分を捨て去って、すべての面で相手本位になれたならば、運命は根こそぎ変わっていきます。
是非とも実践してみてください。
無償の愛と善意,善行のことを隠徳といいます。
陰徳を積むことが運命を還ることになるということです。









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# by toukokira-kira | 2017-08-21 21:20 | Trackback | Comments(0)

歴史問題

「嫌な過去はお互いに水に流す」という日本的な潔い言葉があります。
ところがこういう潔い考え方は、世界では通用しないようです。
中国人や韓国人にとっては、敵はいつまで経っても敵であり、100年経っても、千年経ってもその関係は永遠に変わることがありません。
受けた恨みや憎しみは、子孫にも受け継がれ末代まで永遠に消えないということです。
すべてを水に流して、新しい関係を築くというのは日本人には通用する言葉でありますが、中国人や韓国人には通用しません。
そうした国々の人々にとって、受けた恨みや憎しみ、先祖からの言い伝えは、未来永劫、永遠に消えることなく続きます。
そうした国民性の中では「水に流す」という潔い概念自体が存在しないのです。
悪いことをしても、絶対に謝らない。
言い訳をして、ウソまでいって、誰かのせいにしてしまう。
上手な嘘は身を助ける必需品らしい。
嘘を言うことに罪悪感などない国民性。そして自分に非があっても絶対に謝らない。
どんなことであれ、謝ったら最期、自分が犯罪者であることを自分が認めるのだから、そんなことをすればその立場は永久に固定されることになります。
ですからウソや作り話で塗り固めても自分の非は認めようとしません。
「嘘もうまくつけば稲田千坪にも優る」というのが韓国の有名な諺です。
ですから韓国人は容易には謝らず、しかも自分の非を認めようとしません。
ですから歴史問題や教科書問題などで日本も安易に謝ってはならないのです。
謝って自らの非を認めると、犯罪者として烙印を押され、その立場は永遠に固定されてしまいます。
そして、水に流すという概念がないのですから、中国や韓国との歴史問題などは解決することなく、永遠に続きます。
今は被告人となっている朴大統領などは、抗日記念日の演説で「加害者と被害者の立場は1000年経っても変わらない」と言いました。
日本は永久に謝罪しつづけろ、と言っているようなもので、水に流すという概念など少しも存在していません。
日本が河野さんのようにへたに謝ると、相手はそらみたことかと居丈高になって、油に火を注ぐことになります。
近隣外交というのは妬みと憎しみが入り混じっていますので難しいのです。

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# by toukokira-kira | 2017-08-20 13:42 | Trackback | Comments(0)

聖徳太子の一文

聖徳太子が隋の煬帝に送った国書の中に有名な一文があります。
「日出ずるところの天子、日没するところの天子に致す。恙なきや」という一文です。
当時も今も中国人に染み渡っている中華思想というのは、漢民族が最高の民族であり、その周辺の国々はみな取るに足らない蛮族であり、無知の野蛮人であり、中国に隷属すべき国々であるとする尊大な思想です。
そんな時代の中にあって、対等な関係を表明した聖徳太子の心意気が伝わってきます。
大国を恐れない大和の心がこの聖徳太子の一文に響き渡っています。

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# by toukokira-kira | 2017-08-20 13:22 | Trackback | Comments(0)

心とカルマ

カルマは、言葉や行動ばかりではなく、心の中の思いもカルマになります。
思うことは誰にも判らないから問題ないと思うかもしれませんが、そうではありません。
ある人を嫌いと想い、心の中で憎んだとします、そのネガティブなエネルギーは、相手はもちろんのこと、周りに伝播しています。
そうした否定的な想いのエネルギが、同類のエネルギーや事象を引き寄せます。
良からぬことに襲われることになります。
運の悪い人というのは、悪い想いに包まれていて、その悪い想いがカルマとなって、悪い波動のものを自ら引き寄せている人のことをいいます。
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# by toukokira-kira | 2017-08-19 21:44 | Trackback | Comments(0)

男女の交際

欲望の中で一番欲深いのが色欲です。
ドロドロとした情念が渦巻く欲望が色欲です。
この色欲が執着を生んで、カルマとなり、来世までその人を縛ります。
色情因縁ほど怖いものはありません。
色情因縁が色濃く漂う人間ほど、モテ男だったり、モテ女だったりします。
そうした美男美女というのは、一時期は我が世の春を謳歌しますが、長くは続きません。
調子に乗っていると、ストーンと奈落の底に真っ逆さまになって落ちていきます。
最期は悲運、不運の運命と相場が決まっているのが色情因縁の行く末です。
色恋沙汰というのは、常に悲哀と苦しみ、憎しみが同居しています。
何故ならば、ブラサルダの赤い矢が突き刺さるからです。
男はいい女に弱く、女もいい男に弱いのです。
だから色情因縁が複雑にからまっていくのです。
見た目や容姿に惚れるとすべてが色情因縁となります。
心や魂、人間味、人間としての有り様に惚れると、色情因縁にはなりません。
尊敬の念、敬愛の念が交わりにあると色情因縁とならないということです。
顔や容姿、色香や肉欲に溺れると、色情因縁が発動しますので、必ず悲運が招来します。
ですから、男女の交際では、その人間の心や本質を愛することが大切です。
そういう男女の交わりには、色情因縁から起因する悲運がありません。
生涯,大過なく、仲むつまじく暮らせるということです。
裏切ったり、裏切られたりする男女の交わりでは、愛は憎しみに変わり、憎しみは怒りに変わり、築いてきたすべてのものが破壊されます。
これが色情因縁の辿る道です。
男女の交際というのは、色香や肉欲に溺れるのではなく、人間に惚れるということが大切です。







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# by toukokira-kira | 2017-08-19 21:04 | Trackback | Comments(0)

人は人、自分は自分

人間の人生を考えた時、何が良くて、何が正しいのかということをおいそれとは一概に言えないものがある。
前向きにとか、かく行動せよとか、チャレンジこその人生といってみたところで、人の人生は人それぞれであって、とやかく言って決め付けることはできません。
体力も、気力も極端に落ちている老人に「前向き」にといってみても、それは苦痛かもしれません。
家に閉じこもっている人に、一歩踏み出して行動せよと言っても、それは残酷で苦痛なことかもしれません。
対人関係に慄いている人に、チャレンジと言ってみても、それはそれはその人の心をさらに傷つけるだけのことかも知れません。
人それぞれに深い事情があって、こうせよああせよとは一概には言えません。
そもそも何がよくて、何が正しいかなんて、ナンセンスなことなのかも知れません。
どんな生き方であっても、基本的には他者の生き方を尊重すべきことなのです。
他者の生き様をとやかく言うべきものではありません。
それぞれの人が自分の言行に責任をもっていればよいということです。
そして、人は人、自分は自分ということだと想います。

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# by toukokira-kira | 2017-08-18 17:03 | Trackback | Comments(0)

気づきの力

私は、この科学の発達した超現代の時代にあって、時代錯誤とも思えるような「カルマ」とか「因縁」とか「前世」「輪廻転生」といった形而上学的な記事を書き続けています。
あわただしい競争社会の中で毎日を必死に生きている人々にとっては、今を生き延びることがすべてであり、「あの世」とか「前世」とか、そんなことはどうでもよいことかもしれません。
しかし、人間は壁にぶちあたって、どうしょうもなくなると、自分の呪うべき運命に自問自答するようになります。
そして道を求めるようになります。
このブログはそうした新たな段階に入った少数の道を求める人々のために記事を公開しています。

さて、前世の記憶がふっと蘇ることがあります。
潜在意識の中の記憶がときおり活性化して蘇るのです。
「ああ、これはどこかで見たことのある景色、風景だ」「この人は前にどこかで出会ったことがある」などと、初めての景色、出会いなのに、そういう思いに浸ったことはないですか。
それは、過去世からの強い執着のものが現れたり、はるか昔に出会った風景であったり、過去世のときに縁のあった人であったりします。
同質の波動や因縁のある波動に出会うと、瞬間的に潜在意識が反応し活性化して、そう感じさせるのです。
過去世のどこかでそういう人や風景の出会いや体験があったということです。
今の自分にはわからないのですが、心の中に記憶が残っているのです。
その当時の感覚が蘇るのです。
このような時には、それをきっかけにして、関連する記憶も次から次へと蘇る場合があります。
潜在意識が活性化するからです。
頭上に落雷のような刺激が落ちて、急に才能が花開くということも生じます。
ひとつのエネルギーが刺激されることで、潜在意識が活性化し、思わぬ方向に運命が展開することもあります。
ふと感じるというのは「気づき」の力です。
気づきとは直感、第六感ともいい、宇宙からの伝言とも言うべきものです。
気づきの力が強い人の人生、運命というのは順風満帆で安心です。
ですから、カルマがよい方向に向かうには、善行を積むとともに、気づきを深めていく必要があります。
気づきを深めていくためには、心の修養が必要です。
魂が浄化されていくと、気づきは、自然と起きてくるものです。
よい人生、運命を願うならば、心の法則を知り、魂を磨いて、気づきの力を養う必要があります。






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# by toukokira-kira | 2017-08-18 12:33 | Trackback | Comments(0)

カルマサークルの旅

体は魂の社であり、魂の廻りに心があります。
欲望と執着が魂の願いとなってカルマをつくります。
あれが欲しい、これが欲しいと強く執着し、欲すると、その執着と欲望が魂の究極の願望、願いとなり、それがカルマとなって、その実現を目指して、輪廻転生します。
カルマサークルの旅は、そのように執着と欲望に囚われた魂の願いを実現させるための輪廻転生の旅です。
思いが実現できずに残したものを、死後に、また生まれ変わりたいという願いになります。
これがカルマの本質です。
そのカルマを引き摺って、来世に誕生するのが人間です。
そして、カルマを清算し消滅させて、真理に達するまで、何千年という歳月を輪廻転生の旅を続けます。
人間は、自分が願う身体に生まれ変ってきます。
深く願った身体に生まれ変わってくるのが人間です。
絶世の美人になることを憧れ、それが強い執着になると、次の人生では、絶世の美女となって生まれ変わります。
かわいがっている犬や動物に強く執着すると、次の人生は、その強い執着のエネルギーにより、犬として生まれてくるかも知れません。
体は魂の社です。魂が願う社に入ります。
魂の願いとは、執着のことです。
魂の執着エネルギーが必要な肉体を求めるということです。
欲望と執着とが輪廻転生のエネルギーです。
ですから輪廻転生をしてこの世に存在する私達の心の特性は「欲望」と「執着」にあります。
それゆえに、欲望と執着から離れた生活をすることは至難の業です。
人間は、神から生まれ、意識がいろんな生命の旅をして、そして人間になり、さらに進化の旅を続けています。
何億年という輪廻転生の旅はさらに続きます。
欲望と執着こそが因縁波動であり、カルマとなるものであり、来世には必ず現れてくるものです。
溺愛したり、苦しみを呼ぶような愛し方は、執着となります。
強い恨みや憎しみを残して死んでいくと、それが強い執着となって、次の来世を縛ります。
来世にも、同じような強い恨みと憎しみの状況が再現されるということです。
執着と欲望というものが、カルマとなって、永遠にあなたの魂を苦しめることになるということです。
富も名誉も、地位も権力も、みんな執着と欲望の産物です。
魂にとってはつまらない邪魔者です。
富も地位も名誉も掴み取ったならば、今度はそうしたものを追い求めない違った生き方も大切です。
心の本能である「心の特性」は「欲望と執着」にあります。
欲望とともにあるのが人間です。
しかし、この執着と欲望を少しでも捨てていかないと、魂の修行、向上にはなりません。
お釈迦様である仏陀は臨終の最期の時に一つの言葉を弟子たち残しました。
「我欲、我執、我見の消滅こそ」と言われました。


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# by toukokira-kira | 2017-08-16 22:10 | Trackback | Comments(0)

直霊とは

悠久の魂の記憶とは、それは私達が何億年もの生まれ変わりを繰り返してきた体験の記憶です。
人間の潜在意識には過去世の全体験の記憶がしっかりと刻印され、それがその人を独自の個性、性格に染め上げています。
過去世という記憶は、何億年もの間、連綿と受け継いでいる魂の記憶情報が直霊の奥底にある記憶保管庫に保管されています。
過去世の魂の全記録が直霊の保管庫に保管されているということです。
あなたの歩んできた道のり、あなたの考えてきたことのすべてが記憶情報として魂に刻みつけられています。
あなたの成功も失敗も、喜びも悲しみも、そして苦しみも。あらゆる感情が記憶として刻印されています。
どんな家庭に生まれ、どんな人生を歩んだのか、どんな人間関係の中で生きてきたか、あらゆるすべてのことが、魂の記憶となって直霊に刻印されています。
魂の記憶とは、すなわちカルマのことであり、因縁のことであり、自我意識のことです。
こうしたカルマの波動が、人間の運命、人生を決めています。
カルマとは、そうした意味で、思考習性波動であり、行動習性波動であり、人間の性格、資質をつくりあげるものです。
過去の大きな過失や失敗も記憶波動として残っており、そうした負の因縁波動が、同類の悪い波動を引き寄せて、悪循環を誘います。
逆に、いい思いや、忘れられないほどの良い思いをすると、それもしっかりと魂の記憶に刻まれ、執着となって現れます。
もう一度、同じ思いをしたいという欲望と執着が、そういう行動へと向かわせます。
これが心の特性という本質ですから、欲望と執着から逃れることはできまっせん。
よほどの人生修行を積まないと、欲望と執着の虜になるということです。
それが人間というものです。
人間はこうした記憶の積み重ねが因縁やカルマとなり、好きな物や人を引き寄せます。そして悪い物や人を引き寄せるのです。
悠久の魂の記憶には、命を失うときの死の恐怖や、生れ落ちたときの未知の世界への恐怖なども、記憶されているので、死への漠然とした恐怖を拭い去ることができません。
逆に、良い事も記憶されています。一生懸命に努力して頑張ってきたことや、努力して到達したこと、喜びや幸福感に満ち溢れた記憶も刻印されています。
国家、民族、宗教、政治、文化、教育などの記憶波動も色濃く刻印されています。それらの体験から、自分の信じる価値観が魂の波動として形作られています。
その人独自の魂のチャンネルが構成されているということです。
そのチャンネルが三千世界の中で、どこの世界とつながる魂のチャンネルかということが大事なことです。
魂の精神階層というのは三千世界どころか無限に枝分かれしている広大無辺な世界です。
この魂の精神階層を上昇させるためにあるのが人間の人生です。
精神階層の上昇のことを心界上昇といい、魂の修行というのはこの1点に尽きます。
誰でも定年後の十数年間は人生の黄金時代を迎えます。
富や地位、名誉などを追求してきたこれまでの生き方から離れて、自分自身を磨きあげる生き方が必要となってきます。



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# by toukokira-kira | 2017-08-16 17:32 | Trackback | Comments(0)

自分が選んだ人生です

私達の身体は、五気でできています。
五気とは木,火、土、金、水のことです。
これを探究するのが五気学という学問です。
身体は、宇宙と同じ構造でできています。
五元五気を「五元の気」とも言いますが、五元五気を構成する宇宙エネルギーには、性質の異なる3種類のエネルギーが混在しています。
純粋なエネルギーを「サットバ」と言います。
アグレッシュブな活動的なエネルギーを「ラジャス」と言い、どんより濁った鈍性のエネルギーを「ダマス」と言います。
ネガティブな体験ばかりしている人は、カルマがどんよりとして、暗く、エネルギーの性質も、ダマスの波動です。
私達の身体には、この3種類のエネルギーがカルマの波動ともに混在しています。
これらのエネルギーが混在する割合は、カルマによって決まっています。
ラジャスの波動が強い人は、エネルギュッシュで活動的な人となります。
活動的でない人は、ダマすの波動が強く、のんびりとしています。
純粋のエネルギーであるサットバが強い人は、正義感の強い、誠実、正直な人です。
人間の運命、人生というものは、魂の記憶であるカルマや因縁、自我によって決まるのですが、こうした過去世からの思考パターン、行動パターンのほかに、この3種のエネルギーもカルマを染める要因となります。
魂の固有の波動には、生まれながらに決められた周波数が存在し、それがカルマの波動であり、因縁波動であり、サットバやラジャス、ダマスの波動です。
それがもって生まれた性質、性格となって現れます。
人間というのは、その人生も運命も、宿命も、生まれもって凡そ決められており、それは神と自分との約束であり、自分自身が選んできた運命、人生であるということです。
こういう人生、こういう運命を送るという自己決定のもとに生まれてきたのですが、肉体をもつと忘れ去ることが多いようです。
自分が選んだ人生、運命なのに、それを憎んだり、反発したりしてすっかり神との約束を忘れているのです。
肉体を持ってこの世に生まれ落ちると、そのことを忘れ去っている人が実に多いのです。
このブログの読者は、そのことへの気づきの一助となってくれれば幸いです。
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# by toukokira-kira | 2017-08-15 08:47 | Trackback | Comments(0)

魂の法則

これまでに、魂の法則として、魂の記憶波動、カルマの波動、因縁波動、自我意識などについて詳述してきました。
過去世から現世までの魂の全記録、すなわち思考の全記録、行動、体験の全記録、感情の全記録、本能の全記録があなたの魂に刻印され、それが潜在意識に刷り込まれ、それに見合った現実を引き寄せているということです。
魂の全記録、思考と行動の全記録、感情の全記録、経験と体験の全記録を総称して魂の悠久の記憶といい、これを別な言い方でいうと「性格」と云います。
あなたの潜在意識には、こうしたカルマと因縁がぎっしり凝縮されて詰まっており、運命と人生を方向づけています。
宿命の矢であるブラダルダの矢はこうした方向性にそって矢が放たれます。
魂の悠久の記憶、すなわち、数千年、数億年という輪廻転生の旅を繰り返して、刻まれている魂の記憶こそが、因縁であり、カルマとなるものです。
それがそのまま思考習性となり、性格となります。
それは魂の記憶波動、周波数という形で表され、魂の振動数によって個性となります。
人間の魂の振動数はみな異なっており、同じ振動数の者は一人として存在しておりません。
この世でたった一つの存在があなたです。
その意味で天上天下唯我独尊です。
その魂の振動数が、思考習性、行動パターンを決めていて、性格、性質、資質を表しています。
人間の運命、人生は、この魂の振動数である性格によります。
性格とは、事の捉え方、認識の仕方、考え方のことであり、そうしたことが、運命、人生を決定しています。
これが本当に理解できると、魂の法則の授業は卒業となります。
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# by toukokira-kira | 2017-08-14 22:06 | Trackback | Comments(0)

情けは人のためならず

過去の過ちは帳消しにはなりません。
だからこそ真面目に、誠実に生きる必要があります。
そうした意味で、毎日が新しいスタートと言っているのです。
過去の過ちや間違いというものはカルマそのものであり、罪障因縁となって潜在意識に刻まれているものです。
過去の過ちはそう容易くは帳消しにはなりませんが、薄めて中和させることは可能です。
感謝と反省の日々とともに、大我の心の行を行うとよいでしょう。
大我の心とは、自利利他の行です。
人々を助け、救い、奉仕して、誠を尽くす行です。
無償の善行を行うと、過去の過ちの因縁は溶解し、中和されていきます。
1日一善の無償の善行を行うとよいでしょう。
人々の為に尽くすようにみえますが、やがては回りまわって、その善行は自分に還ってきます。
そうした意味で古来より先人たちは、「情けは人のためならず」と言っているのですよ。
まあ、言うは易く、行うは難しです。
このブログで人間本来の心のありようや、行動の有り様についてかくあるべきとあれこれ書き綴っていますが、そんなことはみんなとっくに承知していることです。
わかっちゃいるけどやめられないというのが人間です。
生まれ持った性格なり、思考パターンを変えることはなかなかできません。
判っているけど、どうにもならないというのが人間の性です。
自分の思考や行動を変えるには、よほどの強い決意と信念が必要になります。
自分を変えるということは、生まれ変わるということですから、相当な覚悟と決意が必要になるということです。
そして、大我の行、自利自他の行に邁進されるとよいでしょう。




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# by toukokira-kira | 2017-08-14 17:20 | Trackback | Comments(0)

相性とは

人と人とを結びつけるのはカルマの波動です。
その意味でカルマの波動のことを因縁波動とも言います。
同じような質のエネルギーをもつ人間同士が、互いの波動に引き寄せられて集まります。
同じ波動の周波数、回転数をもつ者同士が引き合うということです。
これを一言で言うと、友は友を呼ぶ、類は類を呼ぶ法則と云います。
これを総称して波動共鳴の法則といい、宇宙の根本法則となっています。
似たような同質のエネルギーは引き合うというのがエネルギーの法則です。
自分の周りに作られる人間関係は、過去世で縁のある人たちばかりです。
好むと好まざるとに関わらず、過去世からのカルマによってつながっています。
良くも悪くも、因縁波動で引き合う人間関係です。
過去世で出会っているという波動が「縁」波動であり、現世で引き寄せ合う波動となります。
あなたを取り巻く人間関係は、過去世も、現世も、来世も、基本的にはそう大きくは変りません。
いつの世も同じ人たちがあなたの周囲を取り囲みます。
袖すりあうも多少の縁です。
縁のある人達があなたの生涯に現われて、あなたを包み込みます。
これを集団のカルマといいます。
親、兄弟、夫婦、先祖たちは、先祖のカルマでつながっています。
過去世からのつながりや、神の力によって引き合うつながりなどで、出会いが生まれます。
初対面でも何かしら懐かしく感じる人や、会ってすぐに心を開いて話せる人などは、過去世からつながっている人たちです。
人の縁はこうして現世で生まれるのですが、自分のカルマを良くすれば、それに見合ったよい出会いが生まれ、逆に、自分のカルマが低いと、質の低いカルマをもった人と出会うようになります。
「ウマが合う」とか「相性がいい」とかいうのは、カルマの波動が同質の人ということです。波長が合うということです。
しかし、人生の中では、自分と相性のいい人ばかりに出会うわけではありません。相性の悪い人とも、出会います。
相性の悪い人との関係が出来るのは、こちらがその人のことを気にしているからです。
気にかけると、縁を呼び起こします。
多少なりとも思いをかけると、縁が生じてしまうということです。
自分の心が相性の悪さをつくりだしています。
ですから、相性が悪いと感じる人がいても、その縁を学びの機会と考えるようにしましょう。
自分の心が苦手意識を持たなければ、悪い人間関係にはならないのです。
相手に感謝して、誠意をもって接すれば、相手も段々と変ってきて、悪縁が良縁になることも少なからずあります。
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# by toukokira-kira | 2017-08-13 20:49 | Trackback | Comments(0)

才能とカルマ

人間の性格や資質は、カルマによって決定づけられていますが、才能もまたカルマによって与えられ授けられています。
そして、どういうエネルギーのカルマが多いのかということが重要です。
スポーツや音楽、美術の才能は、過去世からのカルマに大きく影響を受けます。
過去世で何をしていたのか、どのようなことにエネルギーを使って過ごしていたのか、ということがカルマに影響を与えています。
音楽家や演奏家になるような人は、過去世でも音楽が大好きで、その方向での集中力、努力は並外れています。
音楽を演奏することが好きでたまらないのです。
こうした生まれながらの才能は、感謝の力によって神の力が働き、さらに才能が開花します。感謝の心で努力すると、才能が伸びるということです。
しかし、生まれながらの才能も、感謝の心をもって努力をつづけないと、本物にはなりません。
しかし、才能というものは使いきればなくなります。
天よりいただいた才能は、自分の力で働くわけではありません。
自分の力だと想って思い上がっていると、才能は埋没してしまいます。
才能は神の力がないと働きません。
見えない存在に対する畏敬の念と感謝の心がないと才能は花開かないのです。
才能を長く保ち続けるには、いただけている、見えないその力に感謝します。
すべての恵みに感謝できる人格に成長していくことが必要です。
それが才能というエネルギーを枯渇させず、まわりの助けを呼び起こし、よい成長につながります。
神や仏とつながっていない人に、一流のアーティストはおりません。
一流の才能をもった人は、みんな神とつながり、神の力が働き、才能が開花しているのです。
そして何よりも感謝の心を忘れません。
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# by toukokira-kira | 2017-08-13 09:52 | Trackback | Comments(0)

真理への道

私たちの運命は、心の奥深くに刻まれたカルマによって決められています。
本来、運命や宿命を変えることはできません。
すべてが決まっていると考えると、無力感に襲われることでしょう。
しかし、ただ一つ変える方法があります。
心身を浄化して、大我の心に目覚め、真我の心を覚醒させて、カルマから自由になることです。
その道は自力救済ですから、想像を絶する修行が伴います。
そのためには真理を悟り、神我一如の境地に到達する必要があります。
簡単な道のりではありません。
無限の生命力と無限の愛と智慧を手に入れる必要があります。
真我の瞑想、光の瞑想、銀河の瞑想などを通じて、自分と神とが一体となる神我一如の瞑想を続け、真我を強く大きく光輝かせることが近道となります。
カルマを溶かし、暗闇を照らす光が真我です。
真我は内なる神ということです。
自分の中に宿る神と一体となり、悟っていくと、神の見えない力を引き寄せることができます。
それは運命を変え、人生を変え、才能を開花させる力です。
真我の瞑想により、神我一如の瞑想を続けていくと、意識が進化し、我欲や執着の曇りが晴れ渡ってきます。
ただ、人間のカルマは膨大無比です。ローマは1日でならず、の喩えのとおり、カルマの解消には長い年月が必要です。
遠い過去、何千年、何億年という遠い過去からのカルマが存在しています。
無限の数のカルマの種が蒔かれてきています。
人間になる前の進化の過程や記憶も、すべてカルマとして蓄積しています。
良いカルマも悪いカルマも無数に存在しているのが人間というものです。
心に膨大なカルマを抱えた私達は、どこから手をつけたらよいか途方に暮れるほどです。
そのカルマの一つ一つを、伝授エネルギーによって、溶かしていくのが、我が流儀五心朝天法のカルマ消滅法です。一
つのカルマを取り除いても、すぐに次のカルマが出てきます。
取っても取ってもでてきます。
何年もかかって、何千、何万という数のカルマの種を丁寧に取り除いていきます。ある程度浄化が進むと、魂がクリアーになって、カルマも、因縁も、自我意識もクリアーになっていきます。
そして真理への道が近づいてきます。
サマディの悟りが得られるということです。
神を信頼し、神にサレンダーし、神の祝福を頂き、そのパワーによって心が清められ、カルマが清められるということです。
無償の愛によって善行を積み、与え尽くし、授けつくすという神の行為を実践していくと、神の祝福の花びらが舞い降りてきます。
これがカルマや宿命から逃れることのできる唯一の道です。
そしてそれは真理への道につながっていきます。

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# by toukokira-kira | 2017-08-12 12:24 | Trackback | Comments(0)

魂がクリアーになると

我知らずに蓄積するカルマがやがて宿命の矢となって自分に突き刺さります。
宿命ともいえる強いカルマは、人に捧げる、与える、まことを尽すという生き方をベースにして、真我の瞑想を加え、溶かしていきます。
1日1善の無償の善行が、1つのカルマであるブラダルタの矢を溶かしていきます。
人の命を救ったり、困難に直面している人を助けたり、相手本位になって親切を尽くすと宿命の矢である「ブラダルタの矢」を避けることができます。
悪しき宿命を避けて、大難を中難に、中難を小難に、小難を無難にせしめる生き方が大切ということです。
肩で風を切って威勢よく生きるのも自由ですが、太く短く生きるという生き方は、あまりにも代償が大きいと思います。
悪しき運命のブラダルダの宿命の矢をまともに受けることになるからです。
そういう生き方をしていると、大難を中難にという生き方ではありませんから、悲惨で非情な運命が待ち受けているということです。
謙虚さを失った理不尽な生き方をしていると、まず重い病気を罹って苦しむことになると思います。
強く大きなカルマは、師の伝授エネルギーにより氷解させていきます。
カルマを浄化して真理を知れば、内なる神の無限の波動が満ち溢れるようになり、すべての物ごとがうまくいくようになります。
カルマを浄化するとは、過去世からの膨大なカルマをすべて溶かしてしまうことですが、これには地道な努力が必要となります。
師の教えを受けながら、何百回もの伝授を受ける必要があるからです。
伝授とは、心や魂をクリアーにすることです。
心や魂にへばりついている嫌な心の思いを消去することです。
伝授はストレス調和法である「卑弥呼」や「始皇帝」の秘儀を使います。
伝授を受け続けると、無限数のカルマが消滅していき、心も魂もクリアーとなります。すっきりと透明感のある心になっていくということです。
クリアーの伝授は、階段を踏みながら、一段、一段昇っていきます。
クリアーになると、リセットされた新しい自分になります。
魂がクリアーになると、宇宙とつながれるようになります。
宇宙とつながると、宇宙の波動に守られ、よい波動の人間に変容します。
宇宙の波動は聖なる波動です。
宇宙とつながると、聖なる波動とつながり、質のよい波動を引き寄せる人となります。
宇宙神に守られているので、悪い波動の人間や事象は近づけません。
事故や災害、災難の因縁波動を近づけないということです。
カルマが清められた人は、自分の欲望を満足させるのではなく、多くの人に無償の愛を与え、授ける人になります。
喜びも、悲しみも共に分かち合うことのできる人間性豊かな人になるということです。
もし、そういう人が周囲にいたならば、その人は相当に霊格の高い人です。
お金で何でも買えると錯覚する時代ですから、お金を稼ぐことに貪欲になり、地位や名誉を掴むことに奔走するのもやむ得ないことですが、ある程度の年齢になったならば、そうではない生き方を志向することも大切です。
汚れて傷ついた魂を澄み切った魂にしてあげることも人生では大切なことです。






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# by toukokira-kira | 2017-08-11 17:00 | Trackback | Comments(0)

内面が大切

自分を進化させる生き方を選ぶことで、人生は全く違ったものになることでしょう。
そういう生き方を選べる環境にあるかどうかということも重要なことです。
自分の意識を進化させる生き方とは、内面の心を豊かに,充実させる生き方です。
与え、授け、共に分かち合うという生き方です。
自分本位な生き方ではなく、相手本位の生き方ができるということです。
自分が自分が、己が己がという自分中心の自分さえよければという生き方ではありません。
内面の豊かさとは、富でも地位、名誉を掴んでいることでもありません。
そうした物欲には限りがありません。
物欲は人間の心の特性ですから、飽くなき欲望に翻弄されるのが私達です。
例えば、王侯貴族という人種は、何不自由なく恵まれて、豊かに暮らしていますが、心はいつも穏やかではありません。
いつもドロドロとした欲望と情念に突き動かされ、権力闘争に呑み込まれているからです。
仏教の開祖仏陀もまた王族に生まれた王子です。
最高の教育を施され、王宮も2つ与えられ、家族にも恵まれて、幸せ一杯の人生でした。
富裕な身分、環境、素質に恵まれながらも、何かが満たされていませんでした。
いくらみんなの愛情をそそがれても、外からのものは儚いものであると悟りました。
人も羨むような名誉も地位も、権力も、財宝も有り余るほどであるにも関わらず、外からのものでは、心が満たされず、充足しないのです。
いくらさまざまなことに興じても、内面が満たされないのです。
そして仏陀は、真理を知りたいと思うようになりました。
ここから仏陀の修行の始まりです。
修行により、魂の内側を浄め、永遠の命を手にしたのが釈迦如来の仏陀です。
外からのものをいくら求めても、与えられても、内面が磨かれないと、魂は穏やかではいられません。
欲望や執着を手放さないと、内面を清めることはできません。
しかしです、人間という存在には心の特性という大問題があります。
心の特性とは、心はいつも欲望とともにあるということです。
ですから欲望や執着を断ち切るということは大変なことなのです。
欲望という心の特性を断ち切るためには、相当な修行が必要となります。
道を求めるということはそう簡単なことではありません。
人間世界のつまらない地位や名誉、権力、財宝などに執着していては、内なる魂を清めることができません。心が空しくなるだけでしょう。
とにかくないものが欲しくなるのが人間です。
つまらないものでも、「ない」となれば欲しくなるのです。
ないものねだりが人間の本性です。
ですから、そうやって地位や名誉、財宝、権力を次々に掴み取っていくのですが、それでもなお心は荒むばかりで満たされないのです。
そうしたものから離れた生き方が必要だと悟る時期が必ず訪れるものです。
人間の真実の心の有り様がどこにあるのかということです。
究極的にはいつの日か欲望と執着を捨てないと、心と魂に真の平和が訪れないということは確かです。

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# by toukokira-kira | 2017-08-11 10:01 | Trackback | Comments(0)

曼荼羅の作成

お盆にはいってからは、毎日1枚の古代文字と勾玉による曼荼羅を描いています。
太極図の陰陽の勾玉の中に、古代文字を書いていきます。
古代文字は3種類で、1つの太極図の中に「トホカミゑヒタメ」と「アイフヘモヲスシ」という祝詞を古代文字で入れていきます。
古代文字はホメミ文字、ホツマ文字、トヨノ文字の3種類の神世文字です。
ですから1枚の和紙に3つの太極図を描くことになります。
和紙の余白空間にはホメミ文字で十文字の「ありがとう」の曼荼羅を細かく描きます。
太極図の陰陽の勾玉には彩色を施しますので、とても美しいものになります。
この曼荼羅は波動次元がとても高いので、これを額に入れて保持していると、健康長寿,長命となります。

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# by toukokira-kira | 2017-08-10 22:17 | Trackback | Comments(0)

ブラダルダの矢

人生には紆余曲折がつきもので、山あり谷あり、曇りの日もあれば晴れの日もあります。
禍福の運命はあざなえる縄目の如くに交互にたち現われてきます。
順風満帆、幸運に恵まれる人が存在する一方で、事故や災難、災害に巻き込まれるような場合や、突然病気になってしまう場合もあります。
人生は実に悲喜こもごもなのです。
そういうときにはカルマの矢が放たれていて、宿命の波動が向かってきているときです。
カルマの矢は、過去世において、事故や災害に関するカルマの種を蒔いてきたために、巡り巡って現れてきたのです。
カルマの矢のことを「ブラダルダの矢」といいます。、
ブラダルダという宿命のカルマの矢は、未来に必ず生じるカルマであり、その矢が放たれると、逃げることはできません。
宿命は必ず生じます。
それがブラダルダの矢です。
避けられない宿命であれば、せめて大難を中難に、中難を小難に、というのが人々の願いです。
ならばどうすればよいのか。
ブラダルダの矢の勢いを止めるには、世の為、人のために善行を施すことです。
それ以外にブラダルタの矢を止める方法はありません。
無償の愛と善行を積み重ねる修行によって、カルマに翻弄されることを防ぐことができます。
その道をサマディの道、真理への道といいます。
サマディへの道、真理への道に向かっていきましょう。
大切なことは、we shall over come.の精神です。

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# by toukokira-kira | 2017-08-09 22:05 | Trackback | Comments(0)

5つの法則

人生は長いようで短い。
後悔して悔やまれるこよも多い。
あの時、ああしておればよかった、こうしておけばよかった、と忸怩たる思いを引き摺ることが実に多いのである。
悔やんでも悔やみきれずに、自暴自棄になって投げやりの人生に陥ってしまう人も多いのではと思います。
しかし、人生には5つの法則があります。
毎日が新しいスタートですから、新しくやり直すのにもう遅いということはありません。
そして毎日が新しい挑戦です。何事にも勇気をもってチャレンジです。
失敗に失敗を重ねて、誰よりも貴重な失敗を多く体験して、失敗表彰を受けられるぐらいにチャレンジして失敗しましょう。
そして毎日が新しい感動の日々です。
何事にも感動することによって、新しい喜びの日々が生まれます。
いろんなことに喜びの心をもつと、そこに感謝の心が生まれます。
毎日が新しい感動、新しい喜び、新しい感謝の日々であるためには、毎日が新たな反芻自戒の日々である必要があります。
人生には日々の反省が不可欠だということです。
今申し上げてきたことが人生の5原則であり、5つの法則です。

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# by toukokira-kira | 2017-08-09 21:32 | Trackback | Comments(0)

宇宙エネルギー

言葉にエネルギーが加わると言霊となります。
ひふみ祝詞や天地祝詞などの祝詞を唱えると、音魂として人体に作用し、空間に遍満している宇宙エネルギーが身体に取り込まれます。
神代の古代文字や勾玉などの図象を描くと、形魂として人体に作用し、空間に充満している生命エネルギーが身体に取り込むことができます。
例えば、トヨノ文字やホツマ文字、ホメミ文字などの古代文字を皮膚に描くと、腰痛や肩こりなどの痛みが忽然と消えてしまいます。
古代文字ばかりではなく、勾玉や稲穂の図象、或いは金色・銀色の珠を描いても腰痛や膝痛の痛みが消えてしまいます。
宇宙から飛来する生命エネルギーである素粒子は、このように言霊や音魂、形魂として無限の力を現しますが、こうした素粒子は左右の渦を描いて回転しています。
宇宙素粒子は左右の回転の渦から成り立っており、古流神道ではこれを正反の渦とか、陰陽の渦とか申しております。
もっと詳しく専門的に申し上げると、この正反、左右の回転の渦のことを「カムロギの渦」「カムロミの渦」と言います。
カムロギの渦は左回転の渦のことであり、時計回りと反対の回転の渦のことです。
これはフトマニの図の中心である「トホカミゑヒタメ」8神の力を現しています。
カムロギの渦は反時計回りの渦ですから、その波動の特徴は、空間、空気中に遍満している宇宙素粒子を体内に取り込む働きをもっていることです。
ですから私は治療の時、左回転の渦を作って、「トホカミゑヒタメ」の真言を唱えるわけです。
カムロミの渦は右回転の渦のことであり、時計回りの回転の渦のことです。
これはフトマニの図の中心部にある「アイフヘモヲスシ」8神の力を現しています。
患者の患部の邪気や悪い処の毒素を取り除いたり、除去するときに右回転の渦を回しながら祝詞「アイフヘモヲスシ」の8音を唱えて病魔の邪気を取り除くわけです。
この回転の渦くを身体に作用させると、瞬時に痛みが消えてしまいます。
また、日本最古の由緒正しい「ひふみ祝詞」や「あわの歌」を唱えても大変よい作用が身体に及んできます。
ひふみ祝詞は、反時計回りに言霊が巡っていきますから、ひふみ祝詞を唱えると、空中からエネルギーが身体に入り、体内の邪気である毒を追い出してくれます。
その意味でひふみ祝詞は空間に遍満する宇宙エネルギーを身体に取り入れる言霊です。
ひふみ祝詞を唱えると、我知らず、宇宙エネルギーが身体に入ってきますので、生命エネルギーが充満して元気いっぱいになります。
エネルギーが不足していると感じたならば、ひふみ祝詞を唱えるとよいでしょう。
あわの歌の場合は、言霊が時計回りに巡っていますので、天地の歌を唱えると、体内の邪気を放出してくれます。
病気の悪い波動を除去してくれるということです。
「アイフヘモヲスシ」と1回唱えると、「あわの歌」を1回唱えたのと同じエネルギーが発生します。
ですから病気を持っている方は、常づねこの「アイフヘモヲスシ」の8音を唱えるとよいでしょう。
ひふみ祝詞はエネルギーを取り入れるときに唱え、あわの歌は身体の邪気、毒素を取り除くときに唱えます。
「アイフヘモヲスシ」の8音を唱えると、同じように余分なエネルギーを対外に放出することができます。
フトマニ図のアイフヘモヲスシと対になっている「トホカミゑヒタメ」の8音を唱えると、足りないエネルギーを体内に呼び込むことができます。
ですから、「アイフヘモヲスシ」と「トホカミゑヒタメ」の8音は、体内の邪気エネルギーを抜いたり、足りないエネルギーを補充したりする方法なのです。
宇宙の根源のエネルギーが、これらの8音で出し入れできるということです。
「トホカミゑヒタメ」が身体へのエネルギー補充の祝詞であり、「アイフヘモヲスシ」が身体から邪気を抜く祝詞であるということです。
反時計回りの渦が「トホカミゑヒタメ」であり、時計回りの渦が「アイフヘモヲスシ」です。
時計回りの回転の渦は、体内の邪気を空気中に放出できる力があります。
反時計回りの回転の渦は、空気中から宇宙エネルギーを体内に呼び込む力があります。
背中の第7頚椎や仙骨第2番穴を時計回りに20回ほど廻すと、背部の悪いエネルギーが放出されて、背中の痛みや不調が解消されます。
反時計回りに廻すと、背中に宇宙エネルギーが入ってきて、充満します。
私は古流神道の治療家ですから、「カムロギ・カムロミ」の渦をイメージしたり、ひふみ祝詞とあわの歌を唱えながら正反の回転の渦をイメージしたり、「トホカミゑヒタメ」「アイフヘモヲスシ」と唱えながら身体に回転の渦を描いたりして、治療を行っています。

































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# by toukokira-kira | 2017-08-08 09:46 | Trackback | Comments(0)

日々是也

長いようで短いのが私達の人生です。
悔いのないように精一杯自分の人生を生きなければなりません。
迷っていたり、躊躇している暇などありません。
自分でこうと思ったら果敢に行動するのみです。
毎日が新しいスタートであり、毎日が新しい感動です。
毎日が新しいチャレンジであり、毎日が新しい喜びの毎日です。
そして毎日が新しい感謝の日々であり、毎日が新しい反省の日々です。

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# by toukokira-kira | 2017-08-07 11:12 | Trackback | Comments(0)

辺境の人々こそ

聖書や物語の世界には美しい清らかな世界がたくさん描かれていますが、現代の現実世界というのは、あまりにもドロドロとした汚れた世界、偽りに満ちた世界、或いは妬みに溢れた虚飾の世界になり過ぎていると思います。
正義が貫かれた清く正しいといった理想の世界とは程遠い世界が現代です。
こうした混沌とした世の中にあっては、人間はかくあるべきと正論を唱え論じることは甚だ心もとないことである。
現代の人々は、欲と執着と情動に突き動かされているので、そんな真面目腐った正論など戯言にしか聴こえないのかも知れません。
まじめな正論を唱える者が嫌がられ、疎んじられ、めんどくさく思われ、浮き上がってしまうような世の中が現代という時代です。
私はそんな世の中だからこそ、あえて「人間世界の探求」と題して心の法則の解明に意を注いできているのです。
ですからできる限り清く正しく明るい世界のあるべき姿というものを語り続けていこうと考えています。

さて、世界には、秘境のような厳しい奥地にあって、自給自足で必死、命懸けで生き抜いている人々が大勢います。秘境で暮らす人々は、電気を水道も、勿論お店もない、自給自足の厳しい環境の中で、夫婦や家族が力を合わせて、支え合い、助け合い、慈しみ合ってて生きています。この世界には、そういう人々が大勢います。

文明社会の先進国で暮らしていると、秘境で暮らす人々は、未開の貧しい民ぐらいにしか思っていないかもしれません。

が、しかしです。生存環境はとても厳しいものがありますが、その魂は純粋であり、透明で、清らかです。穢れ、汚れのないピュアな魂です。地上のどんな人々よりも、魂が清らかで美しい人々です。神に最も近い人々です。

辺境で暮らす人々は、公平、公正にすべてを分配し、助け合って、譲り合って生きていますので、争いや対立がありません。いかに環境が厳しくとも、その人間性は素晴らしく、真我は強く大きく光輝いています。

現代の科学技術文明の中で暮らしている我々こそが優れた人間だと思い上がっていては駄目です。辺境で助け合って暮らす人々のほうがはるかに人間らしく、人間本来の美しい心、美しい姿があります。魂が透き通っているということです。

変な虚栄も、驕りも、虚飾もありません。騙す、欺く、盗む、いじめる、憎むという悪い心も存在しません。すべてが助け合って、支え合って、譲り合って生きているからです。真我が光輝いています。

人間の魂の成長、魂の修行のためには、辺境の奥地で暮らしたほうが、断然よいことは疑いがありません。毎日の水汲みに、2時間も山道を歩くなど、肉体をもつ身には、過酷で厳しい毎日かも知れませんが、魂にとっては、まさに極楽浄土、天国が辺境の最奥地の人々の生活であると私は思います。

辺境の奥地で力強く生き抜いている人こそ、この地球上で、最も霊格の高い人々であり、神に最も近い人々です。私は、そういう人々に尊崇の念を抱くばかりです。
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# by toukokira-kira | 2017-07-28 10:20 | Trackback | Comments(0)

私は春夏秋冬の年4回の「ありがとう」の100日行を行っています。
年4回の100日行ですから、年300日の「ありがとう」の修行です。
「ありがとう」の修行は、感謝の修行ですから、大切な人生の修行となります。
毎朝日課の1時間のウオーキングの折に、2000回の「ありがとう」の修行に入ります。
ようは1時間歩きながらひたすら「ありがとう」を唱えるということです。
年4回の100日行ですから、一年中「ありがとう」を唱えていることになります。
こうすることによって、奇跡のエネルギが蓄積され、奇跡の修法、奇跡の治療を新たな気持ちで出来るようになります。

気の治療家は、人々にエネルギーを与え続けるので、どんなにエネルギーで充満している元気な治療家でも、治療活動を続けていると、エネルギーが奪われていきます。
気の治療家で長生きした人はいないのです。
患者の邪気を受けて、みんな病気になって死んでいきます。
ですから日頃のケアーが大切です。

でも、私は気の治療家ではないので心配いりません。
「ありがとう」という無限の宇宙のエネルギーによる治療なので、何万人の患者を治療しても邪気を受けることは少しもありません。
私は、毎朝1時間ほど歩いていますが、その散歩中に、1時間、心の中で「ありがとう」と唱え続けるだけのことですから、修行と言っても、時間の有効活用です。
新しく始める方は、理由の定かではない涙が溢れ出ててくるまで、とにかく唱え続けることが大事です。

さて、「運動」とは、運が動くと書きます。
動くことによって、「運」が動き始めるということです。
行動すると、結果がでます。
原因・結果の法則です。
因果は、動くことによって、良くも悪くも動きます。

運が動き出すためには、一歩でも、半歩でも踏み出さないと動きません。
頭で考えてばかりいて、実践が伴わないと、運は良くも悪くも、動かないのです。人生は、実践あるのみです。
あなたも私と一緒に「ありがとう」の修行を楽しく笑顔でやってみませんか。
自分をとにかく変えたいと思っている方は、人生が必ず変わりますので、是非とも「ありがとう」を唱える修行に取り組んでみてください。
「ありがとう」は不思議な言葉であり、奇跡を呼び起こす言霊です。



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# by toukokira-kira | 2017-07-24 09:11 | Trackback | Comments(0)

辞譲の心

私はよく人間の有り様として、「四端の心」と「自利利他の心」「大我の心」の実践について推奨督励し、このことについて幾度となく書き綴っています。
この3つの心こそ人間の真実の道、真実の心の本当の有り様だからです。

四端の心の一つに、「辞譲の心」というのがあります。
辞譲の心とは、謙譲なる心のことです。
よきものは人に譲り、悪きものは自分が引き受ける、というへりくだった謙虚な心のことです。

「自利利他の心」というのは、他者を活かす心ということであり、多くの人々が喜んでよしとする心のことです。
正しい因果律に基ずく正義心とは、多くの人々が喜んでよしとする生き方のことをいいます。
一言で云うと、相手本位に考え、他者に喜びを与える存在になることが、自利利他の心であり、大我の心です。

喜びを与える存在になるためには、前回書いた「頼みごとを断らない」ということも大事なことであり、今回の辞譲の心、すなわち、譲る心も同じように大事な心です。
自分が、自分が、己が、己がという自分本位で自我の心が強いと、喜びを与える存在にも、譲る心にもなれません。

人生の目的は、競い合ったり、比べあっやり、争ったりすることではありません。競い合って1位になることでもなく、お金をたくさん稼ぐことでもありません。
人生の目的は、感謝の修行とともに、喜ばれる存在になることだと、いつの日か、誰もが気がつく時がくるでしょう。
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# by toukokira-kira | 2017-07-23 22:21 | Trackback | Comments(0)

仏弟子アーナンダ

釈迦如来である仏陀の愛弟子にアーナンダという従兄弟がいて、仏陀によく可愛がられました。
そのアーナンダが仏陀にある時、質問しました。
「師よ、よき仲間を得ることは、聖なる道の半ばに来たといってもよいのではないですかと」

仏陀は答えました。よき仲間を得ることは、聖なる道の半ばではない。
聖なる道のすべてであると。
闇の中で迷った時に、闇を照らしてくれる灯火となる。
それをよき仲間という。
このように仏陀はアーナンダに云いました。

これは人間の道の真理です。
よき仲間を得ることによって、人間は、老いる身でありながら、老いを恐れずにすみ、病む身でありながら、病むことを恐れずにすみ、死する身でありながら、死を恐れずにすむのです。
逆に言うと、よき仲間を持たない者は、老病死を恐れて過ごすことになるということです。
ですから、よき仲間を持つことは幸せに生きることの絶対条件です。
よき仲間を持っている人は、それだけで安心立命です。
よい仲間をもっていない人は、あまりよい人生といえないかもしれません。
神様の贈り物である「頼まれごと」のない人ということです。
人から頼まれごとのない人は、問題のある孤独な人です。

頼まれごとがドンドンときて、断らずに引き受けていると、よい仲間が増えていきます。
頼まれごとのこない人は、人から相手にされていない寂しい人です。
人生、運命の転換は、よき人との出会いと、頼まれごとの引き受けから始まるということです。
頼まれごとは人生のキーワードであり、人生の秘密であり、人生の秘訣です。
人からの頼まれごとをめんどくさがって嫌がる人というのは、自分からチャンスを放棄している人ということです。
そういう人の運命、人生は暗い孤独なものとなります。



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# by toukokira-kira | 2017-07-23 18:13 | Trackback | Comments(0)

正義の心とは

私達の子供時代は、正義の味方「月光仮面」と申しましたが、この正義とは一体何でしょうか。
判るようで判らないのが「正義」という言葉です。
さて、人間には、正義心と使命観があって人間でいられるのですが、この正義心と使命観が自我意識と結びつくと、あまりよいものではなくなります。

自分は間違っていない、相手が間違っている、自分こそは正義である、と思ってしまうと、人は威張ったり、怒鳴ったり,怒ったりします。
中途半端な正義心や使命観を持つと、争いや対立のもととなります。
これを仏教では「我見」といいます。
人が「こうあるべきだ」とか、「こうあらねばならない」と固定的に考えると、そこから外れた人は、みな悪ということになります。
偏狭な正義心があると、争い事が絶えません。
この世のすべての人が、自分こそは正しいと思ったら、争うと衝突、対立と抗争ばかりになります。
我欲、我執とともに、この我見というのは実にやっかいなものです。
互いが、互いの価値観に基づき、自分こそ正義だと思うと、争いが起こるのです。世の中のすべての人が、自分は間違っていると思えば、争いも戦争も起きません。自分は正しいと思うから、そこに怒りや憎しみが生まれ、攻撃の心が湧き上がってくるのです。
ですから、人間は、つねに、自分は間違っているかも知れないと思っていれば、そういう攻撃的な心は湧いてこないのです。
正義心や使命観は、人間が生きていくためには、なくてはならないものですが、使い方を間違うと、争いのもとになるということです。

自分を律するための正義心、使命観なのであって、それを他者に投影したり、求めたり、強要したりすると、争いが絶えなくなるのです。
自分の信じる正義心や使命観がどんなに立派なものであっても、それを他人に押し付けてはならないということです。
こうしろ、ああしろと勝手気ままに命令ばかりしていると、人間関係が破綻していきます。

本物の正義心と使命観というものは、神の領域にあるものです。
普通の人々の正義心や使命観は、自分とは違う考え方の相手を憎しみ、恨み、怒り、軽蔑、差別するような心の動き、感情の誘発につながっていきますから、ご用心ということです。

偏屈な正義心を振りかざすと、必ず争いが起きるということです。万人がよしとする生き方が真の正義心であり、万人に喜ばれる心なのです。正義心とは、神の領域の心であり、謙虚さがないと、大変なことになります。

もしかしたら、私が間違っているのではないだろうかと、つねづね考えることが、謙虚さということです。そういう謙虚さがあれば、正義心を持っていても、相手を憎まず,怒ることもないのです。誠実さとともに、謙虚さは、人間が人間たるための大切な美徳の一つです。
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# by toukokira-kira | 2017-07-23 17:55 | Trackback | Comments(0)

幸福招来法の言霊である「幸福の門」を読者に伝授します。
幸福の門は、我が流儀の最高無比の真言マントラであり、これを潜在意識に深く染み込むように毎日繰り返して唱え、暗唱することが基本です。
万巻の経典、聖書や難解な宗教書を読破するよりもはるかに霊験のある言霊だと思います。
この幸福の門に縁があって結ばれた方は、暗唱して自分のものとするとよいでしょう。
暗唱してこれを護持すると、人間も、人生も、運命も大きく変わります。
暗唱が苦手な方は、よく見えるところに貼りつけて、いつも唱えるようにするとよいでしょう。
そうするおとによって、幸運は我がものとなります。
ただし、継続は力なり、です。ローマは1日でならず、ですよ。
■言霊法「幸福の門」
「私を取り巻くすべてが最高です。調和しています。
私の回りには、よいことばかりが起きる。
望まないことは、決して起こらない。
私のすべてがどんどんよくなる。
私は神の子あらゆる点ですべてがよくなる。
私はついています、幸運です。ラッキーです。
今が、この瞬間が、最高です、嬉しいです、楽しいです、幸せです。」
とまず唱えます。

引きつづき
「今の夫が最高です。
今の妻が最高です。
今の両親が最高です。
今の兄弟、家族が最高です。
今の友人が最高です。
今の仕事が最高です。」
と唱え、自分の境遇を肯定し、感謝します。

最後の締めの言霊として
「私の周りのすべてが最高です。
私は最高に今が幸せです。
私にはすべてが与えられ、備わっています。
十分すぎるほど与えられています。大満足です。
今、此処に、こうして、わが命あることに
感謝します。感謝します。感謝します。」
幸福の門の言霊は、これで終了です。
これを毎日朝晩唱えていると、数年を経たずして、あなたの運命、人生は激変することでしょう。



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# by toukokira-kira | 2017-07-23 14:10 | Trackback | Comments(0)

宇宙の第一法則

以前、「幸福の門」の言霊を伝授しました。
この世界は、波動共鳴の世界です。
波動が波動を引き寄せて、現実をつくりだします。
ですからよい言葉の波動が幸運を引き寄せます。
人の悪口や愚痴、不平不満を言う人には、同じ波動をもった不平不満分子の人たちが集まってきます。
人の悪口や愚痴、不平不満を言うことが得意な人たちが周りに集まってくるということです。
類は類を呼ぶ、友は友を呼ぶ法則のとおり、同じ波動のものが引き寄せられて、集まってくるのが波動世界です。

波動世界の波動共鳴の法則こそが、宇宙の第一法則ともいうべきものです。
人の悪口、陰口を言わない人には、悪口を言わない仲間が集まってきます。
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、最高です」と言霊を言い続けていると、嬉しい、楽しい、幸せな最高の仲間や事象がやってきます。

今の自分が最高です、満足です、しあわせです、感謝します、というあなたには、そういうよい波動の仲間や事象、出来事が引き寄せられてくるということです。
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# by toukokira-kira | 2017-07-22 22:02 | Trackback | Comments(0)